全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言
註:これは全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言についての説明であり、ウィキペディアとしていかなる予言も支持するものではありません。また同予言の内容が、ローマ教皇について言及したものであるため、それについての信奉者の側の解釈を併せて紹介するものにすぎず、現実に存在するカトリック教会やローマ教皇、他いかなる事柄についても今後の状況を予測するものではありません。 |
「全ての教皇に関する大司教聖マラキの預言(Prophetia S. Malachiae, Archiepiscopi, de Summis Pontificibus)」は、聖マラキによって執筆されたと称する歴代ローマ教皇に関する予言または預言である。一般には単に「聖マラキの予言」「教皇(について)の予言」などと呼ばれる。また、偽作説の立場からは「偽マラキの予言」と呼ばれることもある。本記事名は1595年に初めて公刊された時の名称を採用しているが、後述のように本来のタイトルはもっと長かったとする説もある。同じく後述するが、16世紀の偽書と見なすのが一般的である。
概要
これは、1143年に即位した165代ローマ教皇ケレスティヌス2世以降の、112人(最後の予言の扱いによっては111人)の歴代教皇についての予言である。対立教皇10人を含むが、対立教皇インノケンティウス3世 と対立教皇ベネディクトゥス14世 (2人いたが2人とも)に対応する予言だけは存在しない。対象時期の教皇の中で、予言が存在しないのは彼らだけである。
一つ一つの予言はラテン語2 - 4語で表現しただけの極めて簡素なものであるが(112番目を除く)、その教皇の登位前の姓名、紋章(家紋を含む)、出自、性格、在位期間の歴史背景や特徴的な事件等のいずれか1つ(またはその組み合わせ)を意味しているとされる。信奉者の中には、複数の意味を織り込んだものもあると主張し、様々な意味を読み取ろうとする者もいる。
一部の終末論者は、同予言書では111番目に当たる、2005年4月に就任したベネディクト16世 の次の教皇の時にカトリック教会が崩壊すると解釈している。このため、彼らにとっては、「フォトンベルト」などと共に関心の対象となっている。
なお、終末までの歴代教皇を予言する、というモチーフは、1590年に現れた聖マラキの予言が初めてではない。中世には30枚の預言絵画からなる「全ての教皇に関する預言」(Vaticinia de summis pontificibus)が広く知られていた。
最初の公刊と時代背景
1595年にベネディクト会修道士アルノルド・ヴィオンが、ヴェネツィアで刊行した著書『生命の木(Lignum Vitae)』の中で言及したのが、この予言の初めての公刊であった。聖マラキが執筆したとみなせる史料が現存しない上、作成されたと推測されている1590年以前には伝聞すら存在しなかったことから、(今なお信奉者の根強い支持はあるものの)偽書と見なすのが一般的である(偽作説は イエズス会士のクロード・フランソワ・メネストリエによって1689年に初めて提示された)。ヴィオン自身を偽作者とみる説もあるが、先行する写本を想定した上で、1598年に出されたロベルト・ルスカの版(ラテン語の予言にイタリア語の注釈が付いている)の方がその写本に近いのではないか、と推測する者もいる。また、題名についても、1624年にトマス・メシンガムが紹介した時のタイトル "Prophetia S. Malachiae Archiepiscopi Armaghami totiusque Hebernae Primatis as Sedis Apostlicae Legati de Summis Pontificibus" の方がオリジナルに近いのではないかとも指摘されている。
偽作であるという立場を取る論者は、最初にこの予言が現れたのは1590年と推測している。『生命の木』ではウルバヌス7世(在位1590年)までの予言にしか注釈がつけられていないからである。注釈の著者としては、ヴィオンもルスカも、スペイン人のドミニコ会士アルフォンソ・チャコンの名を挙げているが、真偽は定かではない(ただし、スペイン人の関与を窺わせること自体には意味がある。後述を参照)。偽作説では、ウルバヌス7世の次の教皇に当たる「町の古さによって」という予言は、オルヴィエート(「古い町」が語源とされる)の司祭だった枢機卿ジロラモ・シモンチェッリを教皇にするための支持者による工作であったとみなしており、それが偽作の動機ではないかとも言われている。同じ1590年には、『ウルバヌス7世の後継者に関する聖ブリギッドの予言 (Prophetia Divae Brigittae...in succesorem Urbani VII)』と称する偽書も刊行されていた。こうした偽作は単なる候補者個人の問題とされるべきではなく、1590年当時の、スペイン国王フェリペ2世が教皇選挙に積極的に介入していた状況や、フランスでのカトリック同盟とアンリ4世の対立が激化していた状況などを視野に入れて、より大きな政治的意図を汲み取る必要性も指摘されている(教皇選挙へのフェリペ2世の介入については、グレゴリウス14世、インノケンティウス9世の記事なども参照のこと)。
ちなみに、このとき実際に選ばれた教皇はシモンチェッリではなく、元ミラノ大司教のグレゴリウス14世であった。聖マラキの予言を信じる立場からは、ミラノも十分に古い町であるとか、 フランス語では「ミラノ(ミラン Milan)」は「千年(ミラン Mille ans)」の語呂合わせになるといった解釈が行われている。
現在も、信じる立場の論者は、予言の的中例に偽作では説明のつかないものがあるとか、歴代教皇の中に予言に従って行動した者がおり、偽作ならそのような行動はとられないはずといった反論を寄せている。他方で、懐疑的な立場の論者は、元の句が短いため曲解しているだけではないかとか、当初から解釈が付けられていたウルバヌス7世以前の予言に比べて、それ以降の予言では地名を織り込んだ句が激減するなど曖昧さが増している上、苦しい解釈が多くなっているのではないかといった疑念を提示するなど、解釈に関しては、双方の立場から様々な意見が出されている。こうした双方の主張の適否を判断する一助として、以下にリストを掲げる。
予言リスト
以下は当予言の原文、訳文、該当するとされる教皇、信奉者の解釈を一覧にしたものである。『生命の木』にもルスカの版にも番号は付けられていないが、慣例に従い順に番号を付けた。解釈には、日本語に訳すと意味をなさないものもある。それらについては原綴を比較のこと。言うまでもなく、姓や名(personal name)は基本的に教皇登位前の話である。
『生命の木』で注釈がついていた最初の74人分
ここでは、主に『生命の木』所収のチャコンの注釈に基づいて解説を付けている(後世の注釈者による補完を含む項目もある)。この項の予言は、信奉者にとっては的確な予言ということになり、偽作説にとっては典型的な事後予言ということになる。
1.ティベリウス川の城より Ex castro Tyberis- ケレスティヌス2世(1143-1144)
- 彼はテヴェレ川(ティベリウス川)沿いのチッタ・ディ・カステッロ(Città di Castello, 城の都市の意)の出身だった。
2.追い払われた敵 Inimicus expulsus - ルキウス2世(1144-1145)
- 彼の姓カッチャネミチ(Caccianemici)は「敵を追い払う」の意。
3.山の大きさから Ex magnitudine montis - エウゲニウス3世(1145-1153)
- 彼の姓はパガネッリ・ディ・モンテマニョ(Paganelli di Montemagno, モンテマニョは大きな山、の意)だった。なお、彼の姓は文献によっては単にパガネッリやピガネッリとだけ書かれている場合もある。
4.スブッラ神父 Abbas Suburranus - アナスタシウス4世(1153-1154)
- 彼はスブッラ(Suburra)家の出身だった。
5.白き野より De rure albo- ハドリアヌス4世(1154-1159)
- 彼はイギリスのw:St Albans School (Hertfordshire)で学んだ。
6.耐え難い牢獄から Ex tetro carcere- 対立教皇ウィクトル4世(1159-1164)
- 彼はトゥリアノ牢獄で聖ニコラスのタイトルを持つ枢機卿だった。
7.ティベリウス対岸への道 Via Transtiberina- 対立教皇パスカリス3世(1164-1168)
- 彼はサンタ・マリーア・イン・トランステヴェレ大聖堂(w:Basilica di Santa Maria in Trastevere)の主任司祭だった。
- チャコンの注釈は、この予言を対立教皇カリストゥス3世に当てはめており、パスカリス3世は次の予言に当てはめられている。17世紀半ばのカリエールの注釈書では現在の形に修正されている。
8.トゥスクルムのパンノニアより De Pannonia Tusciae- 対立教皇カリストゥス3世(1168-1178)
9. 守護者たる雁から Ex ansere custode- アレクサンデル3世(1159-1181)
- 彼の家紋には雁があしらわれていた。
10.入り口の光 Lux in ostio- ルキウス3世(1181-1185)
- 彼はオスティア(Ostia)の司教枢機卿だった。ルキウスは Lux に通じる。
11.篩の中の豚 Sus in cribro- ウルバヌス3世(1185-1187)
- 彼の姓クリヴェッリ(Crivelli)は篩を意味し、家紋は豚だった。
12.ラウレンティウスの剣 Ensis Laurentii- グレゴリウス8世(1187)
- 彼はサン・ロレンツォ・イン・ルチーナ(w:San Lorenzo in Lucina)の枢機卿で、紋章は剣だった。
13.かの者は学舎から出るだろう De Schola exiet- クレメンス3世(1187-1191)
- 彼はスコラリ(Scolari)家の出身だった。
14.牛の里より De rure bovensi- ケレスティヌス3世(1191-1198)
- 彼はボボネ(Bobone)家の出身だった。
15.徴を付けられた伯爵 Comes Signatus- インノケンティウス3世(1198-1216)
- 彼はセニ(Segni) 伯爵家の出身だった。
16. ラテラノの司教座聖堂参事会員 Canonicus de latere- ホノリウス3世(1216-1227)
- 彼はサン・ジョバンニ・イン・ラテラノ大聖堂の参事会員だった。
17. オスティアの鳥 Avis Ostiensis- グレゴリウス9世(1227-1241)
- 彼はオスティアの枢機卿で、紋章は鷲だった。
18.サビーナの獅子 Leo Sabinus- ケレスティヌス4世(1241)
- 彼はサビーナ(w:Sabina)の司教枢機卿で、紋章には獅子が用いられていた。
19. ラウレンティウス伯爵 Comes Laurentius-インノケンティウス4世(1243-1254)
- 彼は伯爵家の出身で、サン・ロレンツォ・イン・ルチーナの司祭枢機卿だった。
20. オスティアの徴 Signum Ostiense- アレクサンデル4世(1254-1261)
- 彼はコンティ=セニ(Conti-Segni)家の出身で、オスティアの枢機卿だった。
21.カンパーニアのエルサレム Hierusalem Campanie- ウルバヌス4世(1261-1264)
22.打ち倒された竜 Draco depressus- クレメンス4世(1265-1268)
- 家紋は竜を仕留めている鷲だった。
23.蛇の如き者 Anguinus vir- グレゴリウス10世(1271-1276)
- 家紋には小児を飲み込む蛇が描かれていた。
24.ガリアの説教者 Concionatur Gallus- インノケンティウス5世(1276)
- 彼はフランス(古称はガリア)南東部の出身で、説教者修道会士だった。
25.良き伯爵 Bonus Comes- ハドリアヌス5世(1276)
- 彼は伯爵家の出身で、名はオットーボノ(Ottobono)だった。
26.トゥスクルムの漁師 Piscator Tuscus- ヨハネス21世(1276-1277)
- 彼はトゥスクルムの司祭枢機卿だった。名はペドロで、漁師だったシモン・ペトロに通じる。
27.組み合わされた薔薇 Rosa composita- ニコラウス3世(1277-1280)
- 家紋は薔薇で、彼のあだ名はコンポジトゥス(Compositus)だった。
28.百合のマルティヌスの収税局 Ex teloneo liliacei Martini- マルティヌス4世(1281-1285)
- 彼の紋章は百合で、トゥールのサン・マルタン(St. Martin)司教座聖堂の参事会員で出納係だった。
29.獅子の薔薇より Ex rosa leonina- ホノリウス4世(1285-1287)
- 彼の紋章は薔薇を囲む2頭の獅子だった。
30.飼葉の中の啄木鳥 Picus inter escas- ニコラウス4世(1288-1292)
- 彼はアスコリ・ピチェーノ(Ascoli Piceno, Asculum Picenum)近くのリシャーノ(Lisciano)出身だったが、かつてはしばしばアスコリ・ピチェーノの出身とされた。
31.隠者から昇格した者 Ex eremo celsus- ケレスティヌス5世(1294)
- 彼は教皇選出前に隠遁生活を送っていた。
32.波の祝福から Ex undarum benedictione- ボニファティウス8世(1294-1303)
- 彼の紋章は波模様で、姓はベネデット(Benedetto, 祝福された者の意)だった。
33.パタラの説教者 Concionator patereus- ベネディクトゥス11世(1303-1304)
34.アクイタニアの帯線によって De fessis aquitanicis- クレメンス5世(1305-1314)
- 彼はアキテーヌ(古称はアクイタニア)の出身で、紋章は3本の帯線だった。
35.骨ばった靴職人 De sutore osseo- ヨハネス22世(1316-1334)
- 彼の姓デュエーズ(Duèze)ないしドゥーズ(D’Euse)はラテン語の ossa に由来し、父は靴職人だった。
36.分裂的なカラス Corvus schismaticus-対立教皇ニコラウス5世(1328-1330)
- 彼はコルヴァーロ(Corvaro)の出身で、この時期の対立教皇は彼だけだった。
37.冷たい神父 Frigidus Abbas- ベネディクトゥス12世(1334-1342)
- 彼はフォンフロワ(Fontfroid, 冷たい泉、の意)の修道院に所属していた。
38. アトレバテンシスの薔薇から De rosa Attrebatensi- クレメンス6世(1342-1352)
- 彼はアラス(古称はエピスコプス・アトレバテンシス)の司教で、紋章は6つの薔薇だった。
39.パンマキウスの山々から De montibus Pammachii - インノケンティウス6世(1352-1362)
- 彼はパンマキウスのタイトルをもつ司祭枢機卿で、紋章は6つの山々だった。
40.ガリアの子爵 Gallus Vicecomes - ウルバヌス5世(1362-1370)
- 彼はフランス(古称はガリア)の子爵家の出身だった。
41.強き処女からの新参 Novus de virgine forti - グレゴリウス11世(1370-1378)
- 彼はサンタ・マリーア・ヌオーヴァ(Santa Maria Nuova, 新しい聖マリアの意)の枢機卿で、姓はボフォール(Beaufort, 強き美しさの意)だった。
42.使徒の十字架によって De cruce Apostilica- 対立教皇クレメンス7世(1378-1394)
- 彼は12使徒のタイトルをもつ枢機卿で、紋章は十字架にみえるデザインだった。
43.コスメディンの月 Luna Cosmedina- 対立教皇ベネディクトゥス13世(1394-1417)
- 彼の紋章は月であり、サンタ・マリーア・イン・コスメディン(w:Santa Maria in Cosmedin)のタイトルをもつ枢機卿だった。
44.バルキノの分裂 Schisma Barcinonium - 対立教皇クレメンス8世(1423-1429)
45.出産の地獄によって De inferno praegnanti- ウルバヌス6世(1378-1389)
- 彼の姓はプリニャノ(Prignano)で、ナポリ場末のインフェルノ(Inferno)と呼ばれる場所の出身だった。
46.混成の立方体 Cubus de mixtione- ボニファティウス9世(1389-1404)
- 彼の紋章は斜めに格子縞の帯が横切るものだった。
47.より良き星によって De meliore sydere - インノケンティウス7世(1404-1406)
- 彼の姓はミリョラーティ(Migliorati)で、紋章は流星だった。
48.黒き橋からの船乗り Nauta de Ponte nigro- グレゴリウス12世(1406-1415)
- 彼は船乗りとも縁の深い水の都ヴェネツィアの出身で、同市の司祭やコンスタンティノポリス総大司教をつとめた他、ネグロポント(w:Negropont)の教会から司祭禄を受け取る立場(Commendatarius) にあった。
49.太陽の鞭 Flagellum solis - 対立教皇アレクサンデル5世(1409-1410)
- 彼の紋章は太陽だったが、そのデザインは、中央の円から鞭のように曲がりくねった光線が八方に伸びているものだった。
50.セイレーンの鹿 Cervus Sirenae- 対立教皇ヨハネス23世(1410-1415)
- 彼はセイレーンを市紋とするナポリの出身で、自身の紋章は鹿だった。
51.金のベールが付いた冠 Corona veli aurei- マルティヌス5世(1417-1431)
- 彼の紋章は円柱の上に載った金の冠だった。
- 17世紀の版では「金のベールが付いた円柱Columna veli aurei」となっているものもある。その場合も解釈は基本的に同じであるが、コロンナ家(円柱の意)の出身であることが付記されることがある。
52.神々しい雌狼 Lupa coelestina- エウゲニウス4世(1431-1447)
- 彼はセレスティン会(w:Celestines)の修道士で、市紋に雌狼を用いているシエーナの司教だった。
53.十字架の恋人 Amator Cruces- 対立教皇フェリクス5世(1439-1449)
- 彼の名アメデーオ(Amedeo)は「神を愛する者」の意で、紋章は十字架だった。
54.月の節度によって De modicitate Lunae- ニコラウス5世(1447-1455)
55.草を食べる牛 Bos pascens - カリストゥス3世(1455-1458)
- 彼の紋章は草を食べる牛だった。
56.山羊と宿屋によって De Capra et Albergo - ピウス2世(1458-1464)
- 彼はカプラニカ(Capranica)枢機卿とアルベルガト(Albergato)枢機卿の秘書だった。
57.鹿と獅子によって De Cervo et Leone - パウルス2世(1464-1471)
58.より小さき漁師 Piscator minorita– シクストゥス4世(1471-1484)
- 彼は漁師の息子で、小さき兄弟会(Ordo Fratrum Minorum)の修道士だった。
59. シチリアからの先駆者 Praecursor Siciliae- インノケンティウス8世(1484-1492)
60.門のアルバヌスの牛 Bos Albanus in portu- アレクサンデル6世(1492-1503)
61.小さき人から De parvo homine- ピウス3世(1503)
- 彼の姓ピッコリミニ(Piccolimini)は piccoli uomini(小さき人)に近い。
62.ユピテルの実が助けるだろう Fructus Jovis juvabit -ユリウス2世(1503-1513)
- 彼の紋章はユピテルの象徴である樫だった。
63.ポリティアヌスの焼き網 De craticula Politiana- レオ10世(1513-1521)
- 彼はアンジェロ・ポリツィアーノの門下生だった。また、父の名ロレンツォ(Lorenzo)は焼き網の拷問で殉教した聖ラウレンティウス(Laurentius)に対応する。
64.フロレンティウスの獅子 Leo Florentius - ハドリアヌス6世(1522-1523)
- 彼の紋章は獅子だった。また、父の名がフロレンス(Florens)であったとされる。
65.丸薬の花 Flos pilei aegri -クレメンス7世(1523-1534)
- 彼の紋章には6つの丸薬と3つの百合が用いられていた。
66.医師たちの間のヒュアキントス Hiacynthus medicorum- パウルス3世(1534-1549)
67.山の冠によって De corona montana-ユリウス3世(1550-1555)
- 彼の紋章は山と、冠状の環になった棕櫚の葉だった。
68. 取るに足らない小麦 Frumentum flocidum- マルケルス2世(1555)
- 彼の紋章は鹿と小麦であり、その在位期間はわずか21日で教皇としての事績は取るに足らないものだった。
69.ペトロの信仰によって De fide Petri- パウルス4世(1555-1559)
- 彼のフルネームは、ジョヴァンニ・ピエトロ・カラファ(Giovanni Pietro Carafa)で、ピエトロはペトロに通じる。また、カラファの最後の音節ファを信仰を意味するフェ(西語fe)やフォワ(仏語foi)と結びつける者もいる。
70.アスクレピオスの薬 Esculapii pharmacum- ピウス4世(1559-1565)
- 彼はメディチ家(メディチは「薬」に由来する)出身だった。
71.林の中の天使 Angelus nemorosus- ピウス5世(1566-1572)
72.丸薬の中心の物体 Medium corpus pilarum-グレゴリウス13世(1572-1585)
- 彼は丸薬を紋章とするピウス4世によって枢機卿に任命された人物であり、彼自身の紋章は中心に竜が配されたものであった。
73.徴の中央の心棒 Axis in medietate signi- シクストゥス5世(1585-1590)
- 彼の紋章は大きく描かれた獅子の中央を斜めに帯線が横切るものだった。
74.天の露によって De rore coeli- ウルバヌス7世(1590)
- 彼はロッサーノ(Rossano)の大司教だった。そこの樹液はマナもしくは「天国の露」と称された。他に、Rossano はRos(露の意)を含んでおり、彼の父親の名がコスモ(Cosmo, 天、宇宙の意)だったことと結び付ける者もいる。
『生命の木』では予言のみが示されていた残りの37人分と最後の散文
厳密に言えば『生命の木』では75~77番は対応する教皇名だけは書かれている。以下の解説は、信奉者たちの解釈の一例である。紋章などと結びつけられない場合、解釈は多様化する傾向があり、統一的な見解の存在しないものも少なくないし、かなり抽象的な解釈しか与えられていないものもある。逆に定説化した解釈であっても、事実関係の捏造によって当たったことにされている場合もある。懐疑派はそれらの解釈は単なるこじつけとしか見ていない。ウィキペディアとして、このような予言や解釈を支持するものではないことは重ねて強調しておく。
75. 町の古さによって De antiquitate Urbis- グレゴリウス14世(1590-1591)
- 彼は古都ミラノの大司教だった。
- 上述の通り、偽作説では、オルヴィエートを想定していたと見る。
76.戦時の篤信の都 Pia civitas in bello- インノケンティウス9世(1591)
- 彼はエルサレムの名誉総大司教だった。ほか、この時期に旧教同盟がアンリ4世に強く抵抗していたパリを予言していたとする解釈もある。
- 偽作説の中には、これもオルヴィエートと解釈できる(つまり、シモンチェッリが選出される機会を2度設定していた)とする指摘がある。ただし、結局シモンチェッリは教皇に選ばれることはなかった。
77.ロムルスの十字架 Crux Romulea-クレメンス8世(1592-1605)
- 彼の紋章のデザインは、一本の直線に何本もの直線が直交するものであり、あたかも多重のローマ十字架(教皇十字架)であるかのように見えた。
78.波打つ人 Undosus vir-レオ11世(1605)
- 彼の在位期間はわずか26日であり、教皇としては、寄せては消える波のような儚い存在だった。
79.邪悪な種族 Gens perversa- パウルス5世(1605-1621)
- 彼の紋章は鷲と竜であり、これは紋章学では邪悪な種族と呼ばれるという。
80.平和の煩悶の中で In tribulatione pacis-グレゴリウス15世(1621-1623)
- 彼は平和主義者として知られたが、それゆえヴァルテッリーナ(w:Valtellina, 当時プロテスタントの牙城と化していた)の扱いに苦悩した。
81.百合と薔薇 Lilium et rosa- ウルバヌス8世(1623-1644)
- 彼の在位期間は三十年戦争の最中に当たっており、フランス(百合)とイギリス(薔薇)の動向が注視された時期であった。他に、彼は百合を市紋とするフィレンツェの出身で、百合や薔薇とも縁の深い蜜蜂を紋章としていた、と解釈する者もいる。
82.十字架の法悦 Jucunditas crucis- インノケンティウス10世(1644-1655)
- 彼は聖十字架挙栄祭の祝日(9月14日)に教皇に選ばれた。
83.山々の守護者 Montium custos- アレクサンデル7世(1655-1667)
- 彼の家紋は星を戴く3連の小山だった。
84.白鳥たちの星 Sydus Olorum- クレメンス9世(1667-1669)
- 彼は教皇選出時にバチカンの「白鳥の間」の管理者だった。また、彼はステッラータ川(Stellata, 星の意)流域で生まれたとする者もいるが、そのような川が実在するかも含め定かではない。
85.大きな川より De flumine magno- クレメンス10世(1670-1676)
- 彼はローマの生まれであり、同市にはテヴェレ川が流れている。
86.貪婪な獣 Bellua insatiabilis- インノケンティウス11世(1676-1689)
- 彼の紋章は鷲と獅子だった。「貪婪な獣」(単数)は、このいずれかを指しているとされる。
87.栄光の悔悛 Poenitentia gloriosa- アレクサンデル8世(1689-1691)
- 彼は聖ブルーノの祝日(10月6日。聖ブルーノは清貧と祈禱を重視するカルトジオ会を設立した)に教皇に選ばれた。この教皇は在位期間中に「栄光の悔悛 Poenitentia gloriosa」と刻んだコインを発行したとされる。
- ちなみに、この教皇が選ばれた時期には、メネストリエが偽作説を提示したことで論争になっていた(当然、メネストリエは「栄光の悔悛」の解釈も特定性に乏しい曲解と批判している)。
88.門の熊手 Rastrum in porta- インノケンティウス12世(1691-1700)
- 彼はナポリ城門近くに邸宅のあったピニャテッリ家の出身で、この一族はピニャテッリ・デル・ラステッロ(Pignatelli del Rastello, ラステッロは熊手の意)と呼ばれることがあった、と解釈される。しかし、ラステッロなどという通称は史料的に裏付けられないとする批判は、懐疑派は勿論、一部信奉者からさえも提示されている。
89.花々に囲まれた者 Flores circundati- クレメンス11世(1700-1721)
- 出身地ウルビーノの市紋が花飾りと解釈される。しかし、事実ではない。
90.良き宗教によって De bona religione- インノケンティウス13世(1721-1724)
- 彼は何人もの教皇を輩出したコンティ家の出身だった。
91. 戦争中の軍人 Miles in bello- ベネディクトゥス13世(1724-1730)
- 彼はジャンセニズムに強い対決姿勢を示した教皇の一人だった(ただし、彼が対ジャンセニズム問題で特にめざましい業績を挙げたということはない)。
92.高い円柱 Columna excelsa- クレメンス12世(1730-1740)
- 彼はフラスカーティの司教枢機卿だった。この都市のすぐ近くにはコロンナ(円柱の意)という町がある。
93.田園の動物 Animal rurale- ベネディクトゥス14世(1740-1758)
- ほぼ同時代の神学者ジャック=ベニーニュ・ボシュエ(Bossuet は、ラテン語の「鋤に慣れた牛 Bos suetus aratro」との言葉遊びになる)と関連付けて解釈されることがある(ただし、ボシュエはこの教皇の登位前に既に没している。また、ベネディクトゥス14世の生涯との関連も今ひとつ明瞭ではないし、この教皇がガリカニスム問題に特別熱心だったということもない)。ほか、「田舎の動物」はフリーメイソンリーやフランス革命の隠喩だとする解釈もあるようだが、何故そう言えるのかという根拠が判然としない。
94.ウンブリアの薔薇 Rosa Umbriae- クレメンス13世(1758-1769)
- 彼はウンブリア地方リエーティ (現在のウンブリア州には含まれていない)の総督だったが、彼自身やリエーティの紋章が薔薇だったというのは事実ではない(単にリエーティは香しい薔薇で有名な場所だ、と解釈されることもある)。
95.早い熊 Ursus velox- クレメンス14世(1769-1774)
- 家紋が走る熊と言われるが、事実ではない。17世紀の版では「鋭い視線Visus velox」となっているものもあるので、そちらで解釈しようとする者もいる。
- 偽作説では、熊(Ursus)はオルシーニ家(Orsini)と結びつきのある人物の選出を想定した予言が外れただけ、との見解もある。
96.使徒の如き巡礼者 Peregrinus Apostolicus- ピウス6世(1775-1799)
- 彼はフランス革命の影響で、最期の2年を転々と過ごすことになった。
97.強欲な鷲 Aquila rapax- ピウス7世(1800-1823)
- 鷲を紋章とするナポレオン・ボナパルトとの確執が知られている。
98.犬と蛇 Canis et coluber- レオ12世(1823-1829)
- 彼はカルボナリやフリーメイソンリーに強い対決姿勢を示した。犬と蛇はそれらの秘密結社の隠喩とされる。
- 17世紀の版では「パンと蛇Panis et coluber」となっているものもあるが、信奉者たちからは無視されている。
99.篤信の人 Vir religiosus-ピウス8世(1829-1830)
- 彼の在位期間は短いものであり、回勅は一度出されたに過ぎないが、そこでは宗教への無関心の姿勢などを強く批判していた。
100.エトルリアの浴場から De balneis Ethruriae- グレゴリウス16世(1831-1846)
- 彼はバルネオ(Balneo, 浴場の意)で設立されたカマルドリ会(w:Camaldolese)の修道士だった、と解釈されることが多いが、そもそもカマルドリ会の起源はバルネオと無関係であるという。
101.十字架の十字架 Crux de cruce- ピウス9世(1846-1878)
102.空中の光 Lumen in coelo- レオ13世(1878-1903)
- 彼の紋章は青地に流星だった。
103.燃えさかる火 Ignis ardens- ピウス10世(1903-1914)
104.人口が減らされた宗教 Religio depopulata- ベネディクトゥス15世(1914-1922)
105.大胆な信仰 Fides intrepida- ピウス11世(1922-1939)
106.天使的な牧者 Pastor angelicus- ピウス12世(1939-1958)
- 彼自身がある種の幻視者とされるなど、神秘的な要素をもつ人物だったと解釈される。
107.牧者にして船乗り Pastor et nauta- ヨハネ23世(1958-1963)
- 彼は水の都ヴェネツィアの総大司教だった。
- 真偽は不明だが、この教皇が選出されたコンクラーヴェの期間中、アメリカ人枢機卿スペルマンは、この予言を意識して、羊を載せた小舟を使ってテヴェレ川を往復したという(この出典はPeter Bander, The Prophecies of Malachy, 1969のようである)。
- 17世紀の版では「牧者と自然Pastor et natura」となっているものもあるが、信奉者たちからは無視されている。
108.花の中の花 Flos florum- パウロ6世(1963-1978)
- 彼の紋章は「花の中の花」とも言われる百合だった。
109.月の半分によって De medietate lunae- ヨハネ・パウロ1世(1978)
- 彼は半月の日に生まれた。また、教皇就任の日に下弦の月だったことなどと結びつけられることもある。
110.太陽の働き(作用)によって De labore solis- ヨハネ・パウロ2世(1978-2005)
- 彼は1920年5月18日[1]インド洋上で部分日食が観測された日に生まれ、2005年4月2日に84歳で他界した。2005年4月8日[2]に南太平洋から中南米にかけて、珍しい「金環皆既日食」が起こった。
111.オリーブの栄光 Gloria olivae- ベネディクト16世(2005-)
(112?.)
ローマ聖教会への極限の迫害の中で着座するだろう In p’secutione. extrema S.R.E. sedebit.
ローマびとペトロ 、彼は様々な苦難の中で羊たちを司牧するだろう。そして、7つの丘の町は崩壊し、恐るべき審判が人々に下る。終わり。Petrus Romanus, qui pascet oues in multis tribulationibus: quibus transactis ciuitas septicollis diruetur, et Iudex tremendus judicabit populum suum. Finis.
- この散文は、『生命の木』やルスカの版では2段落に分かれていた(上記の訳はその区切り方に従った)。これを一段落にまとめたのは、1624年のメシンガムの版が最初であり、以降その読み方が、主として信奉者の間では踏襲されている(かつては、信奉者の中には「オリーブの栄光」の後に「極限の迫害の中で」と「ローマびとペトロ」に対応する2人の教皇が控えていると解する者もいたようである)。
- これを112番目と見なすことには異説がある。オリジナル(信奉者にとっては聖マラキの手稿、偽作説にとっては1590年の手稿)には含まれていなかったのではないかという疑問や、前段が結句で後段はチャコンが勝手に付け加えた注釈にすぎないという見解が提示されている。これらの見解では、予言本体は111番目で終わっており、ローマびとペトロ云々はそもそもこの文書と無関係だった、ということになる。
- ちなみに前半については、(一般にp’secutione.が「迫害 persecutione」の略と見なされており、直後のピリオドは無視されているのに対し、prosecutioneの略と見た上でピリオドも活かし)「(予言はここで)区切り。ローマ聖教会は終末までその地位にあるだろう」と意訳する者もいる。
- 全てひとまとまりと捉える信奉者の解釈では、『ヨハネの黙示録』からの流用とする説や、(初代ローマ教皇ペトロの名は、いまだかつてどの教皇も襲名していないことから)ニセ預言者とする説などもある。ちなみに、一般に「7つの丘の町」はローマのことであるが、信奉者の中にはニューヨーク と曲解する者もいるようである。
補足的事項
上記の予言では、一般的なローマ教皇の一覧に比べて、順序の異なっている箇所が2箇所ある。参考までに掲げておくと以下の通り。
5-9番
5-8番の三人の対立教皇は、9番のアレクサンデル3世の選出に反対した3人の枢機卿が順に立ったものなので、アレクサンデル3世を先に置くのが一般的である。
42-51番
いわゆる教会大分裂期の教皇であるが、アヴィニョン選出の対立教皇(42-44番)を最優先するという明確な意図が読み取れる。ついでローマ選出の教皇(45-48番)、ピサ選出の対立教皇(49-50番)の順になっているが、この結果、クレメンス8世(44番)よりもマルティヌス5世(51番)の方が7つも後という、やや不自然な配列になっている(マルティヌス5世が選出されたコンスタンツ公会議で、当時のアヴィニョン教皇であったベネディクトゥス13世は強制的に廃位とされた。その没後アヴィニョンで立ったのがクレメンス8世である)。偽作説ではこの予言にフランス人が関与していた可能性を示すものと受け止められている。
参考リンク
偽作説に基づく分析
偽作説の立場では、16世紀の予言テクストの文脈を踏まえて、次の点が指摘されている。
- 予言句(最後の散文を除く)が111あるのは、1590年の段階で過去に当たっていた74人分に、その半分(37人分)を付け加えただけに過ぎない。単純に計算した場合、(1143年から1590年向けの半分であるので)19世紀初め頃までの予言しか想定していなかったことになるが、これは終末がそう遠くないと考えられていた16世紀当時の予言的言説と整合的である。
- 1590年の段階で未来に当たっていた予言句は、16世紀当時に知られていた聖書外典や予言書のテクストから安直に単語を拾い集めて捏造されている可能性がある。
- 一例を挙げるなら、予言106番「天使的な牧者」は、ヨハン・リヒテンベルガーの占筮第36章に出てくる「天使的な牧者たち」から借用されている可能性がある(類似の予言は『ミラビリス・リベル』第8章などに引き継がれた。同種の予言は、フィオーレのヨアキムの予言や、「全ての教皇に関する預言」などにも存在する)。また、同章で言及されている、後を継ぐ3人の聖者のうち、「船乗りと呼ばれることになる」一人目は107番「牧者にして船乗り」の、「太陽が興(exaltation)の時に現れる」三人目は110番「太陽の労働によって」の、それぞれ基になった可能性がある。
関連項目
参考文献
日本語では、懐疑的な立場でまとめられた文献はなく、いくつかの文献で多少言及されているのみである。次のものは比較的双方の立場に目配りがされている。
- ギイ・ブルトン「聖マラキの予言書」(『西洋歴史奇譚』ISBN 4-560-04216-0 ; pp.87-101)
信奉者側の著作には次のものがある。
- ダニエル・レジュ著、佐藤智樹訳『聖マラキ・悪魔の予言書』二見書房、1982年
- 112のラテン語原文と訳文、及び一部の教皇に関する解釈が掲載されている。
フランスでは、次の包括的な研究書が刊行されている。
- Jacques Halbronn, Papes et prophéties : décodages et influences, Boulogne-Billancourt ; Axiome, 2005