エアシャカール
エアシャカール | |
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2000年11月26日 東京競馬場 | |
欧字表記 | Air Shakur |
品種 | サラブレッド |
性別 | 牡 |
毛色 | 黒鹿毛 |
生誕 | 1997年2月26日 |
死没 | 2003年3月13日(6歳没) |
登録日 | 1999年9月9日 |
抹消日 | 2002年12月27日 |
父 | サンデーサイレンス |
母 | アイドリームドアドリーム |
母の父 | Well Decorated |
生国 | 日本(北海道千歳市) |
生産者 | 社台ファーム |
馬主 | (株)ラッキーフィールド |
調教師 | 森秀行(栗東) |
競走成績 | |
生涯成績 | 20戦4勝(うち日本国外1戦0勝) |
獲得賞金 | 5億4505万3000円 |
エアシャカール (英語: Air Shakur) とは日本の競走馬、種牡馬である。おもな勝鞍は、皐月賞・菊花賞で2000年の中央競馬クラシック二冠馬である。2000年JRA賞最優秀4歳牡馬(部門名は当時)。また、東京優駿(日本ダービー)をハナ差わずか7センチメートル差で逸していることから「準三冠馬」と呼ばれていた時期もあった。半姉に優駿牝馬(オークス)2着のエアデジャヴー、秋華賞優勝馬エアメサイアは姪にあたる。馬名の由来は冠名の「エア」とアメリカ合衆国のヒップホップMCである2パックの本名から。
戦績
2歳 - 3歳
エアシャカールのデビューは1999年10月12日東京競馬場の新馬戦。新馬戦は5着に敗れるが、2戦目の未勝利戦で初勝利を挙げた。その後、ホープフルステークス[1]を勝ち、2歳時は4戦2勝に終わったが、クラシック候補の1頭に名乗りを上げた。
年が明けて2000年、3歳になったエアシャカールは弥生賞2着を経て、皐月賞に出走。ダイタクリーヴァにクビ差で競り勝ち、GIを初制覇した。皐月賞後には、キングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスへ出走するプランが発表された[2]。
東京優駿(日本ダービー)ではアグネスフライトの前にわずか7cmの差で2着に惜敗。ダービー後、アスコット競馬場で行われるキングジョージ6世&クイーンエリザベスダイヤモンドステークスに予定通り出走したが、モンジューの5着に敗れた。
秋は神戸新聞杯から始動したが、内に突っ込み直線で追うことも出来ない状況で3着に敗れた。騎乗していた武豊が「気性面で成長が見られない」とコメントするほどの完敗だった。しかし、本番の菊花賞では内によれる癖を出さないようにリングハミを装着し、レース中でも内ラチ沿いを走った結果、トーホウシデンをクビ差で退けて優勝。見事に皐月賞と菊花賞の二冠馬となった[2]。
菊花賞後はジャパンカップに出走。テイエムオペラオーとの対決が注目されたが14着と大敗した。また、このレースでは同世代のダービー馬アグネスフライト(13着)、NHKマイルC馬イーグルカフェ(15着)、オークス馬シルクプリマドンナ(16着・最下位)が揃って惨敗したため、世代の弱さを指摘する声が挙がった[3]。
4歳以降
2001年、武豊が海外へ騎乗拠点を移したため、エアシャカールの主戦は蛯名正義が務めることになった。産経大阪杯ではトーホウドリームの2着と上々の滑り出しとなるが、次走の天皇賞(春)は8着、宝塚記念も5着に敗れた。秋になると、輸送性の肺炎を患い、1度も出走できずに終わった。
5歳時、エアシャカールは産経大阪杯で復帰し2着と復調した。続く金鯱賞では武豊とのコンビが復活し1番人気となるが、ツルマルボーイの2着に敗れた。その後、宝塚記念ではダンツフレームと人気を分け合うが4着に敗れた。秋は天皇賞(秋)こそ4着となって掲示板に載ったが、ジャパンカップは12着と大敗。有馬記念も全くいいところなく9着に敗れ、この有馬記念を最後に引退した。
成績表
年月日 | 開催 | 競走名 | 格 | 枠&馬番 | オッズ(人気) | 着順 | 距離 | タイム(上り3F) | 着差 | 騎手 | 勝ち馬/2着馬 | ||
1999 | 10. | 31 | 東京 | 2歳新馬 | 2枠2番 | 3.4(2人) | 5着 | 芝2000m(良) | 1:50.5(35.2) | 0.6秒 | 武豊 | ユーワシーザー | |
11. | 21 | 京都 | 未勝利戦 | 2枠2番 | 3.2(1人) | 1着 | 芝1600m(良) | 1.36.4(36.5) | 0.1秒 | 武豊 | エイシンモモタロー | ||
12. | 11 | 阪神 | 3歳500万下 | 4枠4番 | 2.9(1人) | 2着 | 芝1800m(良) | 1.36.7(35.6) | 0.1秒 | M.デムーロ | パープルエビス | ||
12. | 26 | 中山 | ホープフルS | OP | 3枠4番 | 3.2(1人) | 1着 | 芝2000m(良) | 2.02.5(35.3) | 0.1秒 | 武豊 | マイネルファラオ | |
2000 | 3. | 23 | 中山 | 弥生賞 | GII | 8枠16番 | 7.3(4人) | 2着 | 芝2000m(良) | 2.02.5(35.3) | 0.2秒 | 武豊 | フサイチゼノン |
4. | 16 | 中山 | 皐月賞 | GI | 8枠16番 | 3.4(2人) | 1着 | 芝2000m(稍) | 2.01.8(35.0) | 0.0秒 | 武豊 | ダイタクリーヴァ | |
5. | 28 | 東京 | 東京優駿 | GI | 1枠2番 | 2.0(1人) | 2着 | 芝2400m(良) | 2.26.2(35.6) | 0.0秒 | 武豊 | アグネスフライト | |
7. | 29 | アスコット | KGVI&QEDS | GI | 不明(3人) | 5着 | 芝12f(良) | 2.31.3(不明) | 1.3秒 | 武豊 | Montjeu | ||
9. | 24 | 阪神 | 神戸新聞杯 | GII | 7枠15番 | 1.7(1人) | 3着 | 芝2000m(良) | 2.02.0(34.9) | 0.7秒 | 武豊 | フサイチソニック | |
10. | 22 | 京都 | 菊花賞 | GI | 7枠15番 | 2.8(2人) | 1着 | 芝3000m(良) | 3.04.7(35.7) | 0.0秒 | 武豊 | トーホウシデン | |
11. | 26 | 東京 | ジャパンC | GI | 5枠9番 | 9.5(3人) | 14着 | 芝2400m(良) | 2.28.2(37.2) | 2.1秒 | 武豊 | テイエムオペラオー | |
2001 | 4. | 1 | 阪神 | 大阪杯 | GII | 3枠3番 | 13.2(4人) | 2着 | 芝2000m(良) | 1.58.5(35.2) | 0.1秒 | 蛯名正義 | トーホウドリーム |
4. | 29 | 京都 | 天皇賞(春) | GI | 7枠10番 | 7.2(4人) | 7着 | 芝3200m(良) | 3.17.9(37.0) | 1.7秒 | 蛯名正義 | テイエムオペラオー | |
6. | 24 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 6枠8番 | 13.4(3人) | 5着 | 芝2200m(良) | 2.12.3(35.3) | 0.6秒 | 蛯名正義 | メイショウドトウ | |
2002 | 3. | 31 | 阪神 | 大阪杯 | GII | 1枠1番 | 4.4(3人) | 2着 | 芝2000m(良) | 1.58.5(35.2) | 0.4秒 | M.デムーロ | サンライズペガサス |
5. | 25 | 中京 | 金鯱賞 | GII | 8枠18番 | 1.8(1人) | 2着 | 芝2000m(良) | 1.58.5(35.5) | 0.2秒 | 武豊 | ツルマルボーイ | |
6. | 23 | 阪神 | 宝塚記念 | GI | 4枠4番 | 2.9(2人) | 4着 | 芝2200m(良) | 2.12.3(35.3) | 0.6秒 | K.デザーモ | ダンツフレーム | |
10. | 27 | 中山 | 天皇賞(秋) | GI | 7枠14番 | 8.6(6人) | 4着 | 芝2000m(良) | 2.12.3(35.3) | 0.3秒 | 武豊 | シンボリクリスエス | |
11. | 26 | 中山 | ジャパンC | GI | 8枠16番 | 19.7(7人) | 12着 | 芝2200m(稍) | 2.13.4(36.2) | 1.2秒 | 田中勝春 | ファルブラヴ | |
12. | 22 | 中山 | 有馬記念 | GI | 3枠4番 | 21.1(7人) | 9着 | 芝2500m(良) | 2.34.1(36.0) | 1.2秒 | 横山典弘 | シンボリクリスエス |
引退後
競走馬を引退した後は種牡馬となりブリーダーズ・スタリオン・ステーションに繋養されていたが、引退から3か月後の2003年3月13日、放牧中の事故により左後脚を骨折し、安楽死の処置が取られた。
残された産駒は4頭(4頭共に牝馬)、その内3頭が中央競馬入りした。2006年10月24日、その残された4頭のうちの1頭、エアーミラクルがホッカイドウ競馬で勝ち鞍を挙げ、エアシャカール産駒の初勝利となり、2007年7月28日に函館競馬場で行われた未勝利戦をエアファーギーが制し産駒がJRA初勝利を挙げた。しかし中央入りした3頭はエアファーギー以外は勝利を挙げられず、4頭とも大成しないまま競走馬登録を抹消された。牡馬の産駒が1頭もいないためサイアーラインは伸びなかったが、4頭中2頭が繁殖入りして仔を出産しており、母系には名前が残っている。
結局、わずか4頭しか産駒を残せなかったため、エアシャカールの種牡馬としての能力は永遠の謎となっている。
特徴・エピソード
- 早くからクラシック候補として注目はされていた存在ではあったが、その激し過ぎる気性に難点があったうえに、右へ右へとササる癖もあり乗り手から見れば大変乗り難しい馬であったようである。菊花賞は鞍上の武豊の手腕による所が大きかった。武は同馬のあまりの気性の激しさについて、「頭の中を見てみたい」と発言したこともあるほどであった。
- デビュー当時はエアシャガールと名前を間違えられることが多かった(当初はエアスクデットという馬名で登録されたが、後にエアシャカールに変更)。
血統表
エアシャカールの血統(サンデーサイレンス系/5代内アウトブリード) | (血統表の出典) | |||
父 *サンデーサイレンス Sunday Silence 1986 青鹿毛 アメリカ |
父の父 Halo 1969黒鹿毛 アメリカ |
Hail to Reason 1958 | Turn-to | |
Nothirdchance | ||||
Cosmah 1953 | Cosmic Bomb | |||
Almahmoud | ||||
父の母 Wishing Well 1975鹿毛 アメリカ |
Understanding 1963 | Promised Land | ||
Pretty Ways | ||||
Mountain Flower 1964 | Montparnasse | |||
Edelweiss | ||||
母 *アイドリームドアドリーム I Dreamed a Dream 1987 鹿毛 アメリカ |
Well Decorated 1978 黒鹿毛 アメリカ |
Raja Baba 1968 | Bold Ruler | |
Missy Baba | ||||
Paris Breeze 1971 | Majestic Prince | |||
Tobor Jet | ||||
母の母 Hidden Trail 1975鹿毛 アメリカ |
Gleaming 1968 | Herbager | ||
A Gleam | ||||
Tobacco Trail 1969 | Ribot | |||
On the Trail F-No.4-r |
脚注
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post エラー:
|racingpostname=
が未定義です。(参照1・参照2) - エアシャカール - 競走馬のふるさと案内所