青森県立青森高等学校
| 青森県立青森高等学校 | |
|---|---|
| 過去の名称 | 青森県第三中學校 青森県立第三中學校 青森県立青森中學校 青森県立第三高等女學校 青森県立青森高等女學校 青森県立青森女子高等学校 |
| 国公私立の別 | 公立学校 |
| 設置者 | 青森県 |
| 併合学校 | 青森県立青森高等学校 青森県立青森女子高等学校 |
| 校訓 | 自律自啓・誠実勤勉・和協責任 |
| 設立年月日 | 1900年9月11日 |
| 創立記念日 | 9月11日 |
| 共学・別学 | 男女共学 |
| 課程 | 全日制課程 |
| 単位制・学年制 | 学年制 |
| 設置学科 | 普通科 |
| 高校コード | 02101G |
| 所在地 | 〒030-0945 |
| 外部リンク | 公式サイト |
青森県立青森高等学校(あおもりけんりつ あおもりこうとうがっこう)は、青森県青森市桜川八丁目にある県立高等学校。通称「青高(せいこう)」。
目次 |
[編集] 概要
青森県内では弘前高校、八戸高校に次ぐ歴史を持つ公立進学校で、2000年に創立100年を迎えた。現在、40人×7クラスの3学年で、約840名が在籍(2008年度から。弘高・八高と同じクラス編成である)。
卒業後の進路面では、ほとんどの生徒が4年制大学に進学している。
綱領として、「自律自啓」「誠実勤勉」「和協責任」の3つを掲げている(なかでも「自律自啓」は最も重視されており、体育館にも掲示されている)。比較的校風は自由であるが、「下駄履き禁止」といった変わった校則も存在した。
昭和25年に青森県立第三高等女学校がルーツの青森女子高等学校と統合し、統合・青森県立青森高等学校となる。
かつては入学試験時に男女別定員募集(男子340名・女子110名で45人×10学級)を行っており、男子が女子のおよそ3倍も在籍していた。このため、学年が進むにつれて理科系クラスでは女子がわずか数名になることがあり、学校自体も半ば「男子校」のような性格を持っていた。
しかし、後述のとおり現在では男女別定員募集を撤廃したため、男女の比率がほぼ同数にまで近づいている(平成18年度入学生では、女子入学者数が男子入学者数を越した)。ただし、かつてに比べると緩和されたとはいえ、未だに理科系クラスの男女比率はその系の特性上、男子が多い。
学校敷地は、八甲田雪中行軍遭難事件で犠牲になった青森歩兵第5連隊の行軍出発のための集合場所であった。21世紀に入り三角形の校舎を新設するまでは、5連隊時代のものをそのまま正門として使用していた。現在では校舎新築に伴い新たな正門が設置されているが、この正門は残されている(但し、通過はできないようになっている)。
[編集] 沿革
[編集] 三中→青森中→(統合前)青森高
- 1900年:青森県第三中学校が青森市大野字長島に開校。
- 1901年:青森県第三中学校、青森県立第三中学校に名称変更。
- 1909年:青森県立第三中学校は青森県立青森中学校に名称変更。
- 1912年:青森中学、青森市大字造道字浪打100の6(現在の合浦公園の青森市営野球場付近)に校舎を移転。
- 1945年:7月28日の青森空襲により校舎消失。青森中学は青森市立第一中学校(旧青森北高)の一部及び大湊海軍施設部工員宿舎を借用し分散授業を行う。
- 1946年:青森中学が6月に旧歩兵第5連隊兵舎を校舎とする(現所在地。青森高女と一緒に)。
- 1948年: 学制改革にて青森中学は青森高等学校に移行
[編集] 三高女→青高女→青森女子高
- 1907年:青森県立第三高等女学校が青森市浦町字野脇(現在の青森市文化会館の敷地)に開校。
- 1909年:、青森県立第三高等女学校は青森県立青森高等女学校にそれぞれ名称を変更。
- 1911年:青森高女、青森県女子師範学校を併置する。校舎も青森高女の隣にあった。
- 1943年:青森県女子師範学校、昇格し青森高女と分離。青森県女子師範学校は戦後弘前大学に統合される。
- 1945年:7月28日の青森大空襲により校舎焼失。青森高女は青森市立造道小学校の一部を借用して授業を行う。
- 1946年:青森高女が6月に旧歩兵第5聯隊兵舎を校舎とする(現所在地。青森中学と一緒に)。
- 1948年:青森高女が浪打校舎(旧青森商業高校跡)を竣工して、移転。学制改革にて青森高女は青森女子高等学校に移行。
[編集] 統合・青森高
- 1950年:青森高校と青森女子高を統合し、現在の青森高等学校が発足。
- 1951年:浪打校舎を青森商業高校に譲渡し、全生徒を筒井校舎に収容。
- 1980年:創立80周年。旧青高女OGの「対等の統合である」という心情を考慮して、今まで「統合」として扱われていたが、この年より「創立」としてカウントされる。
- 1982年:この年をもって修学旅行が一時取り止めになる(理由は大学受験への影響や個人で行ける時代にあえて行う事への疑問、など)。その後保護者からの要望もあって2006年から再開された。
- 1996年:青森県教育委員会による入学試験での男女枠撤廃に伴い、青森高校も入試での男女枠撤廃。
- 2000年:創立100周年。しかし記念事業協賛会の事務長が寄付金3400万円余りを着服。2005年7月1日に逮捕される。
- 2001年:OBの意見により着工が数年先送りされていた新校舎が着工される。しかし校舎建設中に担当建設会社が倒産し、一時工事が中断する。
- 2002年:4月より2学期制に移行。
- 2006年:5月、校舎のほかに学習センターなどがほぼ完成し、引越し作業が行われた。
- 2007年:9月12日、青森市文化会館に於いて、校舎改築落成記念式典を挙行。音楽部による発表や、太宰治の長女である津島園子による記念講演などが行われた。
- 2011年:第一体育館を改築。
[編集] 施設・設備
- 校舎(2006年竣工)
- 4階建て(一部3階建て)で、上空から見ると直角三角形型となっている。校歌にも歌われている「白堊の学びや」である(ただし、校歌が制定された当時とは建物が異なり、コンクリートのグレーとクリーム色を主に貴重としている。)。2001年に着工されたが、元の校舎の一部を解体し、そこに建築していく方式であったため、完成したのは2006年であった。
- ピロティ
- 校舎1階の一部であり、普段は開放されていないが、青高祭では模擬店の出店スペースとして利用されている。
- 中庭
- 校舎に囲まれた形で、芝生が植えられている。こちらも普段は開放されていないが、青高祭ではイベントの会場となる。
- ラウンジ
- 各教室棟の中間にあり、生徒の昼食スペースや、教材販売会場として利用されている。
- 第一体育館(2011年竣工)
- 綱領の「自律自啓」が掲げられている。
- 第二体育館(1989年竣工)
- 図書学習センター(2006年竣工)
- 校舎と併設。図書設備だけでなく、生徒の自習スペースとしての環境も整っている。また著名な卒業生(太宰治など)の資料などを展示したミニコーナーも設置されている。
- 青高会館(1970年竣工)
- 旧校舎時代から唯一残る建物。運動部の合宿に利用されている。学生食堂も併設。
- 自啓館
- 吹奏楽委員会・応援委員会・演劇部・軽音楽部の部室として利用されている。
- 屋内練習場(2000年竣工)
- 通称「無限ドーム」。創立100周年の記念事業として建設された。
- 柔剣道場(武道館)
- 部室(無限館)
- 庭園・三四郎池
- 校舎前に設営。「三四郎池」はその名の通り東京大学の三四郎池をモチーフにした池。
[編集] かつてあった施設・設備
- 初代校舎(1950年頃竣工)
- 統合青高としての初代校舎。2階建ての7つの棟が並んだ作りであった。1968年の十勝沖地震での被害、1970年の火災による一部の消失などから新校舎への移転を余儀なくされる。
- 2代目校舎(1970年竣工)
- 3階建てで、高校では珍しい校内での土足履きも認められていた。そのため掃除の時に砂がたまり、雨や雪の日などは廊下が濡れることがよくあった。(現校舎では内履きに履き替えている)
- プール(1956年竣工)
- 公認50m。現校舎新築の際に埋め立てられ、自転車置場となった。
- 旧青森県教育センター
- 青森県教育センターが市内の別の場所へ移転してからも、建物だけが残されていたが、2011年に解体された。
[編集] 校章・校歌・応援歌
校章は、旧制三中→青中時代の「中」と「∞」を掛け合わせた「無限の徽章」に、高等学校になった際に「高」を配した「無限の象徴(しるし)」である。(「高」が金、「無限の徽章」部分が銀と制定されている。)スクールカラーは古代紫。
- 校歌「無限の象徴」 作詞:横山武夫 作曲:木村繁
- 団歌
- 甲田が麓の丈夫(こうだがふもとのますらを)
- 合浦の雄
- 野球応援歌
- 凱歌
- 選手を送る歌
- 応援団歌
- 出陣を謳ふ
- コチャエ節
- 金龍東に立ちのぼり
- よい敵よい敵
- Pan the Victory
[編集] 課外活動
[編集] 運動部
- 実績のある部活だが、新校舎建設の際にプールが取り壊された。
- ボート部がある7つの県立高校のうちの1つである。
[編集] 文化部
- 音楽部
- いわゆる合唱部・コーラス部。青森県内では珍しい混声の合唱部である。東北大会の常連となっている。
- 軽音楽部
- 生徒会規約上"部"にはなっているが、"部"と言うのは名ばかりの、いくつものバンドの集合体。ゆえに、正確な人数等は顧問や部長ですら一切把握できない、一風変わった部である。(公式サイトの『部活動・委員会紹介』に軽音楽部の詳しい紹介が長らく無かったのはこのため。)掛け持ちが多い。
- 県内では珍しく女子チームもある。
- 「青高文学」を製作している。
- 調理(主に菓子類)をする。
- JRC部
- 様々なボランティア活動をする。
- 新校舎の完成に伴って2階化学室の隣に暗室が設けられた。掛け持ちが多い。
[編集] 委員会
- 応援委員会
- かつては男子が委員長を代々務めてきたが、最近では女子の委員長が出ることもある。
- 「青高ねぶた囃子」や「コチャエ節」,「青高汽車ポッポ」といった独特な応援方法を持つ。
- 主に行事の準備・運営、部活動予算割当てなどを行う。俗に言う”生徒会”である。
- 年2回出される青高新聞の執筆を行っている。
[編集] 主な行事
- 4月 - 入学式
- 6月 - 体育祭
- 7月 - 文化祭
- 9月 - 創立記念日
- 10月 - 修学旅行(2年生対象。昭和57年度以来長らく行われていなかったが、平成18年度から再開された。行き先は広島・京都など)、遠足(1、3年生対象)
- 2月 - スキー教室(1年生対象。スキーの他、スノーボードも可。)
- 3月 - 卒業式
[編集] 文化祭
毎年7月上旬頃、前夜祭を含む4日間の日程で開催される。
前夜祭は、模擬店の質を競う模擬店コンテスト(通称・モギコン)や、早食い対決(2011年度はバナナ早食い)などが開催される。
続く2日目、3日目は、模擬店の営業に加え、ミスコン(クラス対抗の、女装・男装コンテスト)や、HR対抗クイズ大会、バンドの発表などがある。
最終日4日目は、青森市文化会館を貸しきって行われる。文化部の発表が中心で、DISCと呼ばれる2,3年生の歌とダンスのコンテストも開催される。 (尚、平成18年度の文化祭最終日は青森市文化会館が改修中であったため、旧ぱるるプラザ青森(現・青森市民ホール)にて開催された。)
[編集] 交通
[編集] 卒業生
- 括弧内は回期及び卒業年。
[編集] 青中
- 高木恭造(青中17回・1921年) - 方言詩人
- 三浦敬三(青中18回・1922年) - 生涯現役を貫いたプロスキーヤー。
- 阿部合成(青中24回・1928年) - 画家。
- 太宰治(青中24回・1928年) - 作家。
- 高木彬光(青中34回・1938年) - 推理作家。
- 福士幸次郎(青中中退) - 詩人。
- 成田友三郎- 元プロ野球選手
[編集] 青高女
[編集] 統合青高
- 沢田教一(統合4回・1954年) - ピュリツァー賞カメラマン。
- 寺山修司(統合4回・1954年) - 作家。
- 大里洋吉(統合15回・1965年) - 芸能プロダクションアミューズ創業者、代表取締役会長
- 林ひろ美(統合19回・1969年) - 画家
- 菊池健彦(統合28回・1978年)- TOEIC連続満点合格を更新中の英語講師
- 神ひろし(統合31回・1981年) - 中京テレビ元アナウンサー
- 佐藤竹善(統合32回・1982年) - 歌手 Sing Like Talking
- 藤田千章(統合32回・1982年) - 歌手 Sing Like Talking
- 柿崎元子(統合32回・1982年) - ブルームバーグテレビジョンアナウンサー(元青森放送アナウンサー)
- 福士珠美(統合33回・1983年) - 青森テレビ(元アナウンサー)
- 宮本大誠(統合35回・1985年) - 俳優
- 原田賀子(統合36回・1986年) - フリーアナウンサー(元青森放送アナウンサー)
- 今泉清保(統合37回・1987年) - フリーアナウンサー(元福岡放送アナウンサー)
- 対馬孝之(統合38回・1988年) - 青森朝日放送アナウンサー
- 福士睦(統合38回・1988年) - 日本テレビ制作局プロデューサー
- 三上弥(統合39回・1989年) - NHKアナウンサー
- 栄長泰明(統合40回・1990年) - 慶應義塾大学理工学部化学科教授
- 桑嶋健一(統合40回・1990年) - 筑波大学大学院ビジネス科学研究科准教授
- 田中次郎(統合43回・1993年) - 青森放送(元アナウンサー)
- 大柳錦也(統合45回・1995年) - プロレスラー(みちのくプロレス所属)
- 春日井静奈(統合47回・1997年) - タレント・女優(1997年ユニチカ水着キャンペーンモデル)
- 小塚歩(統合48回・1998年) - ラジオNIKKEIアナウンサー
- 鹿内博 - 青森市市長
- 堀川アサコ