ワンガリ・マータイ
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| ワンガリ・マータイ Wangari Muta Maathai |
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| 生誕 | 1940年4月1日(69歳) ケニア |
| 職業 | ナイロビ大学教授 環境保護活動家 |
ワンガリ・マータイ(Wangari Muta Maathai、1940年4月1日 - )は、ケニア出身の女性環境保護活動家。ナイロビ大学初の女性教授となった人物である。
2004年12月10日に「持続可能な開発、民主主義と平和への貢献」のため、環境分野の活動家としては史上初のノーベル平和賞を受賞した。アフリカ人女性としても史上初。
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[編集] 略歴
1940年、ケニア中部のニエリの農家の娘として生まれ、アメリカ、カンザス州のベネディクティン・カレッジ卒業後、ピッツバーグ大学で修士号、ナイロビ大学で博士号(獣医学)を取得し、1971年にはナイロビ大学教授に就任した。1977年にグリーン・ベルト・ムーブメントを設立して土壌の浸食と砂漠化を防止する植林活動を開始し、1986年にアフリカン・グリーン・ベルト・ネットワークへ改称後、アフリカ大陸全土で植林活動を行い、民主化や持続可能な開発の推進に取り組む。
また、独裁政権下にあったケニアにおいて、公然と政権を批判したことで数度の逮捕と投獄を経験。女であるにもかかわらず意志が強すぎ、コントロール不可能であると夫が国に訴え離婚させられた経験ももつ。1997年にはケニアの大統領選挙に立候補しようとしたが、所属政党の説得により断念。2002年に国会議員となり、2003年から環境・天然資源・野生動物省の副大臣を務め、ケニア・マジンジラ緑の党を設立して代表も務めている。2007年実施のケニア国会議員総選挙で落選した。
2005年3月28日、アフリカ連合経済社会文化会議の初代議長に選出された。
また、2005年2月14日から10日間、京都議定書関連行事出席のため来日した際、日本語の「もったいない」という言葉を知って感銘を受け、後に国連女性地位委員会で出席者全員と「もったいない」と唱和したこともある。「MOTTAINAI」キャンペーンとして展開している。
トリノオリンピックの開会式でオリンピック旗を掲揚する際の旗手を務めた。
[編集] ノーベル平和賞
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ノルウェー・ノーベル委員会は2004年度のノーベル平和賞受賞者を発表する席で次のようにコメントした。「マータイは、ケニヤの圧政的な前政権に対し果敢にも立ち上がり、彼女のユニークな運動は政治的抑圧に対して国内、また国際的にも注意を引くのに貢献した。彼女は民主的権利への運動の中で多くの人々にとってインスピレーションとなり、また特に女性の地位向上を促すのに勇気を与えた。」
ノーベル平和賞受賞の報告を受けての席上で、マータイは、エイズ陰謀説のうちの一つである「HIVウイルスは生体工学の産物であり、アフリカにおいて西洋の科学者によって、黒人を懲らしめるために大量破壊兵器としてばら撒かれた」との主張に対して賛成するようなコメントをした[要出典]。その後マータイは自らの見解を、2004年10月18日付けTIMEマガジンヨーロッパ版[1]にて明らかにする。
[編集] 受賞した賞
- 1984年 正しい生計賞(もうひとつのノーベル賞とも呼ばれる賞)
- 1987年 Global 500 Roll of Honour
- 1991年 ゴールドマン環境賞
- 1993年 アフリカ賞
- 1993年 Edinburgh Medal
- 2004年 ペトラケリー賞
- 2004年 ソフィー賞
- 2004年 ノーベル平和賞
- 2006年 レジオンドヌール勲章
- 2007年 World Citizenship Award
- 2007年 インディラ・ガンディー賞
- 2009年 旭日大綬章
[編集] 関連項目
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