モハメド・エルバラダイ

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モハメド・エルバラダイ
ノーベル賞受賞者 ノーベル賞
受賞年:2005年
受賞部門:ノーベル平和賞
受賞理由:原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献

モハメド・エルバラダイムハンマド・エル=バラーダイーمحمد البرادعي、Mohamed ElBaradei、1942年6月17日 - )[1]は、エジプトの政治家、官僚。エジプト暫定副大統領、国際原子力機関(IAEA)の第4代事務局長を務めた。2005年、IAEAとともにノーベル平和賞を受賞した[2]

来歴[編集]

出生 - 外交官時代[編集]

1942年、エジプトの首都カイロで生まれた。1962年カイロ大学法学部を卒業して法学位を取得し、エジプト外務省に入省して外交官のキャリアを進み、ニューヨークジュネーヴにおいて国際連合のエジプト代表部に勤務した。この間、1974年ニューヨーク大学ロースクールで国際法による博士号を取得している。

IAEA[編集]

1984年以降はIAEA事務局に勤務し、法律顧問(1984年 - 1993年)、事務局長補佐(1993年 - 1997年)と幹部職を歴任した後、1997年に事務局長に就任した。2001年に再選、2005年に3選された。

1991年から続いているイラクの大量破壊兵器査察にも関わっており、2002年にはUNMOVIC(国連監視検証査察委員会)のハンス・ブリクスと共にイラク入りした。開戦直前となった2003年1月の安保理への報告では「核兵器開発については、1999年までの査察でほぼ無効化できた」「イラク側の態度が協力的であれば、あと数ヶ月で査察が完了する」[3]と報告したが、査察期間の延長は行われず、イラク戦争が始まることになった。

2005年、原子力エネルギーの平和的利用に対する貢献を評価され、IAEAとともにノーベル平和賞を受賞した[2]

IAEA事務局長退任後[編集]

IAEA事務局長を2009年の任期切れを以て退任した後、2010年に母国であるエジプトに帰国し、同年2月に政治団体「変革のための国民協会」を立ち上げて、エジプトの政治改革・民主化を提唱し[4]ホスニー・ムバーラク大統領による長期独裁政権に反対していた若者層やリベラル派から支持を得た。しかし、体制派のイスラム主義団体指導者が「エジプトのイスラム教徒を惑わそうとしている」などとしてエルバラダイの殺害を呼びかけるファトワを出したため、エジプトを出国しヨーロッパに滞在した[4]。2011年1月にチュニジアジャスミン革命が成功すると、エルバラダイは1月24日発売のドイツ誌『デア・シュピーゲル』においてチュニジアを引き合いに出し、エジプト国民も行動を起こすべきだと主張した[5]。1月25日よりエジプト全土で大規模な反政府デモ(2011年エジプト騒乱)が発生すると、エルバラダイは27日に滞在先のウィーンより帰国し[4]、28日にカイロ市のデモに参加したが、治安部隊によって一時軟禁下に置かれた[6][7]

エルバラダイは1月30日にもデモに参加し、カイロ中心部のタハリール広場で次のように演説をした[7]

我々の求めは一つ。ムバラク大統領の退陣だ。
革命が後退することはない。それを伝えるために、私はここに来た。
エジプトの若者たちよ、今日は始まりの日だ。変化はすぐに訪れる。それまで忍耐を続けてほしい。

大規模デモによって2月8日にムバーラクが退陣を示唆した後、軍出身のスレイマーン副大統領が政権を委譲するかに見えた際、エルバラダイは「革命を起こした民衆を代表していない。古い体制が運営し、軍が先導している」と述べ、スレイマーン陣営との対話を拒否する考えを示した[8]。2月11日にムバラクが正式に大統領を辞任し、権限がエジプト軍最高評議会に移譲されると[9]、エルバラダイは一転して「我々は何十年もこの日を待っていた。軍と協力して自由選挙の準備を進める」と発言した[10]。また、次期エジプト大統領選挙への立候補に前向きな姿勢を見せていた[8]が、2012年1月14日大統領選挙不出馬を表明した[11]

立憲党[編集]

2012年4月28日までに、「立憲党」を設立[12]、同党は同年9月16日に政党としての認可を受けた[13]

暫定政権副大統領[編集]

2013年エジプトクーデターが起こると、2013年7月6日、暫定首相への就任が有力視されるも就任せず[14]、同年7月9日、外交担当の暫定副大統領に起用され[15]、同年7月14日、就任宣誓を行う[16]。しかし、暫定政権による旧政権支持者のデモに対する攻撃で死傷者が出た事に抗議し、8月14日、在任わずか1か月で辞任した。18日にはエジプトを出国しオーストリアウィーンにある自宅に移った。エルバラダイへの国民からの支持率は非常に低く、影響力が小さいため、辞任による大勢への影響はないとされた[17][18][19]

人物[編集]

カイロ市郊外に在住している[8]。家族はウィーン・インターナショナルスクール教師のアーイダ夫人との間にライラーおよびムスタファーの2子がいる。

脚注[編集]

  1. ^ アラビア語で名前を忠実に表記すると、「ムハンマド・アル=バラーダイーmuḥammad al-barād‘ī)」、エジプト方言だと「モハメド・エル=バラーダイ [mæˈħæmːæd (ʔe)lbæˈɾædʕi]」となる。日本も含めて各国メディアでこの表記を採用しているところはほとんどなく、英表記を採用している。
  2. ^ a b The Nobel Peace Prize 2005 International Atomic Energy Agency , Mohamed ElBaradei” (英語). ノーベル財団. 2011年2月14日閲覧。
  3. ^ イラク査察の正式報告要旨 47NEWS2003年1月27日
  4. ^ a b c 大内清 (2011年1月28日). “エルバラダイ氏が帰国 政府に変革を要求、デモ参加へ”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/world/news/110128/mds1101280307006-n1.htm 2011年1月29日閲覧。 [リンク切れ]
  5. ^ “「エジプト人よチュニジアに続け」、エルバラダイ氏”. AFPBB News (フランス通信社). (2011年1月23日). http://www.afpbb.com/article/politics/2783008/6713303?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics 2011年1月29日閲覧。 
  6. ^ 大内清 (2011年1月28日). “エジプト、大統領退陣求め最大デモ エルバラダイ氏も参加 ”. 産経新聞. http://sankei.jp.msn.com/world/news/110128/mds1101282104011-n1.htm 2011年1月29日閲覧。 [リンク切れ]
  7. ^ a b 貫洞欣寛; 北川学 (2011年1月31日). “エルバラダイ氏が演説「ムバラク大統領は退陣を」”. 朝日新聞 (朝日新聞社). http://www.asahi.com/international/update/0131/TKY201101310060.html 2011年2月13日閲覧。 [リンク切れ]
  8. ^ a b c 末続哲也 (2011年2月9日). “エルバラダイ氏が対話拒否「現体制は軍先導」”. 読売新聞. http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110208-OYT1T01197.htm 2011年2月13日閲覧。 [リンク切れ]
  9. ^ 新居益 (2011年2月12日). “独裁30年、ムバラク政権崩壊…軍が全権掌握”. 読売新聞. http://www.yomiuri.co.jp/world/news/20110212-OYT1T00039.htm 2011年2月12日閲覧。 
  10. ^ 松尾博文 (2011年2月12日). “エジプト、軍主導の民主化に期待と不安”. 日本経済新聞. http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C9381959FE3E0E2E2858DE3E0E2E0E0E2E3E39C9C97E2E2E2 2011年2月13日閲覧。 
  11. ^ カイロ支局 (2012年2月15日). “エルバラダイ氏、エジプト大統領選不出馬”. 日本経済新聞. http://www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C9381959FE3E6E2E59C8DE3E6E2E3E0E2E3E09494EAE2E2E2;at=DGXZZO0195570008122009000000 2012年2月15日閲覧。 
  12. ^ “エルバラダイ氏が政党 エジプト、若者ら統合狙う”. (2012年4月29日). http://sankei.jp.msn.com/world/news/120429/mds12042909030002-n1.htm 2012年4月29日閲覧。 [リンク切れ]
  13. ^ “ElBaradei's Constitution Party legally recognised”. ahramonline. (2012年9月17日). http://english.ahram.org.eg/News/53096.aspx 2012年9月17日閲覧。 
  14. ^ http://www.asahi.com/international/update/0707/TKY201307070008.html
  15. ^ http://www.asahi.com/international/update/0710/TKY201307090492.html
  16. ^ http://www.jiji.com/jc/c?g=int_30&k=2013071400188
  17. ^ 「エルバラダイ氏は敵前逃亡の卑怯者」中東TODAY No.2919
  18. ^ 「エジプト死者850人超 「拘束の36人死亡」の報道も 」日本経済新聞2013/8/19
  19. ^ 「エジプト強制排除、国民は軍を支持 米も動けず」2013/8/18日本経済新聞

外部リンク[編集]

公職
先代:
ハンス・ブリックス
国際原子力機関の旗 IAEA事務局長
第4代:1997 - 2009
次代:
天野之弥