リパブリック讃歌

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リパブリック讃歌
The Battle Hymn of the Republic
Cover of the 1862 sheet music for "The Battle Hymn of the Republic"
1862年に発表されたリパブリック讃歌の表紙
作詞 ジュリア・ウォード・ハウ(1861)
作曲 ウィリアム・ステッフ(1856)、編曲 ジェームズ・グリーンリーフ英語版、 C.ホール、C.マーシュ(1861)
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リパブリック讃歌(リパブリックさんか、原題: The Battle Hymn of the Republic)は、アメリカ合衆国民謡愛国歌賛歌であり、南北戦争での北軍の行軍曲である。作詞者は詩人のジュリア・ウォード・ハウであるが軍歌の作詞を女性が務めた珍しい事例でもある[1]。原題を日本語で直訳すると「共和国の戦闘讃歌」となる[1]

経緯[編集]

おお兄弟達よ、我らに会わないか[編集]

元々のメロディはウィリアム・ステッフによって1856年に作曲された賛美歌「おお兄弟達よ、我らに会わないか(英語: Say, brothers, will you meet us)」だったと言われている[1]。ただし、この曲とステッフとの関連性については自身が生前に作曲者として名乗り出なかった点、他の音楽制作に関わらなかった点、ステッフ本人の書き残した手紙以外に物的証拠が存在しない点などから関与を疑問視されている[2]

ステッフによる作曲という説は1880年代に登場したものであり[3]、英文学者のブランダー・マシューズ英語版1887年に『センチュリー・マガジン英語版』誌で紹介したことを契機に広まった[3]。マシューズによると1856年にサウスカロライナ州チャールトンにある消防団から「困ったことがあれば、我らに会わないか(英語: Say, bummers, will you meet us)」という歌詞に合う曲作りを依頼され、その曲に新たに歌詞が付け加えられるなどして後に讃美歌「おお兄弟達よ、我らに会わないか」へと変化したとしている[3]。一方、ジャーナリストのボイド・スタドラーの調査では、1855年または1856年頃にフィラデルフィアのグッドウィル消防隊からバルティモアのリバティ消防隊を歓迎するための歌の作成を依頼され「困ったことがあれば、我らに会わないか」に曲をつけた、とステッフ自身が発言したという[2]

原詩 日本語訳
Say, brothers, will you meet us (×3)
On Canaan's happy shore.
(Chorus)
Glory, glory, hallelujah (×3)
For ever, evermore!
おお兄弟達よ、我らに会わないか(×3)
カナンの幸福の岸辺で
(コーラス)
栄光あれ、神に栄光あれ(×3)
永遠に、永久に!

一部の研究者はステッフが作曲する以前に黒人の伝統音楽にルーツを持つとする説を支持している[4] 。このほかジョージア州に住むアフリカ系アメリカ人の婚礼の際に歌われていたとする説[5]、またはスウェーデンの酒宴の歌として生まれたものがイギリスに伝播し船乗りの労働歌として定着したとする説がある[6]。ルーツを特定することは困難であるが様々な文化と民族から影響がもたらされたことは確かで、当時の音楽制作における復興運動の影響もあり自由な作曲が成された[7]

歌詞については1858年に出版された『ユニオン・ハープとリヴァイヴァル聖歌隊員』という讃美歌集が内容を確認することが可能な初出文献とされる[8]

ジョン・ブラウンの屍[編集]

「おお兄弟達よ、我らに会わないか」のメロディは、狂信的な奴隷制度廃止論者のジョン・ブラウンの功績を称える唄「ジョン・ブラウンの屍英語版」に引用された[1][9]。ブラウンは、奴隷所有者に対し武力攻撃を仕掛ける過激な人物で、1859年バージニア州の連邦武器庫の襲撃に失敗し捕えられ、同年12月2日に絞首刑に処せられた。この後、ブラウンの信奉者たちによって歌が作られ、1861年4月の南北戦争開戦以来、北軍の非公式な行軍曲として兵士によって盛んに唄われた[9][10]

原詩 日本語訳
John Brown's body lies a-mouldering in the grave; (×3)
His soul's marching on!
(Chorus)
Glory, glory, hallelujah! (×3)
His soul's marching on!
ジョン・ブラウンの屍は墓の中で朽ちた(×3)
彼の魂は進撃する!
(コーラス)
栄光あれ、神に栄光あれ(×3)
彼の魂は進撃する!

キンボールによる証言[編集]

1890年、南北戦争の際にボストンの第2歩兵大隊(通称、タイガース大隊)に所属していたジョージ・キンボールは「ジョン・ブラウンの屍」の成立の経緯について雑誌『ニューイングランド・マガジン英語版』に次の様に記した[11]

我々の大隊には一人の陽気なスコットランド人がおり、名前はジョン・ブラウンといった。彼は古き英雄と同姓同名であったことから親しい同僚たちから頻繁にからかわれていた。もし彼が集合に遅れたり作業に手間取った場合には仲間から「早く来いよ年老いた同士。奴隷を自由にするための手助けをする気があるなら速やかに作業に取り組まなければな」や「彼はジョン・ブラウンにはなれない。なぜならジョン・ブラウンは亡くなったのだから」といった表現で迎えられることが恒例となっていた。そして何人かのお調子者はジョン・ブラウンが亡くなったことを強調するように厳粛かつゆっくりとした口調で「その通りさ、哀れなジョン・ブラウンは墓の中で朽ち果てたのさ」などの台詞で応じた[11]

キンボールによると、これらの言葉が兵士の間の決まり文句となり上記した「おお兄弟達よ、我らに会わないか」のメロディに合わせて歌われるようになり、いくつかの変遷を経て「ジョン・ブラウンの屍」が完成した[12]。1861年5月12日に大隊本部のあるウォーレン砦英語版で新兵訓練のための国旗掲揚式を行った際に公式の場において初の演奏がなされ、同年5月または6月から7月にかけて楽譜が出版されたことを契機に流行歌となった[12]。なお、この歌で取り上げられた第2歩兵大隊のジョン・ブラウン軍曹は1862年6月6日バージニア州にあるラパハノック川英語版を行軍中に水死した[13]

発展[編集]

「ジョン・ブラウンの屍」はやがてボストン第2歩兵大隊のジョン・ブラウン軍曹ではなく、奴隷廃止論者のジョン・ブラウンとの結びつきを強めると新たなバージョンの歌詞が作られるようになった[13]。その中で最も精巧な歌詞はウィリアム・ウェストン・パットン英語版によって作詞され1861年10月に『シカゴ・トリビューン』紙に発表された[14]。パットンは南北戦争当時は牧師を務めていたが、後にワシントンD.C.ハワード大学の学長となった人物である[14]

原詩 日本語訳
Old John Brown’s body lies moldering in the grave,
While weep the sons of bondage whom he ventured all to save;
But tho he lost his life while struggling for the slave,
His soul is marching on.
(Chorus)
Glory, glory, hallelujah! (×3)
His soul's marching on!
いにしえのジョン・ブラウンの屍は墓の中で朽ちた
彼を埋葬した息子達が嘆き悲しむ間に
しかし、彼は奴隷のために戦い命を失ったが
彼の魂は進撃する
(コーラス)
栄光あれ、神に栄光あれ(×3)
彼の魂は進撃する!

リパブリック讃歌の誕生[編集]

1861年11月18日、詩人のジュリア・ウォード・ハウは軍事衛生委員を務めていた夫のサミュエル・グリドリー・ハウ英語版と共にエイブラハム・リンカーン大統領からワシントンD.C.ポトマック川周辺に駐留していた北軍の演習に招待された[15][16]。この演習の最中に近隣で南軍との戦闘が発生したためハウ夫妻は馬車で帰路に着いたが戦場へと向かう兵士の一群と鉢合わせとなり道は渋滞した[15]。その間に馬車に同乗していた皆で「ジョン・ブラウンの屍」を歌っていたが牧師のジェームズ・フリーマン・クラーク英語版から行軍曲として相応しい詩の作詞を提案された[15][16]。彼女は宿泊先のウィラード・ホテルに戻ると、旅の疲れから深い眠りについたが夜中にふと目覚めると詩のアイデアを紙に書きとめ北軍兵士を讃える歌を作詞した[16]

その夜、私はいつもの習慣通りに眠りにつき熟睡しました。私は夜明け前の薄明かりの中で目を覚ますと、すぐに夜明けを迎えることを期待して横になりながら、依頼を受けた望ましい詩の長い一節を心の中で書き留め始めました。すると夜明けを待つ間に全ての詩が思い浮かんだので、私は自分自身に言い聞かせました。「再び寝入ってしまい詩を忘れてしまわないように私は目を覚まさなければならない。そして、これらの詩句を書き留めなければならない」と。私はベッドから飛び起きて薄明かりの中で前日に使ったことを忘れずにいた古いペンを見つけ、紙を見ることなく殆どの詩句を走り書きしたのです。

ジュリア・ウォード・ハウ[17]

ハウが11月19日に書き記した歌詞は草案の状態であり[15]、さらに修正を加えた歌詞を『アトランティック・マンスリー英語版』へ送った[15]。同誌の編集者であるジェームズ・トーマス・フィールズ英語版によって「リパブリック讃歌」と命名され[16]1862年2月号において匿名で発表された[15][16]。フィールズから作詞者のハウに支払われた報酬は5ドルだったという[16]。『アトランティック・マンスリー』1862年2月号に掲載された歌詞は1番から5番まででコーラス部分を含んでいなかったが[15]、同年4月に作詞者と作詞の付いた楽譜がオリヴァー・ディットソン社から出版された際に1番から5番までの歌詞にコーラス部分が加えられた[15]。なお、ハウが11月19日に書き記した草案は1番から6番までの歌詞が含まれていたが、多くの楽譜では6番の歌詞は採用されていない[15]

「リパブリック讃歌」は発表されると直ちに北軍兵士の間で最も人気の高い歌の1つとなり戦後もアメリカ合衆国の愛国歌として広く唄い継がれている[9][16]。この歌は音楽教科書や讃美歌集に取り上げられただけでなく、選挙運動の応援歌や労働歌といった内容のものからパロディのものまで様々な替え歌の原曲としても親しまれている[15]

歌詞[編集]

歌詞には新約聖書の『ヨハネの黙示録』の影響があり[10]の正義を期待する感情と、「Glory, glory, hallelujah!」という神の最終的な勝利を讃える表現が記されている[10]

原詩 日本語訳
Mine eyes have seen the glory of the coming of the Lord:
He is trampling out the vintage where the grapes of wrath are stored;
He hath loosed the fateful lightning of His terrible swift sword:
His truth is marching on.
(Chorus)
Glory, glory, hallelujah!
Glory, glory, hallelujah!
Glory, glory, hallelujah!
His truth is marching on
I have seen Him in the watch-fires of a hundred circling camps,
They have builded Him an altar in the evening dews and damps;
I can read His righteous sentence by the dim and flaring lamps:
His day is marching on.
(Chorus)
I have read a fiery gospel writ in burnished rows of steel:
“As ye deal with my contemners, so with you my grace shall deal;
Let the Hero, born of woman, crush the serpent with his heel,
Since God is marching on."
(Chorus)
He has sounded forth the trumpet that shall never call retreat;
He is sifting out the hearts of men before His judgment-seat:
Oh, be swift, my soul, to answer Him! Be jubilant, my feet!
Our God is marching on.
(Chorus)
In the beauty of the lilies Christ was born across the sea,
With a glory in his bosom that transfigures you and me:
As he died to make men holy, let us die to make men free,
While God is marching on.
(Chorus)
He is coming like the glory of the morning on the wave,
He is wisdom to the mighty, He is honour to the brave;
So the world shall be His footstool, and the soul of wrong His slave,
Our God is marching on.
(Chorus)
私の眼は神の降臨と栄光を見た
彼は怒りの葡萄が蓄えられた貯蔵庫を踏みつけ
恐るべき神速の剣を振るい、宿命の稲妻を落としたのだ
彼の真実は進撃する
(コーラス)
栄光あれ、神に栄光あれ!
栄光あれ、神に栄光あれ!
栄光あれ、神に栄光あれ!
彼の真実は進撃する
私は野営地に広がる無数のかがり火の中に主の姿を見た
彼らは夜露で濡れながら主のための祭壇を建てたのだ
私はランプの灯す微かな光によって神の正しき文章を読む
彼の時は進撃する
(コーラス)
私は磨かれた砲列の中に刻まれた勇ましい福音を読む
「我に仇なす者に立ち向かう限り、我が恵みを与えよう
女性から生まれた英雄の、踵で悪は滅ぼされるだろう
そして神は進撃する」
(コーラス)
彼は進軍ラッパを響かせ不退転の意思を伝える
彼は審判の席で人々の心を選別する
おお我が魂よ、迅速に応えよ!、我が脚よ歓喜せよ!
我らの神は進撃する
(コーラス)
海の彼方、美しいユリの中でキリストは生まれた
胸に秘めた栄光と共に、我らを尊いものに変貌させた
彼が人々を聖なるものとするため死したように、我らも人々の自由のために死のう
神の進撃と共に
(コーラス)
彼は日の出のように波と共に現れる
彼は強大な賢者であり、尊い勇者である
世界は彼の足元に平伏し、その悪しき魂は彼の奴隷となるだろう
我らの神は進撃する
(コーラス)

影響[編集]

アメリカ合衆国[編集]

リパブリック讃歌の楽譜 The battle hymn of the republic.mid The battle hymn of the republic.mid[ヘルプ/ファイル]

「リパブリック讃歌」や「ジョン・ブラウンの屍」は様々な替え歌の原曲としても親しまれている。アメリカ合衆国では著名なものでは子供向けのレクリエーション・ソング「ジョン・ブラウンの赤ちゃん(英語: John Brown's Baby)」[18]、苛烈な学校生活を揶揄した「激しい学校英語版英語: The Burning of the School)」[15]第二次世界大戦の際には空挺部隊の新兵が降下に失敗し凄惨な死を迎えた状況を歌った軍歌空挺部隊の歌英語版[19]20世紀初頭には労働組合のための行進曲「団結よ永遠なれ英語版」が作られた[1]

南北戦争の時代には「リパブリック讃歌」のメロディを用いた「第1アーカンソー連隊行進曲英語版」という替え歌が作られた[20]。この歌はペンシルベニア州フィラデルフィアで有色人種の部隊を募集するために作成されたもので歌詞には黒人の誇り、闘志、完全なる平等を求める意思などが記されていた[20]。その後、約1世紀近く忘れ去られていたが後の公民権運動の精神を先取りする歌詞が記されていたことから1960年代に多くのミュージシャンによってカバー曲として使用された[20]

ジョーン・バエズ[21]を始めとして多くのミュージシャンによりカバー曲として使用されている。1959年モルモンタバナクル合唱団グラミー賞において「コーラス・グループ」部門と「ヴォーカル・グループ」部門のベスト・パフォーマンス賞を受賞した[22]エルヴィス・プレスリー1972年に北軍の軍歌である「リパブリック讃歌」と南軍の軍歌である「ディキシー英語版」をメドレー形式で歌った「アメリカの祈り英語版」という曲を発表した[23]

作家のジョン・スタインベック1939年に小作農民の苦難を描いた『怒りの葡萄』を発表したが、この題名はリパブリック讃歌の一節「彼は怒りの葡萄が蓄えられた貯蔵庫を踏みつけ…」に由来している[10][24]

1959年に公開されたレッド・ニコルズ英語版 の自伝的映画『5つの銅貨』では挿入歌として使用されているが[25]ルイ・アームストロングの演奏中にニコルズが飛び入り参加しコルネットで「リパブリック讃歌」をソロ演奏するシーンがある。

歌詞の最初のライン「私の眼は神の降臨と栄光を見た」は、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が暗殺の前夜(1968年4月3日)に行なった演説「私は山頂に達した英語版英語: I've Been to the Mountaintop)」の最後の一節として引用された[26]

1970年に公開された第二次世界大戦中のヨーロッパ戦線を舞台としたコメディ戦争映画『戦略大作戦』の中でBGMとして用いられた[27]

日本[編集]

日本では、明治期1890年クリスマス子供讃美歌集『童蒙讃美歌』(奥野昌綱戸川安宅による作詞)の「うたへいはえ」として初めて紹介された[28]。2年後の1902年には初の楽譜付き軍歌集『日本軍歌』に「すすめすすめ」(戸川安宅による作詞)として収録された[28]。一般向けの讃美歌としては「あくまとたゝかへ」が初めて採用され1898年三谷種吉によって編纂された『基督教福音唱歌』に収録された[29]

また替え歌としても1905年早稲田大学に初の応援組織が結成された際に野球応援歌が作られ[30]1907年に出版された『早稲田歌集』に収録された[31]陸軍中央幼年学校では堅苦しい教科を揶揄した「学科嫌い」という歌が作られ10期生(陸士25期生)が自費出版した歌集『百日祭』に収録された[32]。この歌集は、すぐに没収・焼却処分されたが口伝えで太平洋戦争終結時まで歌い継がれた[32]

大正期には神長瞭月作詞の「薔薇の唄」が演歌師に歌われ女学生の間で流行した[33]。また浅草オペラの興隆と共にオペラソングのメロディとして歌われた[33]

昭和期には1932年にアメリカ合衆国出身のバートン・クレーンが「誰方がやるじゃろ」として発表したが、脈略のない歌詞が特徴となっている[34]1940年には永田哲夫・東辰三作詞、灰田有紀彦編曲による「お玉じゃくしは蛙の子」が作られ灰田勝彦の発表したレコード「こりゃさの音頭」のB面に収められヒットした[35]。「お玉じゃくしは蛙の子」の元々のメロディは灰田兄弟の出身地であるハワイの民謡「ナ・モク・エハー」をモチーフとしたものだったが間奏に「リパブリック讃歌」のメロディを用いたことから、やがて「リパブリック讃歌」の替え歌として認知されるようになった[36]

初出の時期は定かではないが[37]「ジョン・ブラウンの赤ちゃん」を訳した「権兵衛さんの赤ちゃん」や「太郎さんの赤ちゃん」、主題をおはぎに置き換えた「おはぎがお嫁に」などの替え歌が作られ、動作をつけたり歌詞の一部を抜いたりして歌う「遊び歌」として親しまれた[37]。「権兵衛さんの赤ちゃん」「太郎さんの赤ちゃん」は戦後すぐに松田稔が編纂した歌集『楽しい歌』に収録されキャンプソングとして[38]、また幼児教育の現場において必修曲として用いられ誰にでも気軽に親しめる歌として定着している[38]

1965年には詩人の阪田寛夫日本放送協会 (NHK) の音楽番組『歌のメリーゴーランド』から「リパブリック讃歌」に合う日本語による歌の作詞を依頼され「ともだち讃歌」が作られた[39]。この歌は1971年東京書籍の教科書『新しい音楽4』に採用されると、その後も音楽教科書に使用されている[34][39]

CMソングに使用されることもあり、ヨドバシカメラのCMソング「ヨドバシカメラの歌」のメロディとして知られる[9][34]。このCMソングは同社社長の藤沢昭和の作詞によるもので1975年の新宿西口本店の開店に合わせてテレビCMや店内放送として流されると広く親しまれるようになった[34]。その後、時代の流れに合わせたマイナーチェンジや各店舗ごとにアレンジした歌が作られるなどの変遷を経て2000年代に至っている[34]。このほか、東海地方では『メガネプラザ』、関西地方では『やまじょうのさくら漬け』や『X'cit』(上新電機とヨドバシカメラの合弁店舗・2013年の時点では閉店)のCMにも替え歌が使われている。

1994 FIFAワールドカップ・アジア地区予選において、日本代表サポーターにより「リパブリック讃歌」のメロディに乗せたチャントが歌われた[40]。歌詞の内容は「アメリカへ行こう。皆で行こう」とシンプルなものだったが、1993年4月8日神戸で行われた1次予選のタイ戦から同年10月28日カタールドーハで行われた最終予選のイラク戦(ドーハの悲劇)に至るまで歌われた[40]。また、サッカークラブの横浜F・マリノス[36]コンサドーレ札幌[41]のサポーターが歌うチャントのメロディとして用いられている。

北アイルランド[編集]

アイルランド共和軍 (IRA) の歌「ベルファスト旅団英語版」 のメロディに使われた。アイルランド独立戦争中の第一ベルファスト大隊または西ベルファスト大隊の活躍が歌われている。サッカー北アイルランド代表サポーターの歌うチャント「俺達はブラジルじゃない、俺達は北アイルランドだ(英語: We're not Brazil, we're Northern Ireland)」のメロディとして用いられている[42][43]

イングランド[編集]

イギリスの政治家で第二次世界大戦の際に首相を務めたウィンストン・チャーチルのお気に入りの曲でもあった[44]1965年に行われた国葬の際には家族からの要望もあり彼が生前に愛聴していた2、3の賛美歌と共に「リパブリック讃歌」が演奏された[44]

「リパブリック讃歌」のメロディはイングランドではサッカーの試合においてサポーターの歌うチャント「グローリー・グローリー英語版」としてマンチェスター・ユナイテッドFC[45]トッテナム・ホットスパーFC[46]リーズ・ユナイテッドFC[47]などのサッカークラブで用いられている。

ロシア[編集]

ロシア帝国末期からソビエト連邦初期の作曲家のアレクサンドル・グラズノフ1893年クリストファー・コロンブスのアメリカ大陸発見400年を記念してシカゴで催された万国博覧会のために「リパブリック讃歌」をモチーフとした管弦楽曲「勝利の行進曲 作品40」を作曲した[34]

ケニア[編集]

東アフリカケニアでは1963年の独立の際に大統領のジョモ・ケニヤッタが先頭に立ち民衆に団結を呼びかける「ハランベー」という言葉がスローガンとなったが、それに伴い「リパブリック讃歌」のメロディに乗せた「ハランベー・ソング」という歌が唄われた[34]。「ハランベー」とはスワヒリ語で農村共同体が力を合わせて共同作業に務めることを意味する[34]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 辻田真佐憲 『世界軍歌全集--歌詞で読むナショナリズムとイデオロギーの時代』 社会評論社2011年、88-89頁。ISBN 978-4784509683
  2. ^ a b 櫻井 2006、11頁
  3. ^ a b c 櫻井 2006、10頁
  4. ^ C. A. Browne, The Story of Our National Ballads (New York: Thomas Y. Crowell, 1960), p. 174
  5. ^ Music of the Civil War Era 2004, by Steven Cornelius, Greenwood Publishing Group, ISBN 0-313-32081-0 ,p. 26
  6. ^ Boyd Stutler, "John Brown's Body", Civil War History 4 (1958): p. 260
  7. ^ Annie J. Randall, "A Censorship of Forgetting: Origins and Origin Myths of 'Battle Hymn of the Republic'", in Music, Power, and Politics, edited by Annie J. Randall (Routledge, 2004) 16. (Google books)
  8. ^ 櫻井 2006、9頁
  9. ^ a b c d 長田暁二 『世界の愛唱歌 ― 1000字でわかる名曲ものがたり』 ヤマハミュージックメディア2004年、254–255。ISBN 978-4636206661
  10. ^ a b c d 渡辺利雄 『講義 アメリカ文学史 第 II 巻 ― 東京大学文学部英文科講義録』 研究社2007年、326頁。ISBN 978-4327472146
  11. ^ a b Kimball, George (1890), “Origin of the John Brown Song”, New England Magazine, new (Cornell University) 1, http://cdl.library.cornell.edu/cgi-bin/moa/pageviewer?root=%2Fmoa%2Fnewe%2Fnewe0007%2F&tif=00379.TIF&cite=http%3A%2F%2Fcdl.library.cornell.edu%2Fcgi-bin%2Fmoa%2Fmoa-cgi%3Fnotisid%3DAFJ3026-0007-61&coll=moa&frames=1&view=50 
  12. ^ a b 櫻井 2006、12頁
  13. ^ a b 櫻井 2006、13頁
  14. ^ a b Various Versions of the John Brown Song Spanning More Than a Century”. John Brown's Ghost Haunts the Internet!!!. 2013年9月8日閲覧。
  15. ^ a b c d e f g h i j k 櫻井 2006、14頁
  16. ^ a b c d e f g Civil War Music: The Battle Hymn of the Republic”. Civil War Trust. 2013年9月8日閲覧。
  17. ^ Howe, Julia Ward. Reminiscences: 1819-1899.Houghton, Mifflin: New York, 1899. p. 275.
  18. ^ ジョン・ブラウンの赤ちゃん「BODY」から「BABY」へ”. ドナドナ研究室. 2013年9月7日閲覧。
  19. ^ 空挺部隊の歌”. 西洋軍歌蒐集館. 2013年9月7日閲覧。
  20. ^ a b c Marching Song of the First Arkansas Colored Regiment: A Contested Attribution”. David Walls - Sonoma State University (2007年7月12日). 2013年10月5日閲覧。
  21. ^ Joan Baez in Concert, Pt. 2 - Joan Baez”. AllMusic. 2013年10月5日閲覧。
  22. ^ Past Winners Search”. GRAMMY.com. 2013年10月5日閲覧。
  23. ^ An American Trilogy”. Texas Monthly. 2013年10月5日閲覧。
  24. ^ リパブリック讃歌(Battle Hymn of the Republic)”. 世界のうた. 2013年9月8日閲覧。
  25. ^ 櫻井 2006、8頁
  26. ^ Martin Luther King Jr. (1929-1968) "I've Been to the Mountaintop"”. American RadioWorks. 2013年9月7日閲覧。
  27. ^ Kelly's Heroes (1970)”. Film Score. 2013年9月8日閲覧。
  28. ^ a b 石原 1988、10頁
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  30. ^ 八巻明彦 「早稲田の「野球応援歌」」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード2006年、32-33頁。ASIN B000FUTZCO
  31. ^ 石原 1988、14頁
  32. ^ a b 八巻明彦 「「学科嫌い」について」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード2006年、32-33頁。ASIN B000FUTZCO
  33. ^ a b 石原 1988、15頁
  34. ^ a b c d e f g h 「曲目解説」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード、2006年、36-40頁。ASIN B000FUTZCO
  35. ^ 白石信 「リパブリック讃歌 in Hawaii」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード2006年、35頁。ASIN B000FUTZCO
  36. ^ a b 片岡輝 「異文化受容として見る「リパブリック讃歌」」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード2006年、16-23頁。ASIN B000FUTZCO
  37. ^ a b 石原 1988、16頁
  38. ^ a b 吉田恵子 「リパブリック讃歌の今とこれから」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード、2006年、35頁。ASIN B000FUTZCO
  39. ^ a b 石原 1988、17頁
  40. ^ a b 大住良之 『アジア最終予選 ― サッカー日本代表 2006ワールドカップへの戦い』 双葉社2005年、171頁。ISBN 978-4575297805
  41. ^ 勝利後の楽曲 <すすきのへ行こう> &U-18”. コンサドーレ札幌オフィシャルブログ (2012年5月12日). 2013年9月21日閲覧。
  42. ^ Political Football: Neil Lennon”. Channel 4 News (2007年10月5日). 2013年9月21日閲覧。
  43. ^ Football family bids farewell to‘Big Mac’”. Belfast Newsletter (2012年6月29日). 2013年9月21日閲覧。
  44. ^ a b His Truth Is Marching On - Churchill and the Great Republic”. Library of Congress. 2013年9月8日閲覧。
  45. ^ "Frank Renshaw Discography”. Discogs. 2013年9月7日閲覧。
  46. ^ デズモンド・モリス著、白井尚之訳 『サッカー人間学--マンウォッチング 2』 小学館1983年、306頁。ISBN 978-4096930090
  47. ^ Record details: "Glory, Glory, Leeds United"”. Trad. Arr. Ronnie Hilton. 2013年9月7日閲覧。

参考文献[編集]

  • 石原恵子 「日本における讃美歌の果した役―「リパブリック讃歌」の変遷を追って」『創立二十周年記念論文集』 国立音楽大学1988年
  • 櫻井雅人 「「リパブリック讃歌」の誕生と普及」『お玉じゃくしと権兵衛さんのすべて』 キングレコード2006年ASIN B000FUTZCO

関連項目[編集]

外部リンク[編集]