廈門市

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アモイ から転送)

世界測地系: 24°27′36″N, 118°04′44″E

廈門市
廈門市の中心
市政府所在地 思明区
面積
- 陸地面積
- 水面積

1,565 km²
300 km²
人口 (2006年)
- 総人口

264 万人
域内総生産 (2006年)
一人当たり
1,162 億元
51,661 元
行政区類別 副省級市
市外局番 0592
郵便番号 361000
車両ナンバープレート 閩 D
市花 三角梅
市樹 鳳凰木
市鳥 白鷺
福建省中の位置
小金門(中華民国領有)からのアモイの眺め
小金門中華民国領有)からのアモイの眺め

廈門(シアメン、厦门拼音: Xiàmén)は、中国福建省南部にある地級市(地区クラスの市)。国際的にはアモイ (Amoy) としても知られている。中華人民共和国の5大経済特区のひとつであり、副省級市にも指定されている。

目次

[編集] 市名

廈門は「アモイ」の名で国際的に知られていた。廈門の古い地名「下門」は、閩南語漳州方言では白話字(POJ)ローマ字表記で Ē-mûi泉州方言では Ē-mn̂g)となり、ここからアモイに転じたと思われる。

[編集] 地理

福建省南部の九竜江河口付近に位置し、アモイ島や鼓浪嶼を含む。鼓浪嶼に近い金門島中華民国の領土である。台湾海峡を隔てて台湾島を臨む。

[編集] 歴史

代に晋安郡同安県の地となり、五代以降は泉州に属した。代の1387年に廈門城が築かれてアモイの名が起こった。明末清初、鄭成功1650年にアモイを本拠とし、思明州と命名したが、清軍に占領され1680年朝によって廃された。1684年、清朝は対外貿易を再開し、アモイは中国人商人による東南アジア貿易で繁栄し、また台湾の開発が進むにつれて台湾との貿易も増大した。

アヘン戦争では1841年にイギリス軍に占領され、1842年南京条約によって外国人に対して開港し、1860年代からは烏龍茶の積出港として海外に知られるようになった。1862年にイギリス租界が、1902年には鼓浪嶼に共同租界が設置され、外国商社の商館が進出した。その後、アモイの烏龍茶は日本茶台湾茶との競争にやぶれて衰退、また台湾との貿易も日本の台湾領有によって衰退した。一方で、アモイは移民の送り出し港となっており、大量の東南アジア方面への出稼ぎ者からの送金で、アモイの貿易は維持された。また20世紀になると、東南アジア華人からの投資も始まった。1935年アモイ市制が成立したが、1938年には日本海軍に占領され、占領は1945年8月の日本敗戦まで続いた。その後の国共内戦では、1949年10月に解放軍によって占領された。

中華人民共和国成立後は、1973年同安県を吸収して傘下に収め、1997年に同安区としている。改革開放政策により、1981年経済特区が設置され、主に対岸の台湾資本を集めて経済成長を遂げた。2000年には大規模な汚職事件が摘発され、200人以上が逮捕された。

台湾中華民国)が支配している金門島との間に小三通が認められている。

[編集] 行政区画

アモイ、2004年撮影
アモイ、2004年撮影

廈門市は以下の6市区によって構成される。

  • 思明区 - アモイ島南部に位置し、市の心臓部である。人口73.6万人。
  • 湖里区 - アモイ島北部に位置する。人口12万人。
  • 集美区 - 市の中央部に位置し、アモイ島とはアモイ大橋で連絡する。台商投資区が設置され、人口28万人。
  • 海滄区 - アモイ島対岸に位置し、台商投資区が設置されている。
  • 同安区 - 市域北部を占める。人口25万人。
  • 翔安区 - 市域東部を占める。

[編集] 言語

台湾の住民は末から代にかけてアモイ方面から移住した者が多く、アモイで話される閩南語台湾語と同じ方言である。このため、台湾人の投資が集中したわけであるが、近年では外部から流入した人口も増え、普通話が通用している。

[編集] 交通

[編集] 教育

  • 国立大学
    • 廈門大学(1921年創設)
  • 公立大学
    • 廈門理工学院
    • 集美大学
    • 廈門海洋職業技術学院
  • 私立大学
    • 南洋学院
    • 廈門演芸職業学院
    • 英華美学院

[編集] 観光

鼓浪嶼
鼓浪嶼
  • 鼓浪嶼(コロンス島)(日光岩、鄭成功紀念館など)
  • 南普陀寺
  • 胡里山砲台
  • 万石植物園(廈門園林植物園)
  • 華僑博物館
  • 集美学村

[編集] スポーツ

[編集] 姉妹都市

[編集] 外部リンク

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