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'''フィクトセクシュアル'''({{lang-en-short|fictosexuality}})は、架空のキャラクターへ性的に惹かれる[[人間の性|セクシュアリティ]]である<ref>{{Cite book|和書|author=パレットーク |title=マンガでわかるLGBTQ+|publisher=[[講談社]] |date=2021-04-28|page=35 |isbn=978-4065224922}}</ref><ref>{{Cite web |date=2022-04-26|url=https://www.theguardian.com/lifeandstyle/2022/apr/26/fictosexual-ever-fallen-love-someone-who-doesnt-exist|title=Ever fallen in love with someone who doesn’t exist? You may be a fictosexual|publisher=[[ガーディアン]] |accessdate=2022-05-03}}</ref><ref>{{Cite web |date=2023-03-04|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20230224-OYT1T50172/|title=キャラと「結婚」2年で200組以上、「二次元恋愛」の今…「恋愛に与える影響は増大し続ける」 |publisher=[[読売新聞]] |accessdate=2023-05-14}}</ref>。「Fセク」と略される場合がある<ref>{{Cite web |date=2023-05-13|url=https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/483842?page=4|title=初音ミクと“結婚”した男性「母妹に理解してえなかったなぜ結婚したのか?結婚生活は?【news23】|publisher=[[TBSテレビ]] |accessdate=2023-05-14}}</ref>
'''フィクトセクシュアル'''({{lang-en-short|fictosexuality}})は、架空のキャラクターへ性的に惹かれる[[人間の性|セクシュアリティ]]である<ref name=":0" /><ref name=":2">{{Cite book|和書 |author=パレットーク |title=マンガでわかるLGBTQ+ |publisher=[[講談社]] |date=2021-04-28 |page=35 |isbn=978-4065224922}}</ref>。「Fセク」と略される場合がある<ref name=":0" />。架空のキャラターへ恋愛的に惹かれるこを表す言葉としては、フィクトロマンティックが用いれる。フィクトロマンティックは「Fロマと略される


==概要==
==概要==
フィクトセクシュアルという言葉は、[[フィクション]](Fiction)のFictから取られたものであり<ref>{{Cite web |date=2020-07-13 |author=りっきー |url=https://jobrainbow.jp/magazine/fictosexual|title=フィクトセクシュアル/フィクトロマンティックとは【キャラクターを愛する】|publisher=JobRainbow |accessdate=2020-11-15}}</ref>、「架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ」や「『性愛』や『恋愛』として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること」を表す言葉として用いられている<ref name=":0">{{Cite journal|author=松浦優|year=2021|title=日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」|url=https://doi.org/10.50885/shabyo.36.0_67|journal=現代の社会病理|volume=36|page=}}</ref>。また、この語は英語圏の[[無性愛]]コミュニティで用いられる場合もあり<ref name=":1">{{Cite web |url=https://doi.org/10.3389/fpsyg.2020.575427 |title=Fictosexuality, Fictoromance, and Fictophilia: A Qualitative Study of Love and Desire for Fictional Characters |access-date=2022年8月6日 |author=Veli-Matti Karhulahti, Tanja Välisalo |publisher=Frontiers in psychology}}</ref>、日本でも広義の無性愛として解釈される場合がある<ref name=":0" /><ref>{{Cite web |date=2020-09-29 |url=https://bunshun.jp/articles/-/40451|title=“処女ってことでしょ? その歳で…”「セックスして一人前」という風潮にモヤモヤする話|website=[[文春オンライン]] |accessdate=2020-11-15}}</ref>。
フィクトセクシュアルという言葉は、[[フィクション]](Fiction)のFictから取られたものであり<ref>{{Cite web |date=2020-07-13 |author=りっきー |url=https://jobrainbow.jp/magazine/fictosexual|title=フィクトセクシュアル/フィクトロマンティックとは【キャラクターを愛する】|publisher=JobRainbow |accessdate=2020-11-15}}</ref>、「架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ」や「『性愛』や『恋愛』として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること」を表す言葉として用いられている<ref name=":0">{{Cite journal|和書|author=松浦優|year=2021|title=日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」|url=https://doi.org/10.50885/shabyo.36.0_67|journal=現代の社会病理|issue=36|page=|pages=67-83|doi=10.50885/shabyo.36.0_67}}</ref>。また、この語は英語圏の[[無性愛|アセクシュアル]]コミュニティで用いられる場合もあり<ref name=":3">{{Cite journal|last=Yule|first=Morag A.|last2=Brotto|first2=Lori A.|last3=Gorzalka|first3=Boris B.|year=2017|title=Sexual Fantasy and Masturbation Among Asexual Individuals: An In-Depth Exploration|journal=Archives of Sexual Behavior|volume=46|pages=311–328|doi=10.1007/s10508-016-0870-8}}</ref><ref name=":1">{{Cite web |url=https://doi.org/10.3389/fpsyg.2020.575427 |title=Fictosexuality, Fictoromance, and Fictophilia: A Qualitative Study of Love and Desire for Fictional Characters |access-date=2022年8月6日 |author=Veli-Matti Karhulahti, Tanja Välisalo |publisher=Frontiers in psychology}}</ref>、日本でも広義のアセクシュアルとして解釈される場合がある<ref name=":0" />。


フィクトセクシュアルの立場からは、「生身の他者に対して性的・恋愛的に惹かれることが規範的なセクシュアリティとされること」を指す「対人性愛中心主義」という概念が提起されている<ref name=":0" />。これはフィクトセクシュアルの周縁化を説明する概念である。対人性愛中心主義は、[[無性愛|アセクシュアル]]研究における強制的性愛(compulsory sexuality)と、[[対物性愛]]研究における人間性愛規範(humanonormativity)と関連していると指摘されている<ref>{{Cite journal|last=松浦|first=優|year=2023|title=対人性愛中心主義批判の射程に関する検討――フェミニズム・クィアスタディーズにおける対物性愛研究を踏まえて|url=https://researchmap.jp/mtwrmtwr/published_papers/40398528|journal=人間科学共生社会学|issue=13}}</ref>。
架空のキャラクターへ恋愛的に惹かれることを表す言葉としては、フィクトロマンティックが用いられる。フィクトロマンティックは「Fロマ」と略される。


== 研究 ==
== 研究 ==
架空のキャラクターへ性的に惹かれることについては、趣味やコンテンツという観点ではなく、セクシュアリティの観点から考察する必要があると示唆されている<ref name=":0" /><ref name="Eureka">{{Cite journal|author=松浦優|year=2021|title=二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性――現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として|url=https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b585649.html|journal=新社会学研究|issue=5|publisher=新曜社|ISBN=9784788517073}}</ref>。


=== 人口学的研究 ===
フィクトセクシュアルに対する社会的な偏見やスティグマの存在が指摘されており<ref name=":0" /><ref name=":1" />、そのスティグマによってフィクトセクシュアルの人々が孤立や孤独感を経験する可能性が示唆されている<ref name=":1" />。たとえば、フィクトセクシュアルの人々は社会的に正常とされる性的/恋愛的な対人関係を実践できない人なのではないか、といった偏見を向けられることがある<ref name=":0" />。
フィクトセクシュアルに関する統計的調査はまだ数が限られている。日本性教育協会が2017年に実施した「第8回 青少年の性行動全国調査」によれば、「ゲームやアニメの登場人物に恋愛感情を持つ」経験が「ある」と答えた人の割合は、中学男子13.1%、中学女子16.0%、高校男子13.6%、高校女子15.4%、大学男子14.4%、大学女子17.1%である<ref>{{Cite book|和書 |title=「若者の性」白書 第8回 青少年の性行動全国調査報告 |year=2019 |publisher=小学館 |editor=日本性教育協会}}</ref>。


=== フェミニスト/クィア研究 ===
フィクトセクシュアルが周縁化される背景には、「生身の他者に対して性的・恋愛的に惹かれること」を普遍的なセクシュアリティとみなす規範がある。生身の人間に惹かれるセクシュアリティは「現実性愛」や「対人性愛」と呼ばれており、そうした対人性愛を自明視する規範が対人性愛中心主義と呼ばれている<ref name=":0" />。対人性愛中心主義は[[性別二元制|性別二元論]]や[[異性愛規範]]とも結びついている、と指摘されている<ref>{{Cite journal|author=松浦優|year=2022|title=アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察|url=https://doi.org/10.24567/0002000551|journal=ジェンダー研究|issue=25|publisher=お茶の水女子大学ジェンダー研究所|DOI=10.24567/0002000551}}</ref>。
いくつかのアセクシュアル研究や、性的マイノリティに関する入門書で、フィクトセクシュアルが言及されている<ref name=":3" /><ref>{{Cite journal|和書|last=松浦|first=優|year=2020|title=アセクシュアル研究におけるセクシュアルノーマティヴィティ(Sexualnormativity)概念の理論的意義と日本社会への適用可能性|url=https://doi.org/10.32197/sswj.18.0_89|journal=西日本社会学会年報|issue=18|pages=89-101|doi=10.32197/sswj.18.0_89}}</ref><ref>{{Cite book |title=I Am Ace: Advice on Living Your Best Asexual Life |year=2023 |publisher=Jessica Kingsley Publishers |last=Daigle-Orians |first=Cody}}</ref><ref name=":2" />。エリザベス・マイルズは「現在のアセクシュアルの理論化と同じように(……)二次元キャラクターへの欲望は、セックスとは何か、法的・社会的な禁止が性的アクセスや十全な性的市民権をいかに否定するのか、について私たちに再考させるものである」と論じている<ref>{{Cite journal|last=Miles|first=Elizabeth|year=2020|title=Porn as Practice, Porn as Access: Pornography Consumption and a ʻThird Sexual Orientationʼ in Japan|journal=Porn Studies|volume=7|issue=3|pages=269–278|doi=10.1080/23268743.2020.1726205}}</ref>。


[[クィア理論]]的な研究も行われている。松浦優は、二次元をめぐるセクシュアリティが[[ジュディス・バトラー|バトラー]]的なパフォーマティヴィティとは異なる仕方で支配的な規範を攪乱するということを、テリ・シルヴィオの「アニメーション」概念や[[東浩紀]]による[[ジャック・デリダ|デリダ]]読解の分析を通して論じている<ref name=":4">{{Cite journal|author=松浦優|year=2022|title=アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察|url=https://doi.org/10.24567/0002000551|journal=ジェンダー研究|issue=25|publisher=お茶の水女子大学ジェンダー研究所|DOI=10.24567/0002000551}}</ref>。その攪乱とは、「以前には存在しなかったカテゴリーの存在物をアニメーションによって構築することを通して、知覚の仕方や欲望のあり方を変容させること」<ref>{{Cite journal|和書|last=松浦|first=優|year=2022|title=メタファーとしての美少女――アニメーション的な誤配によるジェンダー・トラブル|journal=現代思想|volume=50|issue=11|pages=63-75}}</ref>である。また松浦は、対人性愛中心主義が[[異性愛規範]]や[[性別二元制|性別二元論]]と結びついていると論じている<ref name=":4" /><ref name=":5">{{Cite web |url=https://mtwrmtwr.hatenablog.com/entry/2022/11/30/211753 |title=対人性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の共通点:「萌え絵広告問題」と「トランスジェンダーのトイレ使用問題」から |access-date=2023-5-22 |last=松浦 |first=優 |year=2022}}</ref>。
== メディアでの言及 ==
フィクトセクシュアルを自認する人物の中には、ソロウェディングを行う者もいる<ref>{{Cite web |date=2020-08-06 |url=https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2007/09/news133.html |title=「降谷零さんと出会って生活が一変した」 二次元のキャラに恋をする“フィクトセクシュアル”の結婚・恋愛像 |publisher=[[ねとらぼ]] |accessdate=2020-11-15}}</ref>。


フィクトセクシュアルの人へのインタビュー調査から、かれらがアセクシュアルと同じように強制的性愛による抑圧を経験することがあると示されているほか、性的欲望は必ずしも性交への欲望ではないことも示唆されている<ref name="Eureka">{{Cite journal|author=松浦優|year=2021|title=二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性――現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として|url=https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b585649.html|journal=新社会学研究|issue=5|publisher=新曜社|ISBN=9784788517073}}</ref>。日本や台湾でのインタビュー調査から、フィクトセクシュアルの人々の実践には強制的性愛や対人性愛中心主義への抵抗の可能性が見られると指摘されている<ref name="Eureka" /><ref name=":6">{{Cite journal|last=廖|first=希文|year=2023|title=紙性戀處境及其悖論: 情動、想像與賦生關係|url=https://vocus.cc/article/644f4f46fd897800017c0c01|journal=動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來 (研討會論文)}}</ref>。
[[近藤顕彦]]は、フィクトセクシュアルであることを[[カミングアウト]]しているが、自分の場合は後天的なものだと述べている<ref>{{Twitter status2|1=akihikokondosk|2=1301828199895068672|3=2020年9月4日|5=2020-11-15}}</ref>。


=== 架空のキャラクターとの関係 ===
[[パリ第10大学|パリ・ナンテール大学]]の[[アニエス・ジアール]]は、日本には何千ものフィクトセクシュアルの人々による結婚があると述べた<ref>{{Cite web |date=2022-04-24|url=https://www.nytimes.com/2022/04/24/business/akihiko-kondo-fictional-character-relationships.html|title=This Man Married a Fictional Character. He’d Like You to Hear Him Out.|publisher=[[ニューヨーク・タイムズ]] |accessdate=2022-05-03}}</ref><ref name="nypost">{{Cite web |date=2022-04-27 |url=https://nypost.com/article/what-is-fictosexuality-meaning-definition/|title= What is fictosexuality? All about the real people turned on by fictional characters |publisher=[[ニューヨーク・ポスト]] |accessdate=2022-05-03}}</ref>。また、彼女はフィクトセクシュアルの結婚は「ジェンダー、結婚、社会的規範に挑戦する方法」であるため、女性に力を与えると述べている<ref name="nypost"/>。
フィクトセクシュアルの人々は「虚構と現実を混同しているのではない」が、「人間を相手にするのと同じようにはキャラクターと相互行為できない」ために苦悩を経験することがある<ref name=":1" />。このパラドックスは台湾での調査からも確認されている<ref name=":6" />。

しかしフィクトセクシュアルの人と架空のキャラクターとの関係は、必ずしも一方向的なものではない。インターフェイスやキャラクターのグッズなどさまざまな媒体や、二次創作のような実践を通して、フィクトセクシュアルの人々はキャラクターとの感情的なつながりを経験したり、キャラクターの存在を感じたりすることがある<ref name=":1" /><ref name=":6" />。フィクトセクシュアルの人々と架空のキャラクターとの関係は、人類学における「関係的認識論」(relational epistemology)や「分人」(dividual)の観点から理解できる可能性が指摘されている<ref name=":6" />。

他方で、すべての異性愛者が性的接触を望むわけではないのと同じように、フィクトセクシュアルの人々のなかにも、架空のキャラクターとの相互行為を望まない人々がいる<ref name=":0" /><ref name="Eureka" />。こうした人々の存在は、すべてのフィクトセクシュアルが架空のキャラクターとの性的・恋愛的な親密関係を望んでいるに違いない、という恋愛伴侶規範的なステレオタイプによって不可視化される<ref name=":0" />。

== 差別やスティグマ ==
対人性愛中心主義的な社会では、フィクトセクシュアルの人々は病理化されたりスティグマ化されたりすることがある<ref name=":0" /><ref name=":1" />。そのスティグマによってフィクトセクシュアルの人々が孤立や孤独感を経験する可能性が示唆されている<ref name=":1" />。またフィクトセクシュアルはしばしば単なる「嗜好」とみなされて[[LGBT|LGBTQ+]]から排除されることがあり<ref name=":0" />、[[LGBT]]コミュニティからも偏見を向けられることがある<ref name=":7">{{Cite web |url=https://vocal.media/humans/fictosexual-manifesto |title=Fictosexual Manifesto: Their Position, Political Possibility, and Critical Resistance |access-date=2023-5-22 |publisher=NTU-OTASTUDY GROUP |last=Liao |first=SH}}</ref>。

また二次元キャラクターに対する性的惹かれや性的欲望は、実際にはキャラクターというノンヒューマンへの欲望であるにもかかわらず、単に特殊な様式で描かれた人間に対する嗜好とみなされ、単なる対人性愛だと誤解されることがある<ref name=":0" /><ref name=":4" /><ref name=":7" />。研究者やアクティビストからは、二次元の未成年キャラクターへの欲望を人間の子供に対する欲望とみなすことは、対人性愛中心主義的な偏見であると指摘されている<ref name=":0" /><ref name=":4" /><ref name=":7" />。

== コミュニティやアクティビズム ==
フィクトセクシュアルの人々のオンライン投稿からは、性的マジョリティを「対人性愛」と名指すことを通して、対人性愛中心主義を批判する主張が提起されている<ref name=":0" />。対人性愛中心主義批判は、二次元の性的表現が生身の女性を性的対象化したり小児性加害を助長したりするという思い込みに反論しつつ<ref name=":0" /><ref name=":4" />、同時にレイプカルチャーを批判するものである<ref name=":0" />。この批判は[[フェミニズム|フェミニスト]]や[[LGBT|LGBTQ]]の運動と連帯を志向している<ref name=":7" /><ref name=":5" />。

台湾では、フィクトセクシュアルの承認をや対人性愛の相対化を推進する団体として、廖希文が臺大御宅研究讀書會(臺大宅研)を設立している<ref name=":6" />。臺大宅研はフィクトセクシュアルについてのアンケート調査や、「フィクトセクシュアル宣言」の刊行、松浦優の論文の翻訳などを行なっている。


==参考文献==
==参考文献==
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==関連項目==
==関連項目==
* [[二次元コンプレックス]]
* [[二次元コンプレックス]]
* [[近藤顕彦]]


{{性}}
{{性}}

2023年5月22日 (月) 08:53時点における版

フィクトセクシュアルの旗。背景の縞模様は架空のもの以外への無性愛を表しており、中央のピンクは架空のものへの愛を表している[1]

フィクトセクシュアル: fictosexuality)は、架空のキャラクターへ性的に惹かれるセクシュアリティである[2][3]。「Fセク」と略される場合がある[2]。架空のキャラクターへ恋愛的に惹かれることを表す言葉としては、フィクトロマンティックが用いられる。フィクトロマンティックは「Fロマ」と略される。

概要

フィクトセクシュアルという言葉は、フィクション(Fiction)のFictから取られたものであり[4]、「架空の性的表現を愛好しつつも実在の他者には性的惹かれを経験しないということ」や「『性愛』や『恋愛』として一般的に想定されるような営みを架空のキャラクターと行いたいと感じること」を表す言葉として用いられている[2]。また、この語は英語圏のアセクシュアルコミュニティで用いられる場合もあり[5][6]、日本でも広義のアセクシュアルとして解釈される場合がある[2]

フィクトセクシュアルの立場からは、「生身の他者に対して性的・恋愛的に惹かれることが規範的なセクシュアリティとされること」を指す「対人性愛中心主義」という概念が提起されている[2]。これはフィクトセクシュアルの周縁化を説明する概念である。対人性愛中心主義は、アセクシュアル研究における強制的性愛(compulsory sexuality)と、対物性愛研究における人間性愛規範(humanonormativity)と関連していると指摘されている[7]

研究

人口学的研究

フィクトセクシュアルに関する統計的調査はまだ数が限られている。日本性教育協会が2017年に実施した「第8回 青少年の性行動全国調査」によれば、「ゲームやアニメの登場人物に恋愛感情を持つ」経験が「ある」と答えた人の割合は、中学男子13.1%、中学女子16.0%、高校男子13.6%、高校女子15.4%、大学男子14.4%、大学女子17.1%である[8]

フェミニスト/クィア研究

いくつかのアセクシュアル研究や、性的マイノリティに関する入門書で、フィクトセクシュアルが言及されている[5][9][10][3]。エリザベス・マイルズは「現在のアセクシュアルの理論化と同じように(……)二次元キャラクターへの欲望は、セックスとは何か、法的・社会的な禁止が性的アクセスや十全な性的市民権をいかに否定するのか、について私たちに再考させるものである」と論じている[11]

クィア理論的な研究も行われている。松浦優は、二次元をめぐるセクシュアリティがバトラー的なパフォーマティヴィティとは異なる仕方で支配的な規範を攪乱するということを、テリ・シルヴィオの「アニメーション」概念や東浩紀によるデリダ読解の分析を通して論じている[12]。その攪乱とは、「以前には存在しなかったカテゴリーの存在物をアニメーションによって構築することを通して、知覚の仕方や欲望のあり方を変容させること」[13]である。また松浦は、対人性愛中心主義が異性愛規範性別二元論と結びついていると論じている[12][14]

フィクトセクシュアルの人へのインタビュー調査から、かれらがアセクシュアルと同じように強制的性愛による抑圧を経験することがあると示されているほか、性的欲望は必ずしも性交への欲望ではないことも示唆されている[15]。日本や台湾でのインタビュー調査から、フィクトセクシュアルの人々の実践には強制的性愛や対人性愛中心主義への抵抗の可能性が見られると指摘されている[15][16]

架空のキャラクターとの関係

フィクトセクシュアルの人々は「虚構と現実を混同しているのではない」が、「人間を相手にするのと同じようにはキャラクターと相互行為できない」ために苦悩を経験することがある[6]。このパラドックスは台湾での調査からも確認されている[16]

しかしフィクトセクシュアルの人と架空のキャラクターとの関係は、必ずしも一方向的なものではない。インターフェイスやキャラクターのグッズなどさまざまな媒体や、二次創作のような実践を通して、フィクトセクシュアルの人々はキャラクターとの感情的なつながりを経験したり、キャラクターの存在を感じたりすることがある[6][16]。フィクトセクシュアルの人々と架空のキャラクターとの関係は、人類学における「関係的認識論」(relational epistemology)や「分人」(dividual)の観点から理解できる可能性が指摘されている[16]

他方で、すべての異性愛者が性的接触を望むわけではないのと同じように、フィクトセクシュアルの人々のなかにも、架空のキャラクターとの相互行為を望まない人々がいる[2][15]。こうした人々の存在は、すべてのフィクトセクシュアルが架空のキャラクターとの性的・恋愛的な親密関係を望んでいるに違いない、という恋愛伴侶規範的なステレオタイプによって不可視化される[2]

差別やスティグマ

対人性愛中心主義的な社会では、フィクトセクシュアルの人々は病理化されたりスティグマ化されたりすることがある[2][6]。そのスティグマによってフィクトセクシュアルの人々が孤立や孤独感を経験する可能性が示唆されている[6]。またフィクトセクシュアルはしばしば単なる「嗜好」とみなされてLGBTQ+から排除されることがあり[2]LGBTコミュニティからも偏見を向けられることがある[17]

また二次元キャラクターに対する性的惹かれや性的欲望は、実際にはキャラクターというノンヒューマンへの欲望であるにもかかわらず、単に特殊な様式で描かれた人間に対する嗜好とみなされ、単なる対人性愛だと誤解されることがある[2][12][17]。研究者やアクティビストからは、二次元の未成年キャラクターへの欲望を人間の子供に対する欲望とみなすことは、対人性愛中心主義的な偏見であると指摘されている[2][12][17]

コミュニティやアクティビズム

フィクトセクシュアルの人々のオンライン投稿からは、性的マジョリティを「対人性愛」と名指すことを通して、対人性愛中心主義を批判する主張が提起されている[2]。対人性愛中心主義批判は、二次元の性的表現が生身の女性を性的対象化したり小児性加害を助長したりするという思い込みに反論しつつ[2][12]、同時にレイプカルチャーを批判するものである[2]。この批判はフェミニストLGBTQの運動と連帯を志向している[17][14]

台湾では、フィクトセクシュアルの承認をや対人性愛の相対化を推進する団体として、廖希文が臺大御宅研究讀書會(臺大宅研)を設立している[16]。臺大宅研はフィクトセクシュアルについてのアンケート調査や、「フィクトセクシュアル宣言」の刊行、松浦優の論文の翻訳などを行なっている。

参考文献

  1. ^ What is fictosexuality? All about the real people turned on by fictional characters”. ニューヨーク・ポスト (2022年4月27日). 2022年5月3日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n 松浦優「日常生活の自明性によるクレイム申し立ての「予めの排除/抹消」」『現代の社会病理』第36号、2021年、67-83頁、doi:10.50885/shabyo.36.0_67 
  3. ^ a b パレットーク『マンガでわかるLGBTQ+』講談社、2021年4月28日、35頁。ISBN 978-4065224922 
  4. ^ りっきー (2020年7月13日). “フィクトセクシュアル/フィクトロマンティックとは【キャラクターを愛する】”. JobRainbow. 2020年11月15日閲覧。
  5. ^ a b Yule, Morag A.; Brotto, Lori A.; Gorzalka, Boris B. (2017). “Sexual Fantasy and Masturbation Among Asexual Individuals: An In-Depth Exploration”. Archives of Sexual Behavior 46: 311–328. doi:10.1007/s10508-016-0870-8. 
  6. ^ a b c d e Veli-Matti Karhulahti, Tanja Välisalo. “Fictosexuality, Fictoromance, and Fictophilia: A Qualitative Study of Love and Desire for Fictional Characters”. Frontiers in psychology. 2022年8月6日閲覧。
  7. ^ 松浦, 優 (2023). “対人性愛中心主義批判の射程に関する検討――フェミニズム・クィアスタディーズにおける対物性愛研究を踏まえて”. 人間科学共生社会学 (13). https://researchmap.jp/mtwrmtwr/published_papers/40398528. 
  8. ^ 日本性教育協会 編『「若者の性」白書 第8回 青少年の性行動全国調査報告』小学館、2019年。 
  9. ^ 松浦, 優「アセクシュアル研究におけるセクシュアルノーマティヴィティ(Sexualnormativity)概念の理論的意義と日本社会への適用可能性」『西日本社会学会年報』第18号、2020年、89-101頁、doi:10.32197/sswj.18.0_89 
  10. ^ Daigle-Orians, Cody (2023). I Am Ace: Advice on Living Your Best Asexual Life. Jessica Kingsley Publishers 
  11. ^ Miles, Elizabeth (2020). “Porn as Practice, Porn as Access: Pornography Consumption and a ʻThird Sexual Orientationʼ in Japan”. Porn Studies 7 (3): 269–278. doi:10.1080/23268743.2020.1726205. 
  12. ^ a b c d e 松浦優 (2022). “アニメーション的な誤配としての多重見当識――非対人性愛的な「二次元」へのセクシュアリティに関する理論的考察”. ジェンダー研究 (お茶の水女子大学ジェンダー研究所) (25). doi:10.24567/0002000551. https://doi.org/10.24567/0002000551. 
  13. ^ 松浦, 優「メタファーとしての美少女――アニメーション的な誤配によるジェンダー・トラブル」『現代思想』第50巻第11号、2022年、63-75頁。 
  14. ^ a b 松浦, 優 (2022年). “対人性愛中心主義とシスジェンダー中心主義の共通点:「萌え絵広告問題」と「トランスジェンダーのトイレ使用問題」から”. 2023年5月22日閲覧。
  15. ^ a b c 松浦優 (2021). “二次元の性的表現による「現実性愛」の相対化の可能性――現実の他者へ性的に惹かれない「オタク」「腐女子」の語りを事例として”. 新社会学研究 (新曜社) (5). ISBN 9784788517073. https://www.shin-yo-sha.co.jp/book/b585649.html. 
  16. ^ a b c d e 廖, 希文 (2023). “紙性戀處境及其悖論: 情動、想像與賦生關係”. 動漫遊台灣2023:台灣 ACG 的過去、現在與未來 (研討會論文). https://vocus.cc/article/644f4f46fd897800017c0c01. 
  17. ^ a b c d Liao, SH. “Fictosexual Manifesto: Their Position, Political Possibility, and Critical Resistance”. NTU-OTASTUDY GROUP. 2023年5月22日閲覧。

関連項目