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2017年9月18日 (月) 11:01時点における版

プジョー > プジョー・スポール

プジョー・スポール (Peugeot Sport) は、フランスの自動車メーカー、プジョーモータースポーツ担当部門。

歴史

ラリーへの参戦

ユハ・カンクネンがドライブするプジョー・205ターボ16、1986年のラリー・サンレモ

プジョー・スポールは、かつて世界ラリー選手権(WRC)でギ・フレクランのコ・ドライバーを務めていたジャン・トッドがプジョーからPSA・プジョーシトロエングループのためのスポーツ部門を創設して欲しいと頼まれ、1981年にプジョー・タルボ・スポール (Peugeot Talbot Sport) の名称で創設された。ラリーチームはブローニュの森近くに設立され[1]、1984年にプジョー・205ターボ16グループBにデビュー、フィンランドでアリ・バタネンが初優勝を遂げた。1985年、プジョーはバタネンとティモ・サロネンの手で12戦中7勝を挙げ、マニファクチャラーズタイトルおよびサロネンがドライバーズタイトルを獲得した。バタネンは1985年のアルゼンチンで重傷を負い、1986年は彼に代わってユハ・カンクネンが加入した。カンクネンはチームに2年連続のタイトルをもたらした。FIAヘンリ・トイヴォネンの死亡事故を受けて1987年にグループBを廃止し、このためプジョーは参戦フィールドをラリーレイドに変更、205T16でダカール・ラリーに参戦、1987年から1989年まで3年連続でタイトルを獲得し、1990年には405で4年連続のタイトルを獲得した。

スポーツカーへの転向

耐久レースではヴェリジー=ヴィラクブレーにスポーツカーチームを設立した[2]。そして1988年に905プロジェクトを開始、1991年にスポーツカー世界選手権に参戦した。905は1990年に発表され、1991年シーズンはランキング2位となった。1992年シーズンにはル・マン24時間レースデレック・ワーウィックヤニック・ダルマスマーク・ブランデル組が優勝を遂げた。また、ワーウィック、ダルマス、フィリップ・アリオーマウロ・バルディの活躍でシリーズタイトルも獲得した。選手権シリーズは1992年限りで廃止となったが、翌1993年はル・マン24時間レースで1-2-3フィニッシュを達成、エリック・エラリークリストフ・ブシュージェフ・ブラバム組が優勝を遂げた。プジョー・タルボ・スポールはその後スポーツカーレースから撤退、ジャン・トッドはチームを去りスクーデリア・フェラーリに移籍した。

F1

プジョーは1994年フォーミュラ・ワンに転向、905に使われた3.5リッターV10エンジンを投入した。このエンジンをマクラーレンに供給、これは容易にF1に適合できたものの、成績は目立った結果を上げることができず、マクラーレンとの協力体制は1994年限りで解消となった。翌1995年、同社のエンジンはジョーダン・グランプリに供給され、ジョーダンとの協力体制は1997年まで続いた。1998年からはプロスト・グランプリに供給、これは2000年まで続いた。2000年末、プジョーエンジンはアジアテックに売却、その後2年間使用された。

ラリーへの復帰

マーカス・グロンホルムがドライブするプジョー・206 WRC、2001年のフィンランド・ラリー

1999年、プジョー・スポールはプジョー・206 WRCと共に、コラード・プロベラの監督下世界ラリー選手権に復帰した。デビュー戦はツール・ド・コルスフランソワ・デルクールが第一ドライバー、ジル・パニッツィマーカス・グロンホルムがセカンドカーをシェアした。パニッツィはサンレモ・ラリーで2位に入賞、グロンホルムはフィンランド・ラリーで4位に入った。

2000年、グロンホルムはスウェーデン・ラリーで初勝利を遂げた。その後もニュージーランド、フィンランド、オーストラリアで勝利、ドライバーズタイトルを獲得した。パニッツィはコルシカとサンレモで勝利し、マニファクチャラーズタイトルに寄与した。

2001年、デルクールに代わってディディエ・オリオールがチームに加入、グロンホルムと共にメインドライバーとなった。また、パニッツィとハリ・ロバンペッラはセカンドカーを選択されたイベントでドライブした。グロンホルムは前半戦、多くのリタイヤに苦しむ一方、ロバンペッラは第2戦のスウェーデンで勝利した。オリオールはスペインで勝利し、グロンホルムはフィンランド、オーストラリア、イギリスで勝利、パニッツィはイタリアで勝利した。チームはマニファクチャラーズタイトルを獲得し、グロンホルムはランキング4位に入り、これがチーム内最上位であった。ロバンペッラは5位、オリオールは8位、パニッツィは9位であった。

2002年、チームは前年度チャンピオンのリチャード・バーンズスバルから獲得、オリオールに代えて加入させた。グロンホルムは第2戦のスウェーデンで勝利、パニッツィはフランスとスペインで勝利した。グロンホルムはキプロスで勝利したが、続くアルゼンチンではバーンズと共に技術的な違反のため失格となった。グロンホルムは再びフィンランドで勝利したが、パニッツィはイタリアでシーズン3勝目を挙げた。その後グロンホルムはニュージーランドとオーストラリアで連勝し、2度目のドライバーズタイトルを獲得した。バーンズはシーズンを5位で終え、パニッツィは6位、ロバンペッラは7位であった。プジョーは3度目のマニファクチャラーズタイトルを獲得した。

マールボロがタイトルスポンサーとなり、ドライバーラインアップは2003年も維持された。グロンホルムは再びスウェーデンで勝利し、ニュージーランド、アルゼンチンでも勝利した。パニッツィはスペインで勝利した。バーンズは2004年にスバルへの復帰が決まっていたが、最終戦のイギリスに向かう途中に失神、ラリーを欠場した。彼に代わってベルギー人ドライバーのフレディ・ロイクスが参加した。バーンズはシーズンを4位で終え、グロンホルムは6位であった。プジョーはマニファクチャラーズタイトルを失い、代わって獲得したのがシトロエンであった。

マーカス・グロンホルムがドライブするプジョー・307、2004年のモンテカルロ・ラリー

プジョーは2004年シーズン、307 WRCを発表した。これは307のカブリオレを元に開発された物であった。グロンホルムは全戦出場したが、ロイクスは1、2戦と15戦、ロバンペッラは3戦以降の選択されたイベントに出場した。グロンホルムは新型車のトラブルに苦しみ、フィンランドでチーム唯一の勝利を挙げた。グロンホルムはランキング5位でシーズンを終え、プジョーはマニファクチャラーズ4位で終わった。

2005年、プジョーはグロンホルムのパートナーとしてフォードからマルコ・マルティンを獲得した。グロンホルムは8月のフィンランドで勝利したが、その後のイギリスでマルティンが事故を起こし、コ・ドライバーのマイケル・パークが死亡した。マルティンはWRCを引退することとなった。ダニエル・カールソンニコラ・ベルナルディが彼に代わって残りのイベントをドライブした。グロンホルムはシーズン2勝目を日本で挙げ、ランキング3位となった。プジョーはマニファクチャラー2位でシーズンを終えた。2005年末、PSAプジョー・シトロエンはWRCからワークスの2チームを撤退することを発表した。シトロエンは新車開発のため1年間活動を休止し2007年に復帰したが、プジョーが復帰することは無かった。

プジョー・スポールは新たなスーパー2000のレギュレーションに合わせたプジョー・207 S2000を開発、クロノス・レーシングに託してIRCに参戦した。エンリケ・ガルシア=オヘダが2007年、ニコラス・ヴィヨズが2008年、クリス・ミークが2009年と、3年連続でドライバーズタイトルを獲得した。しかし2010年はライバルシュコダに敗れタイトル防衛はならなかった。翌年はニュースペックのプジョー・207 S2000を投入し開幕戦モンテカルロではブライアン・ブフィエがデビューウィンを果たしここから波に乗ると思われたが、またしてもシュコダに敗れタイトル獲得を阻止できなかった。その後IRCは2012年で終了したが2013年からはERCにワークス参戦。しかし未勝利に終わった。そして2014年は新規定R5に沿って開発されたプジョー・208ターボ16がデビューした。ドライバーは2012年のSWRCチャンピオンのクレイグ・ブリーンとWRCの登竜門JWRCに出場経験を持つケビン・アブリングの2台となった。

デビュー戦となったERC第3戦アクロポリスではブリーンが見事なデビューウィンを果たした。しかしその後はメカニカルトラブルが多発しどちらか1台が完走するのがやっとという状態だった。結局デビューイヤーでのタイトル獲得は果たせずブリーンはランキング3位、アブリングは6位でシーズンを終えた。 2015年はブリーンをエースドライバーとしアブリングに代わり前年ボラン・プジョーカップでチャンピオンに輝いたチャールズ・マーティンの2台体制で挑む。

スポーツカーへの復帰

プジョー・908 HDi FAP

新たな監督ミシェル・バージの下プジョー・スポールは2007年にスポーツカーレースに復帰、シリーズを支配するアウディに対してプジョー・908 HDi FAPで挑戦した。908は2007年の第1戦、モンツァ1000kmでデビューした。マルク・ジェネニコラ・ミナシアン組がこのレースで優勝した。2007年のル・マン24時間レースではステファン・サラザンポールポジションを獲得、レースではサラザン、ペドロ・ラミーセバスチャン・ボーデ組の8番車がアウディ1番車に次いで2位でフィニッシュした。ル・マンの後サラザンとラミーはプジョーのためのル・マン・シリーズタイトルを獲得した。

2008年のル・マン24時間レースではサラザンが再びポールポジションを獲得し、グリッド1列目をプジョーが独占した。レースではそれぞれ2位、3位、5位に入賞、シリーズではアウディに次ぐランキング2位となり、ミナシアン、ジェネが共にドライバーズランキング2位となった。

2009年の始めにPSAプジョーシトロエンは、シトロエンのスポーツディレクター、オリビエ・クエスネルをプジョー・スポールのディレクター兼任とした。2009年のル・マン24時間レースではサラザンが再びポールポジションを獲得、レースではデヴィッド・ブラバム、ジェネ、アレクサンダー・ヴルツ組がチームに1993年以来の勝利をもたらした。2位にはフランク・モンタニー、ボーデ、サラザン組が入り、チームの3台目は6位に入賞した。その他のシリーズ戦では、ル・マンに備えたスパ戦にしか参戦しなかった。

2010年のセブリング12時間レースでチームは2度目の1-2フィニッシュを達成した。しかしながら、2010年のル・マン24時間レースでは信頼性の問題が生じ、アウディが1-2-3を達成した。

2011年のセブリング12時間レースでは、オレカ・レーシングの所有する古いプジョー・908 HDi FAPがファクトリー仕様の908およびアウディ・R15を抑えて驚きの勝利を挙げる。2011年のル・マン24時間レースでは2台のアウディ・R18がクラッシュしたが、残る1台に抑えられ2位に終わった。優勝したアウディは2位の908に対して僅か13秒のリードしか無かった。

2012年1月18日、プジョー・スポールは景気の失速と販売不振を理由としてスポーツカーレースからの撤退を発表した。復帰に関しては、資金が2015年以前に調達できるならばあり得るが、そうでなければできないとしている[3]

主な成績

WRC

グループB時代 (1984-1986)

車両 ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 WDC ポイント WMC ポイント
1984 プジョー・205 Turbo 16 フィンランドの旗 アリ・バタネン MON SWE POR KEN FRA
Ret
GRC
Ret
ARG BRA FIN
1
ITA
1
CIV GBR
1
4位 60 3位 74
フランスの旗 ジャン=ピエール・ニコラ MON SWE POR KEN FRA
4
GRC
Ret
ARG BRA FIN ITA
5
CIV GBR 14位 18
1985 プジョー・205 Turbo 16
プジョー・205 Turbo 16 E2
フィンランドの旗 アリ・バタネン MON
1
SWE
1
POR
Ret
KEN
Ret
FRA
Ret
GRC
Ret
NZL
2
ARG
Ret
FIN ITA CIV GBR 4位 55 1位 142
フィンランドの旗 ティモ・サロネン MON
3
SWE
3
POR
1
KEN
7
FRA
Ret
GRC
1
NZL
1
ARG
1
FIN
1
ITA
2
CIV GBR
Ret
1位 127
フランスの旗 ブルーノ・サビー MON
5
SWE POR KEN
Ret
FRA
2
GRC NZL ARG FIN ITA
Ret
CIV GBR 23位 11
アルゼンチンの旗 カルロス・ロイテマン MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG
3
FIN ITA CIV GBR 19位 12
スウェーデンの旗 カーレ・グルンデル MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN
5
ITA CIV GBR
Ret
25位 8
フィンランドの旗 ミカエル・サンドストローム MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN ITA CIV GBR
Ret
- 0
1986 プジョー・205 Turbo 16 E2 フィンランドの旗 ティモ・サロネン MON
2
SWE
Ret
POR
Ret
KEN FRA
Ret
GRC
Ret
NZL
5
ARG FIN
1
CIV ITA
Ret
GBR
1
USA 3位 63 1位 137
フィンランドの旗 ユハ・カンクネン MON
5
SWE
1
POR
Ret
KEN
5
FRA GRC
1
NZL
1
ARG
Ret
FIN
2
CIV ITA
Ret
GBR
3
USA
2
1位 118
フランスの旗 ブルーノ・サビー MON
6
SWE POR KEN FRA
1
GRC
3
NZL ARG
Ret
FIN CIV ITA
Ret
GBR USA 7位 38
フランスの旗 ミシェル・ムートン MON
Ret
SWE POR KEN FRA
Ret
GRC NZL ARG FIN CIV ITA GBR USA - 0
ケニアの旗 シェカー・メッタ MON SWE POR KEN
8
FRA GRC NZL ARG FIN CIV ITA GBR USA 49位 3
スウェーデンの旗 スティグ・ブロンクビスト MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG
3
FIN
4
CIV ITA GBR USA 11位 22
イタリアの旗 アンドレア・ザヌッシ MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN CIV ITA
Ret
GBR USA - 0
フィンランドの旗 ミカエル・サンドストローム MON SWE POR KEN FRA GRC NZL ARG FIN CIV ITA GBR
4
USA 22位 10

WRC時代 (1999-2005)

車両 No ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 WDC ポイント WMC ポイント
1999 プジョー・206 WRC 14 フランスの旗 フランソワ・デルクール MON SWE KEN POR ESP FRA
Ret
ARG GRE
Ret
NZL FIN
9
CHN ITA
Ret
AUS
Ret
GBR
Ret
16位* 3* 6位 11
15 フランスの旗 ジル・パニッツィ FRA
Ret
ITA
2
10位 6
フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム MON SWE KEN POR ESP ARG GRE
Ret
NZL FIN
4
CHN AUS
5
GBR
Ret
15位* 5*
21 FRA ITA
8
22 フランスの旗 ジル・パニッツィ MON SWE KEN POR ESP FRA ARG GRE NZL FIN
33
CHN ITA AUS GBR
7
10位* 6*
2000 プジョー・206 WRC 9 フランスの旗 フランソワ・デルクール MON
Ret
SWE
7
KEN POR
5
ESP
7
ARG
13
GRE
9
NZL
Ret
FIN CYP
3
FRA
2
ITA
2
AUS
3
GBR
6
6位 24 1位 111
フランスの旗 ジル・パニッツィ KEN
Ret
7位 21
フィンランドの旗 セバスチャン・リンドホルム FIN
5
19位 2
10 フランスの旗 ジル・パニッツィ MON
Ret
SWE KEN POR ESP
6
ARG GRE NZL FIN CYP FRA
1
ITA
1
AUS GBR 7位 21
フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム SWE
1
KEN
Ret
POR
2
ARG
2
GRE
Ret
NZL
1
FIN
1
CYP
Ret
AUS
1
GBR
2
1位 65
16 MON
Ret
ESP
5
FRA
5
ITA
4
18 フランスの旗 フランソワ・デルクール MON SWE KEN POR ESP ARG GRE NZL FIN
6
CYP FRA ITA AUS GBR 6位 24
19 フランスの旗 ジル・パニッツィ MON SWE KEN POR ESP ARG GRE NZL FIN CYP FRA ITA AUS
Ret
GBR
8
7位 21
2001 プジョー・206 WRC 1 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム MON
Ret
SWE
Ret
POR
3
ESP
Ret
ARG
Ret
CYP
Ret
GRC
Ret
KEN
Ret
FIN
1
NZL
5
ITA
7
FRA
Ret
AUS
1
GBR
1
4位 36 1位 106
2 フランスの旗 ディディエ・オリオール MON
Ret
SWE
Ret
POR
8
ESP
1
ARG
Ret
CYP
Ret
GRC
Ret
KEN
Ret
FIN
Ret
NZL
6
ITA
3
FRA
3
AUS
3
GBR
7
7位 23
16 フランスの旗 ジル・パニッツィ MON
Ret
SWE POR ESP
2
ARG CYP GRC KEN FIN NZL ITA
1
FRA
2
AUS GBR 8位 22
フィンランドの旗 ハリ・ロバンペッラ SWE
1
POR
Ret
ARG
Ret
CYP
Ret
GRC
3
KEN
2
FIN
4
NZL
3
AUS
4
GBR
2
5位 36
19 フランスの旗 ジル・パニッツィ MON SWE POR ESP ARG CYP GRC KEN FIN NZL ITA FRA AUS
9
GBR 8位 22
2002 プジョー・206 WRC 1 イギリスの旗 リチャード・バーンズ MON
8
SWE
4
FRA
3
ESP
2
CYP
2
ARG
DSQ
GRE
Ret
KEN
Ret
FIN
2
GER
2
ITA
4
NZL
Ret
AUS
Ret
GBR
Ret
5位 34 1位 165
2 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム MON
5
SWE
1
FRA
2
ESP
4
CYP
1
ARG
DSQ
GRC
2
KEN
Ret
FIN
1
GER
3
ITA
2
NZL
1
AUS
1
GBR
Ret
1位 77
3 フィンランドの旗 ハリ・ロバンペッラ SWE
2
CYP
4
ARG
Ret
GRC
4
KEN
2
FIN
Ret
GER
Ret
NZL
2
AUS
2
GBR
7
7位 30
フランスの旗 ジル・パニッツィ MON
7
FRA
1
ESP
1
ITA
1
6位 31
23 SWE CYP
10
ARG
Ret
KEN
6
FIN GER NZL
7
AUS GBR
2003 プジョー・206 WRC 1 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム MON
13
SWE
1
TUR
9
NZL
1
ARG
1
GRC
Ret
CYP
Ret
GER
2
FIN
Ret
AUS
Ret
ITA
Ret
FRA
4
ESP
6
GBR
Ret
6位 46 2位 145
2 イギリスの旗 リチャード・バーンズ MON
5
SWE
3
TUR
2
NZL
2
ARG
3
GRE
4
CYP
Ret
GER
3
FIN
3
AUS
3
ITA
7
FRA
8
ESP
Ret
GBR 4位 58
ベルギーの旗 フレディ・ロイクス GBR
6
14位* 4*
3 フランスの旗 ジル・パニッツィ MON
Ret
SWE TUR NZL ARG GRC CYP GER
10
FIN AUS ITA
2
FRA
6
ESP
1
GBR 10位 27
フィンランドの旗 ハリ・ロバンペッラ SWE
Ret
TUR
Ret
NZL
Ret
ARG
4
GRC
6
CYP
2
FIN
Ret
AUS
7
GBR
Ret
11位 18
2004 プジョー・307 WRC 5 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム MON
4
SWE
2
MEX
6
NZL
2
CYP
DSQ
GRC
Ret
TUR
2
ARG
Ret
FIN
1
GER
Ret
JPN
4
GBR
Ret
ITA
7
FRA
4
ESP
2
AUS
Ret
5位 62 4位 101
6 ベルギーの旗 フレディ・ロイクス MON
5
SWE
Ret
ESP
Ret
10位 9
フィンランドの旗 ハリ・ロバンペッラ MEX
10
NZL
5
CYP
DSQ
GRC
3
TUR
Ret
ARG
5
FIN
Ret
JPN
6
GBR
6
ITA
Ret
AUS
2
8位 28
フランスの旗 セドリック・ロベール GER
5
FRA
Ret
17位 4
9 ベルギーの旗 フレディ・ロイクス MEX NZL CYP GRC TUR ARG FIN GER
6
JPN GBR ITA FRA
7
AUS 10位 9
14 フィンランドの旗 セバスチャン・リンドホルム MON SWE MEX NZL CYP GRC TUR ARG FIN
Ret
GER JPN GBR ITA FRA ESP AUS - 0
15 スウェーデンの旗 ダニエル・カールソン MON SWE MEX NZL CYP GRC TUR ARG FIN GER JPN GBR
Ret
ITA FRA ESP AUS 12位* 6*
2005 プジョー・307 WRC 7 フィンランドの旗 マーカス・グロンホルム MON
5
SWE
Ret
MEX
2
NZL
2
ITA
3
CYP
Ret
TUR
3
GRC
4
ARG
2
FIN
1
GER
3
GBR
Ret
JPN
1
FRA
Ret
ESP
Ret
AUS
Ret
3位 71 2位 135
8 エストニアの旗 マルコ・マルティン MON
4
SWE
2
MEX
3
NZL
5
ITA
4
CYP
3
TUR
5
GRC
8
ARG
6
FIN
3
GER
4
GBR
Ret
5位 53
スウェーデンの旗 ダニエル・カールソン JPN
8
AUS
Ret
19位* 5*
フランスの旗 ニコラ・ベルナルディ FRA
8
ESP
6
20位* 4*
19 スウェーデンの旗 ダニエル・カールソン MON SWE
6
MEX NZL ITA CYP TUR GRC ARG FIN GER GBR FRA ESP 19位* 5*
19 フィンランドの旗 セバスチャン・リンドホルム MON SWE MEX NZL ITA CYP TUR GRC ARG FIN
Ret
GER GBR JPN FRA ESP AUS - 0

F1

(key)

チーム シャシー ドライバー 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 ポイント 順位
1994年 マールボロ マクラーレン・プジョー マクラーレン・MP4/9 BRA PAC SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR JPN AUS 42 4位
フィンランドの旗 ミカ・ハッキネン Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret 3 Ret 2 3 3 3 7 12
フランスの旗 フィリップ・アリオー Ret
イギリスの旗 マーティン・ブランドル Ret Ret 8 2 11 Ret Ret Ret Ret 4 Ret 5 6 Ret Ret 3
1995年 トタルジョーダン・プジョー ジョーダン・195 BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR EUR PAC JPN AUS 21 6位
ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ Ret Ret Ret 7 Ret 2 6 11 Ret 7 6 Ret 11 4 Ret Ret Ret
イギリスの旗 エディ・アーバイン Ret Ret 8 5 Ret 3 9 Ret 9 13 Ret Ret 10 6 11 4 Ret
1996年 ベンソン&ヘッジス
トタルジョーダン・プジョー
ジョーダン・196 AUS BRA ARG EUR SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA POR JPN 22 5位
ブラジルの旗 ルーベンス・バリチェロ Ret Ret 4 5 5 Ret Ret Ret 9 4 6 6 Ret 5 Ret 9
イギリスの旗 マーティン・ブランドル Ret 12 Ret 6 Ret Ret Ret 6 8 6 10 Ret Ret 4 9 5
1997年 ベンソン&ヘッジス
ジョーダン・プジョー
ジョーダン・197 AUS BRA ARG SMR MON ESP CAN FRA GBR GER HUN BEL ITA AUT LUX JPN EUR 33 5位
ドイツの旗 ラルフ・シューマッハ Ret Ret 3 Ret Ret Ret Ret 6 5 5 5 Ret Ret 5 Ret 9 Ret
イタリアの旗 ジャンカルロ・フィジケラ Ret 8 Ret 4 6 9 3 9 7 11 Ret 2 4 4 Ret 7 11
1998年 ゴロワーズプロスト・プジョー プロスト・AP01 AUS BRA ARG SMR ESP MON CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA LUX JPN 1 9位
フランスの旗 オリビエ・パニス 9 Ret 15 11 16 Ret Ret 11 Ret Ret 15 12 DNS Ret 12 11
イタリアの旗 ヤルノ・トゥルーリ Ret Ret 11 Ret 9 Ret Ret Ret Ret 10 12 Ret 6 13 Ret 12
1999年 ゴロワーズプロスト・プジョー プロスト・AP02 AUS BRA SMR MON ESP CAN FRA GBR AUT GER HUN BEL ITA EUR MAL JPN 9 7位
フランスの旗 オリビエ・パニス Ret 6 Ret Ret Ret 9 8 13 10 6 10 13 11 9 Ret Ret
イタリアの旗 ヤルノ・トゥルーリ Ret Ret Ret 7 6 Ret 7 9 7 Ret 8 12 Ret 2 Ret Ret
2000年 ゴロワーズプロスト・プジョー プロスト・AP03 AUS BRA SMR GBR ESP EUR MON CAN FRA AUT GER HUN BEL ITA USA JPN MAL 0 NC
フランスの旗 ジャン・アレジ Ret Ret Ret 10 Ret 9 Ret Ret 14 Ret Ret Ret Ret 12 Ret Ret 11
ドイツの旗 ニック・ハイドフェルド 9 Ret Ret Ret 16 DSQ 8 Ret 12 Ret 12 Ret Ret Ret 9 Ret Ret

参照

  1. ^ http://www.juwra.com/peugeot_season_1984.html
  2. ^ “Motor Racing: Warwick on top of world - Sport”. London: The Independent. (1992年8月31日). http://www.independent.co.uk/sport/motor-racing-warwick-on-top-of-world-1580501.html 2010年3月26日閲覧。 
  3. ^ Dagys, John. “Peugeot 908 Bids Farewell”. Web. SPEED.com. 2012年2月5日閲覧。

外部リンク