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2012年4月13日 (金) 16:17時点における版
中倉 彰子(なかくら あきこ、本名:中座彰子(ちゅうざ あきこ、旧姓中倉)1977年3月2日 - )は、LPSA(日本女子プロ将棋協会)所属の女流棋士。東京都府中市出身。法政大学人間環境学部卒業。堀口弘治門下。LPSA番号11。以前は日本将棋連盟に所属し、当時の女流棋士番号は34。
女流棋士の中倉宏美は実妹。
略歴
- 小学1年のときに、妹・宏美とともに将棋を始める。
- 1991年 第23回女流アマ名人戦優勝(中学3年)
- 1992年 第24回女流アマ名人戦優勝
- 1992年10月 女流育成会入会(高校1年)
- 1994年4月 女流棋士(女流2級)としてプロデビュー(高校3年、17歳)
- 1997年度前期、1999年度前期 NHK将棋講座の聞き手を務める。
- 2000年度より2002年度までNHK杯将棋トーナメントの司会を務める。
- 2002年3月 清水市代・山田久美・中倉宏美と女流棋士4人組のユニット原宿将棋通りでCDデビュー。
- 2002年8月 ホームページの企画でソロシングル「Tearful Smile」をリリース。作詞も手がける。
- 2003年8月 中座真(当時五段)と結婚。
- 2005年8月 長女を出産。
- 2007年 日本女子プロ将棋協会に移籍。
- 2007年5月 - 2008年6月 妹・宏美とともに radioboxx のインターネットラジオ番組「Positive de Go!」のパーソナリティを務める。
- 2008年度より静岡県浜松市立大平台小学校の将棋クラブの講師を務める[1]。
- 2008年10月 次女を出産。
- 2010年6月 長男を出産。
人物
- 妹宏美とともに通称「中倉姉妹」として、女流棋士の一人である。
- 名前は蛸島彰子から命名。
- 女流棋士姉妹が主人公の映画「とらばいゆ」は、大谷監督が中倉姉妹を雑誌で目にしたことがきっかけとなってできた。そういう意味で中倉姉妹がモデルであると言われることもあるが、人物設定やストーリーなどは完全なフィクション[2][3]。姉役の瀬戸朝香の演技指導を務めるなどの将棋監修、端役での出演と姉妹でそれぞれ参加もしている[4]。
- 夫婦共通の趣味は油絵で展覧会に作品を出展したこともあった。現在は専ら美術館などでの鑑賞のみ[1] 。
- 一時期テニスを趣味にしていて、吉田友佳とはテニスを通じた友人。
- 高橋和女流三段とは大親友で、2001年3月から将棋世界に「高橋和と中倉彰子のみんな大好き」という連載を持っていた。
- 2007年8月より島井咲緒里とともに日本女子プロ将棋協会所属のアシスタント・インストラクター「アイリス」を担当。現在は同協会事業部長。
- 「Positive de Go!」では、いわゆる天然な性格の現れた発言やエピソードがよく聴かれる。しかし、高橋和からは、率先して動く居て安心な人と評されている[2]。
- 得意戦法は四間飛車穴熊[5]。
エピソード
- 第24回女流アマ名人戦優勝時の決勝戦の相手はまだ幼く小さい石橋幸緒であった。
昇段履歴
関連項目
脚注
外部リンク
- 日本女子プロ将棋協会公式プロフィール
- あっこ&ひろみオフィシャルブログ - 2011年9月休止
- 中倉彰子 (AKIKOPDG) - Twitter