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近代以前の日本の人口統計

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

近代以前の日本の人口統計(きんだいいぜんのにほんのじんこうとうけい)は、先史時代、古代、中世の日本の人口調査および推定人口をまとめたものである。

それぞれ参照。

概要

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日本初の戸口調査は紀元前の崇神天皇時代に行われたとされる。7世紀には全国戸籍「庚午年籍」や「庚寅年籍」が作成され、平安時代初期まで続いた。

江戸時代に入ると宗門人別改帳制度が成立した。しかし本格的な全国人口調査が始まったのは18世紀徳川吉宗時代である。

現代の歴史人口学研究者の推定では、日本の人口は縄文時代は人口増大したが晩期に急に減少した。弥生時代以降再び人口増大が続いた。8世紀に、450~650万人。このころ増加が鈍化し平安時代初期に一旦減少に転じた。1000万人を越えたのは中世後期、早くとも15世紀以降と考えられている。江戸時代前半の17世紀に急増した。その後増加傾向は低調となり、18世紀から19世紀は3000万人前後で安定化した。

古文書に記載された人口

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大まかな古代日本の人口は、『魏志倭人伝』に始まり、様々な書物に記載されている。

『魏志倭人伝』には、奴国が約2万戸など国ごとに大まかな戸数が記されており、邪馬台国など7国の合計が15万9000戸余とある。

日本で最初の戸口調査は『日本書紀』によると、崇神天皇12年(紀元前86年)に行われたとされる。また天智天皇9年(西暦670年)に全国戸籍「庚午年籍」が作成されたとするが、木簡の研究からは戸数の把握に留まっていたとみられる。持統天皇4年(690年)に「庚寅年籍」が作成されると、以降6年毎に戸籍を作り直す「六年一造」が始まった。しかしながら作成された戸籍は30年で破棄する措置が取られたため、現在では戸籍の断片や一部地域の人口集計が伝わっているのみである。現存する最古の戸籍は正倉院紙背文書として保存された大宝二年籍で、大宝2年(702年)の美濃国加毛郡半布里、美濃国蜂間郡春部里筑紫国嶋郡川辺里、豊前国仲津郡丁里の戸籍、養老5年(721年)の下総国葛飾郡大嶋郷の戸籍など、飛鳥時代奈良時代・平安時代の戸籍・計帳計48点が残っており、家族・奴婢の構成などが記載されている[1]

平安時代初期まで改籍が実施されたが、律令制の後退と有力貴族による荘園制の成立により、全国単位での戸籍自体の作成が行われなくなった。現存する最後の古代籍帳は寛弘元年(1004年)に作成された讃岐国大内郡入野郷の戸籍である。鎌倉時代室町時代を通じ、国領や荘園内部で戸籍類似のものが作られていたことは、御成敗式目における戸籍上の規定の存在から類推できるものの、史料が全く残っていない。戦国時代になると一部の戦国大名は農兵動員や銭賦課把握の目的から領内の人口調査を実施するようになり、例えば後北条氏の「分国中人改」などが知られている。豊臣秀吉は天正19年(1591年)あるいは文禄元年(1592年)に人掃令を出し、朝鮮出兵のための動員数把握の目的で全国規模の人口調査を命じた。この時の戸口調査がどの程度まで実施されたかは不明であるが、徳島藩で実施された「棟付改」、細川藩領(小倉藩熊本藩)で実施された「人畜改」などは、秀吉の命を受けて実施された戸口調査が続いたものと考えられている。江戸時代前期にはキリシタン取締りの目的などにより寺請制度と「宗門人別改」が成立し、享保6年(1721年)以降、徳川吉宗による諸国人数調査が実施されることとなる。

古代より中世の人口は、いくつかの年代の総人口が仏閣関係者の書物に記載されているが、調査方法が戸籍からの推定か直接調査かは不明であり、女性が男性の2倍、男女の合計が総人口を超えるなど信頼性に疑問が残る。このような数字に関して横山由清は、男女比は、課丁逃れのために男を女と偽って報告したことに起因すると考えた[2]。また澤田吾一は、頻繁に言及される49や800万という数字は仏典に関連のある数字であり、戸籍などから起こした実数ではないと指摘している[3]

蝦夷など朝廷に帰順していない異民族や、国内に在留する外国人に関しては調査例が少なく不明な点が多い。

文献に登場する日本の総人口[注 1]
年代・元号 西暦 総数 出典
崇峻天皇2年 589年 3,931,152 910,420 3,017,033 聖徳太子伝記(『大日本国古来人口考』引用)
聖徳太子 574–622年 5,030,950 1,914,020 3,116,930 太子伝抄(『温故要略』引用)
4,988,842 1,994,008 2,994,834 太子伝(『它山石初編』引用)
5,031,050 1,914,120 3,116,930 太子伝抄(『它山石初編』引用)
聖徳太子摂政時 593–622年 4,969,890 折焚柴の記、類聚名物考
推古天皇御世 593–628年 4,969,000 町人嚢底払
4,990,000 両域人数考、十玄遺稿(『它山石初編』引用)
4,969,899 皇風大意
養老5年 721年 4,584,893 1,904,082 2,590,811 行基大菩薩行状記
聖武天皇御世 724-748年 5,000,000 行基式目(『遊京漫録』引用)
4,276,800 1,954,800 2,322,000 日本国之図
4,899,648 1,994,828 2,904,820 扶桑国之図
11,099,648 9,094,828 2,004,820 南贍部州大日本国正統図(『運歩色葉集』引用)
4,588,842 1,994,008 2,594,834 南贍部州大日本国正統図(『運歩色葉集』引用)
4,899,620 1,994,800 2,904,820 行基菩薩図(『世俗用字集』引用)
8,631,074 折焚柴の記、類聚名物考
4,508,951 類聚名物考
8,000,000 十玄遺稿(『它山石初編』引用)、両域人数考
8,631,000 町人嚢底払
8,631,770 皇風大意
弘安2年 1279年 4,989,658 1,994,828 2,994,830 高祖遺文録
4,994,828 高祖遺文録
弘安3年 1280年 4,989,658 1,994,828 2,994,830 高祖遺文録
弘安4年 1281年 4,589,659 高祖遺文録
4,994,828 高祖遺文録
4,589,658 高祖遺文録
弘安年間 1278-1287年 4,994,828 1,994,828 2,994,830 類聚名物考
鎌倉時代? 4,861,659 1,924,828 2,936,831 日本略記
大永8年 1528年 4,918,652 権少僧都俊貞雑記集(『栗里先生雑著』引用)
永禄5年 1562年 4,994,800 1,994,828 2,994,830 香取文書

研究者による人口推計と根拠

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近代以前の日本の人口の推定は、西道智や新井白石などの天文学者儒学者国学者に始まり、明治期以降は伊能穎則、横山由清、ガーレット・ドロッパーズ、吉田東伍などが試算をしてきた。昭和初期には数学者の澤田吾一が古文書の綿密な考察により奈良時代から平安時代にかけての律令時代の推定人口をまとめた。その後本庄栄治郎高橋梵仙、関山直太郎らの研究があり、最近では先史時代については小山修三、律令時代については鎌田元一、鎌倉・室町時代については、ウィリアム・ウェイン・ファリス(William Wayne Farris)、江戸時代については速水融鬼頭宏らの研究がある。

これらの推定人口は、戸数、郡郷数、田積数、課丁数(『律書残篇』、『和名類聚抄』、『拾芥抄』、『宋史日本伝』、大田文)、石高(『天正記』『当代記』記載の太閤検地総石高)、出挙稲数(弘仁式延喜式正税帳)、あるいは遺跡の数などを基にモデル計算されていた。以下最近の研究者による日本の推定人口をまとめる。これによると日本の人口が1000万人を越えたのは中世後期、早くとも15世紀以降と考えられる。

複数の研究者による1721年以前の日本の推定人口[4][5][6][7][8][9]
西暦 社会工学研究所

(1974年)

McEvedy &

Jones (1978年)

鬼頭宏
(1996年)
Biraben
(1993,
2005年)
Farris
(2006,
2009年)
HYDE 3.3
(2023年)
紀元前10000年 5,202
紀元前9000年 7,804
紀元前8000年 11,706
紀元前7000年 17,558
紀元前6100年 20,100
紀元前6000年 26,337
紀元前5000年 39,506
紀元前4000年 59,259
紀元前3200年 105,500
紀元前3000年 88,889
紀元前2300年 261,300
紀元前2000年 133,333
紀元前1300年 160,300
紀元前1000年 200,000
紀元前900年 75,800
紀元前400年 30,000 100,000
紀元前300年 150,000
紀元前200年 100,000 200,000
紀元元年 300,000 300,000 300,000
100年 500,000
200年 700,000 594,900 500,000 700,000
300年 600,000 1,100,000
400年 1,500,000 1,500,000 1,500,000
500年 2,000,000 2,250,000
600年 3,000,000 4,000,000 3,000,000
700年 5,230,000 5,000,000 4,500,000
725年 4,512,200
730年 5,800,000–
6,400,000
750年 5,600,000
800年 4,000,000 5,506,200 6,000,000 5,500,000
900年 5,999,900 6,441,400 7,000,000 6,400,000
950年 7,450,000 4,400,000–
5,600,000
1000年 4,500,000 7,000,000 6,000,000
1100年 6,963,700 5,750,000 7,000,000 6,200,000
1150年 6,836,900 7,000,000 5,500,000–
6,300,000
1200年 7,500,000 6,000,000 6,400,000
1250年 6,000,000
1280年 5,700,000–
6,200,000
1300年 8,180,000 9,750,000 7,000,000 7,300,000
1340年 7,000,000
1400年 8,907,400 12,500,000 8,000,000 9,300,000
1450年 8,500,000 9,600,000–
10,500,000
1480年 8,000,000
1500年 9,530,000 17,000,000 8,000,000 12,300,000
1550年 10,290,100
1570年 12,000,000
1600年 12,273,000 22,000,000 12,273,000 12,000,000 15,000,000–
17,000,000
17,000,000
1650年 17,497,900 25,000,000 17,497,900
1700年 28,287,200 29,000,000 28,287,200 28,000,000 26,700,000
1710年 29,000,000
1720年 29,000,000
1721年 31,277,900 31,278,500 30,496,900 31,300,000
1730年 29,000,000
1740年 29,000,000
1750年 31,005,900 29,000,000 31,010,800 30,323,900 29,000,000

人口推定の根拠

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全般

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上の表の内、社会工学研究所(1974年)の推定人口は、古田隆彦、三村尚、酒井均、山口正、鬼頭宏、羽賀博らによって執筆され、鬼頭宏(1996年)の改訂版の元となっている。

ジャン=ノエル・ビラベン(Jean-Noël Biraben)(1993年)の推定人口は速水融(1987年)[10]フランシーヌ・エライユ(Francine Hérail) (1990年)[11]に依拠し、澤田吾一(1927年)、社会工学研究所(1974年)、速水融らの研究を踏襲している。 一方コリン・マッケヴェディ(Colin McEvedyとリチャード・ジョーンズ(Richard Jones)(1978年)の推定人口はアイリーン・トイバー(Irene B. Taeuber) (1958年)[12]に依拠するが、実質的には横山由清(1879年)による推定人口[13][2]を補間して人口を推定しており、澤田吾一(1927年)の研究が反映されていない。

横山由清(1879年)による平安時代~鎌倉時代の推定人口[2]
西暦 推定人口 根拠
823年 3,694,331 類聚三代格』記載の大宰府管内田積(6万5677町)×
『和名類聚抄』記載郷数比(3762/506)×7.5人[注 2]
859年~922年 3,762,000 『和名類聚抄』記載の全国郷数(3762)×1000人[注 2]
947年~1003年 4,416,650 『宋史日本伝』記載の課丁数(88万3329人)×5人
1185年~1333年 9,750,000 『拾芥抄』記載の郷数(1万3千余)×750人

以下鬼頭宏(1996年)とファリス(2006,2009年)の推定人口を中心に、推定の根拠を列挙する。

旧石器時代・縄文時代・弥生時代

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鬼頭宏の推定人口は、小山修三 (1978,1983年)[14]に依拠している。即ち『全国遺跡地図』[15]記載の都道府県別遺跡数を地域、年代別に振り分けると地域別推定人口に示す表のように纏められる。それぞれの時代が占める期間は、2000年に渡る縄文時代早期を除き、大体1000年前後と見積もられた。また関東地方における遺跡当たりの推定収容人口比は、3世紀から13世紀まで使われた土師器を産出する遺跡1に対して、弥生時代は0.2~0.43(平均約1/3)、縄文時代中期以降は0.1~0.26(平均約1/7)と算出され、縄文時代早期の遺跡規模を1/10と推測した。澤田吾一による奈良時代の関東地方の推定人口94万3300人[3]と関東地方における土師器を産出する遺跡数(5549箇所)の比より、弥生時代に関しては遺跡数に56、中期以降の縄文時代に関しては遺跡数に24、期間が2倍に渡る縄文時代早期に関しては遺跡数に8を乗じた値をそれぞれの時代の推定人口とすることで、縄文時代早期、前期、中期、後期、晩期、弥生時代の推定人口は、それぞれ2万0100人、10万5500人、26万1300人、16万0300人、7万5800人、59万4900人と算出される。

一方時代区分の判明している旧石器時代の遺跡は、縄文早期の遺跡2530箇所に対し、細石器期の遺跡は125箇所、ナイフ型石器期の遺跡数は317箇所、古先土器の遺跡は28箇所である。ナイフ型石器期の旧石器時代は縄文時代早期の10倍の長さ継続していることから、小川修三(1989年)はナイフ型石器期の旧石器時代の人口を2600人(2000~3000人)と推定した。[16]

奈良時代~平安時代初期

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鬼頭宏の725年の推定人口は、鎌田元一(1984年)に依拠している[17]。即ち1郷当たり推定良民人口1052人に『和名類聚抄』記載の郷数(4041)を乗じた値を政府掌握人口(425万1100人)とし、賎民人口(良民人口の4.4%、18万7050人)と岸俊男による平城京の推定人口(7万4000人)[18]を加算し、451万2200人と算出している。なおこの計算方法は横山由清(1879年)によって提唱されたものだが[注 2]、澤田吾一(1927年)は『和名類聚抄』記載の郷数(4041)を疑い、『宋史日本伝』記載の3772郷414駅に着目し、1駅を半郷相当、1郷当たり推定人口を1399人、平城京の推定人口を20万人として奈良時代の推定人口577万人を算出している[3]

ファリスの730年の推定人口は澤田吾一と鎌田元一(1984年)の同様の手法に依拠している。『律書残篇』記載の郷数(4012)に1郷当たり推定人口1250~1400人を乗じ、都市人口15万人(平城京、難波大宰府の合計)、計外人口10万人として580万~640万人を算出している。

鬼頭宏の800年の推定人口は、澤田吾一に依拠している[3]。澤田吾一は『弘仁式』[19]、『延喜式』[20]の出挙稲数に、陸奥の弘仁の課丁数(3万4790人)との比(27.07人/1000弘仁出挙束、または21.98人/1000延喜出挙束)を乗じて各旧国の課丁数を推計し、戸籍・計帳断簡より求めた8世紀後半の課丁数人口比(課丁数18.7人/人口100人)を推定した。また畿内の内、山城大和河内摂津については課丁の率を半分と仮定し(課丁数18.7人/人口200人)、対馬多禰志摩、平城京の推定人口7000人、3700人、6500人、20万人を加えることで総人口559万9200人(弘仁式)、または557万3100人(延喜式)を算出し、両者の平均である560万人を奈良時代の推定良民人口と考えた。さらに賤民や遺漏人口を100万人と見積もり、奈良時代の全人口を約600万~700万人と推定した。

1979年から1982年にかけて発掘された茨城県石岡市鹿の子C遺跡より出土した延暦4年(795年)の常陸国官戸人口(19万1660人、これに神封戸の推定人口3万2千~5万3千人を加えた22万4千~24万4千人が常陸国の推定総戸籍人口)を記した漆紙文書により、鎌田元一は澤田吾一の推定人口は平安初期のものとみなすべきだと指摘し[17]、鬼頭宏の推定人口でも澤田吾一の推定人口が800年のものとして扱われている。ただし平安京の人口を井上満郎による推定人口12万人とすることで[21]、弘仁・延喜式の平均推定人口550万6200人を算出している。

平安時代

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鬼頭宏の900年の推定人口は、『和名類聚抄』記載の田積数(但し尾張、志摩、日向については田積数を修正し、全国で約87万1916町とする)[22]について1人当たり配給面積を1.6反(0.16町)、6歳未満人口を6歳以上人口の16%、平安京の推定人口を12万人として算出している。

ファリスの950年の推定人口は、鬼頭宏(1996年)の手法を修正したものである。すなわち『和名類聚抄』記載の田積数[22]を10世紀中頃のものと考え、1人当たり配給面積を2.17反、6歳未満人口を6歳以上人口の16%、都市人口を15万人(平安京10万人)として推定人口480万人が計算される。また実際の耕作地は記載値の75%に過ぎず、田積から求まる人口の約0.4倍が他の農業・狩猟により養われていたと仮定すると、推定人口560万人が計算され、これをファリスの上限推定人口とする。一方ファリスの下限推定人口は横山由清(1879年)[2]による天暦・長保年間(947年~1003年)の推定人口に依拠する。

鬼頭宏の1150年の推定人口は、『拾芥抄』記載の田積数(92万6466町2段)[22]について1人当たり配給面積を1.6反、6歳未満人口を6歳以上人口の16%、平安京の推定人口を12万人として算出している。

ファリスの1150年の下限推定人口は、鬼頭宏(1996年)の手法を修正したものである。すなわち『拾芥抄』に記載されていない田畑を含めた推定全田積数(95万6558町)について、1人当たり配給面積を1.975反、6歳未満人口を6歳以上人口の16%、都市人口を20万人(平安京10万人)として推定人口580万人(550万~610万人)が計算される。一方Farrisの上限推定人口は、実際の耕作地は記載値の75%に過ぎず、田積から求まる人口の約0.4倍が他の農業・狩猟により養われていたと仮定することで610万人(590万~630万人)と算出している。

鎌倉時代~室町時代

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ファリスの1280年の推定人口は、『大田文』記載の九州6国(豊前肥前豊後、日向、大隅薩摩)、西日本5国(若狭丹後但馬石見淡路)、能登、常陸の田積数と『拾芥抄』記載の旧国別田積数の比較による。すなわち1人当たり配給面積を1.81反、6歳未満人口を6歳以上人口の16%、都市人口を20万人(平安京10万人、鎌倉6万人)、田積から求まる人口の約0.4倍が他の農業・狩猟により養われていたと仮定することで、1280年の推定人口を1150年の上限推定人口(590万~630万人)よりやや減少した570万~620万人と算出している。

ファリスの1450年の下限推定人口は、兵隊人口の比較による。満済の『満済准后日記』の記述によると、山名宗全畠山義深などの守護大名軍は平均して325騎、徒歩兵2500人の軍隊を有しており、足利将軍家が10大名に相当する軍隊を有し、守護大名の総数を37~60人とすると日本全土で兵の総数は13万2775~19万7750人と算出される。律令時代の兵隊人口比(56人で兵隊1人)より地方推定人口は920万人(740万~1100万人)となり、都市人口率を4%(40万人)と仮定することで960万人が算出される。一方ファリスの上限推定人口1050万人は、長期に渡る一定の人口増加率(0.4%/年)の維持を仮定する斎藤修の未公表の研究(2000年)の引用による。[23]

安土桃山時代~江戸時代前期

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吉田東伍は1人1石という仮定に基づいて1598年の慶長石高から1600年の推定人口を1850万人と見積もった[24]。これに対し速水融(1966年)は元和2年(1622年)の小倉藩の人畜改帳を元に1石0.28~0.44人と石/人比を訂正し、1600年の推定人口を622万~980万人と推定した。[25]

後に速水融(1973年)は太閤検地石高による推定人口を破棄し、江戸時代中期以降の幕府掌握人口から逆算して1600年の推定人口を求めた。即ち諏訪郡の人別改帳の研究などから150年で人口が3倍になる成長パターンを導き、1600年の推定人口を1230万人へ改訂した。[26]鬼頭宏の1600年から1750年までの推定人口は、速水融の学説をまとめたもので、江戸時代前半の人口成長パターンが150年間で3倍になるロジスティック関数によると仮定し(50年後に1.41倍、100年後に2.67倍、150年後に3倍)、寛延3年(1750年)の推定人口(江戸幕府調査人口に20%上乗せしたもの)から遡って計算している。その際全国を先進国(山城、大和、摂津、河内、和泉)、中進国(尾張、美濃伊賀伊勢近江丹波播磨)、後進国(その他)に分類し、人口成長の開始期をそれぞれ1500年、1550年、1600年と仮定する。[4]

但し最近になって鬼頭宏(2000年)は速水融推計を過小とし、17世紀の人口増加率を0.58~0.65%/年に下方修正して1600年の推定人口を1432万~1547万人と上方修正している。また斎藤修(2000年)は1450~1600年以前の人口増加率を0.3%/年、1600~1721年の人口増加率を0.51%と仮定して、1600年の推定人口を1700万人と算出した。[23]ファリスの1600年の推定人口(1500万~1700万人)は、鬼頭宏(2000年)と斎藤修(2000年)の研究の折衷である。また藤野正三郎(2008年)は17世紀前半の大藩の人口増加率(0.4%)から1600年の推定人口を1940万人、1650年の人口を2365万人、1700年の人口を1700万人と算出した。[27]

地域別推定人口

[編集]

小山修三(1978年,1984年)によって推定された縄文・弥生時代の地域別推定人口を、その推定の元となる遺跡数とともに以下の表にまとめる。

縄文・弥生時代の日本の地域別遺跡数と推定人口(小山修三, 1978,1984年)[14][注 3]
地域 縄文早期
(8100年前)
縄文前期
(5200年前)
縄文中期
(4300年前)
縄文後期
(3300年前)
縄文晩期
(2900年前)
弥生時代
(1800年前)
遺跡数 推定人口 遺跡数 推定人口 遺跡数 推定人口 遺跡数 推定人口 遺跡数 推定人口 遺跡数 推定人口
東北[注 3] 249 2,000 801 19,200 1,945 46,700 1,824 43,800 1,645 39,500 597 33,400
関東[注 3] 1,213 9,700 1,782 42,800 3,977 95,400 2,148 51,600 321 7,700 1,768 99,000
北陸[注 3] 52 400 175 4,200 1,026 24,600 654 15,700 214 5,140 370 20,700
中部[注 3] 377 3,000 1,055 25,300 2,995 71,900 918 22,000 250 6,000 1,503 84,200
東海[注 3] 278 2,200 209 5,000 550 13,200 317 7,600 275 6,600 987 55,300
近畿[注 3] 35 300 72 1,700 118 2,800 183 4,400 88 2,100 1,934 108,300
中国[注 3] 53 400 54 1,300 51 1,200 98 2,400 84 2,000 1,050 58,800
四国[注 3] 30 200 18 400 10 200 111 2,700 21 500 538 30,100
九州[注 3] 243 1,900 233 5,600 221 5,300 419 10,100 261 6,300 1,877 105,100
全国合計
(北海道沖縄を除く)
2,530 20,100 4,399 105,500 10,893 261,300 6,672 160,300 3,159 75,800 10,624 594,900

澤田吾一(1927年)と鬼頭宏(1996年)によって推定された古代・中世の旧国別人口を、その推定の元となる出挙稲数、郷数、田積数、石高などとともに以下の表にまとめる。澤田吾一の奈良時代の推定良民人口に関しては、『弘仁式』、『延喜式』双方の出挙稲数から推定された良民人口を掲載するが、『弘仁式』出挙稲数が欠落しているものに関しては『延喜式』の出挙稲数から推定された良民人口をイタリックで示す。この他、表に記載の出挙稲数、郷数、田積数のみから直接算出したものではない推定人口についてもイタリックで示す。本表では人口推定に慶長3年(1598年)の検地石高を用いていないが、参考までに記載する。鬼頭宏による1600年の推定人口の根拠となる寛延3年(1750年)の幕府の調査人口については本項の江戸時代の全国国別人口表を参照。旧国名は江戸時代以前の一般的な五畿七道の順に従い並べてあるが、各年次をクリックすることにより、人口順に並べ替えることができる。

古代・中世の全国国別推定人口 (澤田吾一, 1927年; 鬼頭宏, 1996年)[3][6]
旧国 『弘仁式』
出挙稲数
(束)
『延喜式』
出挙稲数
(束)
『和名抄』
郷数
『和名抄』
田積数
(町・歩)
『拾芥抄』
田積数
(町)
慶長3年
石高
(石)
725年
推定人口
(鬼頭宏)
奈良時代
推定良民人口
(弘仁式)
(澤田吾一)
奈良時代
推定良民人口
(延喜式)
(澤田吾一)
800年
推定人口
(鬼頭宏)
900年
推定人口
(鬼頭宏)
1150年
推定人口
(鬼頭宏)
1600年
推定人口
(鬼頭宏)
畿内 n.a. 2,087,126 349 55,300.90085 52,383.7 1,413,895.10 457,300 463,600 463,600 583,600 520,900 499,800 2,284,600
   山城 n.a. 424,070 78 8,961.70290 8,961.0 225,262.00 85,700 99,600 99,600 219,600 185,000 185,000 558,000
   大和 n.a. 554,600 89 17,905.90180 17,005.7 448,945.50 171,700 330,300 330,300 130,300 129,800 123,300 399,400
   河内 n.a. 400,954 80 11,338.40160 10,977.0 242,105.80 87,900 94,200 94,200 94,200 82,200 79,600 247,000
   和泉 n.a. 227,500 24 4,569.60357 4,126.0 141,512.70 26,400 26,700 26,700 26,700 33,100 29,900 222,100
   摂津 n.a. 480,000 78 12,525.00178 11,314.0 356,069.10 85,700 112,800 112,800 112,800 90,800 82,000 858,100
東海道 n.a. 10,640,176 1,009 213,501.20237 247,693.0 4,458,650.45 1,108,200 1,256,400 1,256,400 1,256,400 1,592,200 1,795,800 2,832,200
   伊賀 n.a. 317,000 18 4,051.10041 4,055.0 100,000.00 19,800 37,300 37,300 37,300 29,400 29,400 51,600
   伊勢 n.a. 926,000 94 18,130.60245 19,024.0 567,105.14 103,200 108,800 108,800 108,800 131,400 137,900 295,000
   志摩 n.a. 1,700 14 124.00094 4,917.0 17,854.91 154,000 6,500 6,500 6,500 8,100 35,600 13,600
   尾張 n.a. 472,000 69 6,820.70310 11,930.0 571,737.40 75,800 55,400 55,400 55,400 86,600 86,500 312,000
   三河 n.a. 477,000 69 6,820.70310 7,054.0 290,715.00 75,800 56,000 56,000 56,000 49,500 51,100 167,700
   遠江 n.a. 772,260 96 13,611.30035 12,967.0 255,160.00 105,400 90,800 90,800 90,800 98,700 94,000 133,500
   駿河 n.a. 642,534 59 9,063.20165 9,797.0 150,000.00 64,800 75,500 75,500 75,500 65,700 71,000 125,500
   甲斐 n.a. 584,800 31 12,249.90258 10,043.0 227,616.00 34,000 68,700 68,700 68,700 88,800 72,800 124,500
   伊豆 n.a. 179,000 21 2,110.40112 2,814.0 69,832.00 23,100 21,000 21,000 21,000 15,300 20,400 42,000
   相模 n.a. 868,120 67 11,236.10091 11,486.0 194,304.00 73,600 102,000 102,000 102,000 81,500 83,300 124,300
   武蔵 n.a. 1,113,754 119 35,574.70096 51,540.0 667,126.00 130,700 130,900 130,900 130,900 257,900 373,700 708,500
   安房 n.a. 342,000 32 4,335.80059 4,362.0 45,045.00 35,100 40,200 40,200 40,200 31,400 31,600 63,400
   上総 n.a. 1,071,000 76 22,846.90235 22,666.0 378,892.00 83,500 125,800 125,800 125,800 165,600 164,300 181,400
   下総 n.a. 1,027,000 91 26,432.60234 33,000.0 393,255.00 99,900 120,600 120,600 120,600 191,600 239,300 227,000
   常陸 n.a. 1,846,000 153 40,092.60112 42,038.0 530,008.00 168,000 216,900 216,900 216,900 290,700 304,800 262,200
東山道 5,248,532 7,305,418 735 224,392.50331 223,248.5 4,623,098.80 807,200 888,400 858,400 873,400 1,626,800 1,618,500 2,460,700
   近江 90,676 1,207,376 93 33,402.50184 33,450.0 775,379.00 102,100 141,900 141,900 141,900 242,200 242,500 324,400
   美濃 877,000 880,000 131 14,823.10065 15,304.0 540,000.00 143,900 126,900 103,400 115,200 107,500 111,000 300,600
   飛騨 105,000 106,000 13 6,615.70004 4,356.0 38,000.00 14,300 15,200 12,500 13,900 48,000 31,600 28,900
   信濃 680,000 895,000 67 30,908.80140 30,520.0 408,358.00 73,600 98,400 105,100 101,800 224,100 221,300 274,700
   上野 1,140,000 886,935 102 30,937.00144 28,453.0 496,377.00 112,000 165,000 104,200 134,600 224,300 206,300 230,400
   下野 670,000 874,000 70 30,155.80004 27,460.0 374,083.80 76,900 97,000 102,700 99,900 218,600 199,100 221,700
   陸奥 1,285,200 1,582,715 188 51,440.30099 45,077.0 1,672,806.00 206,500 186,000 186,000 186,000 372,900 326,800 734,400
   出羽 400,656 873,392 71 26,109.20051 38,628.5 318,095.00 78,000 58,000 102,600 80,300 189,300 280,100 338,500
   蝦夷松前 n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. 0 n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. 7,100
北陸道 2,978,450 4,186,388 230 73,983.50135 97,737.0 1,938,079.28 252,600 431,000 491,800 461,400 536,400 708,600 864,200
   若狭 200,000 241,000 21 3,077.40048 3,139.0 85,000.00 23,100 28,900 28,300 28,600 22,300 22,800 31,200
   越前 1,095,000 1,028,000 55 12,066.00000 23,576.0 499,411.00 60,400 158,400 120,800 107,900 87,500 170,900 139,200
   加賀[注 4] 686,000 30 13,766.70334 12,536.0 355,570.00 32,900 80,600 72,000 99,800 90,900 81,000
   能登 430,000 386,000 26 8,205.80236 8,479.0 210,000.00 28,600 62,200 45,300 53,800 59,500 61,500 63,100
   越中 455,000 840,433 42 17,909.50030 21,399.0 380,298.28 46,100 65,900 98,700 82,300 129,800 155,100 125,400
   越後 668,450 833,455 34 14,997.50207 23,738.0 390,770.00 37,300 96,800 97,900 97,400 108,700 172,100 388,100
   佐渡 130,000 171,500 22 3,960.40000 4,870.0 17,030.00 24,200 18,800 20,200 19,500 28,700 35,300 36,200
山陰道 3,973,585 4,357,678 387 53,960.40307 56,457.0 981,753.00 425,000 575,100 512,100 543,600 391,200 409,300 567,900
   丹波 668,585 664,000 68 10,666.00262 10,855.0 263,887.00 74,700 96,800 78,000 87,400 77,300 78,700 155,800
   丹後 340,000 431,800 35 4,756.00155 5,537.0 110,784.00 38,400 49,200 50,700 50,000 34,500 40,100 53,800
   但馬 720,000 740,000 59 7,555.80005 7,743.0 114,235.00 64,800 104,200 87,000 95,600 54,800 56,100 62,600
   因幡 730,000 710,878 50 7,914.80208 8,016.0 88,500.00 54,900 105,600 83,600 94,600 57,400 58,100 50,000
   伯耆 540,000 655,000 48 8,161.60088 8,842.0 100,947.00 52,700 78,200 77,000 77,600 59,200 64,100 56,300
   出雲 570,000 695,000 78 9,435.80285 9,968.0 186,650.00 85,700 82,500 81,700 82,100 68,400 72,300 94,000
   石見 340,000 391,000 37 4,884.90042 4,872.0 111,770.00 40,600 49,200 45,900 47,600 35,400 35,300 87,800
   隠岐 65,000 70,000 12 585.20342 624.0 4,980.00 13,200 9,400 8,200 8,800 4,200 4,500 7,600
山陽道 4,723,300 5,869,640 498 84,946.10089 86,149.0 1,624,023.70 546,900 683,600 689,600 686,600 615,800 624,600 1,126,200
   播磨 1,000,000 1,248,000 98 21,414.30036 21,236.0 358,534.00 107,600 144,700 146,600 145,700 155,300 154,000 311,000
   美作 740,000 764,000 64 11,021.30256 11,616.0 186,018.70 70,300 107,100 89,800 98,500 79,900 84,200 70,100
   備前 803,300 956,640 51 13,185.70032 13,206.0 223,762.00 56,000 116,300 112,400 114,400 95,600 95,700 129,200
   備中 640,000 743,000 72 10,227.80252 10,883.0 176,929.00 79,100 92,600 87,300 90,000 74,200 78,900 127,800
   備後 500,000 625,000 65 9,301.20046 9,298.0 186,150.00 71,400 72,400 73,400 72,900 67,400 67,400 122,700
   安芸 410,000 612,000 63 7,357.80047 7,484.0 194,150.00 69,200 59,300 71,900 65,600 53,300 54,300 158,800
   周防 360,000 560,000 45 7,834.30269 7,657.0 167,820.00 49,400 52,100 65,800 59,000 56,800 55,500 115,800
   長門 270,000 361,000 40 4,603.40231 4,769.0 130,660.00 43,900 39,100 42,400 40,800 33,400 34,600 90,800
南海道 2,879,000 3,327,304 324 51,863.90235 54,175.0 1,079,754.00 355,800 416,600 390,800 403,700 376,000 392,800 871,100
   紀伊 380,000 470,816 56 7,198.50100 7,119.0 243,550.00 61,500 55,000 55,300 55,200 52,200 51,600 203,300
   淡路 85,000 126,800 17 2,650.90160 2,870.0 62,104.00 18,700 12,300 14,900 13,600 19,200 20,800 42,800
   阿波 514,000 506,500 46 3,414.50055 5,245.0 183,500.00 50,500 74,400 59,500 67,000 24,800 38,000 134,800
   讃岐 750,000 884,500 90 18,647.50266 17,943.0 126,200.00 98,800 108,500 103,900 106,200 135,200 130,100 142,900
   伊予 740,000 810,000 72 13,501.40006 14,825.0 366,200.00 79,100 107,100 95,100 101,100 97,900 107,500 200,000
   土佐 410,000 528,688 43 6,451.00008 6,173.0 98,200.00 47,200 59,300 62,100 60,700 46,800 44,800 147,300
西海道 4,621,000 5,990,581 509 104,848.00000 108,623.0 2,389,789.41 559,000 684,500 710,400 697,500 781,900 787,500 1,266,100
   筑前 550,000 790,063 102 18,500.00000 19,765.0 335,695.00 112,000 85,400 92,900 89,200 134,100 143,300 122,800
   筑後 520,000 623,581 54 12,800.00000 11,377.0 265,998.00 59,300 75,300 73,300 74,300 92,800 82,500 104,400
   豊前 520,000 609,828 44 13,200.00000 13,221.0 140,000.00 47,200 75,300 71,600 73,500 95,700 95,900 97,100
   豊後 570,000 743,842 99 7,500.00000 7,570.0 418,313.00 51,600 82,500 87,400 85,000 54,400 54,900 204,800
   肥前 590,000 692,589 43 13,900.00000 13,462.0 309,935.00 48,300 85,400 81,400 83,400 100,800 97,600 253,200
   肥後 1,230,000 1,579,117 47 23,500.00000 23,462.0 341,220.00 108,700 178,000 185,500 181,800 170,400 170,100 248,100
   日向 330,000 373,101 28 4,800.00000 8,298.0 120,088.44 30,800 47,700 43,800 45,800 56,600 60,200 90,200
   大隅 120,000 242,040 37 4,800.00000 4,707.0 175,057.23 40,600 17,400 28,400 24,800 34,800 34,100 52,600
   薩摩 120,000 242,500 35 4,800.00000 5,521.0 283,482.74 38,400 17,400 28,500 23,000 34,800 40,000 77,700
   壱岐 65,000 90,000 11 620.00000 620.0 0.00 12,100 9,400 10,600 10,000 4,500 4,500 9,300
   対馬 3,920 3,920 9 428.00000 620.0 0.00 9,900 7,000 7,000 7,000 3,100 4,500 5,900
   多禰[注 4] 2,080 3,700
全国合計
(琉球を除く)
24,423,867 43,764,311 4,041 862,796.80339 926,466.2 18,509,043.74 4,512,200 5,599,200 5,573,100 5,506,200 6,441,400 6,836,900 12,273,000

鬼頭宏(1996年)による1600年以前の国別推定人口を地域別にまとめると以下の通りである[6]

1600年以前の地域別推定人口 (鬼頭宏, 1996年)[6][注 5]
地域 紀元前
6100年
紀元前
3200年
紀元前
2300年
紀元前
1300年
紀元前
900年
200年 725年 800年 900年 1150年 1600年
北海道(蝦夷) n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. n.a. 7,100
東奥羽(陸奥) 1,700 14,300 32,400 36,100 27,500 28,700 206,500 186,000 372,900 326,800 734,400
西奥羽(出羽) 300 4,900 14,300 7,700 12,000 4,700 78,000 80,300 189,300 280,100 338,500
北関東[注 5] 2,500 12,600 23,900 16,800 3,900 39,300 356,900 451,400 733,600 710,100 714,300
南関東[注 5] 7,200 30,200 71,500 34,800 3,800 59,700 422,800 519,500 728,100 892,100 1,304,600
北陸[注 5] 400 4,200 24,600 15,700 5,100 20,700 252,600 461,400 536,400 708,600 864,200
東山[注 5] 3,100 25,500 72,300 22,200 6,200 85,100 121,900 184,300 360,900 325,700 428,100
東海[注 5] 2,100 4,800 12,800 7,400 6,400 54,400 488,700 413,900 423,200 434,000 1,081,300
畿内[注 5] 100 400 400 1,100 800 30,200 457,300 583,600 520,900 499,800 2,284,600
畿内周辺[注 5] 200 1,300 2,300 3,100 1,200 70,300 503,000 596,300 715,100 750,600 1,397,500
山陰[注 5] 100 500 500 900 1,100 17,700 350,400 456,200 313,900 330,600 412,100
山陽[注 5] 300 900 700 1,700 1,000 48,900 439,300 541,000 460,600 470,600 815,200
四国[注 5] 200 400 200 2,700 500 30,100 275,700 335,000 304,600 320,300 625,000
北九州[注 5] 800 1,400 1,400 2,400 3,000 40,500 340,500 422,300 485,400 483,100 797,500
南九州[注 5] 1,100 4,200 3,900 7,700 3,300 64,600 218,600 275,200 296,500 304,400 468,600
全国合計
(蝦夷・琉球を除く)
20,100 105,500 261,300 160,300 75,800 594,900 4,512,200 5,506,200 6,441,400 6,836,900 12,265,900

平均寿命

[編集]

正倉院文書として残る飛鳥時代の古代籍帳に対して生命表の西モデルを適用することで、ファリス(1985年)は大宝2年(702年)の出生時平均余命(平均寿命)を28年~33年と推定している。[28]

大宝二年籍による702年の諸動態統計の推計 (Farris, 1985年)[28]
地域 人数 性別 出生率, ‰ 死亡率, ‰ 出生時
平均余命, 年
乳幼児(5歳未満)
死亡率, ‰
満5歳時
平均余命, 年
美濃国 (味蜂間郡春部里,
   本簀郡栗栖太里, 肩縣郡肩々里,
   各牟郡中里, 山方郡三井田里,
   加毛郡半布里, 未詳3戸)
2,127 男女 51 40 27.8 534 36.6
美濃国加毛郡半布里 543 女子 50 36 28.8 555 35.6
537 男子 57 35 32.5 617 33.9
北部九州 (筑前国嶋郡川辺里,
   豊前国上三毛郡塔里,
   豊前国上三毛郡加自久也里,
   豊前国仲津郡丁里, 豊後国未詳1戸)
321 男子 54 37 30.5 592 35.0
361 女子 n.a. n.a. n.a. n.a. n.a.

ファリスは奈良時代の養老5年(721年)の下総国の諸戸籍、神亀3年(726年)と天平4年(732年)の山城国の計帳に対しても同様の生命表モデル計算を実施したが、有意の数字が得られていない。また平安時代以降は脱税目的のための男女比異常が見られるなど(例えば延喜8年(908年)の周防国玖珂郡玖珂郷の戸籍断簡によると、戸主秦人広本の家族構成は男8人女39人)、戸籍の内容の信頼性が落ちていく。[28]

このように16世紀以前の戸籍はほとんど史料が残っていないが、各地から出土した人骨の古人類学に基づく推定死亡年齢から平均余命を出す研究もなされている。例えば小林和正は、日本各地から出土した満15歳以上の人骨(推定満15歳未満の人骨は誤差が多いので除去)の平均死亡年齢を以下のように推定している。[29]

日本各所の墓地から出土した
満15歳以上人骨平均死亡年齢 (小林和正, 1967年)[29]
時代 満15歳以上人骨
平均死亡年齢, 歳
個体数
男子 女子 男子 女子
縄文時代 31.1 31.3 133 102
弥生時代 30.0 29.2 8 3
古墳時代 30.6 34.5 21 5
室町時代 (頭骨のみ) 33.1 32.8 23 26
室町時代 (人骨) 35.8 36.7 12 9

但し骨年齢推定法の改訂により、縄文時代の15歳時平均余命を男女平均16.2年から31.5年へ大幅に上方修正する長岡朋人らの研究もあり、正確な平均余命の推定は困難である[30]

小林和正の研究による人骨の平均死亡年齢分布に対してワイスのモデル生命表を15歳未満に適応することにより、菱沼従尹は縄文時代、室町時代の出生時平均余命(平均寿命)を推定している。[31]他の研究者による推定平均寿命を含め、以下列挙する。

縄文時代~中世日本の出生時, 各歳時平均余命の推計[32]
時代 出土場所 出生時
平均余命, 年
満1歳時
平均余命, 年
満5歳時
平均余命, 年
満6歳時
平均余命, 年
満10歳時
平均余命, 年
満12歳時
平均余命, 年
満15歳時
平均余命, 年
満20歳時
平均余命, 年
個体数 出典
男子 女子 男子 女子 男子 女子 男子 女子 男子 女子 男子 女子 男子 女子 男子 女子
縄文時代 日本各地 14.6 14.6 21.9 22.0 20.5 20.7 16.1 16.3 12.6 13.1 235 菱沼従尹 (1978年)[31]
弥生時代 北部九州 (金隈, 藤崎,
   門田, 西平塚, 永岡,
   栗山, 道場山, 原,
   諸岡, 横隈狐塚, 隈)
23.1 22.6 32.0 31.8 33.4 31.8 29.1 27.4 23.3 21.9 684 中橋孝博, 永井昌文 (1989年)[33]
金隈 18.3 27.9 31.0 27.4 22.8 131
横隈狐塚 28.3 36.3 36.6 31.9 25.7 115
鎌倉時代 由比ヶ浜 24.0 15.6 18.0 12.7 14.6 260 長岡朋人, 平田和明,
大平里沙, 松浦秀治 (2006年)[32]
鎌倉・室町時代 吉母浜 20.6 107 中橋孝博, 永井昌文 (1989年)[33]
室町時代
   (太田道灌治世)
東京駅前広場 15.2 23.1 22.2 17.7 15.9 70 菱沼従尹 (1978年)[31]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 男女の人口の合計が総人口と合わない場合があるが、原文儘を優先した。
  2. ^ a b c 弘仁14年(823年)旧暦2月21日の太政官奏によると、大宰府管内口分田積は6万5677町とある。これに1町の口分田を支給されている戸口の平均人数7.5人と『和名類聚抄』記載の郷数比を乗じることで、西暦823年の全国人口を推定しているが、後述するように『和名類聚抄』記載の全国郷数は4041, 西海道の郷数は509であり、横山由清は計算間違いをしている。
  3. ^ a b c d e f g h i j 地域区分は以下の通り。
  4. ^ a b 『弘仁式』が編纂された頃は、加賀国は越前国の一部であり、多禰国は大隅国から分離していた。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m 地域区分は以下の通り。
    • 北海道: 蝦夷。
    • 東奥羽: 陸奥。
    • 西奥羽: 出羽。
    • 北関東: 上野、下野、常陸の合計。
    • 南関東: 武蔵、相模、上総、下総、安房の合計。
    • 北陸: 佐渡、越後、越中、能登、加賀、越前、若狭の合計。
    • 東山: 甲斐、信濃、飛騨の合計。
    • 東海: 伊豆、駿河、遠江、三河、尾張、美濃の合計。
    • 畿内: 山城、大和、河内、和泉、摂津の合計。
    • 畿内周辺: 近江、伊賀、伊勢、志摩、紀伊、淡路、播磨、丹波の合計。
    • 山陰: 丹後、但馬、因幡、伯耆、隠岐、出雲、石見の合計。
    • 山陽: 美作、備前、備中、備後、安芸、周防、長門の合計。
    • 四国: 阿波、讃岐、伊予、土佐の合計。
    • 北九州: 筑前、筑後、肥前、壱岐、対馬、豊前、豊後の合計。
    • 南九州: 肥後、日向、大隅、薩摩の合計。

出典

[編集]
  1. ^ 岸俊男, 『日本古代籍帳の研究』, 塙書房, 1973.
  2. ^ a b c d 横山由清, 『本朝古来戸口考』, 1879.
  3. ^ a b c d e 澤田吾一, 『奈良朝時代民政経済の数的研究』, 冨山房, 1927.
  4. ^ a b 社会工学研究所編, 『日本列島における人口分布の長期時系列的分析:時系列推計と要因分析』, 社会工学研究所, 1974.
  5. ^ Colin McEvedy and Richard Jones, "Atlas of World Population History," Facts on File, New York, 1978.
  6. ^ a b c d (a) 鬼頭宏, 「明治以前日本の地域人口」『上智経済論集』41巻 (1-2号), pp. 65–79 (1996). (b) 鬼頭宏, 『人口から読む日本の歴史』, 講談社, 2000.
  7. ^ (a) Jean-Noël Biraben, "Le Point sur l'Histoire de la Population du Japon," Population Vol. 48 (no. 2), pp. 443-472 (1993). (b) Jean-Noël Biraben, "The History of the Human Population From the First Beginnings to the Present" in "Demography: Analysis and Synthesis: A Treatise in Population" (Eds: Graziella Caselli, Jacques Vallin, Guillaume J. Wunsch) Vol 3, Chapter 66, pp 5–18, Academic Press, San Diego, 2005.
  8. ^ (a) William Wayne Farris, "Japan's Medieval Population: Famine, Fertility, and Warfare in a Transformative Age," University of Hawaii's Press, Honolulu, 2006.(b) William Wayne Farris, "Daily life and demographics in ancient Japan", Michigan monograph series in Japanese studies no. 63, Center for Japanese Studies, University of Michigan, Ann Arbor, 2009.
  9. ^ Kees Klein Goldewijk, "HYDE: History Database of the Global Environment 3.3", Utrecht University , 2023.
  10. ^ A. Hayami, "Population trends in Tokugawa Japan: 1600-1868", IIS, 46e Session, Tokyo, 1987, p. 17.
  11. ^ Francine Hérail, "Histoire du Japon", Horvath, Le Coteau, 1990.
  12. ^ (a) Irene B. Taeuber, "The population of Japan", Princeton, NJ: Princeton University Press, 1958. (b) アイリーン・B・トイバー, 毎日新聞社人口問題調査会訳, 『日本の人口』, 毎日新聞社人口問題調査会, 1964
  13. ^ Ryoichi Ishii (石井了一), "Population Pressure and Economic Life in Japan", P. S. King & Son, 1937.
  14. ^ a b (a) Shuzo Koyama, "Jomon Subsistence and Population", Senri Ethnological Studies no. 2, 1–65 (1978). (b) 小山修三, 『縄文時代』, 中央公論社, 1983. なお『縄文時代』では遺跡数に乗じる係数を、弥生時代57人、縄文時代中期以降24人、縄文時代早期8.5人と紹介しているが、実際の数値計算に合わせ、本文のように修正した。
  15. ^ 文化財保護委員会, 『全国遺跡地図: 史跡・名勝・天然記念物および埋蔵文化財包蔵地所在地地図』, 文化財保護委員会, 1965.
  16. ^ 小川修三, 「日本旧石器時代の食糧と人口」, 『民博通信』, 45号, pp.19–30 (1989).
  17. ^ a b 鎌田元一, 「日本古代の人口について」『木簡研究』, 第7号 (1984).
  18. ^ 岸俊男, 『古代宮都の探求』, 校倉書房, 1984.
  19. ^ 九条家本『延喜式』の紙背文書として残った『弘仁式』巻25(主税上)による。畿内・東海道諸国に関しては出挙稲数が、近江国に関しては主税・公廨が欠落しているため、澤田吾一は人口推定に用いていない。また筑前国に関しては国分寺料が不明であり、4万束と仮定して人口推定に用いている。
  20. ^ 『延喜式』巻26(主税上)による。なお写本によって出挙稲数が異なり、九条家本における出挙稲数の合計は、伊勢国72万6000束、出羽国97万3392束、播磨国122万1000束、安芸国63万2000束である。なお本表では束より下の桁(把、分)を省略するため、表の値を合算しても合計値より少なくなる場合がある。
  21. ^ 井上満郎, 『古代の三都を歩く 平安京の風景』, 文英堂, 1994.
  22. ^ a b c 彌永貞三, 「『拾芥抄』及び『海東諸国紀』にあらわれた諸国の田積史料に関する覚え書   ―中村栄考「海東諸国紀の撰修と印刷」の脚注として―」, 『日本古代社会経済史研究』, 岩波書店, pp. 351–387 (1980). なお鬼頭宏は尾張国の田積として『掌和歴』記載の1万1940町を採用し、志摩国と日向国の田積にはそれぞれ1000町、3000町を加算する操作を加えている。 また『拾芥抄』記載の田積の内、美濃国4万5304町は『色葉字類抄』により1万5304町に、信濃国4656石は前田本校訂により3万0520石に改訂するが、出羽国3万8628町5段については前田本校訂5万6088町に改訂しない。
  23. ^ a b ファリス(2006年)によると、(2000年)は日本の人口を1000年に600万人、1250年に650万人、1450年に1050万人、1600年に1700万人と推定している。
  24. ^ 吉田東伍, 『維新史八講』, 冨山房, 1910.
  25. ^ (a) 速水融, 「小倉藩人畜改帳の分析と徳川初期全国人口推計の試み」『三田學會雑誌』59巻 (3号), pp. 221–256 (1966). (b) 速水融, 『日本経済史への視角』, 東洋経済新報社, 1968.
  26. ^ (a) 速水融, 「近世信州諏訪地方の人口趨勢」『三田學會雑誌』61巻 (2号), pp. 111–137 (1968). (b) 速水融, 『近世農村の歴史人口学的研究』, 東洋経済新報社, 1973.
  27. ^ 藤野正三郎, 『日本の経済成長と景気循環』, 勁草書房, 2008.
  28. ^ a b c William Wayne Farris, "Population, Disease, and Land in Early Japan, 645-900,", Harvard-Yenching Institute monograph series no. 24, Harverd University Press, Cambridge, 1985.
  29. ^ a b Kazumasa Kobayashi, "Trend in the length of life based on human skeleton from prehistoric to modern times in Japan," Journal of the Faculty of Science, University of Tokyo Sect. 5, Anthropology (東京大學理學部紀要 第5類, 人類學) Vol. 3 (no. 2), pp. 107–162 (1967).
  30. ^ Tomohito Nagaoka, Junmei Sawada and Kazuaki Hirata, "Did the Jomon people have a short lifespan? Evidence from the adult age-at-death estimation based on the auricular surface of the ilium," Anthropological Science Vol. 116 (no. 2), pp. 161-169, 2008.
  31. ^ a b c 菱沼従尹, 『寿命の限界をさぐる』, 東洋経済新報社, 1978.
  32. ^ a b Tomohito Nagaoka, Kazuaki Hirata, Emi Yokota and Shuji Matsu'ura, "Paleodemography of a Medieval Population in Japan: Analysis of Human Skeletal Remains from the Yuigahama-minami Site," American Journal of Physical Anthropology Vol. 131 (no. 1), pp. 1-14, 2006.
  33. ^ a b (a) 中橋孝博, 永井昌文, 「人骨」 『吉母浜遺跡』, pp. 154–225, 下関市教育委員会, 1985. (b) 中橋孝博, 永井昌文, 「寿命」 『弥生文化の研究 第1巻 弥生人とその環境』 (永井昌文, 那須孝悌, 金関恕, 佐原眞編), pp. 76–95, 雄山閣出版, 1989.

参考文献

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  • 澤田吾一、『奈良朝時代民政経済の数的研究』、冨山房、1927年。
  • 高橋梵仙、『日本人口史之研究』、三友社、1941年。
  • 高橋梵仙、『日本人口史之研究』、日本学術振興会、1955年
  • 関山直太郎、『近世日本人口の研究』、龍吟社、1948年。
  • 関山直太郎、『近世日本の人口構造』、吉川弘文館、1958年。
  • 社会工学研究所編、『日本列島における人口分布の長期時系列的分析:時系列推計と要因分析』、社会工学研究所、1974年。
  • 菱沼従尹、『寿命の限界をさぐる』、東洋経済新報社、1978年。
  • 彌永貞三著、『日本古代社会経済史研究』、岩波書店、1980年。
  • 小山修三、『縄文時代: コンピュータ考古学による復元』、中央公論社、1984年。
  • 速水融監修、『国勢調査以前日本人口統計集成』、原書房、1992年。
  • 鬼頭宏、『人口から読む日本の歴史』、講談社、2000年。
  • 鬼頭宏、『図説 人口で見る日本史―縄文時代から近未来社会まで』、PHP研究所、2007年。
  • 鎌田元一、『律令公民制の研究』、塙書房、2001年。
  • William Wayne Farris, Japan's Medieval Population: Famine, Fertility, and Warfare in a Transformative Age, Honolulu, HI: University of Hawaii's Press, 2006.
  • William Wayne Farris, Daily life and demographics in ancient Japan: Michigan monograph series in Japanese studies no. 63, Center for Japanese Studies, University of Michigan, Ann Arbor, 2009.