下総国葛飾郡大嶋郷戸籍

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下総国葛飾郡大嶋郷戸籍 (しもうさのくにかつしかぐんおおしまごうこせき)は、721年(養老5年)に作成された古代律令制下の戸籍である。江戸時代に穂井田忠友によって成巻された「正倉院古文書正集(しょうそういんこもんじょせいしゅう)」の第二十・二十一巻などに収録されている。奈良東大寺正倉院に残存する古代の戸籍のひとつ。

概要[編集]

本資料によれば大嶋郷は甲和里仲村里嶋俣里からなる郷となっている。律令国家では大化改新以降、著名な690年(持統天皇4年)の庚寅年籍などにおいて、50戸を単位として里別に戸籍を作成してきたが、715年(霊亀元年)に郷里制を施行して、それまでのと称して、郷を約3つの里に区分した。そして従来の里長(郷長)に加えて里正を置いて行政の末端を強化し、班田収受や課役徴収を効率的に行える体制を整えた。この改正は戸の編成についても行われ、郷を構成する戸を郷戸、一郷戸のなかに二、三の小家族集団を地方行政組織の最末端組織の単位として公認し、房戸とした。郷戸数は令の規定によって五十戸を厳守したが、房戸数については定数がなく、郷と里に戸の定数を設けた中国唐の郷里(きょうり)制とは内容を異にしている。しかし郷里制は里を機械的に設定したもので、自然村落を無視した制度であったため、結局、期待したほどの成果を行政上あげることができず、政府は天平十一年(七三九)五月から七月ごろにかけて出した一連の地方政治簡素化政策の一環として廃止を決定し、その年の末から翌年六月ごろまでの間に、里と房戸を廃止して郷の組織だけを残す郷制に切り換えた。この戸籍によると大嶋郷は130房戸、1191人(甲和里は44房戸、454人、仲村里は44房戸、367人、嶋俣里は42房戸、370人)で、1房戸あたりの平均人数は9.1人だった計算になる。

この戸籍中に、姓は「孔王部(あなほべ)」、名は「刀良(とら)」という33歳の男性と、別の世帯に同姓の「佐久良賣(さくらめ)」という34歳の女性の名がある。これらが、映画「男はつらいよ」の主人公とその妹と同じ名ということで話題になった。

比定地としては、

などの説がある。

埼玉説の根拠としては、

  1. 葛飾御厨には、嶋俣(しままた)・今井・東一江(ひがしいちのえ)・・・という地名が登場し、嶋俣(現在は地名喪失)に隣接して今井があった[2]。この嶋俣は柴又とは約7km離れており、この嶋俣が後世柴又になったとは考えられない。この嶋俣は戸籍の嶋俣里とは全く別の地域である。
  2. 下高野村(埼玉県杉戸町)の永福寺龍燈山伝燈記に戸籍の仲村里の里正孔王部堅の伝承がある。
  3. 杉戸町大字杉戸にある杉戸集会所の敷地内には香取神社が鎮座し、孔王部一族の氏神の伝承を持っている。
  4. 『義経記』巻二に「下総国高野の領主は陵兵衛(みささぎのひょうえい)と申し候」と登場する高野村豪族陵兵衛は、孔王部の末裔であって、陵戸を支配管理したと考えられる。

なお、この大嶋郷は平安海進があったとされる同時期に文献から姿を消している。

脚注・出典[編集]

  1. ^ 茂木和平著「埼玉苗字辞典」より
  2. ^ 田数注文の古文書である「櫟木文書」より