1895年の映画
表示
1895年 こちらもご覧下さい |
---|
社会 |
政治 経済 法 労働 教育 交通 |
文化と芸術 |
文学 芸術 音楽 映画 日本公開映画 出版 日本のテレビ ラジオ |
スポーツ |
スポーツ 野球 サッカー 相撲 バレー バスケ 自転車競技 日本競馬 |
科学と技術 |
科学 気象・地象・天象 台風 鉄道 航空 |
地域 |
日本 日本の女性史 |
各年の映画 |
1893 1894 1895 1896 1897 |
日本公開映画 |
1893 1894 1895 1896 1897 |
■ヘルプ |
1895年の映画(1895ねんのえいが)では、1895年(明治28年)の映画分野の動向を展望し、発表されたおもな映画作品や、映画関係者の誕生についてまとめる。
出来事
[編集]→「1895年 § できごと」も参照
- 2月/3月 - イギリスのロバート・W・ポールとバート・エイカーズが、35ミリフィルムを使う映画用カメラのポール=エイカーズ・カメラを開発し、3月29日までにイギリスで最初の本格的な映画となる『Incident at Clovelly Cottage』を撮影した[1][2][3]。3月から6月にかけて2人は『The Oxford and Cambridge University Boat Race』や『ドーヴァーの荒波』などの作品を撮影したが、7月に2人は袂を分かった[2]。
- 2月13日 - フランスのオーギュストとルイのリュミエール兄弟が、撮影・現像・映写の機能を兼ねた映画装置であるシネマトグラフの特許を取得した[4]。シネマトグラフは軽量で手持ちが可能な装置であり、今日までのスクリーンに映写する映画の基本的形式を決定づけた[5]。リュミエール兄弟は1895年中にシネマトグラフを使って『工場の出口』『水をかけられた散水夫』など多数の短編映画を撮影した[6]。
- 3月22日 - リュミエール兄弟によるシネマトグラフの最初の上映会(私的な試写会)が、パリの国立工業奨励協会で行われ、『工場の出口』が上映された[7]。
- 4月21日 - アメリカのウィリアム・K・L・ディクソンとレイサム一家(父親ウッドヴィルと息子のグレイとオトウェイ)が共同開発した映写機のエイドロスコープ(またはパントプティコン)のデモンストレーションが、ニューヨークで行われた[8][9]。レイサム一家は自らのカメラと映写機のために、レイサム・ループと呼ばれる機構を開発した。これはフィルムを巻き取る機構の中にフィルムの弛みを作ることで、断続的に動くフィルムにかかるストレスを軽減するもので、これにより長いフィルムを映写することが可能となり、その後の多くの映写機に採用された[8][9]。
- 5月20日 - ウィリアム・K・L・ディクソンとレイサム一家による最初の一般上映が、ニューヨークのブロードウェイ156番地で行われ、レイサム・ループにより撮影可能となった長尺のボクシング映画『Young Griffo v. Battling Charles Barnett』が上映された[9]。
- 8月10日 - フランスのレオン・ゴーモンが映画会社のゴーモン社を設立した[10]。ゴーモンはジョルジュ・ドゥメニーと提携し、ドゥメニーが開発した動く映像装置フォノスコープを、撮影機のビオグラフ、上映機のビオスコープとして販売した[10][11]。
- 8月26日 - フランスのアンリ・ジョリが、キネトスコープの模造品の製造販売業者だったシャルル・パテと手を組んで開発した、キネトスコープと映写機の両方に対応する映画用カメラの特許を申請した[12]。
- 9月下旬 - アメリカのチャールズ・フランシス・ジェンキンスとトーマス・アーマットが映写機のファントスコープを開発し、ジョージア州アトランタで開催された綿花博覧会(Cotton States and International Exposition)で上映した[13]。
- 11月1日 - ドイツのマックスとエーミールのスクラダノフスキー兄弟が、独自の映写機のビオスコープの特許を取得し、ベルリンの劇場ヴィンター・ガルテンで上映を始めた。これは有料で一般観客に公開した映画上映としては、ヨーロッパで最初のものとなる[14]。
- 11月8日 - アンリ・ジョリが、一度に4人が覗き見ることができる大型キネトスコープのフォトゾーイトロープの特許を取得した[12]。
- 12月28日 - パリのキャピュシーヌ大通りにあったグラン・カフェの地階のインドの間で、一般観客に対し有料で、シネマトグラフの最初の商業上映を開始した[15][16]。一般的には、この日付が「映画誕生の日」とされている[16]。
- 12月30日 - アメリカの映画会社アメリカン・ミュートスコープ・アンド・バイオグラフ・カンパニー(バイオグラフ社)が、ウィリアム・K・L・ディクソン、ヘンリー・マーヴィン (Henry Marvin)、ハーマン・キャスラー、イライアス・B・クープマンの4人からなるKMCDグループによって、ニュージャージー州に設立された[17][18][19]。キャスラーは同社設立までに、のぞき穴装置のミュートスコープと、70ミリフィルムを使用した撮影機のミュートグラフを開発した[20][21]。
- ウィリアム・K・L・ディクソンとその姉アントニア・ディクソン が、映画を主題とする最初の歴史書である『History of the Kinetograph, Kinetoscope, and Kinetophonograph』をアメリカ合衆国で出版した[9]。
おもな作品
[編集]バート・エイカーズ
[編集]- ダービー、エプソムへの道[22] / The Derby
- Incident at Clovelly Cottage
- Opening of the Kiel Canal
- The Oxford and Cambridge University Boat Race
- ドーヴァーの荒波[22][23] / Rough Sea at Dover
ウィリアム・K・L・ディクソン
[編集]- Billy Edwards and the Unknown a.k.a. Billy Edwards Boxing
- The Dickson Experimental Sound Film - 出演 ウィリアム・K・L・ディクソン(ヴァイオリン)、最初の有声映画
ウィリアム・ハイセ
[編集]- アナベルのサーペンタインダンス / Annabelle Serpentine Dance - 出演 アナベル・ムーア
- Princess Ali a.k.a. Egyptian Dance
- Trilby Death Scene - プロデュース トーマス・エジソン
- Trilby Hypnotic Scene - プロデュース トーマス・エジソン
ルイ・リュミエール
[編集]- ラ・シオタ駅への列車の到着 / L'Arrivée d'un train en gare de La Ciotat(1895年撮影、有料公開は1896年1月)
- 水をかけられた散水夫 / L'Arroseur Arrosé - おそらく世界最初の屋外で撮影されたコメディ映画
- 港を離れる小舟 / Barque sortant du port
- Chapeaux à transformations
- 自動ソーセージ屋 / La Charcuterie mécanique
- 塀の取り壊し[24] / Démolition d'un mur - 出演 オーギュスト・リュミエール(作業を指揮する男)
- 鍛冶屋 / Les Forgerons
- 海水浴 / La Mer
- リヨンの写真会議への到着 / Neuville-sur-Saône: Débarquement du congrès des photographie à Lyon
- 金魚釣り / La Pêche aux poissons rouges - 出演 オーギュスト・リュミエール、その娘アンドレ
- エカルテ遊び / Partie de cartes
- 写真家[24] / Photograph
- コルドリエ広場 / Place des Cordeliers à Lyon
- 赤ん坊の食事 / Repas de bébé - 出演 オーギュスト・リュミエール、その妻マルグリット、娘アンドレ
- 毛布ごと放り投げ[25] / Le Saut à la couverture
- 工場の出口 / La Sortie de l'usine Lumière à Lyon
- 馬芸会 / La Voltige
- 金魚鉢の中の金魚 / Bocal aux poissons rouges
マックス・スクラダノフスキー
[編集]- 体操一家グルナート[26] / Akrobatisches Potpourri
- 児童プレッツ=ラレラのイタリアの農民ダンス[26] / Bauerntanz zweier Kinder
- カンガルーのボクシング試合[27] / Das Boxende Känguruh
- Die Serpentintänzerin
その他
[編集]- メアリー女王の処刑 / The Execution of Mary Stuart - 監督 アルフレッド・クラーク、映画における最初の特殊撮影(ストップ・トリック)[9]
- Young Griffo v. Battling Charles Barnett - 監督 ウッドヴィル・レイサム、出演 ヤング・グリフォ
- 社交界女性の入浴 / Le Bain d'une mondaine - 監督 アンリ・ジョリ[12][28]
誕生
[編集]- 2月7日 - アニタ・スチュワート、アメリカ合衆国の女優、プロデューサー(+1961年)
- 2月19日 - ルイス・カルハーン、アメリカ合衆国の俳優(+1956年)
- 2月21日 - チャールズ・キング、アメリカ合衆国の俳優(+1957年)
- 2月21日 - エイナー・アクセルソン、スウェーデンの俳優(+1971年)
- 3月11日 - シャンプ・ハワード、アメリカ合衆国の俳優(+1955年)
- 3月24日 - シド・セイラー、アメリカ合衆国の俳優(+1962年)
- 3月25日 - ヴァレリー・インキジノフ、ロシアの俳優(+1973年)
- 3月27日 - ベティ・シャーデ、ドイツの女優(+1982年)
- 4月7日 - マルガレーテ・シェーン、ドイツの女優(+1985年)
- 5月6日 - ルドルフ・ヴァレンティノ、イタリアの俳優(+1925年)
- 6月24日 - ジャック・デンプシー、アメリカ合衆国のボクサー、俳優(+1983年)
- 7月13日 - シドニー・ブラックマー、アメリカ合衆国の俳優(+1973年)
- 7月25日 - インゲボルグ・スパングスフェルト、デンマークの女優(+1968年)
- 7月26日 - グレイシー・アレン、アメリカ合衆国の女優(+1964年)
- 8月9日 - ナット・ペンドルトン、アメリカ合衆国のオリンピック・レスリング選手、俳優(+1967年)
- 8月16日 - ルシアン・リトルフィールド、アメリカ合衆国の俳優(+1960年)
- 9月11日 - ウノ・ヘニング、スウェーデンの俳優(+1970年)
- 9月22日 - ポール・ムニ、オーストリアの俳優(+1967年)
- 10月4日 - バスター・キートン、アメリカ合衆国の俳優、監督(+1966年)
- 10月20日 - イヴリン・ブレント、アメリカ合衆国の女優(+1975年)
- 10月21日 - エドナ・パーヴァイアンス、アメリカ合衆国の女優(+1958年)
- 11月14日 - ルイーズ・ハフ、アメリカ合衆国の女優(+1973年)
- 12月3日 - タデウシュ・オルシャ、ポーランドの俳優(+1975年)
脚注
[編集]- ^ Barnes, John. “Robert William Paul”. Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b McKernan, Luke. “Acres, Birt (1854–1918)”. BFI Screenonline. 2022年8月28日閲覧。
- ^ “Birt Acres Collection”. National Fairground and Circus Archive. University of Sheffield. 2022年8月28日閲覧。
- ^ 永冶 1992, p. 90.
- ^ 飯田豊 編『メディア技術史 デジタル社の系譜と行方』(改訂版)北樹出版、2017年4月、49頁。ISBN 978-4779305320。
- ^ Burns, Paul (1999年). “Chapter 15, 1895–1900”. The History of the Discovery of Cinematography. 24 July 2011時点のオリジナルよりアーカイブ。2011年8月14日閲覧。
- ^ 永冶 1992, pp. 91–92.
- ^ a b Herbert, Stephen. “Major Woodville Latham, Grey Latham and Otway Latham”. Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b c d e “Film History Milestones - Pre-1900s”. filmsite.org. 2022年8月28日閲覧。
- ^ a b Mannoni, Laurent. “Léon Gaumont”. Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ サドゥール 1992, p. 231.
- ^ a b c Mannoni, Laurent. “Henri Joly”. Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ Herbert, Stephen. “Charles Francis Jenkins” (英語). Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ Rossell, Deac. “Max Skladanowsky”. Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ サドゥール 1993, pp. 84–86.
- ^ a b 山下慧、井上健一、松崎健夫『現代映画用語事典』キネマ旬報社、2012年5月、23頁。ISBN 978-4873763675。
- ^ New Jersey. Dept. of State (1900). Corporations of New Jersey: List of Certificates Filed in the Department of State During the Year 1895–1899 Inclusive. MacCrellish & Quigley. p. 30
- ^ サドゥール 1993, p. 159.
- ^ Musser 1994, p. 148.
- ^ Richard Brown, Stephen Herbert. “Herman Casler”. Who's Who of Victorian Cinema. 2022年8月28日閲覧。
- ^ Musser 1994, p. 145.
- ^ a b サドゥール 1993, p. 63.
- ^ チャールズ・マッサー 著、藤田純一 訳「映画の始まり トーマス・A・エジソンとキネトグラフによる動く写真」『エジソンと映画の時代』岩本憲児(編・監訳)、森話社、2015年4月、39頁。ISBN 978-4864050777。
- ^ a b サドゥール 1993, p. 97.
- ^ サドゥール 1993, p. 99.
- ^ a b ミヒャエル・ハーニッシュ 著、平井正 監訳、瀬川裕司、飯田道子 訳『ドイツ映画の誕生』高科書店、1995年3月、34頁。
- ^ サドゥール 1992, p. 271.
- ^ サドゥール 1993, p. 77.
参考文献
[編集]- 永冶日出雄「映画の創出とルイ・リュミエール<その1> ―シネマトグラフの発明から学術的な集会での公開まで―(1894年12月~1895年11月)」『愛知教育大学研究報告 人文科学』第41号、愛知教育大学、1992年2月、89-100頁、ISSN 03887375、NAID 110000100321。
- ジョルジュ・サドゥール 著、丸尾定、村山匡一郎、出口丈人、小松弘 訳『世界映画全史1 映画の発明 諸器械の発明1832-1895:プラトーからリュミエールへ』国書刊行会、1992年12月。ISBN 978-4336034410。
- ジョルジュ・サドゥール 著、村山匡一郎、出口丈人、小松弘 訳『世界映画全史2 映画の発明 初期の見世物1895-1897』国書刊行会、1993年10月。ISBN 978-4336034427。
- Musser, Charles (1994). The Emergence of Cinema: The American Screen to 1907. Berkeley, California: University of California Press. p. 148. ISBN 978-0520085336