須田幸太

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須田 幸太
JFE東日本硬式野球部
20130629 Kouta Suda, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
横浜DeNA時代
(2013年6月29日、横浜スタジアムにて)
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 茨城県石岡市
生年月日 (1986-07-31) 1986年7月31日(32歳)
身長
体重
176 cm
78 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 2010年 ドラフト1位
初出場 2011年4月22日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

須田 幸太(すだ こうた、1986年7月31日 - )は、茨城県石岡市出身の野球選手投手)。

社会人野球JFE東日本硬式野球部を経て、2011年から2018年まで、横浜ベイスターズ → 横浜DeNAベイスターズでプレー。2019年からJFE東日本へ復帰している。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

茨城県立土浦湖北高等学校時代はエース兼4番打者で、2年秋にチームを関東大会初優勝、3年春に選抜高等学校野球大会初出場へ導いた。3年春の選抜大会では、練習試合で投げすぎた影響で右肘を痛めながら、鵜久森淳志高橋勇丞福井優也などを擁する済美高校と対戦。0 - 9というスコアで初戦敗退を喫した。

高校卒業後に早稲田大学へ進学。東京六大学野球では、エースナンバーの11を背負った3年の春季にリーグ戦初勝利を挙げると、斎藤佑樹と並んで先発に定着。3勝1を記録するとともに、チームを優勝に導いた。4年の春季リーグ戦では、最優秀防御率のタイトルを獲得している。在学中には、リーグ通算30試合に登板、8勝3敗、防御率1.74、76奪三振をマーク。同級生には細山田武史松本啓二朗上本博紀がいた。

大学卒業後にJFE東日本へ入社すると、硬式野球部のエースとして活躍した。1年目の2009年に開かれた都市対抗野球の全国大会では、チームが出場を逃しながらも、自身はHondaの補強選手として出場。5試合中4試合にクローザーとして登板すると、Hondaの優勝に貢献するとともに、若獅子賞を獲得した。翌2010年全国大会では、JFE東日本の投手として、チームを準々決勝にまで導いている。

2010年のNPBドラフト会議で、横浜ベイスターズから1巡目で指名[1]。最初に指名した大学の後輩・大石達也の独占交渉権が重複指名による抽選で埼玉西武ライオンズに確定した末の再指名だったが、契約金1億円、年俸1,500万円(金額は推定)という条件で、早稲田大学から2009年に横浜へ入団していた松本・細山田と再びチームメイトになった。背番号は20。なお、ドラフト会議直後の11月には、広州アジア大会日本代表として出場すると、銅メダルを獲得した。

DeNA時代[編集]

横浜時代(2011年)
2011年

公式戦の開幕を二軍で迎えたものの、一軍の先発要員だった眞下貴之虫垂炎を発症したことを受けて、眞下が登板する予定だった4月22日の対阪神タイガース戦(横浜スタジアム)で先発投手として一軍公式戦にデビュー[2]6月6日の対埼玉西武ライオンズ戦(山梨県小瀬スポーツ公園野球場)では、先発登板8試合目にして一軍公式戦初勝利を挙げた[3]その一方で、8月17日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、4回表までに味方打線から9点の援護を受けながら、その裏から7点を失った末に5回裏の途中で降板[4]。一軍公式戦全体では、17試合の登板で2勝6敗、防御率5.20という成績を残した。その一方で、7月21日富山アルペンスタジアムで催されたフレッシュオールスターゲームには、イースタン・リーグ選抜チームの投手として救援登板を果たしている[5]

2012年

一軍公式戦では、6月に2試合だけ登板。いずれも、先発で敗戦投手になった。

2013年

7月4日の対東京ヤクルトスワローズ戦(横浜)で一軍初完投・初完封勝利をマーク[6]。夏場以降に一時故障で戦線を離れながらも、一軍公式戦では自己最多の6勝を挙げた。

2014年

公式戦の開幕を二軍で迎えたものの、一軍公式戦では、5月中旬から7月上旬まで救援で8試合に登板。9月27日には、読売ジャイアンツ(巨人)との本拠地(横浜)最終戦に先発投手として一軍へ復帰したが、3回3失点という内容で敗戦投手になった。結局、一軍公式戦全体では、9試合の登板で0勝1敗という成績にとどまった。

2015年

シーズン途中から一軍の先発陣に加わると、5月24日の対阪神タイガース戦(横浜)で一軍公式戦でのシーズン初勝利を挙げた。以降は不調で一時二軍へ降格したものの、後に中継ぎ要員として一軍へ復帰。9月5日の対巨人戦(横浜)では、1点リードの9回表1死1・3塁の局面からの登板で、一軍公式戦初セーブを記録した[7]。なお、一軍公式戦全体では29試合に登板。3勝2敗1セーブ3ホールドという成績を残した。

2016年

レギュラーシーズンでは、開幕を一軍で迎えると、一軍の公式戦でチームおよび自身最多の62試合に登板。勝ちパターンの中継ぎ要員として5勝3敗23ホールドを記録するとともに、チーム史上初のクライマックスシリーズ(CS)進出へ貢献した。

9月24日の対巨人戦(横浜)で、7回表2死1塁から阿部慎之助へ初球を投げたところ、左太腿の裏を痛めて緊急降板[8]。翌25日に出場選手登録を抹消されると、その後の検査で左太腿裏の肉離れが判明した[9]。一時はポストシーズンでの登板が危ぶまれたものの、広島東洋カープとのCSファイナルステージ第3戦(10月14日マツダスタジアム)で実戦に復帰。3点リードの8回裏2死満塁からの救援登板で新井貴浩をオール直球で打ち取ったことによって、チームの同ステージ初勝利に貢献するとともに、自身もポストシーズン初ホールドを記録した[10]

2017年

自身の不調に加えて、スペンサー・パットン砂田毅樹エドウィン・エスコバーが一軍の救援陣で台頭したこともあって、一軍公式戦では23試合の登板にとどまった。しかし、チームが前年に続いてポストシーズンを迎えたことから、CSや福岡ソフトバンクホークスとの日本シリーズでの登板を経験した。

2018年

一軍公式戦での登板が10試合にとどまったことから、10月3日に球団から戦力外を通告[11]12月2日付で、NPBから自由契約選手として公示された。須田自身は、プロ野球の他球団や社会人野球での現役続行を希望していたため、11月13日にはタマホームスタジアム筑後での12球団合同トライアウトに参加。シートバッティング形式の対戦ながら、打者3人を無安打に抑えた[12]

DeNA退団後[編集]

2019年1月1日付で、JFE東日本に再入社。硬式野球部に復帰したうえで、プレーを続けている[13]。DeNA時代からオフシーズンにJFE東日本の練習施設で自主トレーニングに取り組むほど同社への愛着を持ち続けてきたことや、DeNA入団前のチームメイトだった落合成紀監督から、「プロ(DeNA)での生活が終わったら(JFE東日本へ)戻って来て欲しい」と勧められていたことによる[14]

選手としての特徴・人物[編集]

スリークォーターから平均球速140km/h[15]最速150km/h[要出典]フォーシームに縦のスライダーカーブ[16]カットボールシンカーを投げ分ける。

親戚に漫画家の大和田秀樹がいる[17]

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2011 横浜
DeNA
17 17 0 0 0 2 6 0 0 .250 373 85.0 93 16 32 0 3 52 4 0 52 50 5.29 1.47
2012 2 2 0 0 0 0 2 0 0 .000 45 9.1 12 1 7 0 0 7 0 0 9 9 8.68 2.08
2013 14 12 1 1 0 6 3 0 0 .667 285 63.1 64 6 36 0 3 35 1 0 34 34 4.83 1.58
2014 9 1 0 0 0 0 1 0 0 .000 64 14.1 20 2 2 0 0 14 2 0 12 8 5.02 1.53
2015 29 5 0 0 0 3 2 1 3 .600 241 56.0 59 10 23 0 0 42 1 1 26 24 3.86 1.46
2016 62 0 0 0 0 5 3 0 23 .625 233 53.2 54 2 18 2 1 49 0 0 17 16 2.68 1.34
2017 23 0 0 0 0 0 2 0 9 .000 73 16.2 16 1 9 1 1 14 0 0 15 15 8.10 1.50
2018 10 0 0 0 0 0 0 0 2 ---- 44 10.2 10 3 3 1 0 4 0 0 9 9 7.59 1.22
NPB:8年 166 37 1 1 0 16 19 1 37 .457 1358 309.0 328 41 130 4 8 217 8 1 174 165 4.81 1.48
  • 2018年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名を変更

記録[編集]

投手記録
打撃記録

背番号[編集]

  • 20 (2011年 - 2018年)

登場曲[編集]

脚注[編集]

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注釈[編集]

出典[編集]

  1. ^ 2010 ドラフト会議結果横浜ベイスターズ
  2. ^ 緊急先発のドラフト1位須田、緊張も今後に期待の力投”. Sponichi Annex (2011年4月22日). 2018年12月18日閲覧。
  3. ^ 須田8戦目でプロ初勝利「やっと勝つことができた」”. Sponichi Annex (2011年6月6日). 2018年12月18日閲覧。
  4. ^ 2011年8月17日 (水)東京ヤクルトスワローズ対横浜ベイスターズ(神宮)試合結果NPB日本野球機構
  5. ^ 2011年度フレッシュオールスター・ゲーム 試合結果NPB日本野球機構
  6. ^ DeNA 須田 本気になった初完封「ヤクルトに仕返ししたかった」”. スポニチ Sponichi Annex (2013年7月5日). 2013年7月8日閲覧。
  7. ^ DeNA須田が救った!山崎康の代役果たし初セーブ”. 日刊スポーツ (2015年9月5日). 2015年10月22日閲覧。
  8. ^ DeNA須田、投球中に左太もも裏痛め緊急降板”. 日刊スポーツ (2016年9月24日). 2016年9月30日閲覧。
  9. ^ DeNA須田は左太もも裏の肉離れと発表”. 日刊スポーツ (2016年9月27日). 2016年9月30日閲覧。
  10. ^ DeNA須田「意気に感じた」復帰戦で新井満塁斬り”. 日刊スポーツ (2016年10月14日). 2018年12月18日閲覧。
  11. ^ 2019年シーズン選手契約について”. 横浜DeNAベイスターズ (2018年10月3日). 2018年12月18日閲覧。
  12. ^ DeNA須田「お話があればどこでも」無安打好投”. 日刊スポーツ (2018年11月13日). 2018年12月18日閲覧。
  13. ^ DeNA戦力外の須田、古巣・JFE東日本復帰 交流イベントで報告”. スポーツニッポン (2018年12月16日). 2018年12月18日閲覧。
  14. ^ DeNA【スポニチ大会】元DeNA・須田、JFE東復帰初登板で初勝利「この会社が好きなんです」”. スポーツニッポン (2019年3月13日). 2019年3月14日閲覧。
  15. ^ 『2014 プロ野球オール写真選手名鑑』日本スポーツ企画出版社、2014年、173頁。ISBN 978-4-905411-17-8
  16. ^ 大豊作と言われた2010年ドラフト。セ・リーグで最も得をした球団は? 小関順二「詳説日本野球研究」 Number Web、2010年11月4日。
  17. ^ http://twitter.com/hideki6809/status/28985155282
  18. ^ 神奈川新聞、2011年4月23日。
  19. ^ 神奈川新聞、2011年6月7日。
  20. ^ a b 神奈川新聞、2013年7月5日。
  21. ^ 神奈川新聞、2011年5月26日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]