山室軍平

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
山室 軍平
Yamamuro.gif
生誕 1872年9月1日
死没 (1940-03-13) 1940年3月13日(満67歳没)
国籍 日本の旗 日本
職業 救世軍士官日本軍国第10代および第12代司令官[1]中将
配偶者 山室機恵子山室悦子

山室 軍平(やまむろ ぐんぺい、1872年9月1日明治5年7月29日戸籍上は8月20日) - 1940年(昭和15年)3月13日)は日本宗教家説教者。日本人初の救世軍士官[2](=牧師)で日本人初の日本軍国司令官「日本軍国初代司令官」ではない[3])。最終階級中将[4][5]岡山県阿哲郡哲多町(現在の新見市)生まれ。石井十次アリス・ペティ・アダムス留岡幸助とともに「岡山四聖人」と呼ばれる。

略歴[編集]

山室佐八、登毛(とも)の三男として哲多町に生まれる。実家が貧しくて、少年時代に足守の親戚筋へ養子に出される。14歳で上京して、築地活版製造所の職工となり、福音教会の路傍伝道に接し、教会主催の英語学校に入学。そこでキリスト教に触れ1888年(明治21年)に洗礼を受ける。

1889年(明治22年)、同志社大学神学部に入学。直後、同輩の学生が山室の郷里に近い高梁で伝道の実習を行うというので、これに参加する。のち数度、山室はこの高梁での「夏季伝道実習」に参加し、また赤貧の中で勉学に励むが、1894年(明治27年)に健康を害し、また当時広まりつつあった自由主義神学(リベラル)への反発もあり同志社大学を去る[6]。その後、暫く(おおよそ半年とされる)は高梁基督教会堂(旧メソヂスト)などで伝道活動を行なっていた。この高梁伝道によって石井十次留岡幸助福西志計子らと既知を得る。特に福西は当時、教会の婦人部代表であった立場から、この若き伝道師見習いの世話を焼いたとされる。とはいえ同志社退学後の山室は迷いの最中であり、その彼の魂の彷徨を見かねた福西らは、山室に高梁の篤志家の元へ婿養子に入る事も勧めていた。[7] しかし、あくまでも宣教や在野の人々に侍る道を望んだ山室は、これを固辞し当座の自身の置き場として石井のいる岡山孤児院に身を寄せた。

1895年(明治28年)より石井の勧めで救世軍に参加。当時第1小隊隊長であったエドワード・ライト大佐より入隊を許可される。[8]パンフレット『鬨の声』(現在の救世軍日本軍国公報『ときのこえ』の前身)を刊行するなど大いに働き、日本最初の士官(伝道者)となる。後に東洋人で最初の救世軍将官となり、日本軍国司令官を務めた。『平民の福音』を始め、分かりやすい言葉による著書や説教が親しまれた。

終生に渡り社会福祉事業、公娼廃止運動(廃娼運動)、純潔運動に身を捧げた。1915年(大正4年)11月9日に藍綬褒章[9]1924年(大正13年)に勲六等瑞宝章を受章。1937年(昭和12年)には救世軍大将より「創立者章」を受章した。

1940年(昭和15年)、急性肺炎のため死去[10]

家族[編集]

妻の山室機恵子(1人目・死別)、山室悦子(2人目・死別)、子の山室武甫(名前はウィリアム・ブースジョージ・フォックスに由来)と娘の山室民子婦人民主クラブ結成呼びかけ人)らも、それぞれ婦人運動家、学者、伝道者として活躍した。武甫の妻で作家の阿部光子も伝道者。

参考文献[編集]

  • 三吉明『山室軍平』吉川弘文館(人物叢書)
  • 沖野岩三郎『娼妓解放哀話』(中公文庫)
  • 吉屋信子『ときの声』(筑摩書房)
  • 『日本の説教第5巻 山室軍平』(日本基督教団出版局)

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『救世軍日本開戦100年記念写真集』(救世軍日本本営、1997年)10-11ページ参照
  2. ^ 救世軍」は軍隊を模した組織をとり、軍隊用語を使用して活動しているキリスト教プロテスタント)の教派団体(例:一般信徒→兵士、教会役員→下士官牧師士官神学生士官候補生法人部門の職員→軍属讃美歌軍歌教会小隊教区連隊神学校士官学校等。メンバーは制服制帽階級章を着用し、活動のシンボルとして軍旗も用いられている。)
  3. ^ 1と同じ
  4. ^ 救世軍の大将は名実ともに全世界の救世軍のトップであり、現役の大将は一人だけしか存在しない
  5. ^ 救世軍士官の階級と役職の詳細に関しては救世軍人の階級と役職を参照
  6. ^ 木原活信(1993)「同志社のアイロニー ―山室軍平の中途退学-」『新島研究』第82号,pp.139-162.参照
  7. ^ 「福西志計子と順正女学校」(倉田和四生・著 / 吉備人出版・刊)p177-185.参照
  8. ^ 『日本キリスト教歴史大事典』(教文館:1988年)1482頁
  9. ^ 『官報』第993号、大正4年11月23日。
  10. ^ 服部敏良『事典有名人の死亡診断 近代編』付録「近代有名人の死因一覧」(吉川弘文館、2010年)30頁

 

外部リンク[編集]