伊藤為吉

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伊藤 為吉(いとう ためきち、1864年1月 - 1943年5月)は、日本の建築家・発明家。伊勢国松坂(現三重県松阪市)出身。

来歴・人物[編集]

17歳で上京、尾崎行雄の家に寄宿し、工部大学校機械工学を学び、幸田露伴郡司成忠漢学の勉強をする。その後攻玉社に学僕として住み込み、片山潜と知り合う。22歳の時、片山とともに渡米、サンフランシスコ付近の修道会に学僕として住み込み、洗礼を受ける。学費捻出のためクリーニング店などで働き、イタリア人建築家カッペレッティ建築設計事務所で製図工として働き、建築と物理学を学ぶ。1888年に帰国、日本最初のドライクリーニング店を開店した。ついでアメリカ式の家具製造を始め、さらに洋風建築の設計施工を始める。

銀座の初代服部時計店、日本博品館、愛宕ホテル、本郷春木町の中央会堂などを建築設計する。1893年に郡司が千島探検に出た際には、3時間で組み立てられるプレハブ式家屋を贈った。木造家屋の耐震・耐風化の研究や、建築用具の発明、職工徒弟の教育に力を注いだ。発明家として生涯に70近い特許をとり、和製レオナルド・ダ・ヴィンチと言われた。晩年は永久機関の開発に着手していた。

のちに東京工大田辺平学が提唱したものに先駆けて、コンクリートブロック式耐震構造から万年塀を考案、伊藤の万年塀は関東大震災に際しても破損しなかった。

伊藤のところに寄宿していた人物として、後の救世軍山室軍平がいる。

家族[編集]

長女の佳子は陸軍大将の古荘幹郎の妻。長男の伊藤道郎は世界的舞踊家で、その妻はアメリカ人の伊藤ヘイゼル(子にジェリー伊藤)。二男の伊藤鉄衛は父と同じく建築家。三男の伊藤祐司はオペラ歌手でコスチューム・デザイナー[1]、妻は日系人舞踊家のテイコ・イトウ(子に伊藤貞司英語版)。次女のあい子は阪東壽三郎の妻。四男の伊藤熹朔は舞台美術家。三女の暢子は画家の中川一政の妻(子に中川晴之助)。五男の伊藤圀夫は千田是也として演出家・俳優で、妻はドイツ人のイルマ(娘に中川晴之助の妻、孫に女優の中川安奈)と女優の岸輝子。六男の伊藤貞亮は父と同じく建築家。七男の伊藤翁介は作曲家・ギタリストで妻は伊藤多津子

妻の喜美栄は、動物学者で東京帝国大学教授の飯島魁の妹(1890年に結婚)。

脚注[編集]

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  1. ^ Teiji Ito -MySpace

外部リンク[編集]

伝記[編集]

  • 村松貞次郎『やわらかいものへの視点 異端の建築家伊藤為吉』岩波書店