赤澤元造

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赤澤 元造
Motozo Akazawa.jpg
生誕 (1875-08-10) 1875年8月10日
日本の旗 日本岡山県
死没 (1936-05-12) 1936年5月12日(60歳没)
日本の旗 日本東京都
国籍 日本の旗 日本
出身校 ヴァンダービルト大学
職業 牧師教育者教会監督

赤澤 元造(あかざわ もとぞう、1875年(明治8年)8月10日 - 1936年(昭和11年)5月12日)は日本の牧師日本メソジスト教会第4代監督、青山学院大学第5代理事長。

1875年(明治8年)に岡山県に生まれる。1888年(明治21年)にキリスト教に入信して京都で受洗する。1895年(明治28年)に米国ハワイに行った時に、木原外七に出会い、木原より影響を受けて直接献身を決意する。その後、米国ヴァンダービルト大学で神学を学ぶ、その後卒業し、帰国後に日本メソジスト教会 の牧師になる。大阪神戸などで伝道牧会をする。

日本メソジスト教会の伝道局長を経て、1930年(昭和5年)から1936年に没するまで、日本メソジスト教会第4代監督を務めた。1930年には、第5代青山学院大学理事長にも就任する。

晩年、ホーリネス分裂事件に際して、渡辺善太阿部義宗吉崎俊雄らと共に中田重治監督側と委員側の調停に関わる。赤澤は丹毒で死を覚悟した時も、遺言として阿部義宗に調停を託する。自宅に、中田重治・あやめ夫妻と委員側と共に会食したり調停に奮闘するが、ホーリネス教会の和協分離を見ずして死去する。

訳書[編集]

参考文献[編集]

  • 米田勇『中田重治伝』
  • 『日本キリスト教歴史大事典』教文館、1988年
先代:
鵜崎庚午郎
日本メソヂスト教会監督
第4代:1930-1936
次代:
釘宮辰生