大江邦治

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おおえ くにはる
大江 邦治
生誕 1967年
Japanese Crest Bizenn Chou.svg鳥取藩伯耆国溝口(現、鳥取県西伯郡伯耆町)
死没 1968年6月5日
日本の旗 日本広島県
職業 牧師神学校教師
子供 大江捨一(長男)、大江信(次男)

大江邦治(おおえ くにはる、1867年 - 1968年6月5日 )は、日本牧師教育者戦前から戦後にかけての日本アライアンス教団の指導者。[1]

家族[編集]

生涯[編集]

初期[編集]

1867年(慶応3年)に伯耆国溝口(現、鳥取県西伯郡伯耆町)に生まれる。鳥取中学(現・鳥取県立鳥取西高等学校)に入学するが、1882年(明治15年)に中退して上京する。

電信員時代[編集]

1886年頃の安部磯雄牧師

東京電信学校(後の、逓信官吏練習所)に入学して、1887年(明治20年)に卒業し、東京府岡山県山口県下関市佐賀県電信局で勤務する。[2]

岡山県岡山市電信局に勤務していた頃、日本組合基督教会岡山教会(現・日本基督教団岡山教会)に出席するようになり、当時岡山教会牧師の安部磯雄[注釈 1]から洗礼を受ける。[2][1]

大江が指導を受けたバックストン

1900年(明治33年)鳥取県米子市郵便局に勤務していた頃、日本伝道隊の創設者バークレー・バックストンパゼット・ウィルクスから伝道者として指導を受ける。[1][注釈 2]1901年(明治34年)には長男の捨一が生まれる。

日本伝道隊時代[編集]

1906年(明治39年)バックストンが創設した 日本伝道隊に入隊、兵庫県神戸市に出て、ウィルクスと竹田俊造の指導の元訓練を受ける。鹿児島佐賀佐世保で伝道する。また、種子島では、5年間病気療養をかねて聖書研究をしながら伝道する。[3][2]

1919年(大正8年)から、長崎県長崎市の活水女学校(現、活水学院活水女子大学)の教授として神学を教える。

アライアンス時代[編集]

1926年(大正15年)にアライアンス・ミッションに入会する。[1]

一時教鞭を取った聖書学院

1929年(昭和4年)3月の日本ホーリネス教会の年会で、東洋宣教会聖書学院の教授に任命された。次男の大江信が副舎監に任命された。[注釈 3]

その後、1931年(昭和6年)アライアンス・ミッションから日本協同基督教会[注釈 4]が独立すると、アライアンスに戻り指導者になる。

戦争中は、1941年(昭和16年)より日本基督教団に統合されるが、戦後1949年(昭和24年)8月に日本基督教団を離脱して日本アライアンス教団を設立する。[4]また、邦治は1950年(昭和25年)、広島市で再建された日本アライアンス神学校の校長に就任する。[1]これより、戦後は、きよめ教会を辞めた長男捨一と共に、日本アライアンス教団の指導者として活躍する。

1962年(昭和37年)にアライアンス神学校を引退し、捨一が引き継ぐ。1968年(昭和43年)広島で101歳で死去する。[2]

関連書籍[編集]

訳書[編集]

  • 『聖潔』(パゼット・ウイクルス講演)日本傳道隊聖書學舎出版部、1931年
  • 『神癒の福音』(A・B・シンプソン)日本協同基督教会出版部、1936年
  • 『ウイクルス師説教集 第2輯』(ウイクルス著)日本傳道隊聖書學舎出版部、1938年
  • 『信仰の動力』(パゼット・ウイクルス著)バックストン記念霊交会、1951年
  • 『贖罪の動力』(パゼット・ウイクルス著)バックストン記念霊交会、1952年
  • 『創世記講演』(パゼット・ウイクルス述)バックストン記念霊交会、1953年
  • 『信仰盈満シリーズ』(A・B・シンプソン著)いのちのことば社、1953年
  • 『基督者生涯の動力』(パゼット・ウイクルス著)バックストン記念霊交会、1954年
  • 『新約の聖潔』(トマス・クック著)バックストン記念霊交会、1955年
  • 『幕屋のキリスト』(信仰盈満シリーズ;第1巻)(A・B・シンプソン)いのちのことば社、1960年
  • 『聖霊による歩み』(A・B・シンプソン著)いのちのことば社、1981年

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 後に牧師を辞めて政治家になり、社会党の重鎮になる。日本の社会主義者であり、キリスト教的人道主義の立場から社会主義を活発に宣伝し、日本社会主義運動の先駆者であった。
  2. ^ その後、パゼット・ウィルクスの多数の著書の翻訳を行う(都田 1988, pp. 211)
  3. ^ 長男捨一が当時聖書学院の修養生であった。捨一は日本ホーリネス教会の中田重治監督の長女陸奥と結婚する。その関係で一時日本ホーリネス教会に所属した。(米田 1959, pp. 211)
  4. ^ 日本協同基督教会は、1940年に日本イエス・キリスト教会基督伝道隊と共に、日本伝道基督教団を結成する。日本政府の認可を受ける教団組織を形成するためであった。翌年、1941年の宗教団体法の成立により、組織された日本基督教団の第7部として加入する。(中村 2000, pp. 110)

出典[編集]

参考文献[編集]

関連項目[編集]