三谷種吉

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三谷種吉
MITANI Tanekiti.JPG
生誕 1868年
兵庫県神戸市
死没 1945年
埼玉県所沢市
出身校 同志社英学校
職業 牧師音楽伝道者神学校教師説教家
子供 三谷眞三谷幸子
寅之助(左)と三谷種吉(右)
中田重治パゼット・ウィルクス、三谷種吉、1902年
両親の金婚式。1910年11月1日
1916年家族写真
1929年家族写真
バークレー・バックストン最後の来日、1937年
1943年家族写真
神は愛なり(福音唱歌13番)
1902年8月、東洋宣教会聖書学校の福音音楽隊に同行した三谷

三谷 種吉(みたに たねきち、1868年 - 1945年)は、日本の伝道者、讃美歌作家、教会音楽家、音楽伝道の草分け的存在。日本最初の音楽伝道者であり、神癒の伝道者でもあった[1]

生涯[編集]

父は有馬郡三田町三輪村出身の姫本徳右ヱ門の次男小之助(明治初年に三谷佐介に改姓)、母は坂井小三郎の長女靍子(後に直と改める)であった。父佐介は神戸元町におけるブリキ屋の元祖となった。白洲退蔵の奨めで入信。摂津第一公会の会員となり活動的信徒として神戸多聞教会兵庫教会の設立に携わった。

すぐ下の弟、三谷寅之助同志社英学校を中退し、暫く兄のヴァイオリンとともに得意なアコーディオン片手に演奏活動を行っていたが、後に川上音二郎一座に加わり三上繁の芸名で名女役として、語学力を生かして一座の通訳として活躍。志半ばにして1900年の米国公演中に病死した。2番目の弟、三谷良太郎は母の実家である酒井家の養子となり、大阪帝国大学を卒業して実業界に進んだ。3番目の弟、三谷俊造は当初、種吉とともに音楽伝道に従事したが、後に米国に渡り、作曲家として活躍した。

長男、眞種は米国に渡り牧師となる。長女科子は幼くして召された。教会音楽家、元東京キリスト教短期大学教授三谷幸子は次女。

天に召されるまで、ヴァイオリンの練習を欠かさなかった[1]

年譜[編集]

人物[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b 『三谷種吉:日本で最初の音楽伝道者:ただ信ぜよ』

主な作品[編集]

賛美歌
著作
  • 『手風琴曲譜集第一集』1891年8月発行
  • 『手風琴曲譜集第二集』1891年12月26日発行 
  • 『手風琴奏法指南並ニ和洋流行楽譜集』1893年10月15日発行
  • 『基督教福音唱歌』1898年11月11日発行
  • 『スポルジョン・マグテール改心の証詞』1899年3月20日発行
  • 『君は何故キリスト教が嫌乎』1899年5月5日発行
  • 『驚天動地伝道奇譚宇伊波実歴談』(翻訳)1909年12月23日発行
  • 『通俗的基督教百話』1910年3月3日発行
  • 『白蟻より恐るべき蟻』1910年、発行日不詳
  • 『新撰伝道讃美歌』1914年12月5日発行
  • 『霊感賦』1916年5月発行
  • 『通俗的基督教文庫第壱巻 絵入珍聞奇談集』1919年12月7日発行
  • 『聖書研究の手引き』1925年2月20日発行
  • 『基督教例話の庫』1925年5月17日発行
  • 『基督教伝道講話』1925年12月4日発行
  • 『基督と偕に』(翻訳)1925年12月15日発行
  • 『輪郭的聖書』(翻訳)1926年5月発行
  • 『聖霊のバプテスマ』(ビー・エフ・バックストン著 翻訳)1926年発行
  • 『詩篇霊解上』1927年7月5日発行
  • 『詩篇霊解中』1928年7月5日発行
  • 『詩篇霊解下』1929年12月15日発行
逐次刊行物
  • 『命の糧』松江時代、発行年代不詳
  • 『基督教新聞』(後に『基督教新誌』と改題)
    1905年3月1日から1941年1月まで発行。
  • 『聖書世界』1928年4月20日創刊、廃刊年不明

伝記[編集]