チャールズ・フィニー

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チャールズ・フィニー
生誕 1792年8月29日
死没 1875年8月16日(82歳)
職業 教役者伝道者リバイバリスト・著述家
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チャールズ・フィニー

チャールズ・フィニー(英語:Charles Grandison Finney1792年8月29日 - 1875年8月16日)は、アメリカ合衆国第二次大覚醒の主要な指導者である。最初にリバイバルの語を文書にし、しばしば「最初のアメリカ人リバイバリスト」と呼ばれた。彼はアメリカ合衆国の歴史に大きな影響を与えている。

生涯と神学[編集]

彼はコネチカット州農家に7人の子どもの初子として生まれた。両親は農夫であり、フィニーは大学に行くことができなかった。しかし、学力、音楽的才能、指導者としての力を持っていて、16歳の時に学校の音楽教師になった。1818年ニューヨークのアダムスに引越して弁護士になるために法律事務所で働き始め、2年後に法廷に立つ資格を得た。

その町の牧師と親しくなったフィニーは教会に出席するようになった。当時よく使われた教科書『法律註解全書』の著者ブラックストンがクリスチャンだったこともあり、フィニーは聖書を読むようになる。1921年10月10日、29歳の時に劇的な信仰的回心をした。森に入り跪いて神に祈っていると、旧約聖書エレミヤ29章12-14節の御言葉が示された。その晩、弁護士事務所に戻ったフィニーは聖霊のバプテスマを受けた。「愛の波のように、体と魂を突き抜けていく、聖霊の印象を感じた」という。1824年に、32歳で長老派教会の牧師となった。

フィニーの福音伝道メッセージは、論理的、明快で、人を新しくする神の力と、イエス・キリストの愛を説いた。また原稿なしに説教を行うことでも知られていた。

フィニーは、よく知られたキリスト教の福音伝道者であるだけでなく、奴隷制度を非難し、奴隷解放運動にも関わった。1830年代から、彼が牧会する教会では、奴隷所有者への陪餐を停止した。

1835年に、彼は、オベリン大学の教授になるためオハイオ州に引っ越した。後に彼が学長になったオベリン大学は、合衆国の大学の中で初期奴隷解放運動の主要な教育機関となり、白人、黒人、女性の共学を最初に実現した大学になった。

著書[編集]

  • 『チャールズ・フィニー霊的力』いのちのことば社 ISBN 4264021227
  • 『上よりの力』角笛出版

参考文献[編集]

  • 『基督教全史』ケアンズ著 
  • 『リバイバルの源流を辿る』尾形守 ISBN 4872072049
  • 『リバイバル人物伝』立石靖夫 ISBN 4882810883

外部リンク[編集]