テネシーワルツ

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テネシーワルツ」(The Tennessee Waltz)は、1948年に作られたアメリカの歌曲である。カントリー・ミュージックの影響が強い曲であるが、ジャズ・ボーカルの分野で取り上げられることも多い。

概要[編集]

1946年ピー・ウィー・キングが作曲した曲に、レッド・スチュワートが詞をつけ、1948年に初めて録音された。カントリー分野ではハンク・ウィリアムスのバージョンが有名である。

1950年パティ・ペイジがカバーしたものが世界的なミリオンセラーとなった。ペイジのバージョンはヴォーカルが多重録音されていた。

オーティス・レディングは、アルバム『Dictionary Of Soul Complete & Unbelievable』(1966年)で取り上げた。また1993年にはホリー・コールがアルバム『Don't Smoke In Bed』でカバーしている。

歌詞は、「恋人とテネシーワルツを踊っていたら、旧友が来たので、彼氏を紹介したら、その友達にダーリンを盗まれてしまった」という話である。日本語の訳詞では主人公が女性から男性に代わっている。二部形式のスローワルツで、原盤では同じ歌詞が2度、日本語盤では英語と日本語で1節ずつ唄われている。

1956年テネシー州がこの曲を州歌の一つとした。

JBA7代目会長、長谷川幸保(1908~1968)が雑誌の「音楽とカクテル」の企画に創作カクテルとして同名のカクテルを発表した。

日本での歌唱[編集]

テネシー・ワルツ
江利チエミシングル
B面 家へおいでよ
リリース 1952年1月
規格 シングル
ジャンル ワルツ
レーベル キングレコード
作詞・作曲 和田壽三(訳詞)
江利チエミ シングル 年表
テネシー・ワルツ
1952年
ツゥー・ヤング
(1952年)
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日本では1952年和田壽三の訳詞によって江利チエミが歌唱したものが最も有名である。当時14歳だった江利チエミはデビュー曲として本楽曲を唄って40万枚を売り上げる大ヒットとなり、江利チエミの代表曲になった。

江利チエミの歌唱による「テネシーワルツ」の大ヒットは、チエミが「日本語と英語のチャンポン」というスタイルを用いたこともあり、それまで都市部中心でのブームであった「ジャズ」(当時は洋楽を総称してこう呼んだ)を全国区にするにあたり、牽引役を果たした。後のペギー葉山、そしてカントリーの小坂一也など、そしてロカビリーブームといった、日本における「カバー歌手」のメジャー化のさきがけを果たした。

1999年に公開された映画『鉄道員 (ぽっぽや)』では、本楽曲がテーマ曲として使用された。これは、この映画の主人公夫婦にふさわしいテーマ音楽を決める際に、チエミの元夫である高倉健が「僕なら、テネシー・ワルツですね」と発言したことによる。ただし、降旗康男監督が本楽曲を映画のテーマソングにすることを高倉に告げた際には、高倉は「個人的」と渋ったという[1]

日本では江利チエミなど1950年代のジャズ系歌手が歌ったが、2003年の『第54回NHK紅白歌合戦』では綾戸智恵(当時は「綾戸智絵」)のカバーが取り上げられた。

主なカバー[編集]

他に、柳がアルバトロスをバックにダイレクトカットで録音した8ビートのバージョンもある

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 「うたの旅人」(朝日新聞2009年5月16日)