八月真澄

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八月真澄
別名 青木マスミ、青木ますみ
生誕 (1948-08-08) 1948年8月8日(75歳)
出身地 日本の旗
活動期間 1971年 -
共同作業者 ヤング101
劇団四季
ウイリー沖山

八月 真澄(はづき ますみ、1948年8月8日 - )は、日本歌手でミュージカル女優ウイリー沖山の直弟子。

経歴[編集]

デビュー時代[編集]

NHKヤング101[1]の第二期生に合格して、青木マスミとしてNHK総合テレビジョン音楽番組ステージ101』に1971年7月7日に初出演。ヤング101には1974年3月31日の番組最終回まで在籍した[2][注釈 1][注釈 2]

ヤング101に在籍中の1973年12月に青木ますみ名義でシングル「16才の悲しみ」を発表[注釈 3]。この曲は当時制作中だった映画「十六歳の戦争」(1976年)の挿入歌である。

新田次郎が八月をモデルにした小説を連載執筆(「恋の鳥」/小説新潮/1977年11月号)。

ミュージカル時代[編集]

八月がはじめてミュージカルに出演したのは、1978年、東宝ミュージカル「アニー」初演におけるグレア夫人の役。

二度目のミュージカル出演は、帝劇ミュージカルの定番となる「レ・ミゼラブル」の1987年の初演。

1988年劇団四季の「オペラ座の怪人」初演コントラルト役で四季デビュー。

その後「35ステップス」初演、「美女と野獣マダム・ブーシュ役初演、「イリヤ・ダーリン 日曜日はダメよ」デスポ役、「ソング・アンド・ダンス」で次々とメインキャストを演じる。中でも「イリア・ダーリン」ではコミカルな演技と四季らしくないダイナミックな歌唱力が「かつてないデスポ役」と高く評価され、月刊「ミュージカル」の全国ミュージカル女優ベスト10にノミネートされた。

劇団四季退団後[編集]

  • 2005年夏:読売・日本テレビ文化センターの講座本部の依頼により恵比寿にて日本初のヨーデル講座を開講。(2020年閉講)
    • ヨーデルの個人レッスンなども積極的に実施。毎年ヨーデル受講生発表会ライブを開催しウイリー沖山の直弟子としてヨーデル普及のための力を注いでいる。またBelting歌唱法のインストラクターでもある。
  • 2005年11月:CD『This Is Masumi Show!』(Doyo-Net、R-0530844)を発表[3]
  • 2007年:日本ではじめての指導CD付ヨーデル教材「こうすればヨ~デル」を出版。
  • 2008年:ゲームの大手会社 バンダイナムコの「鉄拳6」のBGMにヨーデルのサウンドトラックを録音した。
  • 2009年 - 2010年:ニューヨークへVocal Lessonに留学。
  • 2010年6月9日:ニューヨークアポロシアターAmateur Nightに出演。
  • 2011年6月:E.I.E.N.Projectを発足。
  • 2011年9月:東日本大震災の救済支援活動としてチャリティコンサートに出演。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 知人のNHK美術部員に最終回のリハーサルを8ミリフィルム(音声なし)に撮影してもらい、長年保管していた。このフィルムをステージ101の貴重な映像として、2016年NHKアーカイブスに提供した。
  2. ^ 2003年10月21日夜、22日昼、夜の計3回にわたってBunkamuraシアターコクーンにて開かれたヤング101復活コンサート『ステージ101〜明日に架ける橋』に、当時の出演者名であった青木マスミを用いて元メンバー36名と共に出演し、「Aquarius/Let the Sunshine In」を中山エミと、「Stop! in the Name of Love」を豊岡三礼子(伊藤三礼子)浜岡万紗子と、それぞれ共演して披露したほか、石岡ひろしのソロにコーラスで参加した。22日夜のコンサートは、後日、BS2で放送された。
  3. ^ コロンビア、P-325。

出典[編集]

  1. ^ CD『GOLDEN☆BEST / ステージ101 ヤング青春の日々』(Sony Music House MHCL240-1)ライナーノーツ。
  2. ^ NHKアーカイブス”. 2023年2月17日閲覧。
  3. ^ tower.jp”. 2023年2月17日閲覧。

参考文献[編集]

  • 風間嵐、『ステージ101について』、2021年、CD『ステージ101 GO! / ヤング101』(CSレコード DQCL 3611-15)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]