音羽たかし
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(和田壽三から転送)
音羽 たかし(おとわ たかし)は、日本の訳詞家の名義。キングレコード文芸部のディレクターが日本語訳詞をする際に用いた共同ペンネームである[1][2]。
解説
[編集]本名義の由来は、キングレコードの本社所在地が東京都文京区音羽であることから[1]。
例えば、1952年に江利チエミが歌った「テネシーワルツ」を訳詞した音羽たかしは和田壽三ディレクターのペンネームとされる[3][4]。
キングレコードの常務を務めた牧野剛(まきの ごう、1925年 - 2009年8月6日、長崎県出身)もその一人であり、1960年代以降の「音羽たかし」名義の多くを担当していた。牧野は誤嚥性肺炎により2009年8月6日に埼玉県所沢市で84歳で死去したが[5]、訃報は音羽たかしの死去としても報じられた[5][6]。ディレクター時代には、ザ・ピーナッツやペギー葉山を担当[7]。平尾昌晃の「ダイアナ」、ザ・ピーナッツの「情熱の花」、ペギー葉山の「ケ・セラ・セラ」、西城秀樹「愛は限りなく-DIO COME TI AMO-」[8]、などの訳詞や作詞を行った。作品にはあらかわひろし、あらかはひろし等の別名義を含む。
脚注
[編集]- ^ a b 湯川れい子「フォー・シーズンズと60年代の日本のポップス」『映画芸術』2014年秋号 第449号、編集プロダクション映芸発行、p.45
- ^ 小西慶太『「村上春樹」を聴く。 ムラカミワールドの旋律』阪急コミュニケーションズ、2007年
- ^ 『日本流行歌史 中』社会思想社、1995年、p.228
- ^ レファレンス協同データベース
- ^ a b 音羽たかし氏死去…ザ・ピーナッツ「情熱の花」 ZAKZAK 2009年8月19日
- ^ 牧野剛氏死去 元キングレコード常務 47NEWS 2009年8月18日
- ^ 元キングレコード常務の牧野剛氏が死去していた スポニチ 2009年8月19日
- ^ 西城秀樹リサイタル/ヒデキ・愛・絶叫!