エマニエル夫人

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エマニエル夫人
Emmanuelle
監督 ジュスト・ジャカン
脚本 ジャン=ルイ・リシャール
製作 イヴ・ルッセ=ルアールフランス語版
出演者 シルヴィア・クリステル
音楽 ピエール・バシュレ
撮影 リシャール・スズキ
配給 日本ヘラルド映画
公開 フランスの旗 1974年6月26日
日本の旗 1974年12月21日
上映時間 91分
製作国 フランスの旗 フランス
言語 フランス語
配給収入 15億6000万円[1] 日本の旗
次作 続・エマニエル夫人
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エマニエル夫人』(エマニエルふじん、Emmanuelle)は、1974年フランス映画である。

概要[編集]

エマニュエル・アルサン小説『エマニュエル夫人』の映画化。タイバンコクを舞台に当地に赴任した外交官が、若妻を性的欲望に奉仕させるために自らの好みに飼育し[2]、その若妻が美しく開花して行くさまを描く[2]。当時のピンク映画ポルノ映画とは異なり、フランス映画独特の演劇的な演出と甘美でソフトタッチな映像、作品全体に漂うアンニュイな雰囲気が絶妙にマッチして若い女性観客層を魅了、大ヒットを収めた[2][3][4][5]女性が今日ほど開放されていなかった70年代に於いて「ソフトポルノ」と称された「一般映画」公開作品としては衝撃的な内容で[2]、日本女性の性の開放に一役買った[6][7]シルビア・クリステルはこの作品で世界的な名声を獲得する。

監督は元々ファッションフォトグラファーだったジュスト・ジャカンが務め、当時はファッションモデルとして活動しており、女優としては全く無名だったシルビア・クリステルをヒロイン役に抜擢する。大々的に初の女性向きソフトコアポルノとして宣伝され、特に日本で女性中心に大ヒットした。

以後シリーズ化され、後年になってからリメイクもされている[8]

なお一般的に本作品がエマニュエル・アルサンのエマニュエル・シリーズの初映像化と思われているが、実際は本作品発表から5年前の1969年イタリアで製作された『アマン・フォー・エマニュエル』(A Man for Emmanuelle、日本未公開)が最初である[8]。こちらはエマニエルをエリカ・ブランが演じた。

ストーリー[編集]

バンコクに住む外交官の妻であるエマニエルは、それなりに幸福ではあるが平穏すぎる日常に何処か退屈さを感じていた。そんなある日、エマニエルは知人の紹介で「性の儀式」を受け入れることになる。初めのうちは大人しかった彼女だが、次第に内に秘めた欲望を開花させ、性の解放とその真理を追求するため大胆な女性へと変貌していく…。

スタッフ[編集]

キャスト[編集]

役名 俳優 日本語吹替
テレビ朝日 テレビ東京
エマニエル シルビア・クリステル 山口いづみ 岡本麻弥
マリオ アラン・キューニー 横森久 佐々木勝彦
ジャン ダニエル・サーキー 羽佐間道夫 小川真司
マリアンジュ クリスティーヌ・ボワッソン 藤田淑子 伊藤美紀
ビー マリカ・グリーン 平井道子 一柳みる
アリアーヌ ジャンヌ・コレティン 鳳八千代

※ 2015年12月18日発売の『ユニバーサル思い出の復刻版 ブルーレイ』にはテレビ朝日版の日本語吹き替えが収録(放映時のカット部分は原語音声+字幕で対応)[9]

公開方法[編集]

全編セックスレズオナニーシーンのオンパレードで[10]、ポルノ指定を受けなかったのが不思議な映画である[10]。結局、数10ヵ所の削除・修正のうえ、一般映画として封切りされることが決まったが[2]、公開前より、女性層、特に女子高校生層の関心が高かったため、青少年保護の立場から一般映画として公開することが問題視された[2]地方自治体から「有害指定にすべき」と批判が寄せられたり[2]都道府県によっては、各都道府県の条例で勝手に条件付き上映を促すような動きが現れ、"映倫不在"の事態が生じた[2]。このため、1974年3月19日の映倫維持委員会総会において岡田茂委員長より会員全員に対し、映倫審査の厳守、無断改訂の禁止が再確認された[2]。この決定により、映倫審査終了後に上映プリント等の一部の改変(削除、増補、再編集等)は出来なくなった[2]。映画の表現方法は時代と共に変容し、その時々の社会風潮を反映する題材・描写は多様化するため、従来のように「一般映画」と「成人映画」の二種類のみに映画を分類・区別することに無理が生じてきた[2]。続編『続・エマニエル夫人』でも同じ問題が生じたため、映倫は「一般映画」と「成人映画」の中間段階に位置する新しいランク、一般映画制限付き(R) の新設を決定した[4][11]。R指定適用第一作は、1976年の唐十郎監督の『任侠外伝 玄海灘』(唐プロ制作、ATG配給)である[11]

作品の評価[編集]

日本公開に先立つ1975年12月7日付けの毎日新聞社夕刊は、本作を以下のように紹介している(スタッフ名、言い回し等は全て原文のママ) 「若い人妻の奔放な性行動を描いたフランス映画『エマニエル夫人』が近く公開される。1963年発表のエマニュエル・アルサンの同名評判小説をモード・カメラマン出身の監督、ジャスト・ジェーキンが処女作として製作したものだ。この『エマニエル夫人』のヒットで、ジェーキン監督のもとにはフランスの映画プロデューサーたちが競って企画が持ち込まれ、そのほかにも『エマニエル夫人』に追従する同種の作品が続々誕生する気配だ。内容は、パリから夫の赴任地であるタイのバンコクへ来たエマニエル夫人が、金と暇を持て余している現地のフランス人社会で、スカッシュ仲間の中年女性や遺跡発掘をしている男勝りの女性学者らと同性愛にふけったり、老プレイボーイに性テクニックの手ほどきを受けるといった日常を描くものだ。アメリカ映画界の、今やニューシネマの旗手と目されるジェリー・シャッツバーグ監督は、プロ・カメラマンの出身、また日本で新鮮な映像感覚をもって知られる斎藤耕一監督は、日活スチール・マン出身と、写真家の映画進出が盛んだが、この映画のジェーキン監督も、フランス版PLAYBOYの男性専門誌『Luiフランス語版』誌上で活躍していたカメラマンだ。エマニエル夫人を演じるシルヴィア・クリステルは、この『ルイ』やフランスのファッション雑誌ヴォーグ』を飾るトップ・モデル。オランダ生まれの22歳だが、成熟した女を感じさせる一方での子供っぽさ、あくなき好奇心と行動意欲に燃えながら、有閑夫人のどこか投げやりなけだるさを感じさせるエマニエル夫人をピッタリの役どころで演じている。監督は婦人専科のカメラマン、主演はトップ・モデルというこの映画は、雑誌のカラー・グラビアやわい色調の中に動き出したようなソフトな美しさ。日活ロマン・ポルノという言葉に対比すればムード・ポルノとでもいうようなあやしい官能のドラマである。パリで無修正の『エマニエル夫人』を見たというファッション関係者、観光OLも多く、話題はこの映画でもちきり。男性専用のアメリカ北欧西ドイツなどのポルノ映画に対して女性用ポルノ映画の登場といったところだ。なお、ジェーキン監督のもとでこの映画の撮影を担当しているのはリシャール・スズキという日系二世カメラマンだ」[12]

これらの記述から、本作は"ソフト・ポルノ"として宣伝されたと紹介されることが多いが[8][13][14]、"ソフト・ポルノ""ソフトコアポルノ""ソフトコア"といったフレーズが公開当時のその他の文献にも見つからず、1975年の映画界を総括した『キネマ旬報』1976年2月下旬号でも『エマニエル夫人』を"ファッショナブルなポルノ映画"と紹介しており、"ソフト・ポルノ"というフレーズを使っていない[15]。"ソフト・ポルノ"というフレーズがいつから使われるようになったのかは分からない。また"初の女性向きポルノ"といわれることもあるが、"女性向きポルノとして初めてヒットした映画"という言い方が正しい。"初の女性向きポルノ"として宣伝された映画は、1971年2月6日から2月19日までの二週間、丸の内松竹東急レックス、日活オスカーの三館で上映された『初体験』(『L'Initiationフランス語版』、東京第一フィルム配給)である[16]。同作は甘いシャンソンが流れ、ファッショナブルな内容で、東京第一フィルム宣伝部が「女性ポルノ映画」として売ったが先取りしすぎで大コケしていた[16]

また、当時ポルノ映画は、どの生産国も男性専用だったと見られ[16]、当然日本も同じで、ピンク映画、ポルノ映画は日本でも人気を博していたが、日本の興行者は女性向けのポルノなど誰も考えてはいなかった[17]。邦画で東映ポルノを製作配給、洋画(東映洋画)で洋ピンを配給していた岡田茂東映社長は[18]、本作を評して「あれは女性の見るポルノといえます。今までああいった映画は男性を対象に作っていた」[17]、大ヒットした理由について「まずヘラルド映画の宣伝の勝利、美しい映像と美しく華麗なエマニエル夫人を徹底的に美の象徴としてテレビCMとして売ったことだ。セリング・ポイントを的確に掴んだ上手さだ」と褒めちぎった[10]。岡田は『エマニエル夫人』の大ヒットに驚き、一時表面上は撤退していた東映ポルノの本格再開を指示し[17][19][20]、1975年からまた活発にポルノを作らせた[21][22][23][24][25]。また『続エマニエル夫人』を買い付けようとヘラルド、東和と争奪戦を演じたがヘラルドに負けた(契約は推定100万ドル)[26]

本作は社会現象にもなり、多くのエマニエル便乗商売を生んだ[8]。便乗映画としてはメジャー会社でポルノを製作していた東映と日活で『東京エマニエル夫人』という同名タイトルで映画製作がバッティングし[22][27][28][29][30][31]、日活ロマンポルノが先に五月みどり主演で『東京エマニエル夫人』を製作しようとしたが[22]、五月が日活の誘いを断り、代わりに田口久美主演・加藤彰監督で『東京エマニエル夫人』が日活で製作された[32]。同作は配収1億8000万円をあげ、ロマンポルノ始まって以来の大ヒットになり、続編『東京エマニエル夫人・個人教授』(藤井克彦監督)も製作され大成功を収めた[21][22][27][33][32][34]。東映はタイトルを『東京ディープスロート夫人』に変更し[22]、田口久美を主演に招き、同作を製作[22]。また五月みどり主演で『五月みどりのかまきり夫人の告白』を製作した[20][28][35][36]。外国人女優の招聘に実績を持つ東映は、海外市場も狙い[37]シルビア・クリステルを日本に招いて『現代ポルノ伝 先天性淫婦』とよく似たプロットを持つ『エマニエル夫人 京都の休日』なる、『ローマの休日』の"エマニエル夫人版"を企画[19][21][37][38]。シルビアのCMを撮っていた商社を通じて、シルビアサイドに1日の出演料100万~200万円以上で、撮影は京都で一週間程度という具体的条件を正式に出した[19][38]。合計1400万円なら、東映独立直前の高倉健の当時の一本のギャラと同程度だった[19]。東映サイドは「外タレは金さえ積めば必ず出る。現に色よい反応がある。京都を舞台に選んだのも彼女の気を引くためだ」などと強気の姿勢に出たが[19]、ヘラルド映画が「営業妨害だ」と怒って頓挫した[19]

興行成績[編集]

インディペンデント系の配給会社・日本ヘラルド(以下、ヘラルド)の本作の買い付け価格は、100万円とも[39]、9000万円とも[33]、数千万円とも[7]、フラットで3万ドル、TV東南アジア権利を含めて7万ドル、宣伝費、プリント経費など一切合切で総原価1億円とも[40]、6万ドルともいわれる[41]配収15億6000万円[1][41]、17億円の大ヒットを記録[22]。公開前から話題にはなっていたが、これほどのバカ当りになる予想したものはおらず、興行関係者を驚かせた[40]。1975年は史上初めて、邦画と洋画の配収比率が逆転し、洋画上位時代の始まりの年だが[42][43]、『タワーリング・インフェルノ』『大地震』などとともに洋画逆転に大きく寄与した[42][43]

1974年夏に本国フランスで公開されると『ラストタンゴ・イン・パリ』を凌ぐ大ヒットになったことから、ヘラルドから配給オファーを受けた東宝・映画興行部は、女性向けのヒット作が多い東京有楽町みゆき座で正月映画としての単館上映を決めた[41]。多彩な劇場チェーンを揃えた東宝の興行網と東宝洋画系の確かな目利きが無ければ、単なる洋画ポルノとして扱われ大ヒットもなかったといわれる[41]。社会現象を引き起こす程のヒットになったのは、イメージ戦略の勝利であった[7]

地域差はあるが全国平均で約75%が女性客だった[10]、男女カップルでは入りずらく、また女性一人で入りにくいことから、女性だけのグループで鑑賞が多く女性客の大動員につながった[10]。配給元のヘラルドもこれほど女性客が詰めかけるとは予想していなかった[10]。最初はみゆき座のみの単館上映で[44]、みゆき座は定員810のミドル級シアターであったが、1975年1月の一ヵ月で興収1億5000万円を記録し、前年の7月に丸の内ピカデリーが『エクソシスト』で樹立した1億4000万円を抜く月間新記録を打ち立てた。ヘラルドは週アベレージ1000万円で15週、1億5000万円を目標にしていた[40]古川勝巳ヘラルド社長は「8000万円でも損はない」と考えていたといわれるが[41]、みゆき座一館だけでは殺到するお客をさばき切れず、急遽『シネ・ブラボー!』を打ち切り、正月2日からシネマ2も空けて二館上映に変更した[40]。最終的にみゆき座だけで60日以上のロングランが行われ、37万人以上を動員し、興収約4億円、約30万人の女性客が詰めかけたといわれる[10]。みゆき座では約80%が女性客だった[10]。大ヒットで新宿他でも上映し[44]ブームは一年続いた[43]。フランスでも11年間上映が続いたとされる[4]

ヘラルドは大ヒットの要因を「女性向きの、美しいポルノチックな文芸作品で、徹底的に美しく、きれいに売り込んだこと、そして決め手になったのは、シルビア・クリステルの美しく透明感のあるヌード写真を使用したポスター成人映画とせずに一般映画としたこと」と分析した[40]。ヘラルドはまた、多くの女性客を呼び込めたのは、映画評論家や新聞・雑誌記者等のマスメディアが盛んに取り上げてくれたおかげと、マスメディアに敬意を示し、ヘラルドの試写室を豪華な椅子に交換した[41]。ポスターや新聞広告に使われた有名な椅子に座り、胸をはだけ足を組んで物思いにふけるエマニエル夫人の写真は[8][45][46]、映画のスチールではなく、シルビア・クリステルの専属カメラマンが『ルイ』のために特写したもので[40]版権を持つ日本代理店インペリアルからヘラルドが買って使用したもの[40]。使用料は100万円とするネット記事もあるが[45]、当時の文献には40万円と書かれている[40]松岡功東宝副社長は「うちでもこんな作品を作りたいと思っているが、スレスレの線でよく売り込みましたね。作品のカラーと劇場(みゆき座)がパッケージで合致しました。ほかの劇場ではこうはいかなかったと思います」と話した[40]

配給したヘラルドの社員全員には、給料一年分(20代社員でも300万円)といわれる伝説の"エマニエル・ボーナス"が出て[33][39]重役クラスなら東京近郊の土地が買えたと言われる[3]。またシルビア・クリステルのギャラは本作が3万ドル(約20万円)だったが『続・エマニエル夫人』は100万ドル(約7000万円)に跳ね上がり[33]、世界の大スター並みのギャラになった[33]。古川勝巳ヘラルド社長の手元には20億円の現金が残り、『地獄の黙示録』の買い付けに使われた[41][39]

エピソード[編集]

シルビア・クリステルは、コーヒーのCMに起用した味の素ゼネラル・フーズ、歌を歌わせるCBSソニー東宝東和の三社の招請で、1977年1月に初来日した[47]。1977年1月31日に行われた記者会見の質疑応答は面白みのないものだったが、同時期にフランスの雑誌『パリ・マッチ』に掲載されたインタビュー記事は、シルビアの本音が聞けて面白く、「ホントは映画なんて面白くない。不遇時代への恨みから映画に出ているだけ。女優なんて灰皿並みの扱いをされる職業。『エマニエル夫人』の出演を引き受けたのはオランダの映画界から足を洗うためよ。作品そのものは見始めて10分後には眠りこんでしまうほど退屈な映画ね。私に言わせればエロティシズムとは、眼差しの中にあるもの。断じて人のお尻にあるものではないわ。でも私は『エマニエル』に出たことを恥じてはいない。おかげで今や私は、作品を選べる立場になったんですもの」などと話し、富と名声を得た後にこそ言える"ポルノ映画批判"を行った[47]。この来日時には出演予定だった『夜のヒットスタジオ』をキャンセルし、芳村真理をカンカンに怒らせた[47]

ソフト状況[編集]

1975年には富士写真フイルム東映の提携で発売された『富士フイルム・東映8mm映画劇場』[48]の1作として本作のハイライトが日本で8ミリフイルムで売り出され、当時の日本における8ミリ映画としては異例の2万5000本を売り上げた[49]。8ミリフイルムが東映から発売されたのは、当時の東映社長・岡田茂がビデオがなかなか家庭に普及しない現状に痺れを切らし、8ミリフイルムでのホームシアター化を推進していたため(東映ビデオ#1970年代)。

脚注[編集]

[脚注の使い方]
  1. ^ a b 『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)332頁
  2. ^ a b c d e f g h i j k 映倫50年の歩み 2006, pp. 138–140.
  3. ^ a b 「東京国際映画祭」 古川勝巳 年譜(映画人生50年 永遠の青春) - ヘラルド OB会
  4. ^ a b c 竹野敏貴 (2012年12月25日). “性表現に大きな変化をもたらした70年代、そして今 シルヴィア・クリステル、若松孝二、2人の映画人の死に思うこと”. 日本ビジネスプレス. 2020年7月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月20日閲覧。
  5. ^ エマニエル夫人[R15+指定相当版]
  6. ^ 【MOVIEブログ】女性のための官能映画:『エマニエル夫人』三部作 女性の皆さん、シルヴィア・クリステルを追悼しましょう。
  7. ^ a b c 『エマニエル夫人』意外な功績”. 東スポWeb. 東京スポーツ新聞社 (2012年10月22日). 2020年7月18日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年7月18日閲覧。
  8. ^ a b c d e オッパイ丸出しで足を組み… 『エマニエル夫人』数多のスピンオフ生んだ「本家」は元祖に非ず
  9. ^ 「さらば友よ」野沢那智×大塚周夫&「エマニエル夫人」山口いづみの吹替を収録したブルーレイ・DVDが発売”. Stereo Sound ONLINE. ステレオサウンド (2015年10月21日). 2017年11月15日閲覧。
  10. ^ a b c d e f g h 金井康夫 (1975年2月21日). “デイリーアドバイザー 『エマニエル夫人』”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 3 
  11. ^ a b 映倫50年の歩み 2006, pp. 140–146.
  12. ^ “名付けてムード・ポルノ 話題の映画『エマニエル夫人』”. 毎日新聞社夕刊 (毎日新聞社): p. 7. (1975年12月7日) 
  13. ^ シルビア・クリステルとは - コトバンク”. 朝日新聞社. 2020年7月18日閲覧。
  14. ^ 『エマニエル夫人』
  15. ^ 黒井和男「1975年度日本映画外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行の総て」『キネマ旬報』1976年2月下旬号、キネマ旬報社、 118頁。
  16. ^ a b c “ポルノの先取りで失敗? ―初体験”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 5. (1975年11月20日) 
  17. ^ a b c “エコノミーいんたびゅー 東映社長 岡田茂氏 『男の闘映貫かせてもらいます』 群抜く企画で不景気と勝負”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 5. (1975年1月31日) 
  18. ^ 教科書 2016, pp. 182–184.
  19. ^ a b c d e f 「ひと・目・ひと・耳・ひと・口・ひと 舶来のピンク・ドジョウまで登場 続報・邦画四社の"柳の下"合戦」『週刊朝日』1975年8月8日号、朝日新聞社、 36頁。
  20. ^ a b “芸能ファイル”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 15. (1975年8月28日) 
  21. ^ a b c 「映画界東西南北談議 企画製作にもっと自信をもて 下半期の見通しも苦難の道か?」『映画時報』1975年8月号、映画時報社、 34–35。
  22. ^ a b c d e f g 杉作J太郎植地毅『東映ピンキー・バイオレンス浪漫アルバム』徳間書店、1999年、252-255頁。ISBN 978-4-19-861016-6
  23. ^ 桑原稲敏『切られた猥褻 ー映倫カット史読売新聞社、1993年、223-226頁。ISBN 4-643-93082-9
  24. ^ 「〈LOOK〉 東映が追及する新しい金脈とは」『週刊現代』1975年1月2日号、講談社、 35頁。
  25. ^ 「幻のポルノ『深いノド』(なんと字幕にオ〇〇コ)上陸す」『週刊文春』1975年4月23日号、文藝春秋、 21頁。
  26. ^ “エマニエル夫人2の配給権はヘラルド社に”. デイリースポーツ (デイリースポーツ社): p. 8. (1975年4月3日) 
  27. ^ a b “日活江守取締役の強気発言 年内綿密な番組を一挙発表”. 週刊映画ニュース (全国映画館新聞社): p. 4. (1975年7月26日) 
  28. ^ a b 藤木TDC「日本最高の熟女観音 それが五月みどり その魔性のフェロモン性を語る」『実話裏歴史スペシャルvol.28』2015年7月1日発行、ミリオン出版、 59-63頁。
  29. ^ 「何匹の男を食うか"五月かまきり"」『週刊読売』、読売新聞社、1975年10月25日号、 33頁。
  30. ^ 加東康一「再婚、五月みどり35歳 そのカマキリ的熟れ方」『週刊読売』、読売新聞社、1975年11月1日号、 134-135頁。
  31. ^ 伊地智啓『映画の荒野を走れ プロデューサー始末半世紀』インスクリプト、2015年、97-98頁。ISBN 978-4-900997-56-1
  32. ^ a b 黒井和男「1975年度日本映画外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行の総て」『キネマ旬報』1976年2月下旬号、キネマ旬報社、 114、116頁。
  33. ^ a b c d e “続エマニエル…好色一代女…東京ふんどし芸者… ポルノ台風の秋 ただ今接近中 窪園女史も"初吹き"”. サンケイスポーツ (産業経済新聞社): p. 11. (1975年8月23日) 
  34. ^ 「記録製作 配給界(邦画) 日活」『映画年鑑 1976年版(映画産業団体連合会協賛)』1975年12月1日発行、時事映画通信社、 100頁。
  35. ^ 「東映、半期45億円を目標に大進撃 岡田社長、陣頭指揮の企画作品発表」『映画時報』1975年8月号、映画時報社、 19頁。
  36. ^ 「岡田社長の陣頭指揮で秋に東映の大攻勢」『月刊ビデオ&ミュージック』1975年9月号、東京映音、 44頁。
  37. ^ a b 「東映、合作映画も含むラインアップ」『月刊ビデオ&ミュージック』1975年8月号、東京映音、 43頁。
  38. ^ a b 「〈LOOK〉 あのシルビアが東映ポルノに出る」『週刊現代』1975年8月14日号、講談社、 31頁。
  39. ^ a b c 斉藤守彦 (2016年7月18日). “「ハリウッドがひれ伏した銀行マン」を、正しく理解するために。”. Cinemas PLUS (株式会社クラップス). オリジナルの2020年7月20日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20191206054342/https://cinema.ne.jp/recommend/hollywoodbanker2016071810/ 2018年9月27日閲覧。 
  40. ^ a b c d e f g h i 「女性上位で配収新記録『エマニエル…』8億『個人生活』5億」『月刊ビデオ&ミュージック』1975年2月号、東京映音、 26–27頁。
  41. ^ a b c d e f g 教科書 2016, pp. 213–215.
  42. ^ a b 日本シナリオ作家協会編「作品解説 〈1975年概観〉 文・鬼頭麟平」『年鑑代表シナリオ集 '75』ダヴィッド社、1975年、351頁。
  43. ^ a b c 黒井和男「1975年度日本映画外国映画業界総決算 経営/製作/配給/興行の総て」『キネマ旬報』1976年2月下旬号、キネマ旬報社、 111、118頁。
  44. ^ a b 大森さわこ:ミニシアター再訪【第15回】芸術新聞社
  45. ^ a b あなたは『エマニエル夫人』を観たか:日経ビジネス電子版
  46. ^ 【みうらじゅんの収集癖と発表癖】 エマニエル椅子 座れば弥勒菩薩の気分!?
  47. ^ a b c 「Bunshun Who's Who 芸能 きけなかった名セリフ 意外におとなしかったS・クリステル」『週刊新潮』1977年2月10日号、新潮社、 18頁。
  48. ^ 富士フイルムのあゆみ AV市場への進出、富士フイルム公式サイト - 2019年3月17日閲覧。
  49. ^ 検証日本ビデオソフト史 5章 ハード機種混迷の中で 7. 8ミリフィルムとその後、日本映像ソフト協会。(インターネットアーカイブのキャッシュ)

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]