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「松本零士」の版間の差分

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* [http://www.shinjukuloft.com/galaxy/archive/e/2008/post_17.php 松本零士インタビュー(ルーフトップ★ギャラクシー)]
* [http://www.shinjukuloft.com/galaxy/archive/e/2008/post_17.php 松本零士インタビュー(ルーフトップ★ギャラクシー)]
* [http://galaxyexpress999.web.fc2.com/999/ 幻想軌道交通 銀河鐵道999・銀河鉄道物語の頁]
* [http://galaxyexpress999.web.fc2.com/999/ 幻想軌道交通 銀河鐵道999・銀河鉄道物語の頁]
* [http://www.leiji-matsumoto.ne.jp/ 夢は叶う 松本零士(asianbeatセレクション インタビュー)]
* [http://asianbeat.com/ja/selection/index.html 夢は叶う 松本零士(asianbeatセレクション インタビュー)]
* [http://www.leiji-matsumoto.ne.jp/ 松本零士先生の足跡を求めて(asianbeatセレクション)]
* [http://asianbeat.com/ja/selection/index.html 松本零士先生の足跡を求めて(asianbeatセレクション)]


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2008年11月20日 (木) 08:52時点における版

松本 零士
本名 松本 晟
生誕 (1938-01-25) 1938年1月25日(86歳)
日本の旗 日本 福岡県久留米市
国籍 日本
活動期間 1954年 -
ジャンル SF漫画
代表作銀河鉄道999
宇宙戦艦ヤマト
他多数
受賞 第3回講談社出版文化賞
(『男おいどん』)
第6回星雲賞
(『宇宙戦艦ヤマト』(TVアニメ))
第23回小学館漫画賞(『銀河鉄道999』『「戦場まんが」シリーズ』)
第7回日本漫画家協会賞特別賞
映画の日特別功労賞
紫綬褒章
公式サイト http://www.leiji-matsumoto.ne.jp
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松本 零士(まつもと れいじ、Leiji Matsumoto、1938年1月25日 - )は、日本の男性漫画家。本名松本晟(まつもと あきら)。福岡県久留米市生まれ。

代表作に『銀河鉄道999』など。SF漫画作家として知られるが、少女漫画、戦争もの、動物ものなど様々なジャンルの漫画を描いている。アニメの製作にも積極的に関わり、1970年代半ばから1980年代にかけては松本アニメブームを巻き起こした。アニメ化されてヒットした作品から冒険活劇の作家という印象もあるが、作品の多くに死の影や夜の色と不条理性がかぶさった、耽美的な要素を強く持つ。

東京都練馬区在住。宝塚造形芸術大学教授、京都産業大学客員教授、デジタルハリウッド大学特任教授を歴任。漫画家の牧美也子とは24歳で結婚。早稲田大学大学院教授で元三菱重工業長崎研究所主管の松本将は実弟。

経歴

福岡県久留米市で、石ノ森章太郎と同じ年月日に生まれる。6歳までは兵庫県明石市で過ごし、第二次世界大戦中は母親の実家がある愛媛県喜多郡新谷村(現在の大洲市新谷町)に疎開していた。このときアメリカ軍機動部隊の戦闘機や松山市へ空襲に向かうB29などの軍用機を多数目撃していた。この体験が後の作品に影響を与えたという。父親は陸軍航空隊の少佐でパイロット。四式戦闘機(疾風)に乗って、終戦の日まで連合軍と戦っていたという。また特攻隊の少年兵の教官を務めた。戦後、多くの元軍人パイロットが自衛隊入りしたのに対し、松本の父は「敵の戦闘機には乗れない。」と言い、野菜の行商をしながら線路脇のバラックに住みその境遇を自ら進んで赤貧へと落とした。しかし、家族で父に反対する者はおらず松本少年も「俺の父親は最高だ、父親と一緒にいられれば俺は満足。」と行商のリヤカーを押したという。この「本当のサムライとしての父のイメージ」は、後にハーロックや沖田十三のモデルとして、松本の作品に生かされていった。また松本自身、進駐軍兵士がばら撒くキャンディーなどを「食べたくて仕方なかったが全部下駄で踏みつけてつぶした。」という。

終戦後は福岡県小倉市(現・北九州市)に移る。小学生のときからの漫画少年で、高井研一郎らと同人グループ「九州漫画研究会」を結成し、同人誌「九州漫画展」を主宰。1954年福岡県立小倉南高等学校1年生のときの投稿作「蜜蜂の冒険」が『漫画少年』に掲載されデビュー。そのときから中央でも既に知られる存在で、手塚治虫が旅行先の九州で原稿を描くとき手伝いを頼んだというエピソードもある。高校卒業後の1957年毎日新聞西部本社版で連載をするはずだったが急に担当者が代わりその話は反故にされたものの、月刊少女雑誌『少女』の連載が決定して上京。『少女』と『少女クラブ』に不定期で描く少女漫画家で出発し、1960年前後から少年誌、青年誌にも進出。なおデビュー時は「松本あきら」名義を使用しており、「松本零士」を使うようになったのは1965年以降である(後述)。

少年時代から海野十三H・G・ウェルズSF小説を愛読して育ったため、SF漫画などを好んで描いていたが、不人気で打ち切りも多く、出世作となったのは1971年から『週刊少年マガジン』に連載した「男おいどん」である。大人気作となり、1972年に講談社出版文化賞受賞。松本ならではの、四畳半ものという独自のジャンルを開拓し、他に『元祖大四畳半大物語』『聖凡人伝』といった作品がある。

1974年から放映されたテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』には企画の段階から参加。メカニックデザイナーとしての招聘だったが、かねてからアニメ作りを願望していた松本は全面的に携わった。本放送時には低視聴率に終わったものの、再放送によって人気を得、1977年の劇場版アニメ公開時には社会現象を巻き起こした。これがアニメブームのきっかけとなり、松本はアニメ制作会社の東映動画にイメージクリエイターとして起用され、テレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』『SF西遊記スタージンガー』にデザインを提供。また、自らも企画として温めていた『銀河鉄道999』『宇宙海賊キャプテンハーロック』がヤマト人気によりアニメ化が決定され、特に『銀河鉄道999』は大ヒットし、松本零士ブームが到来した。数々の松本アニメが作られたが、やがて1982年の劇場アニメ『わが青春のアルカディア』、テレビアニメ『わが青春のアルカディア 無限軌道SSX』と1983年のヤマトシリーズ最終作『宇宙戦艦ヤマト 完結編』でひとまずブームは終息を迎える。1977年から1983年の6年ほどの松本アニメブームだった。

1980年代後半からは、宇宙開発事業団などさまざまな団体の役職に就任。また、漫画の執筆では、自作の異なる作品に登場した人気キャラクターを同一の作品世界にまとめる作業を進める。往年の松本アニメブームで育ったクリエイターにより、1990年代後半以降、再び松本作品を原作としたアニメのリリースが活発となった。

2003年には、画業50周年記念作品として『銀河鉄道999』から派生した『銀河鉄道物語』が発表され、のちにパチンコ化(CRフィーバー銀河鉄道物語)もなされた。

2006年に宝塚造形芸術大学のメディア・コンテンツ学部の教授に就任。

ペンネーム

デビューから1968年までは本名のひらがな表記である松本 あきらペンネームを使用。松本零士名義は1965年から松本あきら名義と並行して使い始め、1968年に松本零士にペンネームを一本化した。ペンネームの由来は、“零歳児の感性をいつまでも忘れずに”というモットー、夜半―午前零時を過ぎないとアイデアが浮かばない事が度々あった事、“毎日夜零時まで働く士(サムライ)”から。

2008年5月に北九州で行われた『毎日フォーラム』では“零士の零は無限大の「れい」、士は「さむらい」、また本名である「あきら」とも読む”と語った。零士を英語で表記する場合、Reijiとはせず、Leijiとする。Lは百獣の王Lion(ライオン)のLを使用するとのこと。

松本作品のスター・システム

松本零士作品には「ハーロック」や「トチロー」「エメラルダス」のように、複数の作品に登場するキャラクターが存在する。これは作品自体がクロスオーバーしていることもあれば、ただ名称が同じという場合もある。またパラレルワールドのように「背景世界はつながっていないが、その世界における性格や役割が似たキャラクター」として登場する場合もある。一種のスター・システムだといえる。

「ミーめ」あるいは「ミーくん」というトラジマの猫(飼い猫がモデル)と、首の長く奇声を発する奇怪な外見の「トリさん」も松本零士作品にしばしば登場する動物キャラクターである。

なお、原作者の松本自身も自分の作品が原作のアニメ映画に、隠れキャラクター的に登場している。

作品リスト

漫画

アニメ化された作品

原作がアニメ化されたもの、アニメの企画に関わったものを記す。アニメと並行して描かれたコミカライズ作品は前項に記す。

テレビ

映画

OVA

その他

その他の仕事

創作・著作権に対するスタンス

日本漫画家協会著作権部責任者やコンピュータソフトウェア著作権協会理事などの役職を持つ立場にあることもあって、著作権に対し敏感な面があり、過去に著作権関連のシンポジウムで「孫子の時代まで自分の著作権を守りたいというのが心情だ」と述べたこともあるほか、自らが過去に漫画の中で使用した台詞等の表現を『創作造語』と称し、それに似た表現を他者が無断で使うことに否定的な見解を示している[1]

松本が著作権に強硬なのは、経済的な側面[2]もさることながら、自分の預かり知らぬところで、第三者によって自分の創作が意図に反した使われ方をされるのが我慢できないからだという。松本は、『宇宙戦艦ヤマト』や戦場ものなどを描いており、戦没者や民族感情には敏感であり、2002年には自らが原作のテレビアニメ『SPACE PIRATE CAPTAIN HERLOCK』がダビデの星を敵のデザインに使ったことから、ユダヤ人感情に配慮して一時製作中止にさせたこともあった。権利関係に非常にシビアである印象をもたれるが、作家に対する敬意があり、無断で使うのでなければ他の漫画家やミュージックビデオ[3]、広告等に自作のキャラクターを使うことには比較的寛大で、過去に何度か例がある。自作を笑いのネタにしたパロディ的な引用にも、むしろ松本自身が面白がって快く許諾する傾向にある。

松本はフットワーク出版の『宇宙戦艦ヤマト伝説』で、『スター・ウォーズ』の企画書のレイア姫の初期設定は『宇宙海賊キャプテンハーロック』の有紀蛍と類似しており、『スター・ウォーズ』の初期企画に自作が影響を与えたと発言しているが、松本が「自身の作品の影響を受けた」とする作品の中には、本当に影響を受けたものかどうか不明なものも含まれている。

また、『銀河鉄道999』劇場版第2作『さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅』に登場する星野鉄郎の父親・黒騎士ファウストに関してはインターネットでの当作品のレビュー欄で、『スター・ウォーズ』旧3部作に登場するダース・ベイダーとの類似点を指摘するレビューがよく見られる上、宝島社の『完全版 銀河鉄道999 PERFECT BOOK』では、その子ルーク・スカイウォーカーと鉄郎の設定上の類似点などに言及した記述が見られる。星野鉄郎#鉄郎の父についての節も参照。

宇宙戦艦ヤマト裁判

『宇宙戦艦ヤマト』の著作権を巡って松本零士は、同作のプロデューサーだった西崎義展と争い、1999年に西崎を著作権者では無いとして著作権侵害で提訴。西崎側も反訴して、一審では松本側が敗訴の判決となった。控訴審中の2003年に法廷外和解した。

なお、この裁判で西崎に敗訴した際、「西崎は悪魔だ、彼に味方する人物も赦さない!」「私がいなかったら、作品の1コマも存在しない」とのコメントを一部マスコミに報道された。

裁判に至る前から西崎義展との仲は険悪だったと思われTV番組のロケ取材の際、松本の事務所に西崎から電話があったが電話を取り次いだアシスタントに一言「切れ」と命じたのを現場でインタビュアーとして取材していたタレントの北野誠が目撃している。

銀河鉄道999裁判

2006年10月に、槇原敬之CHEMISTRYに提供した楽曲『約束の場所』の歌詞の一部が、1996年より再開された新展開編『銀河鉄道999』の作中のセリフの盗用であると、松本零士は女性週刊誌やワイドショーに出演し槇原敬之を非難した。これに対して槇原は記者会見で否定し、同年11月7日付の公式ホームページにて「『銀河鉄道999』は個人的趣味で読んだことが無く、歌詞は全くのオリジナルであり、本当に盗作だと疑っているのなら(自分を告訴して)裁判で決着していただきたい」旨のコメントを発表している。松本が問題にしている漫画の台詞のみで盗作とする根拠は、「10年間講演などでこの言葉を幾度も語ったことがある。」と述べている。テレビでのコメントで松本は「槇原さんに電話した際、ゴメンと一言いってくれればそれで済ますつもりだった」と述べたが、槇原は「盗作してもいないのに謝るのは(盗作を)認める行為だ」と否定した。松本の「講演で幾度も語ったことがある」という主張もまぎれもない事実ではあり、盗作の可能性は槇原が100%盗作していないとも言い切れないが、槇原と松本の年齢は30近く離れており、槇原はすでに成人している段階で、「個人的趣味で読んだことがない」という主張もまた否定できない。

知的財産権という法律的なことから見ると、2006年11月11日放送分のテレビ番組『プライスバラエティナンボDEなんぼ』(関西テレビ)内で討論があり、その際に国際弁護士八代英輝が、裁判になったら、槇原が「盗作をしました」と明確に表現しない限り、松本の側が敗訴するのではないかという見方を示した。また2006年10月22日放送のテレビ番組『アッコにおまかせ!』(TBS)内でも法律家の意見を交えた回答でも松本側敗訴の見解を示されている。

2007年3月22日、槇原敬之が松本に対して、盗作だと言っている部分に対して証拠を示して欲しいと著作権侵害不存在確認等請求を東京地裁に起こした。裁判で松本側が盗作だという証拠が示せなかった場合は、CMソングの中止などにより、2,200万円の損害賠償請求も行った。これについて松本は3月26日のトークショーで「男たるもの、負けると判っていても戦わなければならない時がある」と述べ、また一連の訴訟について口頭弁論などに立つ気は無いとも語った。

2008年7月7日、東京地裁で槇原、松本が口頭弁論のため、事件以降、初めて顔を合わせた。 槇原はニュースやマスコミなどで取り上げられ、「泥棒扱いされて非常に不愉快だ」「問題の歌詞の部分は、仏教の因果応報の考えに基づいて独自で考えたもの」「謝れば許すつもりといっているが、それは罪を認める行為だ」と弁論。松本は「セリフと歌詞は座右の銘でとても大切なもの」「10年間講演で何度も語った」「一言謝ってくれれば許すつもりだったのに謝罪の一言すらない」「偶然に歌詞が似通うこどなど決してありえない」と反論した。しかし、松本の反論は槇原がすでに退廷したあとであった。

同年7月13日、よみうりテレビ、『ウラネタ芸能ワイド 週刊えみぃSHOW』にて井上公造は、『日本人なら、みんな999を知っている』との見解を語った。

アシスタント経験者

その他

  • 福島県などが主催する「全国高等学校パソコンコンクール」(パソコン甲子園)の審査委員長を務めている。
  • 代表作『銀河鉄道999』の生誕地は、昔松本零士が住んでいた福岡県北九州市小倉北区砂津朝日新聞の旧西部本社付近[4])である。映画版『銀河鉄道999』の主題歌を演奏したゴダイゴギタリスト浅野孝己が、上記の町に所在する大型商業施設チャチャタウン小倉屋外ステージで定期的にライブを実施。999の生誕地であるだけに『銀河鉄道999』も欠かさず歌っている。尚、西鉄は第2チャチャタウン小倉(仮名)を2008年度に計画詳細を決めて、2009年度に開業予定としているが、そこに松本零士を含め九州出身の漫画家・アニメーターなどの作品を収蔵する博物館を入れる計画がある。「思い入れのある場所だけに、ぜひ協力したい。九州は多くの漫画家を輩出しており、その業績を振り返る施設ができればと思う」と、松本零士は語っている。
  • 『インターステラ5555』は、フランステクノ・デュオ「ダフト・パンク」のミュージック・ビデオとも言えるアニメーション作品だが、松本零士が制作に携わった切っ掛けとして、この2人が幼い頃からの『宇宙海賊キャプテンハーロック』フリークであったことが知られる。2人は揃って日本の松本の自宅を直接訪問して制作を依頼した。
  • 宇宙への憧れが強く、「片道でもいいから俺を宇宙に行かせてくれ」などの言葉がある。また、民間宇宙飛行の第一号になるという夢を持っていた(しかし、第一号という夢は叶わなかった)。日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛は松本作品『ワダチ』の解説を執筆している。
  • ブライトリング等の航空腕時計が好きである。
  • 漫画古書のコレクター。特に手塚治虫の初期の希少な漫画本を多くの資料と共に保管。2002年にはSF作家小松左京がモリミノル名義で描いた赤本漫画の復刻に関わり、2005年阪本牙城タンクタンクロー』の復刻の際には原本の提供を行なった。その他にも漫画本の復刻の際に原本を提供することが多い。『漫画大博物館』という漫画の古書を図版で紹介するビジュアル百科事典も出版している。
  • 東京都練馬区に在住している縁で練馬区シャトルバスのラッピングやダイエー練馬店の4階自販機コーナーの名称が「銀河ステーション」である。
  • 前出のちほく高原鉄道CR75型車両の銀河鉄道999ペインティング列車がTOMIXからNゲージ鉄道模型化された際は、松本自らがその試作品の出来を細かくチェックして、完成度に満足した松本はその試作品の車両の屋根に製品化承認を意味する自身のサインをした。このサイン入りの試作品はTOMIX本社で大切に保管されている。

受賞歴

  • 平成13年(2001年紫綬褒章受章
  • 第7回(1978年度(昭和53年度))日本漫画家協会特別賞
  • 第23回(1977年度(昭和52年度))小学館漫画賞受賞(『銀河鉄道999』『「戦場まんが」シリーズ』)。
  • 映画の日特別功労賞
  • 講談社出版文化賞(1972年
  • 第6回星雲賞(1975年
  • 「漫画少年」第1回長編漫画新人賞(1954年

役職

脚注

  1. ^ 権利強化を求める権利者サイドの声〜パネルディスカッション - Internet Watch
  2. ^ 一度大ヒット作を世に出して以降、あとが続かなかった作家は、過去のヒット作の版権収入に頼るしかない部分がある。『キャンディ・キャンディ』の作画を担当したいがらしゆみこが版権をめぐって原作者の水木杏子とトラブルを起こしたことも、これに起因していると考えられている。
  3. ^ 電気グルーヴ『カフェ・ド・鬼(顔と科学)』など
  4. ^ 西部本社が移転の際、旧本社の屋上に建っていた電波塔の一部を松本が譲り受けている。

参考文献

関連項目

外部リンク