秋山豊寛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
Camera-photo Upload.svg 画像提供依頼:人の全体の画像提供をお願いします。2009年12月
秋山 豊寛
国籍 日本
誕生 1942年6月22日(74歳)
日本の旗 日本東京都
他の職業 ジャーナリスト(元・TBS記者)、京都造形芸術大学教授
宇宙滞在期間 7日21時間54分
ミッション ソユーズTM-11, ソユーズTM-10
記章 Soyuz TM-11 patch.png

秋山 豊寛(あきやま とよひろ、1942年(昭和17年)6月22日 - )は、日本ジャーナリスト、ソビエト連邦第3級宇宙飛行士、京都造形芸術大学芸術学部教授。元TBS[1]記者・ワシントン支局長。

TBSに勤務していた1989年から1990年にかけて、民間人では初めて商業宇宙飛行を利用するとともに、ジャーナリストでは初めて宇宙空間から宇宙を報道。現在は、初めて宇宙に行った日本人として、宇宙探検家協会(ASE、“宇宙飛行を経験した宇宙飛行士”の国際団体)の会員にもなっている。また、旧ソビエト連邦宇宙ステーションミールに滞在した唯一の日本人でもある[2]

人物・来歴[編集]

東京都出身。攻玉社高校を経て、国際基督教大学(ICU)教養学部社会科学科へ進学。秋山自身は、実家の経済状況が芳しくなかったことから、高校で学生生活を終えるつもりだったという。やがて、親戚の援助で攻玉社高校へ進むと、落語に興じるようになった(ゲストで出演したMBSラジオおとなの駄菓子屋』の2012年11月18日放送分より)。

大学卒業後の1966年にTBSへ入社(同期に城所賢一郎川戸惠子など)。入社後にラジオニュース部へ配属されると、収録番組の構成や、『ニュースハイライト』の取材などを担当した。入社2年目の1967年12月からイギリスのBBC(英国放送協会)へ出向。NHK朝日放送からの出向者とともに、BBC日本語放送での番組制作・取材に携わった。

BBCへの出向期間を終えた1970年から、TBSの外信部に配属。1976年には、後にTBSテレビでニュースキャスターを務める先輩記者の新堀俊明とともに、ベトナム戦争終結後のハノイを非共産圏ジャーナリストとして初めて取材した。1977年からは、政治部の外務省担当記者を経て、『おはよう地球さん』の海外取材ディレクターや『JNN報道特集』(いずれもテレビ番組)のディレクターを担当。1984年から1988年までTBSのワシントン支局長を務めた後に、外信部デスクを歴任した。

日本人初宇宙へ[編集]

1989年にTBSが、日本人のミール訪問に関する協定をソビエト連邦の宇宙総局と調印。TBS社内の98人の応募者の中から、同年9月に同僚の菊地涼子とともにTBSの2人の宇宙飛行士候補に選抜された。1989年10月から1990年11月まで、モスクワ郊外の星の街の宇宙飛行士訓練センターで訓練を行い、打ち上げ前日の1990年12月1日に国家審査委員会から宇宙飛行士の承認を受ける。TBSが調印した1989年時点では毛利衛スペースシャトルでの飛行が日本人初になるはずであった。ところが1986年のチャレンジャー号爆発事故で毛利の飛行が遅れたために、1990年12月2日、ソ連のバイコヌール宇宙基地より宇宙船ソユーズTM-11搭乗の秋山が、初めて宇宙へ行った日本人宇宙飛行士となり、同時に世界で初めて宇宙に行ったジャーナリスト(TBSのいう“宇宙特派員”)ともなった。TBSによる一連の番組は、「TBS宇宙プロジェクト『日本人初!宇宙へ』」と題し、テレビラジオ双方で連日放送した。打ち上げ、帰還時は長時間にわたる特別番組を放送し、全て生放送で模様を伝えた(打ち上げ時の視聴率は36%)。ソユーズTM-11が周回軌道にのった後、生中継で東京のスタジオからの呼びかけに対して、「これ、本番ですか?」という第一声を発したことはよく知られている。なお、帰還後に上梓した著書の中で、第一声は「宇宙は混沌としています」と発しようと考えていたが、実は宇宙は混沌とはしておらず、生中継に備えてツープ(ソ連宇宙飛行管制センター)と交信中に割り込んできた形となった東京からの呼びかけに思わず反応した「これ、本番ですか?」は、もっとも放送人らしい第一声だったのではないだろうか、と振り返っている。

翌日、宇宙ステーションミールとドッキングすると、乗組員兼ジャーナリストとして「日常」生活をリポートした。宇宙実験では、日本から持ち込んだカエルを無重力環境に置くとどうなるか、扇子で扇いで移動できるかといったことや、自らが被験者となり睡眠実験などの試みがなされた。宇宙から見た北海道を「おいしそうな昆布にみえます」とも言った。滞在中はひどい宇宙酔いに悩まされた(同乗したロシアの宇宙飛行士は、「あんなに吐く人間は見たことがない」と述べている(「ドラゴンフライ」より))。8日間の宇宙生活を終え、同年12月10日に、先にミールとドッキングしていたソユーズTM-10でカザフスタンのアルカリクに無事着陸。帰還した直後、マイクを向けられた秋山は「お酒が飲みたい。タバコが吸いたい」と話した。

地球帰還後とTBS退職後[編集]

地球帰還後は、TBS報道総局次長などを歴任したほか、『クイズダービー』の解答者、『ブロードキャスター』の初代コメンテーター、『筑紫哲也 NEWS23』で、筑紫哲也休暇期間中のキャスター代理を務めていたが、1995年にTBSを退職。宇宙飛行士だったということから、次第に会社での居場所がなくなっていったことを、退社した理由の1つに挙げている。宇宙に行ったことで、「お金権力や名声などと云ったものが、あまりにもちっぽけで、そういったものに興味が湧かなくなった」事も理由に挙げている。

1995年からは福島県移住した上で、「あぶくま農業者大学校」を主宰。自身もひとめぼれなどのの無農薬栽培を手掛ける一方で、「宇宙飛行士」の肩書で、環境についての講演や本の執筆活動をこなしてきた。なお、現在も旧ソ連認定の宇宙飛行士の資格は有効であるため[3]、『元宇宙飛行士』と紹介されるのは誤りである。2003年に日本で初めて開催されたASE主催の第18回世界宇宙飛行士会議に「宇宙飛行士、ジャーナリスト」の肩書きで実行委員会委員[4]として参加している。

2011年3月に、福島第一原子力発電所事故の発生を受けて、福島県から群馬県に避難。避難先でコシヒカリの無農薬栽培を試みる傍ら、“原発難民”の立場から、折に触れて原子力発電所放射能に関する意見も披露している。また、同年11月1日付で京都造形芸術大学の芸術学部教授に就任したことを機に、2012年からは、京都府内へ移住している[5]

なお、TBS退社後の2003年4月から2004年3月までは、福島県で農業に従事する傍ら、山陽放送(TBS系列局)の報道番組『どんぶらこ』でメインキャスターを担当。京都へ移住後の2012年10月からは、『with…夜もラジオと決めてます』(MBSラジオが、2012年度ナイターオフ期間に放送した4時間6分の生ワイド番組)水曜日のパーソナリティとして、TBS記者・宇宙飛行士としての経験談や“原発難民”としての意見などを語っていた。同番組終了後の2013年からは、同じ毎日放送(TBS系列局のMBSテレビ)が制作する関西ローカルの情報番組『ちちんぷいぷい』へ、パネラーとして不定期で出演している。

著書[編集]

関連人物[編集]

  • 菊地涼子 - 秋山の代替要員として一緒に訓練を受けた。打ち上げ前の最終チェックで問題はなかったが、打ち上げ直前に虫垂炎になり、バックアップ要員のいなくなった秋山がかなりのストレスを溜めてしまった、というエピソードがある。幸い手術が成功し、術後の経過も良好だったことから、地上でソユーズとミールに関するコメンテーターの役割を担った。元TBSカメラマンディレクターNIKKEI NET 特集「宇宙に広がるビジネスの夢と可能性」(外部リンク)参照
  • 毛利衛 - 1985年、NASAで秋山より先に宇宙飛行士となったが、1986年1月28日のスペースシャトルチャレンジャー」爆発事故の影響などにより毛利のフライトスケジュールが大幅に延期となったことから、実際の飛行は秋山の方が先となった。
  • 鈴木順 - TBSアナウンサー、1990年に秋山宇宙特派員打ち上げの実況放送を担当。
  • 新堀俊明 - 秋山とともに、非共産圏のジャーナリストとして、ベトナム戦争終結後のハノイを初めて取材。
  • 野口聡一 - 2009年12月21日、日本人では秋山に次ぎ2人目の「ソユーズ」に搭乗した宇宙飛行士。

関連項目[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 会社法人としては現在の東京放送ホールディングス。放送局としては現在のTBSテレビTBSラジオ&コミュニケーションズ。TBSの通称は、2009年3月まで東京放送のものであったが、同年4月の東京放送ホールディングスへの改称に伴い、TBSテレビへ引き継がれた。
  2. ^ さようなら、ミール!”. 日本惑星協会. 2015年8月1日閲覧。
  3. ^ 読売こころ塾 第28回 秋山豊寛さん宇宙から見た地球 命の塊
  4. ^ 第18回世界宇宙飛行士会議 実行委員会メンバーリスト
  5. ^ 日本初の宇宙飛行士秋山さん避難先転々 原発事故に怒り 朝日新聞 2011年12月7日

外部リンク[編集]