蛍池駅
蛍池駅 | |
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ほたるがいけ Hotarugaike* | |
所在地 | 大阪府豊中市蛍池中町三丁目 |
所属事業者 |
阪急電鉄 大阪高速鉄道(大阪モノレール) |
備考 | * 阪急はホームの駅名標に限り「HOTARUGAIKE」と表記。 |
蛍池駅 配線図 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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蛍池駅(ほたるがいけえき)は、大阪府豊中市蛍池中町三丁目にある、阪急電鉄・大阪高速鉄道の駅。大阪高速鉄道の駅番号は12。
概要
3つある阪急と大阪高速鉄道(大阪モノレール)との乗換駅の一つで、阪急側の駅は大阪モノレール蛍池駅の開業後、2003年から急行が停車するなど、他社線との接続駅として線内での重要性を次第に増してきた。また大阪国際空港の利用者は当駅で乗り換えて目的地、あるいは空港に向かう場合も多くなっていることから、空港へのアクセスルートを構成する駅としても重要性を増しており、現に2009年には大阪空港交通の川西池田駅行き空港バスは運行休止となった。梅田駅 - 大阪空港駅間において、阪急線・大阪モノレールを利用するルートは、定時性やフリークエンシー、運賃において空港連絡バスより優位に立っており、空港に向かう際に当駅を介してのモノレール・阪急線の利用を呼びかける広告も両社に見られる。
利用可能な鉄道路線
駅構造
阪急電鉄
阪急 蛍池駅* | |
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駅外観 | |
ほたるがいけ Hotarugaike | |
◄豊中 (1.4 km) (1.6 km) 石橋► | |
所在地 | 大阪府豊中市蛍池中町三丁目 |
所属事業者 | 阪急電鉄 |
所属路線 | ■宝塚本線 |
キロ程 | 11.9 km(梅田起点) |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 2面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
38,186人/日 -2010年- |
開業年月日 | 1910年(明治43年)4月25日 |
備考 | * 開業当初は螢ヶ池駅 |
相対式ホーム2面2線を有する地上駅である。分岐器や絶対信号機を持たないため、停留所に分類される。橋上駅舎を持ち、駅舎内には改札口が1か所とコンビニエンスストアのアズナスエクスプレスがある。ホーム有効長は8両編成分であり、10両編成の列車は停車しない。朝ラッシュ時の一部時間帯に当駅に停車する下り優等列車が設定されていないのは、その時間帯の下り優等列車は10両編成で運行されているためである。
以前は阪急電鉄の停車駅案内や駅名標に「大阪国際空港前」という副駅名が見られた。その後、関西国際空港開港後に一部で「大阪空港前」という案内に変更され、2004年以降は「大阪空港前」というアナウンスもなくなった。2011年時点では大阪空港へはモノレールに乗り換える旨の案内がなされるのみとなっているが、駅名標には副駅名の表示をテープで隠した跡が残っている。
1995年の橋上駅舎供用開始以前は、改札内に構内踏切が存在していた。この構内踏切は隣接する一般の踏切との距離が近く、改札内外への不正通行を防ぐため両踏切の間の軌道上には突起状の障害物や注意を促す看板が設置されていた。
のりば
ホーム | 路線 | 方向 | 行先 |
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1 | ■宝塚本線 | 下り | 宝塚・川西能勢口・石橋・箕面方面 |
2 | ■宝塚本線 | 上り | 大阪(梅田)・十三・神戸・京都・北千里方面 |
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駅構内
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地上駅舎時代の駅構内踏切
大阪高速鉄道(大阪モノレール)
大阪モノレール 蛍池駅 | |
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駅近影 | |
ほたるがいけ Hotarugaike | |
◄11 大阪空港 (1.4 km) (1.7 km) 柴原 13► | |
所在地 | 大阪府豊中市蛍池中町三丁目 |
駅番号 | 12 |
所属事業者 | 大阪高速鉄道(大阪モノレール) |
所属路線 | ■大阪モノレール線(本線) |
キロ程 | 1.4 km(大阪空港起点) |
駅構造 | 高架駅 |
ホーム | 1面2線 |
乗降人員 -統計年度- |
21,844人/日 -2009年- |
開業年月日 | 1997年(平成9年)4月1日 |
島式ホーム1面2線を有する高架駅。改札・コンコースは2階、ホームは3階にある。改札口は1か所。阪急の橋上駅舎および複合商業施設「ルシオーレ」とは改札と同じレベルで連絡する。
大阪モノレールにおける他社線との乗換駅では、モノレールの駅は接続路線のものに対して垂直あるいは斜めに配置されることが多いが、当駅は阪急蛍池駅に横付けするようなレイアウトになっており、大阪モノレール線内では唯一の例である。
コンコースには椅子や机が清涼飲料水の自動販売機と共に置かれている。大阪モノレールではこの設置スペースを「モノドリンク」と称している。
のりば
ホーム | 路線 | 行先 |
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1 | ■大阪モノレール本線 | 千里中央・万博記念公園・南茨木・門真市方面 |
2 | ■大阪モノレール本線 | 大阪空港行き |
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コンコース
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ホーム
利用状況
駅周辺
- 蛍ヶ池
- ルシオーレ - 西口の複合施設。
- 豊中市立蛍池図書館
- 豊中市蛍池公民館
- とよなかインキュベーションセンター MOMO(旧・蛍池公民館、麻田藩陣屋跡)
- 蛍池中央市場
- 豊中蛍池郵便局
- 独立行政法人国立病院機構刀根山病院
- 豊中市立蛍池小学校
- 豊中市立刀根山小学校
- 豊中市立第十八中学校
- 大阪府立刀根山高等学校
- 大阪医療看護専門学校
- 大阪大学豊中キャンパス(文・法・経・理・基礎工学部) - 大阪モノレール最寄り駅は柴原駅。
駅南方約400mの地点には、個人宅のための踏切が存在する。大手私鉄では極めて珍しい。
バス路線
- 64番(豊中病院線) 柴原駅(市立豊中病院)行(阪大豊中学舎経由)
- 64番(豊中病院線) 加島駅前行(豊中・緑地公園駅・豊南町南・大島町経由)
- (64番は土曜、日祝運休)
- 160番(阪北線) 日出町(阪急バス本社前)行(豊中・服部・庄内駅前経由)
- 160番(阪北線) 新大阪行(日出町・新高一丁目経由)
- 160番(阪北線) 大阪国際空港行
- 97番(豊中西宮線) 西宮北口行(朝1回のみ)
- 97番(豊中西宮線) 豊中行(夕1回のみ)
歴史
阪急蛍池駅の開業は宝塚本線開業の約一か月後のことである。駅名は駅の外れにある池の名称にちなんでいるが、池としての「蛍池」は駅から北東に約400m離れている。当駅付近は古くは麻田藩(→麻田県)青木氏の領地であり、本来なら駅名として「麻田」とするのが適当であるが、「駅名が『麻田』では面白くない」という、阪急の創業者小林一三の意向でより適切な駅名を検討した結果、当時の蛍狩りの名勝、蛍池を駅名に冠することとなったのだという[3]。その後、駅周辺の地名も駅に倣って「蛍池」となった。
大阪国際空港へは当駅から阪急バスが乗り入れていたものの、長らく急行の通過駅であったため、空港連絡は形ばかりのもので[4]、大阪モノレール開業6年後の2003年8月30日より急行・快速急行(快速急行は2006年に休止、急行に置き換え)が停車を開始したことで、空港連絡駅としての体裁をようやく整えた。
大阪モノレールは大部分で中央環状線に沿うように走っているが、中央環状線から外れる柴原駅 - 大阪空港間では用地買収が難航したため、大阪モノレールの蛍池乗り入れは大幅に遅れ、1994年9月から約2年半の間は、柴原駅が終着駅であった。大阪モノレール蛍池駅を含む区間が開業したのは当初開業予定の1991年から遅れること6年の1997年4月である。
年表
- 1910年(明治43年)4月25日 - 箕面有馬電気軌道(現:阪急)の螢ヶ池駅が開業。
- 1997年(平成9年)4月1日 - 大阪モノレール線が大阪空港駅まで延伸。同時に同線の蛍池駅開業、乗換駅となる。
- 2003年(平成15年)8月30日 - 快速急行(2006年に休止)・急行の停車駅となる。
隣の駅
脚注
- ^ 阪急電鉄 鉄道情報ホームページ 駅別乗降人員(上位50位)
- ^ 平成22年度大阪府統計年鑑第9章 (PDF) 200頁
- ^ 『阪急電車 駅めぐりー空から見た街と駅 宝塚線の巻ー』 阪急電鉄株式会社総務部広報課、1980年、24頁
- ^ 宝塚本線の輸送力が逼迫していたことに加え、阪急が資本参加している大阪空港交通との兼ね合いがあったともされている。