江草仁貴
広島東洋カープ #29 | |
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2012年4月15日 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県福山市 |
生年月日 | 1980年9月3日(43歳) |
身長 体重 |
178 cm 84 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 2002年 自由獲得枠 |
初出場 | 2003年9月21日 |
年俸 | 3,000万円(2012年) |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
この表について
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江草 仁貴(えぐさ ひろたか、1980年9月3日 - )は、広島東洋カープに所属するプロ野球選手(投手)。マネジメント契約先はスポーツビズ。
経歴
プロ入りまで
1980年に広島県福山市で生まれる。盈進高等学校から一般入試で専修大学に進学。3年時までは登板機会に恵まれなかったが、4年春の東都大学野球連盟2部リーグで5勝0敗の成績を残してMVPを獲得し、1部昇格の原動力となった。2部リーグ通算5勝0敗、1部リーグ通算1勝3敗。
阪神時代
2002年のドラフト会議において自由枠で阪神タイガースに入団。
2003年9月21日の対巨人戦でプロ初登板。2004年はプロ初先発も経験し、9試合と少ない登板数ながら防御率2.76を記録。
2005年シーズン当初は敗戦処理要員だったがツーシームを武器に頭角を現し、ロングリリーフもできる貴重な中継ぎ左腕としてフル回転、チームのリーグ優勝に貢献した。5月6日の対日本ハム戦で3番手として登板してプロ初勝利を挙げた際には、「僕でいいんですかね」とコメントしている。同年は同僚のジェフ・ウィリアムスによって、桟原将司・橋本健太郎の2人と併せてSHEと命名された。しかし同年の日本シリーズでは第2戦の8回にベニー・アグバヤニに対して、シリーズ1試合最多記録、シリーズ1イニング最多記録となる1打席3暴投を記録するなど活躍できなかった。
2006年より先発投手に転向。神宮球場での開幕カードの3戦目を託された4月2日(日曜日)には、8回終了時点で9対0の圧勝。99球を投じて4被安打という完封ペースだったが、WBCへ参戦しながら無登板で調整の遅れていた抑えの久保田智之に調整登板させたい首脳陣の意向もあって、8回限りで降板した。同月3度目の先発となった16日の対広島戦では初完封の機会が巡ってきたものの、9回表に力尽きて2失点。しかも開幕カードとは打って変わって、相手先発の黒田博樹から1点を奪うのが精一杯という味方打線の援護にも恵まれなかったため、当シーズン唯一の完投ながら敗戦投手となっている。なお、先発投手を6人でまかなうチーム事情もあって日曜日の試合に登板することが多く、「サンデー江草」と呼ばれた。また捕手との相性の関係で、主に浅井良とバッテリーを組んでいた。4月こそ5登板で3勝を挙げる好調さを示していたが、5月以降の登板では5回辺りで降板するような投球内容。5月27日の5勝目を最後に勝ち星から遠ざかった。6月下旬に久保田が右手骨折により離脱したことに伴い、シーズン途中に中継ぎに再転向した。しかし再転向後でも精彩を欠き[1]、登板機会が減った。同年12月1日に婚姻届けを提出。
2007年は同じ左腕の井川慶が移籍退団したこともあり先発でスタートする予定だったが、最初の先発登板となるはずだった試合が雨で流れ、以降中継ぎでの登板になった。シーズン当初からビハインド時、同点時、リード時問、JFKへのつなぎ役などとして登板し、50試合に登板して5勝0敗、防御率1.95を記録した。しかし、同年オフの契約更改では推定700万円(約27%)のアップを提示され保留、マスコミに対し「3年間頑張ったら上がると聞いていて、今年が3年目。もうちょっと評価して欲しい」「誰とは言わないが野手でポンと上がっている選手がいる」とコメントするなど、リリーフ投手に対する球団の査定方法に疑問を呈した[2]。最終的には3度目の交渉で合意。
また、同年まではコンタクトレンズを着用してプレーしていたがレーシック手術を受けて視力が回復した。両目共に視力が0.01から1.5になり、「花粉症でコンタクトレンズを付けているのに違和感があったけど、その心配がなくなった」「キャンプ中に涙目で投球練習を行う心配もなくなり、来年からに関しては心配ない」と語っている[3]。
2008年は前年に続き、中継ぎで2年連続50試合以上登板し、安定した成績を残した。
2009年3月22日、広島市民球場の最後のプロ野球試合となった広島東洋カープとのオープン戦で9回裏にリリーフ登板し、同球場のマウンドに最後に立った投手となった。同年は同じ中継ぎ左腕のウィリアムスが故障で離脱する中、62試合に登板。6月26日の対横浜戦では6者連続三振の快投を演じる[4]など、シーズン中盤までは安定した成績を残す。ところが、8月27日の対横浜戦では2死満塁の場面で登板しながら、押し出しとなる2四球・1死球を記録[5]。翌9月3日には、対ヤクルト戦で2点を追う8回表の1イニングを託されるも、1被安打を挟む3四球の押し出しで1失点[6]。この前々日(9月1日)でも3四球[7]しており、夏場以降は制球難から四死球や痛打[8]を受ける場面が増えた。
2010年は制球を意識してか、直球が平均130㎞/h台半ばに低下するものの、それでも制球難を克服できず、1軍と2軍を往復するシーズンとなった。1軍での登板試合は21試合にとどまり、防御率も5.12の成績に終わる。
2011年は小嶋達也、榎田大樹などの若手投手の躍進で1軍での出番は無く、5月25日、黒瀬春樹との交換トレードで埼玉西武ライオンズへ移籍[9]。
西武時代
西武に移籍し、不足していた左の中継ぎとして期待されたが、登板数は12試合で防御率5.63と、今一つの成績にとどまった。
広島時代
2012年3月10日に嶋重宣との交換トレードで広島に移籍し、1年足らずで再びセ・リーグでプレーすることになった。 背番号は29[10]。
プレースタイル
最速148km/h、平均140km/h前半の速球と、しばしばスライダーやフォークボールと誤認されるツーシームを軸に、フォーク、スライダーを交え、投球間隔を空けずに奪三振率の高い投球をする。細かい制球力に欠ける面があり、四球や暴投が多く、防御率に比べてWHIPが高い傾向にある。
詳細情報
年度別投手成績
年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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2003 | 阪神 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 15 | 3.0 | 4 | 1 | 2 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 2 | 2 | 6.00 | 2.00 |
2004 | 9 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 72 | 16.1 | 21 | 1 | 5 | 0 | 1 | 13 | 3 | 0 | 5 | 5 | 2.76 | 1.59 | |
2005 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 0 | 6 | .571 | 306 | 70.2 | 65 | 4 | 28 | 3 | 2 | 74 | 7 | 0 | 24 | 21 | 2.67 | 1.32 | |
2006 | 36 | 12 | 1 | 0 | 0 | 5 | 6 | 0 | 5 | .455 | 416 | 96.2 | 89 | 5 | 46 | 1 | 6 | 85 | 3 | 0 | 44 | 38 | 3.54 | 1.40 | |
2007 | 50 | 0 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 0 | 5 | 1.000 | 269 | 60.0 | 57 | 4 | 33 | 3 | 4 | 82 | 1 | 0 | 16 | 13 | 1.95 | 1.50 | |
2008 | 55 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | 0 | 9 | .750 | 251 | 58.1 | 55 | 3 | 29 | 1 | 1 | 54 | 3 | 0 | 18 | 18 | 2.78 | 1.44 | |
2009 | 62 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 0 | 11 | .444 | 274 | 63.0 | 50 | 3 | 40 | 0 | 2 | 65 | 5 | 2 | 21 | 19 | 2.71 | 1.43 | |
2010 | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 2 | 1.000 | 89 | 19.1 | 22 | 1 | 13 | 2 | 0 | 15 | 1 | 0 | 12 | 11 | 5.12 | 1.81 | |
2011 | 西武 | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | .000 | 41 | 8.0 | 7 | 0 | 9 | 1 | 0 | 6 | 0 | 0 | 8 | 5 | 5.63 | 2.00 |
通算:9年 | 297 | 13 | 1 | 0 | 0 | 22 | 16 | 0 | 41 | .579 | 1733 | 395.1 | 370 | 22 | 205 | 11 | 17 | 399 | 23 | 2 | 150 | 132 | 3.01 | 1.45 |
- 2011年度シーズン終了時
記録
- 初登板:2003年9月21日、対読売ジャイアンツ26回戦(東京ドーム)、4回裏に救援登板、3回2失点
- 初奪三振:同上、4回裏に清原和博から
- 初先発:2004年10月2日、対広島東洋カープ26回戦(広島市民球場)、7回1失点
- 初ホールド:2005年4月17日、対中日ドラゴンズ3回戦(ナゴヤドーム)
- 初勝利:2005年5月6日、対北海道日本ハムファイターズ1回戦(札幌ドーム)、7回裏2死から救援登板、1/3回無失点
- 初先発勝利:2006年4月2日、対東京ヤクルトスワローズ3回戦(明治神宮野球場)、8回1失点
- 初完投:2006年4月16日、対広島東洋カープ5回戦(阪神甲子園球場)、9回2失点で敗戦投手
背番号
- 26 (2003年 - 2011年5月24日)
- 14 (2011年5月25日 - 2012年3月9日)
- 29 (2012年3月14日 - )
登場曲
脚注
- ^ 阪神江草が背信連続四球…2軍再調整も-2006年7月10日閲覧
- ^ 阪神江草、700万円増の3300万円を保留-2010年6月19日閲覧
- ^ 左腕・江草「2年連続の無敗」へ レーシック手術で視力回復-2010年6月30日閲覧
- ^ 阪神江草は2回完全、6者連続空振り三振-2009年6月27日閲覧
- ^ 久保痛恨、江草も…魔の4連続押し出し-2009年8月28日閲覧
- ^ 久保が江草が、制球難で踏ん張りきれず-2009年9月4日閲覧
- ^ 阪神江草は3四球ノーコン病再発-2009年9月2日閲覧
- ^ 虎痛い!5点差守れず逆転負けで4位転落-2009年9月2日閲覧
- ^ “阪神が江草放出、レオ遊撃手・黒瀬を獲得”. サンケイスポーツ. (2011年5月25日) 2012年3月10日閲覧。
- ^ 共同 (2012年3月10日). “広島・嶋と西武・江草がトレード”. サンケイスポーツ 2012年3月10日閲覧。