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李冽理

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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李 冽理
基本情報
本名 李 冽理
通称 レツ
Let's Lee
階級 スーパーバンタム級フェザー級
身長 173cm
国籍 大韓民国の旗 韓国
誕生日 (1982-05-20) 1982年5月20日(42歳)
出身地 大阪府門真市
スタイルボクサーファイター
プロボクシング戦績
総試合数 22
勝ち 18
KO勝ち 9
敗け 3
引き分け 1
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李 冽理(リ レツリ(韓国語読みではイ・ヨルリ、이열리、北朝鮮語読みではリ・リョルリ、리렬리)、Ryol-Li Lee、男性、1982年5月20日 - )は、韓国プロボクサー。在日韓国人3世[1]大阪府門真市出身。元WBA世界スーパーバンタム級王者。元日本フェザー級王者。横浜光ボクシングジム所属。

来歴

大阪朝鮮高級学校でボクシングを始め、2年次に全国高等学校ボクシング選抜大会・バンタム級で優勝。朝鮮大学体育学部に進学し、4年次の2004年11月に全日本アマチュアボクシング選手権大会・ライト級で準優勝となった。2005年、徳山昌守の薦めもあり、横浜光ボクシングジムに入門した[1][2]

2005年9月20日、6回戦でプロデビューし、3回KO勝利を収めた。

2007年4月23日、8戦目で日本スーパーフェザー級9位の竜宮城(現・宮城竜太)と対戦するが7R負傷判定で0-3で敗れ、初の敗戦となる。

2007年10月31日、A級トーナメントで円谷篤史(アベ)を6R、TKO勝ちで下しA級トーナメントに優勝する。

2009年7月18日、元日本フェザー級、元OPBF東洋太平洋フェザー級王者でWBAフェザー級8位の榎洋之角海老宝石)と対戦、戦前の不利の予想を覆し2-1の判定勝ちで下し[3]世界ランク入りを果たした。

2010年2月6日、日本フェザー級王座決定戦でWBAフェザー級14位として日本同級1位高山和徳(船橋ドラゴン)と対戦し3-0の判定勝ちを収め王座を獲得した[4]。同年6月5日、1位の天笠尚(山上)と対戦し、3-0(97-94、98-93、98-93)の判定で初防衛に成功した[5][6]

2010年8月30日、同年10月2日にWBA世界スーパーバンタム級王者のプーンサワット・クラティンデーンジム(タイ)に挑戦することが発表された[7]。世界王座挑戦に伴い、日本王座は同月に返上した[8]東京都文京区後楽園ホールにて行われた同試合を12ラウンドフルに戦い抜き、3-0の判定で勝利して王座を獲得した[9]

2011年1月31日、東京・有明コロシアムで6位の下田昭文を挑戦者に迎えての初防衛戦。激しい打ち合いに終始するも、3度のダウンを奪われ(自身も1度のダウンを奪ったが)0-3の判定負け。防衛に失敗し、4か月弱で世界王座を手放した[10][11]

2011年8月6日、後楽園ホールで再起戦。元日本スーパーバンタム級王者福原力也とフェザー級ノンタイトル10回戦を行い、5回TKO勝ち。[12]

2012年2月14日、後楽園ホールで元日本スーパーバンタム級王者木村章司とフェザー級ノンタイトル10回戦を行い1-2の判定で敗れた[13]

戦績

  • アマチュアボクシング:55戦47勝 (25KO・RSC) 8敗
  • プロボクシング:22戦18勝 (9KO) 3敗 1分

獲得タイトル

脚注

関連項目

外部リンク

空位
前タイトル保持者
松田直樹
第56代日本フェザー級王者

2010年2月6日 - 2010年8月(返上)

空位
次タイトル獲得者
細野悟
前王者
プーンサワット・クラティンデーンジム
第30代WBA世界スーパーバンタム級王者

2010年10月2日 - 2011年1月31日

次王者
下田昭文