千葉大学
千葉大学 | |
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西千葉キャンパス正門よりシンボルである鐘を臨む。 | |
大学設置 | 1949年 |
創立 | 1923年 |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人千葉大学 |
本部所在地 |
千葉市稲毛区弥生町1-33 北緯35度37分35.4秒 東経140度6分8.8秒 / 北緯35.626500度 東経140.102444度座標: 北緯35度37分35.4秒 東経140度6分8.8秒 / 北緯35.626500度 東経140.102444度 |
学生数 | 13,983 |
キャンパス |
西千葉(千葉市稲毛区) 亥鼻(千葉市中央区) 松戸(千葉県松戸市) 柏の葉(千葉県柏市) |
学部 |
文学部 教育学部 法経学部 理学部 医学部 薬学部 看護学部 工学部 園芸学部 |
研究科 |
教育学研究科 理学研究科 看護学研究科 工学研究科 園芸学研究科 人文社会科学研究科 融合科学研究科 医学研究院 薬学研究院 医学薬学府 専門法務研究科 連合学校教育学研究科 |
ウェブサイト | http://www.chiba-u.ac.jp/ |
千葉大学(ちばだいがく、英語: Chiba University)は、千葉市稲毛区弥生町1-33に本部を置く日本の国立大学。1923年創立、1949年大学設置。大学の略称は千葉大(ちばだい)、千大。 旧官立大学で、医学部は新潟大学、金沢大学、岡山大学、長崎大学、熊本大学とともに旧制六医科大学の一つをルーツとする。
概観
千葉大学憲章
2005年10月11日の国立大学法人化をきっかけに理念、目標、行動規範が制定された。
- 『つねに、より高きものをめざして』
学風および特色
前身となった学校に個性的なものが多かったこともあり、国立大学としては独自色の強い学部・学科が多く、法経学部、園芸学部、看護学部は国立大学で唯一設置されている。千葉大学は、[THE-QS 世界大学ランキング](2011-12年版)において、国内15位、世界323位にランクインしている。また東洋経済調べの本学卒上場企業役員数は国内大学中64位(73人)で、県内の千葉工業大学と同ランクにつけている。 2006年、千葉ロッテマリーンズのボビー・バレンタイン監督が客員教授に、また同年、フリーアナウンサー(元TBS)で教育学部卒業生の木場弘子が特命教授に任命されている。
- 医学部
- 医学部は、戦前からの旧六医科大学のひとつで、1923年に設立された旧制千葉医科大学を直接の前身とする。さらに遡ると、創立は1874年の千葉町の共立病院となり、1876年の公立千葉病院の医学教場から医学教育を行ってきた。その後は、県立千葉医学校、第一高等中学校医学部、第一高等学校医学部、千葉医学専門学校を経て、1923年に千葉医科大学へと昇格した。第一高等中学校および第一高等学校は現在の東京大学教養学部である。
- 薬学部
- 明治23年 (1890年 )第一高等中学校医学部に設置された薬学科を起源とする歴史のある薬学部。昭和24年(1949年)に新制総合大学として千葉大学が発足した際、千葉医科大学附属薬学専門部を基礎として誕生し現在に至る。昭和39年(1964年)に大学院薬学研究科修士課程、昭和54年(1979年)に同博士課程併設。
- 昭和41年より、西千葉キャンパス。平成13年の大学院医学薬学府の発足に伴い、亥鼻キャンパスへの移転計画を開始。
- 看護学部
- 国立大学で唯一の看護学部である(他の国立大学は、医学部に保健学科や看護学科として設置されている)。
- 法経学部
- 最近設置された本学の法科大学院が2007年度の新司法試験合格率に関して一位になるなど好調な改革を続けている。なお法科大学院入学者に占める本学学部出身者の割合は平成19年度に0%、20年度15%、21年度は8%であったが、22年度には20%に向上した。
- 文学部
- 教育学部
- 千葉大学の設立時に千葉師範学校と千葉青年師範学校が統合、 学芸学部として誕生、翌年に東京医科歯科大学予科を包括し、学芸学部が文理学部と教育学部に改組されて現在に至る。千葉師範学校の源は明治5年の学制発布の年に溯れ、千葉大学の全学部中最古の歴史がある。
- 昭和57年度には大学院教育学研究科が設置される。教員として働く合間に通える夜間大学院などの制度を整備しており、長期研修制度と相まって現役教員も多く通っている。
- また、国立大学の教育学部としては数少ない幼稚園教員養成課程が設置されている。
- 教育学部の前身にあたる千葉師範学校は、水戸中学校(現在の茨城県立水戸第一高等学校)を破り、大正12年夏の第12回全国中等学校優勝野球大会に千葉県勢としては初の甲子園出場を果たし、甲子園では一回戦敗退となったものの卒業生は全員教員となり、千葉県野球の底辺拡大に貢献している。
- 理学部
- 理学部出身(生物学)の丸山工作学長の時代に、日本で初めて飛び入学(先進科学プログラム)を導入した。当初、物理学専攻だけであったが、現在、工学・人文科学の分野でも実施している。
- 工学部
- 工学部の母体である東京高等工芸学校(戦時中に東京工業専門学校と改称)は、戦前よりインダストリアルデザイン (工業デザイン)についての教育を行った数少ない学校である。その流れは現在もデザイン学科(旧称はデザイン工学科。工業意匠学科、建築学科、建築工学科の改組で設置)に受け継がれている。その他にも画像科学科や工学部全学科による造形教育カリキュラムなど、随所に工芸学校の流れを汲む。
- 東京高等工芸学校(東京工業専門学校)のテクノロジー部門は現在の東京工業大学。同校の存した場所である港区芝浦(JR田町駅前)の東京工業大学附属科学技術高等学校の敷地内に「千葉大学工学部発祥の地」と刻まれた碑が建立されている。
- この流れは現在まで国内の自動車メーカーや電機メーカーなどの企業のデザイン部門の責任者および主要スタッフに千葉大学工学部出身者が圧倒的に多いという実績になって現れている。(例:黒木靖夫・ソニー取締役副社長・クリエイティブ本部長・ウォークマン開発プロジェクトリーダー、トヨタ自動車平井和平デザイン本部常務役員)
- また、戦後に創立のデザイン系および写真(画像)系専門学校の創立者、近年既存の大学に増設された工業デザイン系の学科の教官、その他工業デザイン系の教育関係者などには千葉大学工学部出身者が非常に多く、インテリアプランナーなどの資格制度の制定についても千葉大学工学部が主導的な役割を担っている。
- 写真・印刷に始まる画像に関する教育、研究の歴史も長く、著名な卒業生も多い。現在は画像科学科と情報画像学科で関連の教育研究が行われている。2005年、旧・天然色工学研究施設 (現・環境リモートセンシング研究センター) 棟に保管されていた米ウォルト・ディズニー社の初期のアニメーション映画用原画約250点が発見され話題となった。当初、東京国立近代美術館に寄贈された物だったが、当時の源田秀三郎写真工学科教授が教育・研究用に譲り受け、36年間保管されていた。作品の中には、ウォルト・ディズニーが初めてフルカラーアニメーションで製作した「花と木」の原画も含まれていた。発見後、旧・写真工学科の流れを汲む教職員を中心に、工学部や大学本部の支援も得て、修復・整理が進められた。2008年、初期原画は米ウォルト・ディズニー社に返還され、謝意として作品のデジタルコピーと100万ドルが大学に寄贈された。
- 園芸学部
- 園芸学部は千葉県立園芸専門学校として発足して以来、100年の歴史と伝統を持つ。同窓会として戸定会が組織されている。
沿革
略歴
千葉大学はGHQによる指導のもと、1949年(昭和24年)の学制改革の際に新制大学として旧制千葉医科大学(医学部)を主な母体として設立された。
年表
- 1949年 千葉医科大学・同附属医学専門部・同附属薬学専門部・千葉師範学校・千葉青年師範学校・東京工業専門学校・千葉農業専門学校を包括して千葉大学が発足、学芸学部・医学部・薬学部・工芸学部・園芸学部を設置。(創立時は 本部事務局と医学部・薬学部は千葉市の矢作・亥鼻地区に、工芸学部・園芸学部は松戸市の岩瀬地区・戸定地区に、学芸学部は千葉市の市場町にそれぞれあった)
- 1950年 学芸学部を文理学部と教育学部に改組。
- 1951年 工芸学部を工学部に改称。
- 1952年 工学系短期大学として千葉大学工業短期大学部を開学。(1979年廃止)
- 1968年 文理学部を改組し、人文学部・理学部を設置。
- 1975年 看護学部を設置。
- 1981年 人文学部を改組し、文学部・法経学部・教養部を設置。
- 1994年 教養部を廃止。
- 2004年 国立大学法人法の規定により国立大学法人となる。キャンパスイノベーションセンター東京(JR田町駅前)内に「千葉大学東京サテライトオフィス」を開設。
- 2006年 薬学教育6年制移行により、薬学部薬学科を6年制に移行(総合薬品科学科廃止)4年制学科の薬科学科を設置。
- 2007年 自然科学研究科を改組し、理学研究科、工学研究科、園芸学研究科、融合科学研究科を設置。
- 2008年 工学部の学科改組。
- 2011年 薬学部・薬学研究院が西千葉キャンパスから亥鼻キャンパスへ移転。
基礎データ
所在地
教育および研究
組織
学部
- 文学部
- 教育学部
- 小学校教員養成課程
- 中学校教員養成課程
- 養護学校教員養成課程
- 幼稚園教員養成課程
- 養護教諭養成課程
- スポーツ科学課程
- 生涯教育課程
- 法経学部
- 理学部
- 医学部
- 医学科(6年制)
- 薬学部
- 看護学部
- 工学部
- 都市環境システム学科(2008年夜間主コース、1年次からの入学生募集停止、3年次への編入生募集継続)
- 建築学科
- デザイン学科
- 機械工学科
- 電気電子工学科
- ナノサイエンス学科
- メディカルシステム工学科
- 画像科学科
- 情報画像学科
- 共生応用化学科
- 園芸学部
大学院
- 教育学研究科(修士課程)
- 学校教育科学専攻
- 教科教育科学専攻
- 理学研究科
- 基盤理学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 地球生命圏科学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 看護学研究科
- 工学研究科
- 建築・都市科学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- デザイン科学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 人工システム科学専攻(博士後期課程・博士後期課程)
- 共生応用化学専攻(博士後期課程・博士後期課程)
- 園芸学研究科
- 環境園芸学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 人文社会科学研究科
- 地域文化形成専攻(博士前期課程)
- 公共研究専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 社会科学研究専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 総合文化研究専攻(博士前期課程)
- 先端経営科学専攻(博士前期課程)
- 文化科学研究専攻(博士後期課程)
- 融合科学研究科
- ナノサイエンス専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 情報科学専攻(博士前期課程・博士後期課程)
- 医学研究院
- 薬学研究院
- 医学薬学府
- 医科学専攻(修士課程)
- 環境健康科学専攻(4年制博士課程)
- 先進医療科学専攻(4年制博士課程)
- 先端生命科学専攻(4年制博士課程)
- 総合薬品科学専攻(修士課程)
- 医療薬学専攻(修士課程)
- 創薬生命科学専攻(博士後期課程)
- ※研究院は教員、学府は学生が所属する大学院組織
専攻科
- 特殊教育特別専攻科
別科
- 園芸別科
附属機関
- 医学部附属病院
- 附属図書館(本館、亥鼻分館、松戸分館)
- 教育学部附属教育実践総合センター
- 看護学部附属看護実践研究指導センター
- 工学部附属創造工学センター
- 医学薬学府附属薬用資源教育研究センター
- 環境リモートセンシング研究センター
- 真菌医学研究センター
- 分析センター
- 総合メディア基盤センター
- 先進科学研究教育センター
- 普遍教育センター
- 国際教育センター
- 言語教育センター
- 海洋バイオシステム研究センター
- 銚子臨海実験所
- 小湊臨海実験所
- フロンティアメディカル工学研究開発センター
- 創造工学センター
- 環境健康都市園芸フィールド科学教育研究センター
- 千葉大学柏の葉診療所
- バイオメディカル研究センター
- ベンチャービジネスラボラトリー
- アイソトープ実験施設
- 社会精神保健教育研究センター
- 地域観光創造センター
- 予防医学センター
- アカデミック・リンク・センター
研究
21世紀COEプログラム
21世紀COEプログラムとして、4件のプロジェクトが採択された。
- 2003年
- 革新的な学術分野
- 持続可能な福祉社会に向けた公共研究拠点
- 2004年
- 医学系
- 消化器扁平上皮癌の最先端多戦略治療拠点
- 日本文化型看護学の創出・国際発信拠点(実践知に基づく看護学の確立と展開)
- 数学・物理学・地球科学
- 超高性能有機デバイスフロンティア
グローバルCOEプログラム
グローバルCOEプログラムとして、現在2件のプロジェクトが採択されている。
- 2008年
- 医学系
- 免疫システム統御治療学の国際教育研究拠点
- 数学・物理学・地球科学
- 有機エレクトロニクス高度化スクール
教育
- 特色ある大学教育支援プログラム
- 2005年
- 診断能力向上をめざす臨床医学教育の取組み
- 2006年
- 学生主体の環境マネジメントシステムの運営
- 2005年
- 教員養成推進プログラム
- 2005年
- 広域大学間連携による高度な教員研修の構築(共同申請)
- プレ10・ポスト10教員研修プログラム(単独申請)
- 2005年
- 「魅力ある大学院教育」イニシアティブ
- 2005年
- 高度デザイン研究者養成プログラム
- 地球診断学創成プログラム
- 情報集積型医療創薬を担う若手研究者の育成
- 2005年
大学関係者と組織
大学関係者一覧
施設
キャンパス
西千葉キャンパス
- 使用学部:文学部、教育学部、法経学部、理学部、工学部
- 使用研究科:教育学研究科、人文社会科学研究科、自然科学研究科、専門法務研究科、連合学校教育学研究科
- 使用附属施設:分析センター、先進科学研究教育センター など
- 交通アクセス:JR総武線西千葉駅より徒歩1分・京成電鉄千葉線みどり台駅より徒歩7分
千葉大学の本部はこのキャンパスにある。開学当初は、教育学部は千葉市市場町に、教育学部分校が四街道市に、文理学部は千葉市小仲台に、工学部は松戸市岩瀬に点在していた典型的な蛸足大学であった。1962年に文理学部と教育学部が、1964年に工学部が西千葉キャンパスに移転し現在に至っている。西千葉キャンパスは戦前は陸軍敷地であり、戦中・戦後は東京帝国大学第二工学部・生産技術研究所の敷地であった。そのため現在でも西千葉キャンパスの敷地に東京大学生産技術研究所の敷地が大きく食い込んでいる。
亥鼻キャンパス
戦前から千葉医科大学の敷地であった。2011年9月に薬学部・薬学研究院が西千葉キャンパスから移転した。
松戸キャンパス
園芸学部源流の千葉県立園芸専門学校の設置された東葛飾郡松戸町戸定丘(現・松戸市松戸)は、元々は県立千葉中学校松戸分校(1901年創立、1906年廃止)の校地であった。同校地は、東葛飾郡会議員・山下寅吉が設立した私立松戸中学校に貸与されたが、同校も廃止となった(千葉県の旧制中学校の一覧を参照)。この経緯から、千葉県立園芸専門学校には創設当初、私立松戸中学校の在校生を編入するための予科が設置されていた。戸定校地は、後身の千葉県立高等園芸学校・千葉高等園芸学校・千葉農業専門学校に引き継がれ、さらに新制千葉大学園芸学部の松戸キャンパスとなり、現在に至っている。
移転問題
東京大学生産技術研究所千葉実験所の移転計画により、東京大学側から約9haにわたる跡地購入を打診され、千葉大学側はここに園芸学部移転の検討を進めている。結論は2009年3月までに東京大学側に伝えられる予定だったが、移転により広大な緑地を失いかねないとして地元住民の反対が根強く、松戸市議会も「移転凍結を求める決議」を採択するなど、千葉大学側に移転しないよう要望しているため結論が出ていない[1]。2009年4月15日に行われた移転に反対する住民との懇談会で、千葉大学側から「夏までには東京大学側に回答する」との談話が出ている。2009年7月7日に大学は臨時役員会を開き、東京大学生産技術研究所跡地を購入しないことを正式に決定する。これにより、園芸学部移転は白紙となった。理由として、移転費用の財源確保ができないためとされ、仮に移転した場合、園芸学部用地と環境健康フィールド科学センターの所在する柏の葉キャンパス用地を売却したとしても大幅な赤字が予想されるためとしている[2]。
柏の葉キャンパス
附属学校
脚注
- ^ 千葉大学園芸学部の移転検討問題について - 千葉県松戸市
- ^ 千葉大 園芸学部移転を断念 産経新聞 2009-07-07
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