八重樫東
基本情報 | |
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本名 | 八重樫 東 |
階級 | ミニマム級 |
身長 | 161.5cm[1] |
リーチ | 162.0cm[1] |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1983年2月25日(41歳) |
出身地 | 岩手県北上市 |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 17 |
勝ち | 15 |
KO勝ち | 8 |
敗け | 2 |
八重樫 東(やえがし あきら、男性、1983年2月25日 - )は、日本のプロボクサー。岩手県北上市出身。現WBA世界ミニマム級王者。元日本ミニマム級王者。元OPBF東洋太平洋ミニマム級王者。大橋ボクシングジム所属。血液型はO型[2]。
来歴
黒沢尻工業高校でインターハイ優勝。その後拓殖大学に進学し、国体で優勝。副主将も務めた。アマチュア戦績70戦56勝14敗。卒業後、大橋ジムに入門。
2005年3月26日プロデビュー。デビュー以来3試合連続2R以内でのKO勝利と4連勝。
2006年4月3日、横浜文化体育館でウィーラサック・チューワッタナとのOPBF東洋太平洋ミニマム級王座決定戦に挑み5RKO勝利、プロ5戦目で王座を獲得した。
2006年9月18日、リエンペット・タイヨンを下し初防衛に成功した。
2007年2月、OPBF東洋太平洋王座を返上。
2007年6月4日、パシフィコ横浜でイーグル京和の持つWBC世界ミニマム級王座に挑戦も、2Rに偶然のバッティングから顎関節骨折をするアクシデントもあってか、0-3の判定負けを喫し戴冠ならず。戦前大橋秀行会長は、プロ最短の7戦目で世界タイトルを獲得させるとコメントしていたが、達成できなかった(後に井岡一翔がプロ7戦目での世界タイトル奪取を達成)。
2008年4月30日、骨折後の復帰戦に3-0の判定勝ちを収めた。
2008年7月1日、日本タイトル挑戦権獲得トーナメント準決勝で辻昌建に判定負けで敗れ、敗退。
2008年10月18日、復帰戦を須田拓弥とライトフライ級で行い8R判定で勝利。
2009年6月21日、松下IMPホールで空位の日本ミニマム級王座決定戦を同3位として1位の堀川謙一と争い、3-0(96-95、97-95、97-94)の判定勝利で王座を獲得した[3][4]。
2009年9月5日、4度目の王座挑戦となる1位の金田淳一朗と対戦。接近しての打ち合いを仕掛ける金田に対し足を使ってカウンターを放ちながら、中盤以降は打ち合いにも応じて激しい打撃戦となり、3-0(98-92、98-92、99-91)の判定勝利で同王座の初防衛に成功した[5][6]。八重樫はこの試合に対し、東日本ボクシング協会の平成21年9月度月間最優秀選手賞を受けた[7]。
2010年5月1日、1位の武市晃輔と対戦し、初回にダウンを喫したが3-0の判定勝利で2度目の防衛に成功した[8][9]。
2010年10月に結婚。現在夫人との間に長男(夫人の連れ子)と長女(同年11月に誕生)がいる[2]。
世界王座獲得
2011年10月24日、WBA世界ミニマム級王者ポンサワン・ポープラムック(タイ)に挑戦し、序盤から激しい打ち合いに終始した末に10回TKO勝ちを収めて、4年ぶり2度目の挑戦で世界王座の獲得に成功した。この試合はESPN.comで年間最高試合賞を獲得し[10]、またWBAの年間賞では「最も劇的な試合」(Most Dramatic Fight of the Year) に選出された[11]。また、ESPN.comと提携するGrantland.comでは、『リング』誌の元編集長で現在はBWAA(米国ボクシング記者協会)メンバーのエリック・ラスキンが、YouTubeで観たこの試合を年間最高試合と位置付け[12][13]、特にその7回[14]は年間最高ラウンド賞に値すると述べており[12]、同記事は英国の月刊専門誌『ボクシング・マンスリー』2012年1月号にも掲載されている[15]。
2012年6月20日、初防衛戦。ボディメーカーコロシアム(大阪府立体育会館)でWBC世界ミニマム級王者井岡一翔(井岡ジム)との統一戦(日本人同士による(男子かつ同一階級で)初のWBA・WBC世界王座統一戦)に臨む[16]。
獲得タイトル
- 第11代OPBF東洋太平洋ミニマム級王座(防衛1=返上)
- 第23代日本ミニマム級王座(防衛3=返上)
- 第20代WBA世界ミニマム級王座(防衛0)
受賞歴
- プロ・アマチュア年間表彰
- ESPN.com 年間最高試合賞[10]
- WBA 最も劇的な試合賞[11]
人物
名前は「東」と書いて「あきら」と読ませるが、大抵は「ひがし」あるいは「あずま」と読まれてしまうため、初対面の人にまともに名前を呼ばれたことがないという。なぜこのような読みになったかは「よくわからない」とのことで、本人はスポーツ紙の取材に対し「世界王者になったら両親に由来を聞こうと思っているが、その代わり負けたら一生聞かない」と語っている[2]。
脚注
- ^ a b “「逃げるな」に八重樫反撃 世界戦予備検診”. ボクシングニュース「Box-on!」 (2011年10月22日). 2012年2月29日閲覧。
- ^ a b c 東京中日スポーツ・2011年10月14日付 6面「コンフィデンシャル」
- ^ 八重樫、涙の新王者! 世界再挑戦へ…日本ミニマム級王座 スポーツ報知 2009年6月22日閲覧
- ^ 八重樫が新王者! 堀川に判定勝ち ボクシングニュース「Box-on!」 2009年6月21日
- ^ 八重樫が初防衛 プロボクシング日本ミニマム級 岩手日報 2009年9月6日閲覧
- ^ 八重樫、金田制して初防衛-日本ミニマム級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年9月5日
- ^ 9月のMVPに八重樫 東日本ボクシング協会 ボクシングニュース「Box-on!」 2009年10月3日
- ^ 八重樫が3-0判定でV2 日刊スポーツ 2010年5月1日閲覧
- ^ 八重樫ダウン挽回、苦闘のV2 日本ミニマム級戦 ボクシングニュース「Box-on!」 2010年5月3日
- ^ a b Dan Rafael (2011年12月30日). “Fight of year: Yaegashi-Porpramook” (英語). ESPN.com. 2012年2月29日閲覧。
- ^ a b Kittipong Thongsombat (2012年2月4日). “Ex-champion Khaosai named WBA legend” (英語). バンコク・ポスト. 2012年2月29日閲覧。
- ^ a b Eric Raskin (2011年11月1日). “The Fight of the Year, Courtesy of Two 105-Pound Men” (英語). Grantland.com. 2012年2月29日閲覧。
- ^ Eric Raskin (2011年12月30日). “Yaegashi-Pornsawan stands tall in 2011” (英語). ESPN.com. 2012年2月29日閲覧。
- ^ WBA世界ミニマム級タイトルマッチ ポンサワン×八重樫7R (テレビ番組). テレビ東京公式YouTubeチャンネル. 24 October 2011. 2012年3月22日閲覧。
- ^ 草野克己 (2012年2月28日). “八重樫―ポンサワンこそ最高試合 米ボクシング記者協会ラスキン氏”. 福井新聞 2012年2月29日閲覧。
- ^ 井岡と八重樫が統一戦 6・20大阪2012年4月9日 日刊スポーツ
- ^ “2006年度年間優秀選手表彰式開催”. 日本ボクシングコミッション (2007年1月23日). 2012年2月29日閲覧。
- ^ “年間優秀選手決定”. 日本ボクシングコミッション (2012年1月6日). 2012年2月29日閲覧。
関連項目
外部リンク
空位 前タイトル保持者 ロデル・マヨール |
第11代OPBF東洋太平洋ミニマム級王者 2006年4月3日 - 2007年2月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 和賀寿和 |
空位 前タイトル保持者 金光佑治 |
第23代日本ミニマム級王者 2009年6月21日 - 2011年9月(返上) |
空位 次タイトル獲得者 三田村拓也 |
前王者 ポンサワン・ポープラムック |
第20代WBA世界ミニマム級王者 2011年10月24日 - 現在 |
次王者 N/A |