中原昌也

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中原 昌也
(なかはら まさや)
誕生 (1970-06-04) 1970年6月4日(53歳)
日本の旗 日本東京都港区青山
職業 ミュージシャン映画評論家小説家画家イラストレーター
国籍 日本の旗 日本
代表作 『あらゆる場所に花束が…』(2001年)
『名もなき孤児たちの墓』(2006年)
主な受賞歴 三島由紀夫賞(2001年)
野間文芸新人賞(2006年)
ドゥマゴ文学賞(2008年)
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中原 昌也(なかはら まさや、1970年6月4日 - )は、日本ミュージシャン映画評論家小説家エッセイスト画家イラストレーター

文化学院高等課程中退。1988年頃より音楽活動を始め、1990年にノイズユニット暴力温泉芸者を立ち上げ、海外公演などを通じて日本国外でも高い評価を受ける。音楽活動と平行して映画評論も手がけ、1998年には小説家としてデビュー、2001年に『あらゆる場所に花束が…』で三島由紀夫賞2006年『名もなき孤児たちの墓』で野間文芸新人賞を受賞。2009年以降は文筆活動は大幅に減り、Hair Stylistics名義での音楽活動や、画家・イラストレーターとしての美術活動が中心になっている。その作品はスカムモンドの影響を感じさせるもので、露悪的でアヴァンギャルドな性質から好悪がはっきり分かれる類のものである。

父は絵本作家・イラストレーター中原収一(なかはら しゅういち、1936年 - )。

略歴

1970年東京都港区青山に生まれる。小学生時代から海外の前衛文学を愛好。また映画雑誌『スターログ』を購読していた。中学生時代には、佐藤重臣主催のカルト映画上映会「黙壷子フィルムアーカイブ」に参加、大きな影響を受ける。映画に興味を持つ一方でノイズミュージックにも興味を示し、1988年頃より音楽活動を開始。1990年にアメリカのインディペンデントレーベルRRRecordsから「暴力温泉芸者」名義でマゾンナとのスプリットLPを出し、以降ソニック・ユースベックジョン・スペンサーのフロントアクトをこなす。小山田圭吾との交友(青山ブックセンターで中原が小山田にボストン・ストラングラーズというバンドを組もうと誘った)から音楽誌やカルチャー雑誌を中心に人気を得る。90年代中盤ごろ、メディアからは『デス渋谷系』と呼ばれる事もあった。1995年のアメリカツアーを始めとして海外での公演も多い。トラットリアやダブレストラン、東芝EMIなどから多くの音楽作品(ノイズミュージック)を発表しており、一時期はリミキサーとしても活躍。コーネリアス布袋寅泰スチャダラパーECD宇宙犬などの作品を手がけた。またトリビュート盤への楽曲提供も多く、トッド・ラングレン越路吹雪スパイダースシオンマーク・ボランなどの作品に名を連ねる。

1997年に小室哲哉の番組に出演した際、SM嬢のマネキンと相撲文字で「暴力温泉芸者」と書かれた書割を見て恥ずかしくなり、「Hair Stylistics」名義に変更、同名義では2004年に1stアルバム「Custom Cock Confused Death」を発表している。2008年4月からは12ヶ月連続でアルバム『Monthly Hair Stylistics』をリリース、2009年3月発売のVol.12で完結した。

音楽活動と平行し、1995年から町山智浩が創刊した『映画秘宝』シリーズにメイン・ライターとして参加。1996年には初の著書、『ソドムの映画市』も刊行。映画評論家として活動を始める。初期には海外のB級ホラー映画などを主に紹介していたが、近年は「そういう映画ばかり観ていると決め付けられたくない」として、『映画秘宝』を離れてメインストリームの映画やアート系の映画を主に論評するようになっている(ただし『映画秘宝』のイベントには顔を出している)。

1998年、『文藝』に連載した『絶望の散歩道』を短編集『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』にまとめ、小説家としてデビュー。2001年、初の長編『あらゆる場所に花束が……』で第14回三島賞を受賞(青山真治『ユリイカ EUREKA』との同時受賞)。審査員のうち筒井康隆宮本輝高樹のぶ子からは猛反発を受けたが島田雅彦福田和也から支持を受け受賞が決まった。福田からは「本作品は、アヴァン・ポップ的なものとして読まれているようだが、本質的にはむしろ、シクススシモンソレルスといった50-70年代フランスのヌーボー・ロマンの結構をもっている」[1]と評される。

以後中原の小説は毀誉褒貶にさらされており、2006年に中編『点滅……』が第135回芥川賞(2006年上半期)候補作品に選ばれた時には1票も入らずに落選、中原がこれを受けて『SPA!』誌上で選考委員全員の批判を記し一部で話題になった。一方で短編集『名もなき孤児たちの墓』は、審査員の大方の支持を受け同年の第28回野間文芸新人賞を受賞。群像誌上の選評では唯一の反対票を投じた江國香織からも「二重の×をつけた」とされ、ほぼすべての選考委員が『名もなき…』についてのみ言及、結果として、完全無視された芥川賞の選考と好対照をなした。

文芸誌のコラムやインタビューでは「活字を書いて生活していくことの苦しさ」を言い立てることが多い。『文學界』2008年4月号で行なわれた、古井由吉筒井康隆高橋源一郎島田雅彦川上未映子ら作家11人による大座談会「ニッポンの小説はどこへ行くのか」に出席した際も、中原は終始「小説は、辛くて辛くて書きたくない。でも、書かないと、その辛さがわかってもらえない」というような発言を繰り返し、司会の高橋源一郎から「中原君はほっときましょう」と言われている。2008年、高橋源一郎の選考により『中原昌也 作業日誌』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。高橋は「おれの基準で、いちばん小説になっていたもの、最高の小説だったもの、それが、一見、ただの日記にすぎない、聞いたことも見たこともないCDやDVDの膨大な購入リストとグチと泣き言ばかりの、この中原昌也の『作業日誌』だった」との選評を行なった[2]

一時は主要文芸誌に毎月のように書き散らしていたが、近年は文筆を最小限に抑え、音楽・美術を中心に活動している。

中原昌也文学賞

中原昌也が個人的に選考して表彰する賞。

CD

自身の作品

  • 『TEENAGE PET SOUNDS』暴力温泉芸者名義 1996
  • 『NATION OF RHYTHM SLAVES』暴力温泉芸者名義 1996
  • 『HAIR STYLISTICS/1996-1999』Hair Stylistics、FANTASTIC EXPLOSION 2001
  • 『custom cock confused death』Hair Stylistics名義 2004
  • 『Monthly Hair Stylistics』Hair Stylistics名義 2008-2009 12枚のCDアルバムを一ヶ月に一枚ずつ、12ヶ月に渡ってリリースしたもの。
  • 『LIVE!』2009 Hair Stylistics名義

  また。2009年終盤頃から、ライブ録音を含む膨大な音源を私家版CD-Rにて発表している。

参加・オムニバス

監修(サントラ)

  • 『GO CINEMANIA REEL 4 スクリーミング ア ゴーゴー』中原昌也(監修)2000

著作

小説

  • 『マリ&フィフィの虐殺ソングブック』(1998年、河出書房新社)のち文庫
  • 『子猫が読む乱暴者日記』(2000年、河出書房新社)※イラスト:中原収一 のち文庫
  • 『あらゆる場所に花束が……』(2001年、新潮社)のち文庫
  • 『キッズの未来派わんぱく日記』(2004年、リトルモア)CD付き。
  • 『待望の短編集は忘却の彼方に』(2004年、河出書房新社)のち文庫
  • 『名もなき孤児たちの墓』(2006年、新潮社)のち文春文庫 
  • 『KKKベストセラー』(2006年、朝日新聞社)CD付き。
  • 『ニートピア2010』(2008年、文藝春秋)

映画評論

  • 『ソドムの映画市 あるいは、グレートハンティング的(反)批評闘争』(1996年、洋泉社)
  • 『エーガ界に捧ぐ』(2003年、扶桑社
  • 『青山真治と阿部和重と中原昌也のシネコン!』(2004年、リトルモア)青山真治・阿部和重との共著。
  • 『続・エーガ界に捧ぐ』(2005年、扶桑社)
  • 『映画の頭脳破壊』(2008年、文藝春秋)

対談・その他

  • 『サクセスの秘密 中原昌也対談集』(2001年、河出書房新社)
  • 『ボクのブンブン分泌業』(2004年、太田出版
  • 『嫌オタク流』(2006年、太田出版)高橋ヨシキ海猫沢めろん更科修一郎との共著。
  • 『中原昌也 作業日誌 2004→2007』(2008年、boid
  • 『IQ84以下!』(2010年、フィルムアート社)(絵本)
  • 『死んでも何も残さない―中原昌也自伝』(2011年、新潮社)

出演

映画

脚注

参考文献

  • 河出書房新社『文藝』2001年冬号(特集・中原昌也)

外部リンク