谷口周平

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マイバッハ 谷口
Maybach Taniguchi
プロフィール
リングネーム マイバッハ谷口
谷口 周平
本名 谷口 周平
ニックネーム 暴走鉄仮面
新暴走王
沈黙の鉄仮面
覚醒のマイバッハ
刺叉マイスター
驀進(ばくしん)
期待のヘビー級
寡黙なルーキー
身長 182cm
体重 105kg
誕生日 (1976-10-18) 1976年10月18日(47歳)
出身地 鳥取県倉吉市
所属 プロレスリング・ノア
スポーツ歴 レスリング
トレーナー 小橋建太
秋山準
小川良成
デビュー 2005年12月24日
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マイバッハ谷口(マイバッハたにぐち Maybach Taniguchi、1976年10月18日 - )は、日本男性プロレスラー。元自衛官。本名および旧リングネームは谷口 周平(たにぐち しゅうへい)。鳥取県倉吉市出身。プロレスリング・ノアに所属。女子プロレスラーの西尾美香は妻。

来歴

デビュー以前

倉吉東中学校では柔道部に所属していた。倉吉工業高校徳山大学レスリング部に所属。その後、自衛隊に入隊。自衛隊時代でもレスリングを続け、国体で3度優勝という実績を持っている。2004年の国体決勝では永田克彦(シドニー五輪銀メダリスト)を破っている。

2005年に同じ自衛隊出身の本田多聞杉浦貴の後を追い、青木篤志とともにプロレスリング・ノアへ入門。入門後は小橋建太付き人となる。なお後に小橋の長期欠場により、秋山準の付き人となった。

デビュー~「谷口周平」時代

「谷口周平」時代のマイバッハ

2005年12月24日ディファ有明で行われたクリスマス大会にて、本名「谷口周平」のリングネームで、対佐野巧真ハスワマコト志賀賢太郎菊地毅戦(パートナーは森嶋猛KENTA小川良成)でデビュー。

2007年モーリシャス杯争奪リーグ戦を得点9点で優勝する。

2008年1月20日から2010年8月5日にかけて、「驀進(ばくしん)十番勝負」なる大物レスラーとのシングルマッチが随時行われ、10戦全敗で終了した。対戦相手は、佐々木健介、森嶋、高山善廣バイソン・スミス潮崎豪、小橋、力皇猛吉江豊、杉浦、秋山の順。

2010年1月、第3回グローバル・タッグ・リーグ戦に杉浦とのタッグで出場し、Bブロックを1位で通過。同月24日の後楽園ホール大会にて、Aブロック1位の佐野・高山組との優勝決定戦に敗れたものの敢闘賞を受賞した。

2010年6月6日後楽園ホールにて、杉浦とのタッグで自身初となるGHC挑戦となったGHCタッグ選手権試合で王者組バイソン・スミス&キース・ウォーカーと激突。谷口と杉浦が流血するという事態に見舞われた試合は、谷口がバイソンのバイソン・テニエルに敗れた。

2011年からは潮崎と正式にタッグを結成。2月、GHC王者の高山&佐野に挑戦し、敗北。4月のグローバル・タッグ・リーグでは潮崎とタッグを組んで出場。その後新日本プロレスに流出したGHCタッグ王座を奪取するために王者BAD INTENTIONSに挑戦をマイクアピール。しかし、ジャイアント・バーナードから流暢な日本語で「貴方は誰ですか」と一蹴される。激高した谷口はバーナードとカール・アンダーソンジャーマン・スープレックスで華麗に投げ飛ばし、再度挑戦をアピール。後日、挑戦が正式決定した。10月31日、GHCタッグ戦に潮崎とのタッグでBAD INTENTIONSに挑戦したが敗北した。

「マイバッハ谷口」時代

2012年

旧マスク時代のマイバッハ谷口

2012年2月14日、谷口は潮崎とのタッグを発展的解消する動きをみせ、けじめのシングルマッチを行う。その試合で潮崎を椅子で殴打し、反則負けとなった。試合直後、マイクでKENTA率いるノア反体制勢力「NO MERCY」の加入を宣言。同日、NO MERCY(高山、平柳玄藩金丸義信)と丸藤軍(丸藤正道、杉浦、石森太二)のタッグマッチの最中に突如乱入して丸藤軍を攻撃、それを見かねたモハメド・ヨネも乱入したため試合は無効試合となり、直後に8人タッグマッチへと進展。ヨネの回し蹴りに敗れてしまう[1][2]

その後の谷口の不甲斐なさに、KENTAをはじめとするNO MERACYのメンバーは谷口に生まれ変わるようにと最後通告を行った[3]

2012年2月25日、マスクを付け覆面レスラーとなり、新リングネーム「マイバッハMAYBACH谷口」として登場、髙山とのタッグで丸藤&ヨネと対戦し、マイバッハボムでヨネに勝利した[4]

2012年3月18日の横浜文化体育館大会では、メインイベントのGHCヘビー級選手権試合、森嶋vs丸藤戦終了後に、マットへ乱入し、勝利した森嶋を急襲。翌日に5月9日の後楽園ホールでGHCヘビー級選手権に初挑戦することが決定した[5]。また、グローバル・タッグ・リーグ戦2012には、高山とのタッグで出場することとなった[6]。リーグ戦は、凶器攻撃による反則負けや、場外乱闘によるリングアウト負けを連発し、勝敗度外視の乱闘試合を続けた結果、全敗による最下位となった[7](これが原因で各々の対戦者たちから恨みを買うことになる)。入場式やリーグ終了後の記念撮影などにも一切参加しなかった。

5月9日の後楽園ホールでのGHCヘビー級選手権は、場外カウント・反則裁定一切なしのルールで行われ、大荒れの試合展開となったが森嶋のバックドロップで敗北した[8]

2012年10月にはTNAに海外流出したGHCタッグ王座を取り戻すべく、NO MERCYのKENTAと組んで王者サモア・ジョー&マグナスに挑戦。王座を奪還する。これが自身初のベルト奪取となる。しかし10月26日に新潟市体育館で行われた齋藤彰俊&潮崎のとの初防衛戦で、30分53秒、リミット・ブレイクからのエビ固めにKENTAが沈み、初防衛を果たせず王座陥落した[9]

2013年

第3形態マスク時代のマイバッハ谷口

2013年1月6日の後楽園ホール大会では、ヨネvs平柳の試合中にマイバッハとともに、マイバッハと同じ覆面を付けた全身黒ずくめの男「マイバッハ谷口Jr.」が出現。その後、NO MERCYのメンバーとして度々共闘する[10][11]

2月9日後楽園ホール大会、メインイベントの試合後KENTAを裏切り同大会に参戦していた新日本プロレスCHAOS矢野通飯塚高史と結託した。

2月23日ディファ有明大会、メインイベントで矢野、飯塚と組みマイバッハボムでKENTAに勝利した。試合後マイクを握り「俺はお前の飼い犬じゃねえんだぞ。俺はベルトが欲しいんだ!」と叫んだ。マイバッハ谷口に変身後、リング内外を問わず初めて「ブオンブオン」以外の言葉を発した[12]

3月10日、横浜文化体育館大会にて、上記を受けてKENTAの保持するGHCヘビー級選手権に挑戦するが敗北した[13]。(後述のエピソードも参照)

グローバル・タッグ・リーグ戦2013には新日本プロレスのCHAOSの高橋裕二郎と新タッグを結成して出場し、Aブロックにエントリー。最終戦で齋藤彰俊&本間朋晃に敗退し、決勝進出はならなかった[14][15]

6月2日の博多スターレーン大会では、高橋のスピアーが誤爆したことが原因で仲間割れし、CHAOSと決裂[16]。同月30日の後楽園ホール大会で、マイバッハと高橋のシングル・マッチが組まれたが、刺叉攻撃によるマイバッハの反則負けとなる[17]

以降は、一匹狼として誰とも徒党を組まずシングル・マッチを重ねた。

10月〜11月、グローバル・リーグ戦2013に出場し、Bブロックにエントリー。勝ち点6でBブロック3位に終わるも、優勝した永田裕志を破るなどしている[18]

12月7日の有明コロシアムGREAT VOYAGE 2013 in Tokyo vol.2 ~田上明引退記念大会~」では、KENTAのマイバッハ谷口制裁依頼を受けて参戦した柴田勝頼(フリー)と対戦。マイバッハは途中から刺叉を使用した暴走ファイトの上、福田明彦レフェリーへの暴行を働き、反則負けになった。しかし観客からの再試合コールを受けて控室からKENTAが登場し、退場途中のマイバッハを捕まえてリングへ無理矢理連れ戻し、福田レフェリーへ再試合を要求、再試合が決定した。そして試合中に柴田にマスクを剥がされた上、最後はスリーパー・ホールドでレフェリー・ストップ負けを喫した[19]

その次の興行(12月14日、高知サンピアセリーズ大会)からは、マスクを黒基調で目の部分は露出したものへと新調して登場した。「このまま終われない」ということで「第3形態」へ変身を宣言した[20]

2014年

1月5日後楽園ホール大会において、GHCヘビー級王者となった森嶋がBRAVEメンバーをリング上に上げたところで拳王とともにBRAVEメンバーを襲撃。森嶋と3人で新軍団を結成を宣言した。1月25日大阪大会で森嶋とタッグを組みGHCヘビー級タッグ王座を奪取。また軍団に大原はじめが加わり、名称が『超危暴軍』となることが発表された。

2015年

2015年6月15日、大阪府立体育会館大会で鈴木軍鈴木みのるが保持するGHCヘビー級王座へ挑戦するも敗北[21]。試合中、鈴木にマスクを剥がされるも、不気味なフェイスペイントを施した顔が現れ、さらなる暴走ファイトを展開した[22]

8月5日の後楽園ホール大会で行われたアルカス杯争奪6人タッグ・トーナメントに、以前にタッグを組んだ永田裕志扮するマイバッハ・ブルー・ジャスティスと新たに現れた中西学風の体格をしたマイバッハ・ドンとマイバッハ・トリオを結成して参加。決勝戦で、鈴木軍の鈴木みのる&飯塚高史&エル・デスペラードを下し、優勝を果たした[23]

2016年

1月31日「GREAT VOYAGE 2016 in YOKOHAMA」セミファイナル 潮崎豪 対 鈴木みのる戦において、潮崎豪が自身のセコンドについていた金丸義信の鈴木軍への寝返りで敗北。試合後にリング上で潮崎が鈴木軍から暴行を受けている所に谷口が救出に現れ、救出後に自らマスクを脱ぎ捨て素顔になる[24]。一夜明け会見で「素顔のマイバッハ谷口としてやっていく!」と宣言した[25]

会見後初の大会となった「The Second Navig.2016」2月6日(土)所沢市民体育館サブアリーナ大会で、会見での宣言通りリングネームはマイバッハ谷口のままで素顔で試合を行う。また、潮崎とのタッグチームを正式に再始動させることとなった[26]

タイトル歴

王座
  • GHCタッグ王座 - 第25代(パートナーはKENTA、防衛数0回)、第30代(パートナーは森嶋猛、防衛数1回)
リーグ戦・トーナメント戦

主な得意技

レスリングの経験と、自慢の背筋力を生かしたスープレックス系の技を得意とする。

マイバッハ・ボム
マイバッハ変身後の決め技。初期は、スティーブ・ウィリアムスドクター・ボムのように俵返しの体勢で抱えあげてから、大仁田厚サンダーファイヤー・パワーボムのように落とすものであった。その後、急角度で落とす投げ捨て式サンダーファイヤー・パワーボムの形になった。投げる前に「マイバッハ・ポーズ」をしてから敢行することが多い。
マイバッハ・プレス
フォームが普通とは違うダイビング・ボディ・プレス。コーナー上から「マイバッハ・ポーズ」をしてダイブし、上空で両拳を握った状態で両腕を「く」の字型に広げて両膝を後ろへ折り畳むような独特のフォームでボディ・プレスを決める。上記とこの技をマイバッハ変身後のメイン・フィニッシュ・ホールドとしている。
ジャーマン・スープレックス
谷口の背筋力を生かしたスープレックスの中でもっとも得意とし、デビューからマイバッハ変身後も一貫して得意としている。常に高さがあり、落とす時の角度も急である。そのブリッジの大きな弧を描く軌道があいまって、会場を非常に沸かせることができる技の一つである。たとえ体勢が不十分であっても無理矢理投げてしまうという荒業もやってのける。うつ伏せの相手を背筋力を生かして強引に持ち上げて決める引っこ抜き式や、一度決めた後、相手のクラッチを離さずに起き上がって連続して決めるロコモーション起き上がり小法師式)などの派生技も使用する。さらには肩車の体勢から前方へ落とし、空中でジャーマンの体勢に持ち替えて決めるものや、アルゼンチン・バックブリーカーの体勢から持ち替えて決める派生技も一時決め技としたが、現在は使用していない。
喉輪落とし(チョークスラム)
マイバッハ変身後に得意とする。相手を持ち上げる高さはあまり高くないが、力任せに強引に持ち上げて体重を浴びせながら力任せにマットへ叩き落とす。試合終盤やフィニッシュ前での使用が多い。
スリーパー・ホールド
マイバッハ変身前、潮崎とタッグを組んでいた頃によく使用した。スタンディングでこの技を掛けて弱らせた後、技を解いてすぐさまジャーマン・スープレックスへ移行した、フィニッシュ・パターン。
ジャンピング・ニー・バット
主に串刺し式で使用。リング外に飛び出しそうな勢いでぶつかっていくのが特徴。
スパイン・バスター
走ってくる相手へのカウンター攻撃としての使用が多いが、通常場面でも使用する。相手を担ぎ上げた後、前方へ倒れ込むタイプと、後方へ振り返って落とす旋回式の両タイプを使う。
その他各種スープレックス
ジャーマンの他、フロントサイド(俵返し)、ダブルアームフィッシャーマン水車落とし等も得意とする。フィニッシュとしてはほとんど使用されない。
刺又
2012年12月の両国国技館大会から刺又を手にして入場するようになった。元はこの大会での谷口の試合(KENTA&高山&谷口vs大仁田&矢口壹琅&保坂秀樹)がストリートファイトデスマッチ(凶器の持ち込みが可能のルール)だったため、それによる。試合中にその刺又で相手の動きを封じたり、刺叉で殴打することもある。また、刺又式デッドリー・ドライブと呼ばれる、トップロープに上がった相手をリングしたから刺又で制し、そのまま刺又を振り回して相手をリング内に叩き落とす技も使用する。さらには2013年6月頃より型の刺又も用いて二刀流で入場するようになる。鉤型刺叉の使用方法は、試合中にそれで殴打する他、相手の首に鉤部分を掛けた上で相手の両足を刺叉の柄に絡めて締め上げる刺又式足4の字固めなどがある。なお、刺又式デッドリー・ドライブは小橋建太引退試合で小橋にも決めた技である。2014年タッグベルトをとったときには通常の刺又にベルトをぶら下げていた。
毒霧
めったに使用することはないが、2012年のTAJIRI戦と2015年の鈴木みのる戦で使用。色はいずれも赤色である。
合体式チョークスラム
潮崎豪との合体技。対戦相手の左横に立つ潮崎が相手の左足を自分の左肩の上に乗せ、相手の右横に立つ谷口が相手の喉を右手で鷲掴みして潮崎が右手、谷口が左手を相手の背中に添え、2人がかりで相手の体を高々とリフトアップして潮崎が尻餅をつくと同時に谷口が体を前傾させ、落下させた相手の背中を豪快にマットへ叩きつける新技。

入場テーマ曲

  • 初代:Punk Rawk Show / MxPx (「谷口周平」時代)
  • 二代目:Great View / BACK DROP BOMB(「谷口周平」時代)
  • 三代目:Thieves / Ministry(「マイバッハ谷口」時代)
  • 四代目 : Maybach Symphony / R.S.K. ( 「マイバッハ谷口」2014〜 現テーマ)

その他・エピソード

「谷口周平」時代

  • 入門の前日に同じ日に入門する青木篤志の実家に泊めてもらった。
  • 有名格闘家のトレーナーも務めるヒデ三好は中学、高校の先輩で、ブログにも度々登場している。
  • 2007年4月1日に行われたDDTプロレスリングの興行に丸藤正道のセコンドとして付いて行った際、丸藤のパートナーであった男色ディーノが試合後に丸藤を追い回すのを体を張って止めていた。ならばとディーノは谷口にディープキスをしたのだが、谷口は表情一つ変えることなく立ちはだかり続けた。また、後日談として「ディーノさんの唇はマシュマロみたい」「またお願いします」などとCS放送で発言し、再び波紋を呼んだ。
  • 2007年9月9日日本武道館にてに行われた丸藤対森嶋戦にて、試合後精根尽き果てて倒れ込んでしまった森嶋を、おんぶして控え室まで搬送したところがノア中継にて放映され、テレビ中継の解説をしていた高山に「谷口すごいね、あの重い森嶋おんぶしてるね」と評された。
  • 携帯公式サイトの選手日記で、自らを「ドM」だと明かしている。
  • 携帯公式サイトの杉浦貴の選手日記にて、ノアの選手の間にて「周平会」なる会が存在することが明らかとなった。
  • 極度のあがり症であり、同じく携帯公式HPの三沢光晴の選手日記にて、美容院に散髪に行く際緊張してしまうことから、気付けに飲酒をしてから散髪にいく癖があることが明らかになった。
  • 探偵!ナイトスクープの「自分が作ったプロレス技をプロ選手に使ってもらいたい」という依頼で、「ライスシャワー」の全貌が明らかとなった際、小橋の練習台となったのが谷口である。大変ハードな技であり、谷口の身体も限界に達しており、探偵の石田靖に「練習やりたくないです」とこぼしたものの、石田からは「やりたいって!」と告げられ、呆然としていた。

「マイバッハ谷口」時代

新マスクでマイバッハ・ポーズをとるマイバッハ谷口
  • マイバッハ・ポーズと呼ばれる、両掌を軽く開いた状態で、顔の両側にその両手を掲げるアピールを、試合開始前や試合中・試合後の挑発行為などで行う。同じNO MERCYの平柳玄藩が調子に乗って真似し、対戦相手から怒りを買うシーンもみられる。
  • 自身で話すこと、タイトルマッチ調印式に出席することがなく、所属ユニットのリーダーであるKENTAが代理することが多くなった。またリーグ戦の入場式、記念撮影、試合後のインタビューなど一切拒否、イベントも一切参加しない(観客の安全確保のため)。
  • マイバッハ谷口がファンに定着した頃から、会場で応援用マイバッハ・マスクが販売されている[27]
  • 上記応援マスクを着用した「マイバッハ・ガールズ」と呼ばれる女性マイバッハファンが登場している[27]
  • 「マイバッハ・ガールズ」には精神科医の香山リカがおり、熱狂的なマイバッハ谷口ファンとなっている[27]
  • 2013年6月23日、三条大会の試合前に地元の刺叉製造会社が谷口に刺叉4本を贈呈した。当日の永田裕志戦で早速使用し、反則負けとなっている。なお、鉤型の刺叉もこのときから使用している[28]
  • 前述のKENTAとのGHCヘビー級選手権試合では椅子や刺叉を持ち込んだが、西永秀一レフェリーによって制止され、マイバッハもこれに応じたが、直後にリング下から持ち出された椅子で西永レフェリーを強打。西永はそのまま失神し、2分半以上レフェリーがいないというタイトル戦では異例の事態となった。この試合に関しては当日解説席にいた小橋健太佐々木健介も苦言を呈している。

脚注

  1. ^ 「The Navig.in February 2012」2月14日(火)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  2. ^ NO MERCYからのコメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  3. ^ NO MERCYからのコメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  4. ^ 「The Navig.in February 2012」2月25日(土)後楽園ホール大会 試合終了後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  5. ^ 3月18日(日)「GREAT VOYAGE 2012 in YOKOHAMA」横浜文化体育館大会 試合終了後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年2月閲覧
  6. ^ 『週刊プロレス』2012年4月4日号(ベースボール・マガジン社)
  7. ^ グローバル・タッグ・リーグ戦2012|アーカイブ|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  8. ^ 2012年5月9日 試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  9. ^ 試合結果 |2012年10月26日(金) 18:30~ 新潟市体育館|プロレスリング・ノア公式サイト PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年2月閲覧
  10. ^ 「New Year Navig.2013」1月6日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年2月閲覧
  11. ^ 2013年1月ツアー『New Year Navig.2013』1・6後楽園大会『The First Navig.2013』1・14上尾~1・25宮崎大会『GREAT VOYAGE 2013 in OSAKA』1・27大阪大会、参加他団体、フリー、外国人選手 ※追加情報|プロレスリング・ノア公式サイト PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年2月閲覧
  12. ^ 「The Second Navig. 2013」2月23日(土)ディファ有明大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト2013年2月閲覧
  13. ^ 2013年3月10日(日) 横浜文化体育館|試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  14. ^ グローバル・タッグリーグ戦 2013|アーカイブ|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  15. ^ 「グローバル・タッグリーグ戦 2013」4月28日(日)後楽園ホール大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  16. ^ 2013年6月2日(日) 博多スターレーン|試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  17. ^ 2013年6月30日(日) 後楽園ホール|試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  18. ^ グローバル・リーグ戦 2013|アーカイブ|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  19. ^ 2013年6月2日(日) 博多スターレーン|試合結果|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  20. ^ 2013.12.15「Winter Navig.2013」12月14日(土)高知サンピアセリーズ大会 試合後コメント|プロレスリング・ノア公式サイト|PRO-WRESTLING NOAH OFFICAL SITE2013年12月閲覧
  21. ^ プロレスリング・ノア公式サイト | GHCヘビー級王座の変遷2016年2月5日閲覧
  22. ^ 新日本プロレスリング:鈴木が無法ファイトでマイバッハを轟沈! しかし“帝王”高山が宣戦布告!!【6月15日(月)ノア大阪大会・試合結果】.html2016年2月5日閲覧
  23. ^ 新日本プロレスリング:謎の覆面集団“マイバッハトリオ”が「アルカス杯争奪6人タッグ トーナメント」を制覇!! 【ノア・8.19後楽園大会結果】.html2016年2月5日閲覧
  24. ^ 「GREAT VOYAGE 2016 in YOKOHAMA」1月31日(日)横浜文化体育館大会 試合後コメント - プロレスリング・ノア公式サイト(2016年2月5日閲覧)
  25. ^ 2月1日 横浜大会 一夜明け会見の模様 - プロレスリング・ノア公式サイト(2016年2月5日閲覧)
  26. ^ 「The Second Navig.2016」2月6日(土)所沢市民体育館サブアリーナ大会 試合後コメント - プロレスリング・ノア公式サイト(2016年2月5日閲覧)
  27. ^ a b c 精神科医・香山リカが熱視線! プロレスラー・マイバッハ谷口に学ぶ「人生を一変させる方法」2013年12月閲覧
  28. ^ 永田がちゃっかり方舟救世主襲名 2013年06月27日 11時00分|東スポWeb2013年12月閲覧

関連項目

外部リンク