キラー・ブルックス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。182.186.19.243 (会話) による 2016年2月18日 (木) 10:44個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (replace archive.today -> archive.is (domain archive.today blocked by onlinenic))であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

キラー・ブルックス
プロフィール
リングネーム キラー・ブルックス
キラー・ティム・ブルックス
"クレイジー" キラー・ブルックス
ルーク・マリガン
本名 ティモシー・ポール・ブルックス
ニックネーム 狂乱の問題児
身長 185cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1947年????[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
テキサス州の旗 テキサス州
エリス郡ワクサハチー
トレーナー ザ・シーク
ディック・マードック
デビュー 1969年
引退 1997年
テンプレートを表示

キラー・ブルックス"Killer" Tim Brooks、本名:Timothy Paul Brooks1947年[1] - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラーテキサス州ワクサハチー出身。生年は1944年ともされる[2]

火のついた葉巻きをくわえ動物の骨を振りかざして入場する狂乱ファイターとして知られ、試合スタイルも殴る・蹴る・凶器攻撃主体のラフファイトを徹底。国際プロレス参戦時以外はエース級の存在ではなかったものの、名脇役として日本でも昭和の各団体で活躍した。

来歴

1969年1968年説もあり)、従兄弟のディック・マードックに誘われてプロレスラーとしてデビュー[2]フリッツ・フォン・エリックが主宰する地元テキサス州ダラス地区を本拠地に、1970年代からはザ・シークが牛耳るデトロイト地区にも進出。フレッド・カリータイガー・ジェット・シンザ・ストンパーマイティ・イゴールボボ・ブラジルなどのベビーフェイス陣営と対戦し、シークやジョージ・スティールともタッグを組んだ[3][4]

日本には1972年3月に日本プロレスに初来日。ゴリラ・モンスーンアブドーラ・ザ・ブッチャー、ディック・マードック、カリプス・ハリケーンマイティ・ブルータスらと共に、ワールドリーグ戦の第14回大会に出場した[5]1974年10月にはマードックやブラックジャック・マリガンと共に全日本プロレスに来日している[6]

帰国後の11月中旬、デトロイト地区でクーデターを起こし、シークの団体から選手を引き抜いて新団体を発足。シークは新日本プロレスに来日中だったが、お家の一大事のために緊急帰国を余儀なくされている[7][8]。このレスリング・ウォーはNWAという後ろ盾のあったシークに軍配が上がり、ブルックス派はオハイオに本拠を移すが、結局はブルックスも新団体と絶縁した(この新団体は、1975年ミル・マスカラスを初代世界王者として設立されたIWA[9]の母体となっている)[8]

その後はテキサスに戻り、1975年はアマリロ地区にてレイ・スティーブンスらと共闘し、ドリー・ファンク・ジュニアテリー・ファンクと抗争[10]ジャック・ブリスコが保持していたNWA世界ヘビー級王座にも挑戦した[10]。古巣のダラス地区では1976年スタン・ハンセンと組み、ホセ・ロザリオ&アル・マドリルからNWAテキサス・タッグ王座を奪取している[11]

1977年カナダカルガリースタンピード・レスリングに参戦し、3月17日にフラッグシップ・タイトルの北米ヘビー級王座を獲得[12]。同年11月、カルガリーと提携していた国際プロレスに初登場を果たす。以降も国際プロレスの常連外国人ヒールとなり、ラッシャー木村IWA世界ヘビー級王座に再三挑戦、1979年5月9日の焼津大会では、途中からルールをチェーン・デスマッチに変更して行われた[13]。同年5月6日には後楽園ホールにて、ジプシー・ジョーとの狂乱コンビでアニマル浜口&マイティ井上IWA世界タッグ王座にも挑んでいる[13](翌1980年4月にも、ジョー・ルダックとの2大外国人エースとして国際プロレスへの4度目の来日が発表されたが、負傷のため中止となり、代打でマイク・ジョージが来日した)。

1979年は太平洋岸北西部のパシフィック・ノースウエスト・レスリングにてロディ・パイパーと組んで活躍、ジェシー・ベンチュラ&ダッチ・サベージアドリアン・アドニス&ロン・スターとNWAパシフィック・ノースウエスト・タッグ王座を争い、アンドレ・ザ・ジャイアント&ヘクター・ゲレロの凸凹コンビとも対戦した[14]1980年はブラックジャック・マリガンのパートナーとして、従兄弟のルーク・マリガン"Cousin" Luke Mulligan)を名乗りジム・クロケット・プロモーションズに参戦、マリガンと抗争を展開していたマスクド・スーパースターエンフォーサー・ルシアーノボビー・ダンカンらと対戦した[15]

ザ・シークとも復縁し、1980年6月28日にデトロイトで行われたワンナイト・タッグ・トーナメントにシークと組んで出場。準決勝でアブドーラ・ザ・ブッチャー&アーニー・ラッドに反則勝ちしたが、決勝で当時アメリカ遠征中だったジャイアント馬場&ジャンボ鶴田に敗れている。翌1981年3月には全日本プロレスに再来日し、チャンピオン・カーニバル第9回大会に参加[16]。以降は日本での主戦場を全日本マットに移した(なお、国際プロレスは1981年8月に崩壊)。1985年3月9日の両国国技館では、全日本離脱直前のブルーザー・ブロディのパートナーとなって長州力&谷津嘉章と対戦している[17]

その間、アメリカ・マットでは1983年ジム・バーネット主宰のジョージア・チャンピオンシップ・レスリングで活動。ポール・オーンドーフから奪取したNWAナショナル・ヘビー級王座をラリー・ズビスコに売却するというアングルで物議を醸した[18]1984年サンアントニオ地区のサウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリングにて、スコット・ケーシーボビー・ジャガーズケビン・サリバンらとサウスウエスト・ヘビー級王座を争った[19]

1980年代中盤からは古巣ダラスのWCCWに定着。1985年7月7日にマーク・ルーイン&ワンマン・ギャングと組み、マイク・フォン・エリックの負傷による3対2のハンディキャップ・マッチでケビン&ケリー・フォン・エリックを破り、ダラス版のNWA世界6人タッグ王座を獲得した[20]1987年5月には、当時WCCWと提携関係にあった新日本プロレスに来日。IWGPリーグ戦第5回大会に出場し、開幕戦で同ブロックのアントニオ猪木と対戦したが、藤波辰巳からの不戦勝以外は全敗の戦績に終わった[2][21]

1988年、ダラスにてNAWANorth American Wrestling Allegiance)なるプロレスリング・スクール兼任のインディー団体を設立。1991年1月には、教え子のケニー・ザ・ストライカー(ケニー・ザ・スティンガー)も参戦したSWSに来日している[22]1992年9月から1993年6月にかけては、WCCWの後を引き継ぐ形で旗揚げされたグローバル・レスリング・フェデレーションに出場、若手時代のスティービー・レイブッカー・Tジョン・ホークらと対戦した[23][24]

1997年に現役を引退し、以降はNAWAの責任者兼ヘッドトレーナーとして、団体の運営と若手選手の育成に携わった。NAWAの主な出身者には、1990年にワイルド・ブルマンのリングネームFMWに来日したブルマン・ダウンズ[25]2000年代後半にテキサス州アーリントンのプロフェッショナル・チャンピオンシップ・レスリングでサブゥーポール・ロンドンと抗争したクリス・クロニックなどがいる。

得意技

獲得タイトル

NWAビッグタイム・レスリング / WCCW
NWAビッグタイム・レスリング
スタンピード・レスリング
  • スタンピード北米ヘビー級王座:1回[12]
パシフィック・ノースウエスト・レスリング
ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング
  • NWAナショナル・ヘビー級王座:1回[18]
サウスウエスト・チャンピオンシップ・レスリング
  • SCWサウスウエスト・ヘビー級王座:2回[19]

脚注

  1. ^ a b Tim Brooks”. Online World of Wrestling. 2015年12月3日閲覧。
  2. ^ a b c 『新日本プロレス 来日外国人選手 PERFECTカタログ』P59(2002年、日本スポーツ出版社
  3. ^ The BTW matches fought by Tim Brooks in 1971”. Wrestlingdata.com. 2015年9月12日閲覧。
  4. ^ The BTW matches fought by Tim Brooks in 1972”. Wrestlingdata.com. 2015年9月12日閲覧。
  5. ^ JWA 1972 The 14th Annual World Big League”. Puroresu.com. 2015年9月12日閲覧。
  6. ^ The AJPW matches fought by Tim Brooks in 1974”. Wrestlingdata.com. 2015年9月12日閲覧。
  7. ^ 『THE WRESTLER BEST 1000』P25・P244(1996年、日本スポーツ出版社)
  8. ^ a b 『月刊プロレス』1977年11月号 P154(1977年、ベースボール・マガジン社
  9. ^ International Wrestling Association”. Wrestling-Titles.com. 2010年6月19日閲覧。
  10. ^ a b The Amarillo matches fought by Tim Brooks in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年5月28日閲覧。
  11. ^ a b c NWA Texas Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
  12. ^ a b Stampede Wrestling North American Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月4日閲覧。
  13. ^ a b 『忘れじの国際プロレス』P101、P103(2014年、ベースボール・マガジン社、ISBN 4583620802
  14. ^ The CW USA matches fought by Tim Brooks in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年10月4日閲覧。
  15. ^ The WCW matches fought by Tim Brooks in 1980”. Wrestlingdata.com. 2014年10月4日閲覧。
  16. ^ AJPW 1981 The 9th Champion Carnival”. Puroresu.com. 2015年9月12日閲覧。
  17. ^ AJPW 1985 Gekitoh!! Exciting Wars”. Puroresu.com. 2015年9月12日閲覧。
  18. ^ a b NWA National Heavyweight”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月7日閲覧。
  19. ^ a b SCW Southwest Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2011年6月1日閲覧。
  20. ^ a b NWA World 6-Man Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年5月28日閲覧。
  21. ^ NJPW 1987 IWGP Champion Series”. Puroresu.com. 2015年9月12日閲覧。
  22. ^ The SWS matches fought by Tim Brooks in 1991”. Wrestlingdata.com. 2015年1月19日閲覧。
  23. ^ The GWF matches fought by Tim Brooks in 1992”. Wrestlingdata.com. 2015年1月19日閲覧。
  24. ^ The GWF matches fought by Tim Brooks in 1993”. Wrestlingdata.com. 2015年1月19日閲覧。
  25. ^ Wrestler Profiles: Bull Man Downes”. Online World of Wrestling. 2010年9月23日閲覧。
  26. ^ NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月4日閲覧。
  27. ^ NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月4日閲覧。
  28. ^ World Class Television Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月4日閲覧。
  29. ^ NWA Pacific Northwest Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月4日閲覧。

外部リンク