JR九州キハ125形気動車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

これはこのページの過去の版です。あおのひーたん (会話 | 投稿記録) による 2016年3月15日 (火) 15:32個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (→‎製造後の改造)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

JR九州キハ125形気動車
JR九州キハ125形気動車(日田駅/2007年8月12日)
基本情報
製造所 新潟鐵工所
主要諸元
最高速度 95km/h
車両定員 59(席)+64(立)=123名(0番台)
30(席)+21(席)=51名(400番台)
自重 29.5t
最大寸法
(長・幅・高)
18,500×2,828×4,000(mm)
台車 インダイレクトマウント空気バネ台車
DT601K(動力)・TR601K(付随)
機関出力 330ps (DMF13HZ) ×1基
変速段 変速1段・直結2段
駆動方式 液体式
制動装置 自動空気ブレーキ
機関ブレーキ排気ブレーキ併用)
直通予備ブレーキ
保安装置 ATS-SK EB装置
備考 0番台のデータ
テンプレートを表示

キハ125形気動車(キハ125がたきどうしゃ)は、九州旅客鉄道(JR九州)の一般形気動車

車両解説

0番台

キハ200系に引き続いて、ローカル線で使用していたキハ45系などを置き換え、同時にワンマン運転を実施する目的で製造された。新潟鐵工所が製作した地方鉄道向け車両である「NDCシリーズ」の一つであり、西日本旅客鉄道(JR西日本)キハ120形島原鉄道キハ2500形ひたちなか海浜鉄道湊線キハ3710形、松浦鉄道MR-400形気動車水島臨海鉄道MRT300形など兄弟形式が多い。

車体

NDCシリーズの標準的な18m級普通鋼製車体である。ワンマン運転に対応するため両端部に片開き扉を配置し、乗務員室ドアは省略されている。窓は開閉可能なユニット窓(上段下降下段上昇窓)となっている。2両運転時でもワンマン運転を可能とするため、前面中央部に貫通扉を設けている。

塗装は水戸岡鋭治率いるドーンデザイン研究所のデザインによる。車体外部を明るい黄色一色で塗装し、部分的にロゴ(JRマーク・Y-DC125ロゴ)を配している。Y-DCは、"YELLOW ONE MAN DIESEL CAR"の省略形で、車体側部にこの文字が記載されている。

台車・機器

台車空気ばね台車のDT601K(動力台車)、TR601K(付随台車)が採用されている。機関はNDCシリーズ標準のDMF13HZエンジン (330ps/2000rpm) を1基搭載する。

ブレーキシステムは、キハ200系では電気指令式を採用したため在来車との併結に対応していないが、本形式はキハ40形など在来車との併結も可能な自動空気ブレーキが採用されている。また排気ブレーキも装備されている。

車内設備

キハ125-18 車内

座席は車端部をロングシート、他をクロスシートとしたセミクロスシートである。内装は灰色を基調としており、床材はグレー地にひょうたん模様、壁面やカーテンもグレー地に白い水玉模様、座席モケットは紺地に、JR九州の車両で広く使われている柄である。図柄の選択は大胆ではあるが落ち着いた感じに仕上がっている。機関直結式冷房装置を備える。

ワンマン運転用機器として、自動放送装置、運賃箱運賃表示器整理券発行器を備えている。

400番台(特急仕様車)

キハ125形400番台

2009年(平成21年)10月10日より日南線の観光特急海幸山幸」に使用される特急仕様車である。2008年(平成20年)12月28日に廃止となった第三セクター鉄道高千穂鉄道から購入したトロッコ風気動車TR-400形気動車が改造されたもので、本形式の400番台に区分され、2009年9月30日付で車籍編入された。民鉄・第三セクター鉄道に在籍していた車両がJR車籍に編入されるのは、2004年東京臨海高速鉄道から東日本旅客鉄道(JR東日本)に移籍した209系3100番台電車以来2例目となる[1]

新旧の車両番号対照は次のとおりである。

  • TR401、TR402 → キハ125-401 、 キハ125-402
キハ125-401 キハ125-402 キハ125-401車内
キハ125-401
キハ125-402
キハ125-401車内

製造・運用

1993年平成5年)1月に1次車11両(キハ125-1 - キハ125-11)が製造され、1 - 6が唐津鉄道事業部唐津運輸センターに、7 - 11が大分運転所(現・大分鉄道事業部大分車両センター)に配置された。続いて同年12月に2次車14両(キハ125-12 - キハ125-25)が製造され、全車が大分に配置された。その後、2006年(平成18年)に、7 - 9が唐津に転配され、2015年3月に、1が唐津から大分に転配された。

1次車と2次車の相違は、冷房送風口および通風口のパーツの色が1次車では白で、2次車では黒であること、貫通扉の車内側の塗装が1次車では灰色で、2次車では朱色であること、さらには運転室の運賃箱上部の扉の形態が違うこと、エンジンから車内を通って屋根へと達する排煙ダクトのカバーが車内において1次車では角張っているのに対し、2次車では丸まっていることなどが挙げられる。

唐津配置車は唐津線長崎本線久保田 - 佐賀間を含む全線)および筑肥線山本 - 伊万里間)で運用されている。大分配置車は久大本線および豊肥本線[2]の運用を中心とし、これに加えて日田彦山線田川伊田 - 夜明間)でも運用されている。過去には大分配置車が筑豊本線飯塚 - 原田間)で運用されたこともあった。

2014年現在では本形式のみ1 - 3両による組成以外にも、キハ47系との併結ならびに車両点検時の代走などに充当される[3]

2次車落成以降はキハ200形を両運転台構造としたキハ220形の製造に移行したため本形式の製造は終了した。

製造後の改造

製造後から現在に至るまでの改造点としては、1次車の運転室後部の仕切窓が開閉式とされたこと(2次車は製造時から開閉式)、運賃箱に付属する両替器が新五百円硬貨対応とされたこと、非常用機関停止装置が装備されたことなどである。また、運転室後部仕切窓に運転士または車掌の氏名を掲出する粘着式名札入れも取り付けられた。これに関してはJR九州所有の他系列も同様である。

トイレは製造当初は設置されていなかったが、2003年(平成15年)より小倉工場にてユニバーサルデザインの一環として車椅子にも対応したトイレが設置され、2005年(平成17年)に全車完了した。その際にトイレ設置部の窓は埋められ、トイレ入口の向かい側の窓は開閉できないようにされた。

2002年(平成14年)には大分スポーツ公園総合競技場FIFAワールドカップの開催会場の一つとされたのに際して、キハ125-18・19の車体にワールドカップの広告が貼付された。また、キハ125-20は同年に試験的にUVカットフィルムを窓に貼付したが、乗客の悪戯により剥がされたりしたため、現在では一部の窓にしかフィルムがない状態である。

2005年1月にキハ125-24が久大本線の御井駅手前の御井踏切でトラックと衝突、一部損傷し修繕を受けた。この際車両番号の表記位置が従来とは逆のトイレ側に移された。

2007年11月ごろには一部の列車において、ワンマン扉選択・扉開閉スイッチが、速度計などの上部に移され、扉開閉スイッチにはふたが取り付けられた。

2014年6月にキハ125-13が小倉工場で優先席部分のロングシートを撤去する改造を受けた上、原番台に+100されて、キハ125-113と改番されて7月に出場した。車両番号の変更を伴う改造はこれが初めてとなった。その後、キハ125-11、キハ125-14、キハ125-22も改造を受け、キハ125-111、キハ125-114、キハ125-122となった。

2016年3月から、大分車両センター所属車の運賃表がLEDから、キハ200系や、817系0番台で順次交換されている、レシップのOBCビジョンに更新が始まっている。

なお2015年(平成27年)2月現在、廃車は発生していない。

脚注

  1. ^ その後北越急行から西日本旅客鉄道(JR西日本)に移籍した681系2000番台683系8000番台の事例が出たため、現在はこれを含めて3例となっている。
  2. ^ ただし、熊本 - 豊後竹田間は早朝と夜間の1往復のみの運用である。
  3. ^ キハ200系以降では密着連結器を装備するため自動連結器であるキハ47形や本形式とは連結不可。