「ヘヴィメタル」の版間の差分

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==へヴィメタルを取り扱う媒体==
==へヴィメタルを取り扱う媒体==
===テレビ番組===
===テレビ番組===

2006年4月17日 (月) 03:05時点における版

ヘヴィメタルHeavy Metal)は音楽のジャンルの一つで、極端なロックを目指した先に行き着くジャンルと位置づけられる。 1970年代から1980年代にかけて現れたロックのスタイルであり、ハードロックから派生した。 両者を並べてHM/HRと表現することもある。ただし、ハードロックの一部という捉え方もあり、その境界線は曖昧である。

音楽的特徴

メタルという単語が示すように金属的・重量感のある音で演奏され、怒り、悲しみ、暗黒、破壊などが表現される。 また、通例のポピュラー音楽のテンポが概ね 80〜130bpmであるのに比して、80〜200bpm以上と総じて速いテンポの曲または曲の一部を許容する傾向を持つ。 語源には諸説あり、1960年代のギタリスト、ジミ・ヘンドリックスのコンサートを見たニューヨーク・タイムズの記者が、彼が出す音を今までに聞いたことの無い音の形容として「空から重金属(へヴィメタル)を落としたような音」として表現したのが語源とするもの、レッド・ツェッペリンの音楽性(硬質でありつつ柔軟)をSF小説「へヴィメタル」に登場する「柔らかい金属=へヴィメタル」に例えたものを語源とするものがある(但しヘンドリックス、ツェッペリン両者の音楽性は現在の「へヴィメタル」ミュージックとは似て非なるもの)。 悪魔崇拝を公言するバンドもあるが、大抵はファッションやアルバム&曲のコンセプトなどのイメージ面に於いてオカルトのモチーフ(図象や話素など)を借用している以上ではない。 また悪魔崇拝を公言しているバンドも、それが事実であるかどうかは保証の限りではない。 そのサウンドの印象を言い表わすに「重低音」という表現がよく用いられる分野であるが、これは「その重たい感じ」を表現したい情緒に専ら依拠し、ヘビーメタルも含めてロックに於いて演奏される一番低い周波数はせいぜい100Hz止まりで「低中音(中音域の低い領域)」または単に「低音」と呼ぶ音響学の常識とは懸け離れている「あくまで感覚的表現」である点には留意する必要がある。

歌唱、演奏ともにエネルギッシュで、聞き手に高揚感を与える。 音楽機材の進化と多様化に多大な影響を与えたと言われる。 世間的には派手なファッションでとにかくうるさい音楽、といったイメージで捉えられたが、間違いとは言いきれないものの、一部のものが誇張されたきらいがある。

コードやスケールの面では、ブルースを基調とするハードロックに対し、ヘヴィメタルはクラシックを基調にしているとされるが、必ずしも楽曲がクラシック音楽を連想させるわけではない。

ヘヴィメタルは様々なジャンルを内包しており、それらは個々に特色を持っている。 これは他の音楽同様、先人の作り出した様式や楽曲の中の一部を、専門化することで誕生する。ヘヴィメタルのサブジャンル参照。

歴史

ヘヴィメタル黎明期

今日ヘヴィメタルと形容される音を最初に取り扱ったバンドは1970年2月13日金曜日にデビューしたオカルト的バンドブラック・サバスであったと言われているが、諸説あり、現在でも議論が交わされている。 しかし、現在のヘヴィロックシーンまで脈々と受け継がれる暗く重い彼らの音楽は、当時としては異端であったことは間違いない。 また、「ヘヴィメタル」という言葉の語源はブルー・オイスター・カルトにあるが、音楽性はヘヴィメタルとは異なる。

ヘヴィメタルの確立

ヘヴィメタルがジャンルとして確立するきっかけとなったのは、レインボージューダス・プリーストの存在であった。 前者レインボーの「ア・ライト・イン・ザ・ブラック」「キル・ザ・キング」で聞くことのできる、ベース・ギターとバスドラムリズム・ギターの三者が同期するリズムは、インパクトの強い独特の疾走感とドライブ感を演出し、その後のヘヴィメタルの定番中の定番とまで言えるスタイルとなった。特にコージー・パウエルは一時プロ・ミュージシャンを辞めてレーサーになろうかと本気で考えた時期もあったくらい無類のレース好きで、レーシングカー、オートバイのエギゾースト・ノートがヒントになっていると言われている。 後者ジューダス・プリーストは結成当初は比較的オーソドックスなハード・ロックをプレイしていたが、やがて硬質で疾走感のあるギターリフを用い、金属的な高音ボーカルでシャウトするなどの音楽様式を作り出した。さらに1970年代末以降はレザーファッションやフォーメーションなどパフォーマンスの面でもいわゆる「ヘヴィメタル」のイメージを業界に浸透させた。彼らはステージ上にハーレーダビッドソンのバイクを持ち込むなど、やはりここでもエギゾースト・ノートをそのイメージとして使用している。またドイツのスコーピオンズの存在も重要である。ヘヴィメタルの周辺国でもあったドイツはその後もスコーピオンズに続くグループが現れ続け、ジャーマンメタルの世界を作り出していく。

NWOBHM

1970年代後半、パンク・ロックのムーブメントが起こり、かつてのハードロックはオールド・ウェーブとして減退していったが、1979年にはイギリスNWOBHM(ニュー・ウェイヴ・オブ・ブリティッシュ・ヘヴィ・メタル)が起こり、アイアン・メイデンデフ・レパードガールなどの若手が台頭。 さらにディープ・パープルのコンピレーションが大ヒットするなど、かつてのハード・ロック・バンドの再評価、活躍も見られた。

これに対する日本からの返答として1981年LOUDNESSがデビュー。 1976年にデビューしていたBOW WOWVOW WOW)とともに世界進出を果たし、セールス的にも好成績を収める。

ヘヴィメタルの産業化と全盛期

NWOBHMそのものは長くは続かなかったが、世界各地で「NWOBHMに続け」と若者達がバンドを結成するきっかけとなり、それは数年後にアメリカでボン・ジョヴィモトリー・クルーらを初めとするLAメタルメタリカらを初めとするスラッシュメタルのブレイクという形で結実する。 80年代初期にはアメリカやイギリス以外の国からも多数のヘヴィメタルバンドがアメリカでも受け入れられ、特にオーストラリアのAC/DC、西ドイツ(当時)のスコーピオンズ、日本のラウドネス、カナダのベテラン、ラッシュトライアンフ等の活動が目立ち、まさにヘヴィメタルの夜明けを迎えた。 80年代中期のヨーロッパではジューダス・プリーストやアイアン・メイデンの影響を受け、スピードを重視したアップテンポのリズムとメロディックで分かりやすい歌で人気を得たアクセプトハロウィンらを初めとするジャーマンメタル、透明感のあるクラシカルなサウンドや幻想的で叙情性のある歌で人気を得るヨーロッパらの活躍があった。80年代後半にはボンジョヴィ、デフレパード、ホワイトスネイクといったグループがアメリカを中心に天文学的なセールスをあげ、他方でドイツのハロウィン、日本のLOUDNESSなどもビルボードのアルバムチャートに顔を出すなど、全盛期を迎えた。

古典的ヘヴィメタルの衰退とオルタナティブ/ニュー・メタル

ヘヴィメタルの商業的なピークは1980年代後半で終わりを迎えた。1980年代的なクラシック・メタルや正統派メタルは、アメリカから全世界へと拡がった一連のグランジオルタナティブ・ミュージックのブームに飲み込まれ、過去の遺物扱いを受けることになる。そこには湾岸戦争や、世界経済の停滞といった暗い世相の中で「派手なエンターテインメントよりも、リアルで等身大のメッセージとしての音楽を」という若者の心理の変化があったという分析もなされている。そしてこれはイギリスで起きたハードロックからパンクロックへの変遷と重なるのである。

この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表メタリカであった。彼らはスラッシュ・メタルに固執することなく、アルバム『メタリカ』でヘヴィメタルの新しい音楽性を示すと同時に1400万枚という有無を言わさぬ売上で旧来のメタルにとどめを刺した。そのような状況下で古典的メタルバンドが従来の活動を続けられるはずもなく、バンド再編、有力メンバーの離脱、音楽性の変化などが求められた。当然それに対応できないバンド、あるいは対応の過程でファンの支持を得られなかったバンドは表部台から消えてしまった。

そしてヘヴィメタルは1990年代に入ってオルタナティブ・メタルミクスチャー・ロック)として復活を始める。それは、1980年代に至ってもなおアンダーグラウンドであったヘヴィメタル・スタイルのサウンド、冷徹に現代社会を見つめるグランジが持っていた歌詞のテーマ、アメリカの音楽市場において大きな部分を占めるヒップホップの要素など、時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。

こうした流れを逃さなかったのがシャロン・オズボーンである。夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、若手ニューメタル・バンドとオズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで全米をツアーする オズフェスト という前代未聞の行動に出る。これは見事に成功し、マリリン・マンソンスリップノットなど若手のプロモーションに大きく貢献したほか、オジー・オズボーンそしてブラック・サバスを伝説的な存在へと昇華させた。

こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であった。

2000年代以降のヘヴィメタル

ニュー・メタル勢の音楽は、精鋭化が進んではいたものの、メロディやハーモニーなど音楽として重要な部分が欠落したバンドが少なくなかった。その欠落部分を埋めていったのは、古典的メタルが絶滅せずにすんだヨーロッパ出身の若手バンド群である。アメリカのニューメタル・バンドがヒップホップなどの黒人文化を巧みに取り入れていったのを受け、アンダーグラウンドであったデスメタルに豊富なメロディと和音を取り入れたメロディックデスメタル、同様にクラシック音楽の潤沢なサウンドを取り入れたゴシックメタルなど、新たな動きを生み出していった。この流れは一挙に進み、さらにアメリカではメタルコア、ヨーロッパではシンフォニックメタルを生み出すなど、サブジャンル化は現在も止まることなく進んでいる。

こうしてヘヴィメタルのスタイルは分散化が進み、空洞化したヘヴィメタルは王道を失っていた。そこへ(再び)現れたのが、1980年代のヘヴィメタルを支えたクラシックメタルの王者であるジューダス・プリーストアイアン・メイデンらであった。黄金期のラインナップで再興した彼らは新たなアルバムの発売やツアーなど精力的な活動を行い、メタルシーンの活性化に貢献した。シャロン・オズボーンもまたこうした動きを見逃さず、これら2バンドはもちろん1980年代~2000年代で活躍しているバンドが多数参加する一大イベント オズフェスト を毎年の定例イベントとして仕上げていった。

現在は正統派のクラシックメタル・バンドが復活する一方、若者の支持を集めた新世代ブレット・フォー・マイ・ヴァレンタイン、猛威を増し続けるイン・フレイムスチルドレン・オブ・ボドム、女性ボーカリストを擁して大衆的な人気を得るに至ったナイトウィッシュエヴァネッセンスなど、幾多の新バンドが登場してしのぎを削っている。

日本におけるヘヴィメタル

1980年代初期

NWOBHMのムーブメントや、それ以前に活躍していたレインボーやジューダス・プリーストがアメリカでは成功してなかった反面、日本ではスター的な扱われていた。当時、アメリカで大成功を収めたオーストラリアのバンドAC/DCは日本ではさほど人気は出なかったことから日本で売れたヘヴィメタルの大半は「泣き」のフレーズやスピード&テクニック重視のバンドだった。

主に1980年代初期に日本のメタルシーンに影響与えたアーティストはマイケル・シェンカーゲイリー・ムーアレインボーヴァン・ヘイレンと言っても過言ではない。実際、現在活躍している日本のポップスでマイケル・シェンカーやゲイリー・ムーアに影響されたアーティストは多く、1990年代初期のビーイング系音楽にはそれらしい泣きのフレーズや叙情的なメロディが常に有線で流れていた程である。

日本のバンドでは1981年に衝撃的なデビューを遂げたラウドネスが1983年からアメリカツアーを行ったり、1976年デビューのBOW WOWが1982年にレディング・フェスティバルに出演したり、日本でも若いヘヴィメタルバンドを盛り上げるために音楽雑誌のYOUNG GUITARロッキンfが積極的にメタルフェスを開いていたりと日本でもヘヴィメタルは盛り上がりを見せた。

1980年代中期~LAメタル誕生~速弾きブーム~

1982年にデビューしたモトリー・クルーに誕生したLAメタルはすぐさま日本でも人気に火が付き、日本ではモトリー・クルーを始め、ラットドッケンW.A.S.P.クワイエット・ライオットナイト・レンジャーの人気は高く、その中でも飛躍したのはアイドル的な扱いでデビューしたボン・ジョヴィであろう。アメリカでのLAメタルブームは日本のバンドにも影響を与え、日本のバンドの殆どがLAメタル系のような派手なルックスになった。その中でも特に派手だった44マグナムの人気は高く、中でも美形ギタリストの広瀬“JIMMY”さとしの女性人気は尋常ではなかった。

また、当時高崎晃ジェイク・E・リーウォーレン・デ・マルティーニジョージ・リンチはギター少年の憧れの的となり、その後登場した当時スティーラーだったイングヴェイ・マルムスティーンの出現により速弾き戦国時代突入の幕開けとなった。

1980年代中期と言えば1984年10月にシンコー・ミュージック・エンタテイメントから創刊された日本初のヘヴィメタル雑誌「BURRN!」の誕生は当時のヘヴィメタルファンには「待ってました!」と言わんばかりの登場であった。当時は今みたいにインターネットが無く特にヘヴィメタルの情報が中々入ってこない時代でもあり、日本初のメタル雑誌の登場は更にメタルシーンを盛り上げる結果となった。

1980年代中期~ポップメタルへの反逆~

1980年代中期はかつてのNWOBHMのような尖り切ったバンドよりポップで聴きやすいバンドの人気が集中した。そういったバンドが増える一方、1983年にデビューしたメタリカのようなスラッシュメタルと呼ばれる過激なバンドがアンダーグラウンドでじわじわと人気を獲得していき、その後デビューしたメガデスアンスラックススレイヤーらと共に「スラッシュメタル四天王」と呼ばれていた。

勿論、日本でもポップメタルに反逆する第二世代と呼ばれるバンドが次々と登場し、その中でもFLATBACKERANTHEMは音楽雑誌で第一世代のバンドに毒を吐き、過激な演奏でコアなファンを獲得していった。同時期にデビューした聖飢魔IIはBURRN!で0点を貰ってしまったが、ヘヴィメタルファン以外にも支持されていったバンドである。

1985年にはラウドネスが世界デビューを飾り、1987年にはVOW WOWが海外を中心に活動を開始した。また、1980年代の日本のメタルシーンはインディーズを中心に盛り上がりを見せ、その中には後にモンスターバンドと化すXの姿もあった。特にXは44マグナム以上に派手なルックスかつ凶暴なパフォーマンスで少しづつ人気を得ていた。また、当時のXは日本のヘヴィメタルシーンをあざ笑うかのようにテレビ番組の出演を繰り返していた。(詳しくはXの項目参照)

1980年代後半~バンドブーム~

1987年のガンズ・アンド・ローゼズの登場、ホワイトスネイクのアメリカでの成功を機にヘヴィメタルはメタルファン以外にも親しまれ、また、日本のメタルシーンにもガンズフォロワーが登場。反面、1989年にはXがデビューしたことで、やりたい放題のXの行動に反発したメタルファンも多く、この当時の世代で「Xのおかげでメタルが馬鹿にされた」「Xはメタルを馬鹿にしている」「Xのせいでどんなに曲を作ってもヘビメタってだけで白い目で見られる!」等の発言をする人は2006年の現在でも言う人が多いのも事実である。また、Xの登場で一気に世間にヘヴィメタルのパブリック・イメージが浸透してしまう。

例:「ヘビメタって髪を立てて派手な化粧してギター壊したりするんでしょ?」「ヘビメタの人って語尾にベイベーとか付けてるんだよね?」「何でヘビメタの人って外人みたいな名前名乗ってるの?」

これらはヘヴィメタルをよく知らない人が発言するヘヴィメタルのパブリック・イメージであり、実際にそう発言する人も多い。流石に今時の若者はそう発言する人は少ないが2006年現在で言うと20代後半~40代前半の人たちからこう言った発言が聞けることがある。

また、1989年に勃発したバンドブームが原因で見た目やパフォーマンスが派手で演奏が疎かなバンドが次々と登場し、それらのバンドは殆どが「ヘビメタ」と見なされ、普通に活動していたメタルバンドがその煽りをくらい馬鹿にされていった。これらが原因で1990年代に起きたバンドブームはヘヴィメタルファンからは顰蹙を買い、日本のヘヴィメタルシーンは少しづつ衰退していく。BURRN!の人気投票のBORE部門には「ヘビメタの流行とイカ天ブーム」と言うのがあるくらい、当時のヘヴィメタルファンにはヘビメタは完全に差別用語になってしまっているのである。その後、インディーズでヘヴィメタルバンドとして活動していたバンドの殆どが後のヴィジュアル系へと移行していく。

1990年代

世は既にヘヴィメタルが衰退し、グランジブームであった。日本では海外のヘヴィメタルバンドの人気は高かったが、1992年のジューダス・プリーストのロブ・ハルフォード脱退、モトリー・クルーのヴィンス・ニール解雇、93年のアイアン・メイデンブルース・ディッキンソンの脱退によりヘヴィメタルシーンは段々と力を失っていった。

だが、ドイツや北欧出身のメタルバンドを中心に依然として日本での人気は高く、ハロウィンなどのバンドは安定した人気を持っていた。1989年にデビューしたMr.Bigや1993年デビューのアングラは日本での人気は高く、特にMr.Bigは女子高生の支持を得るなど人気は凄まじいものがあり、特にポール・ギルバートの人気はギターキッズの注目の的であった。さらに1994年にはイングヴェイ・マルムスティーンが日本武道館でライブを成功させるなど、1990年代が人気絶頂だったものも少なくない。

日本のバンドに関しては1989年に44マグナム、1990年にVOW WOWとEZO、1992年にANTHEM、94年にアースシェイカーが次々と解散、唯一海外で安定した活動していたラウドネスも既にその力を失っており、メンバーチェンジを繰り返しながら2000年の再結成まで活動していった。

96年に軽いノリでデビューしたヘヴィメタルとアニメソングを融合させたアニメタルが爆発的なヒットを飛ばし、ここ数年注目されなかった日本のメタルバンド界にも注目が集まり、98年にセックス・マシンガンズコンチェルト・ムーンのデビューにより再び活気を取り戻した。

現在の日本におけるヘヴィメタルの評価とメタルシーン

2000年以降、1980年代に活躍したバンドが次々とオリジナルメンバーで再結成したり(または全盛期のメンバー)ベテラン勢の活動が活発になりかつてのファンや、当時を知らない後追いファンを歓喜させるものの、盛り上がっているのはあくまでベテラン勢であり、若手や中堅バンドがあまりスポットを当てられない風潮も目立っている。

特に、本来は若手をサポートするはずのメディア(BURRN!等)が若手をロクに取り上げず、ベテランを贔屓に扱ったりする為、一部のメタルファンからは顰蹙を買われている状態である。

日本におけるメタルの評価に関しては、特に北欧のメロディックスピードメタルの人気が高く、ファンの中には「疾走曲の無いメタルなんてメタルじゃない!」と発言するファンが存在する反面、1990年代後半に出てきたラウドロック勢からは「速弾きはダサい」と発言するファンもいたりする。

また、インターネットの普及のおかげで日本でブレイクしたスカイラークのようなバンドも存在する。

日本のメタルシーンに関しては、1980年代のブームと比較すれば有力と言えるバンドの出現が少なくなっている。その中でも2000年にデビューしたダブル・ディーラーはBURRN!の過剰プッシュが無い限りは盛り上がらなかったであろう状態であり、2003年にデビューしたガルネリウスも大した活動をしていない。さらに2006年には SEX MACHINEGUNS も活動休止を表明している。若手で気炎を上げているバンドに陰陽座らもいるが、これもまたヴィジュアル系と忌避するメタルファンが多いのが現状である。

インディーズヘヴィメタルバンドに関しては雑誌で取り上げられているバンドの殆どはメロスピ系のバンドが殆どであり、良くも悪くもテクニックに走りがちなバンドが急増している状態である。盛り上がらない理由に関して、某ライブハウスの人物のインタビューによれば最近のバンドは「自分達の音楽を理解してくれる人にだけやってるから。外の社会に対して閉鎖的な見方をしているから」と語っている。

また、盛り上がらない理由に「ヴォーカリストの声質」「ルックス」「ロック然とした演奏をしないバンド」も含まれている。「ヴォーカリストの声質」に関してはメタルサウンドにソフトメイクのヴィジュアル系バンド(ジャンヌ・ダルク、SIAM SHADE等)によくあるタイプのさわやかな歌い方が一部のヘヴィメタルファンから評判が悪く、これらのバンドは最近のヤング・ギターの付属DVDで紹介されることが多い。

他にもメロスピ系シンガーに多いマイケル・キスク型であり、キスクのようなシンガーを目指すボーカリストが多い為、無理をしてまでハイトーンを出したがるシンガーや作曲家のおかげで楽曲のクオリティを落とすタイプもファンからは叩きの対象になっている。

アーク・エネミーやチルドレン・オブ・ボドムの影響でデスメタルを演奏するバンドが急増したが、これもまたマニアにしか受けない上に日本人の体質には厳しく、喉を痛めたり声量が無かったりで中々人気が出ない。

「ルックス」に関しては前述ヴィジュアル系のようなルックスのバンド(例:ガルネリウス、クロス・ハード、アトミック・トルネード等)と1980年代のメタルを引きずったようなむさ苦しいルックスのバンド(例:ダブル・ディーラー、アーク・ストーム等)が賛否両論になりやすい。

「ロック然とした演奏をしないバンド」に関しては、近年のメタルバンドはNWOBHM時代のバンドのような良い意味での荒々しさが無く、「堅実に、正確に音源通りに演奏」することを心がけるバンドが多い為、緊張感に欠けヘヴィメタルの魅力を半減させる原因にもなっている。また、トーン(音色)を重視し過ぎるする傾向があり極力音圧を下げて演奏するバンドも多い(例:スカイラーク)。

また、インディーズヘヴィメタルバンドの多くは身内ノリになってしまうことが多く、客の半分以上はバンドメンバーの友人が大半と言う悲しい現状もある。中にはメジャーデビューしたからと言って必ずしも満杯になることも無いのである。

このような状態が続く以上、日本でメタルを復興させるのは難しい。日本でヘヴィメタルを盛り上げたいのなら1980年代のジャパメタブームのようにブームを載らせることが出来るバンドが出てこない限りフォロワーは出てこないであろうし、海外の若手の人気も簡単には付かないだろう。

しかしながら、NHK紅白歌合戦に出演したヘヴィメタル・ミュージシャンがあまりいないせいか、「SHOW-YALOUDNESSを出してほしい」という声がある。

ヘヴィメタルのサブジャンル

主に1990年代以降、時代に合わせてサウンドを変更し生き延びるバンドもあれば衰退の波に飲み込まれて消えていくバンドもあった。その一方で、新しいサウンドや他ジャンルのサウンドを貪欲に消化し、様々なスタイルでプレイするヘヴィメタル・バンドが誕生した。

インダストリアルメタルヴァイキング・メタルグラインドコアクラシック・メタルゴシックメタルシンフォニックメタルスピードメタルスラッシュメタルデスメタルドゥームメタルネオクラシカルメタルパワーメタルブラックメタルプログレッシブ・メタルミクスチャー・ロックメタルコアメロディックスピードメタルメロディックデスメタルラウドロックラップメタル

地域ごとに特有の音楽性が認められる場合、地域別サブジャンルが出来る場合がある。

LAメタルジャーマンメタルジャパメタル北欧メタル

主要ヘヴィメタルバンド

ヘヴィメタル・アーティストの一覧を参照。

へヴィメタルを取り扱う媒体

テレビ番組

ラジオ番組

雑誌