妻線
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廃線跡を利用した自転車道
旧妻駅付近、1997年 |
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| 軌間 | 1067 mm | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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妻線(つません)とは、宮崎県宮崎郡佐土原町(現・宮崎市)の佐土原駅と西都市の杉安駅とを結んでいた、日本国有鉄道(国鉄)の鉄道路線(地方交通線)である。1980年の国鉄再建法施行にともない第1次特定地方交通線に指定され、1984年に全線が廃止された。
目次 |
[編集] 路線データ(廃止時)
[編集] 歴史
妻線は、宮崎駅に最初に乗り入れた鉄道である。宮崎駅へは現在の吉都線を経由して都城方面から官設鉄道(宮崎線)が延伸されるはずであったが、工事が遅れ、1913年に先に妻方面への宮崎県営鉄道が開業を果たしたものである。宮崎駅へは1916年10月に宮崎線が到達、県営鉄道も1917年9月に買収・国有化され、妻軽便線(つまけいべんせん。1922年に軽便鉄道法廃止により妻線に改称)となった。1920年9月には、宮崎本線の高鍋延長にともない、広瀬駅を移転して分岐駅とし、宮崎 - 広瀬間を妻軽便線から分離して宮崎本線に編入した。1922年8月には妻 - 杉安間が開業し、全通した。
1944年には、末端部の妻 - 杉安間が不要不急線として休止となったが、1947年に復活している。
結局実用化はされなかったが、貨物輸送の合理化のために試作された気動貨車キワ90形の試用線区となるなど、典型的なローカル線であり、1968年には赤字83線の一つとして廃止を勧告され、1980年の国鉄再建法の施行により第1次特定地方交通線に指定、1984年に廃止された。しかし、地元の鉄道への愛着は深く、廃止時の協定により、将来の復活に備えて、全線にわたり路盤が撤去されずに残されている(自転車歩行者専用道路として現在利用されている)。
また、改正鉄道敷設法別表第122号には、終点の杉安から湯前線湯前への予定線が計画されていたが、着工されないまま1944年に省営バス(国鉄バス)日肥線が開設された。一時は路線が人吉に拡大されるなど隆盛を見せたが、1998年にJR九州バスが撤退し、2004年現在、西米良村営バスと宮崎交通バスにより営業が継続されている。
[編集] 年表
- 1913年(大正2年)12月25日 宮崎県営鉄道が宮崎 - 福島町間を開業、宮崎・花ヶ島・蓮ヶ池(初代)・次郎ヶ別府・広瀬(初代)・福島町の各駅を開業
- 1914年(大正3年)4月26日 福島町 - 佐土原間を延伸開業、佐土原駅(初代)を開業
- 1914年(大正3年)6月1日 佐土原 - 妻間を延伸開業、黒生野・妻の各駅を開業
- 1917年(大正6年)9月21日 宮崎県営鉄道を買収し国有化、宮崎 - 妻を妻軽便線とする、蓮ヶ池駅(初代)を廃止
- 1920年(大正9年)9月11日 宮崎本線広瀬(2代) - 高鍋間開業にともない、宮崎 - 広瀬間を宮崎本線に編入し妻線を広瀬(2代) - 妻間とする、広瀬駅(2代)を新設、広瀬(初代)・福島町の各駅を廃止
- 1922年(大正11年)8月20日 妻 - 杉安間を延伸開業し妻線が全通、穂北・杉安の各駅を新設
- 1922年(大正11年)9月1日 妻軽便線を妻線に改称
- 1944年(昭和19年)12月1日 妻 - 杉安間を休止、穂北・杉安の各駅を休止
- 1947年(昭和22年)3月20日 妻 - 杉安間を営業再開、穂北・杉安の各駅を再開
- 1965年(昭和40年)6月1日 佐土原駅(初代)を西佐土原駅に改称
- 1965年(昭和40年)7月1日 広瀬駅を佐土原(2代)駅に改称
- 1972年(昭和47年)3月15日 全線 (19.3km) の貨物営業を廃止
- 1981年(昭和56年)9月18日 第1次特定地方交通線として廃止承認
- 1984年(昭和59年)12月1日 全線 (19.3km) を廃止、バス転換
[編集] 駅一覧
佐土原駅 - 西佐土原駅 - 黒生野駅 - 妻駅 - 穂北駅 - 杉安駅
[編集] 接続路線
- 佐土原駅:日豊本線
[編集] 外部リンク
- おがえもん廃線研究所 国鉄妻線 廃止後の路線跡の様子
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