アレン・ウェルシュ・ダレス
アレン・ウェルシュ・ダレス(Allen Welsh Dulles, 1893年4月23日 - 1969年1月29日)は、アメリカ合衆国の政治家、外交官、弁護士で1953年から1961年までアメリカ中央情報局(CIA)長官を務めた。
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[編集] プロフィール
[編集] 人物
国務長官ジョン・フォスター・ダレスの弟で、ウォーレン委員会のメンバー。さらにユナイテッド・フルーツ社の株主。日本とスイスの合作により映画化もされた西村京太郎原作の小説『D機関情報』(映画版のタイトルは『アナザー・ウェイ ―D機関情報―』)に登場、日本海軍中佐と共に最後まで日米和平工作(終戦工作)に奔走した“ミスターD”のモデルと言われる。
1914年、プリンストン大学卒業後に国務省入省。外交官としてウィーン、ベルン、イスタンブールなどに勤務。この間、パリ講和会議米国代表、国務省近東課長などを歴任。
[編集] OSS工作官
1927年からはニューヨークで弁護士業を営んでいたが、1940年、OSS(Office of Strategic Services, 戦略事務局 CIAの前身)に入局。1942年から1945年まで、スイスベルン支局長であった。1945年には、当時、在スイス日本公使館付海軍武官補佐官(駐在武官)を務めていた藤村義朗・日本海軍中佐らとの間で、和平工作(終戦工作)を行なった(この経緯が上記『D機関情報』のモチーフと見られる)。
[編集] CIA長官
戦後、ニューヨークでの弁護士業に戻っていたが、1950年にW・ベデル・スミス陸軍中将が中央情報局(CIA)長官に就任すると、ダレスはCIA作戦本部長の地位を得、1951年よりCIA副長官を務めた。そして1953年、アイゼンハワー政権の発足に伴いCIA長官に就任した。CIAが現在の規模にまでなったのは彼の功績によるところが大きい。彼は実兄のジョン・フォスター・ダレス国務長官とともに、アイゼンハワー政権の冷戦外交に大きな影響を与えた。
任期中に、イランのモハメッド・モサデグ政権転覆作戦(エイジャックス作戦、1953年 en:Operation Ajax)やグアテマラのアルベネス・グスマン政権転覆作戦(PBSUCCESS作戦、1954年)を指揮し、また国内メディアのコントロールを図るモッキンバード作戦 (en:Operation Mockingbird) を監督した。また、ジュネーヴ協定後の初期段階のヴェトナム介入に関わった。
キューバがフィデル・カストロにより共産化されると、アイゼンハワー政権末期からダレスはピッグズ湾侵攻計画を策定した。この計画はケネディ政権に引き継がれ、4月17日に計画は実行されたが、ダレスは実行部隊である亡命キューバ人部隊にはアメリカ軍正規軍の投入を約束し、反対にケネディにはアメリカ軍の介入なしに作戦を成功できると確約して二枚舌を使ったため、作戦は失敗した。このため1961年11月、ダレスはケネディにより解任された。
[編集] 死去
1963年11月ケネディが暗殺されると、ウォーレン委員会のメンバーに任命された。ジョンソン政権下では賢人会議のメンバーとなり、アメリカのヴェトナム政策に影響を与えた。
また、1969年にニクソン政権が発足すると、国家安全保障会議のメンバーとなった。しかし同年にインフルエンザをこじらせ肺炎で死去。75歳であった。
[編集] 参考文献
[編集] 関連項目
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