Office of Strategic Services

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Office of Strategic Services(OSS)(1942年6月13日~1945年9月20日)とは、第二次世界大戦中のアメリカ軍の特務機関で、諜報機関である。1941年7月に設立された情報調整局(Coordinator of Information, COI)の後身で、後の中央情報局(CIA)の前身。ウィリアム・ドノバン少将によって設立された。

日本での呼称[編集]

OSSの定訳はなく、戦略諜報局戦略情報局[1]戦時情報機関特殊戦略部隊戦略事務局戦略任務局など多数ある。

主な活動[編集]

第二次世界大戦中は主に戦略情報の収集や分析、諜報及び特殊活動を担当。草創期は陸軍内で適性のある兵士を工作員に充てていたが、大戦への参戦により愛国心に燃える大学生を多数徴募することが出来、彼らを工作員として育成。ヨーロッパ戦線太平洋戦線に多数の工作員をおくり、枢軸国支配地域の全域に現地人による抵抗組織(レジスタンス)の設立、及び破壊・撹乱工作を行ってきた。

1942年にはオリビア計画(Project Olivia)を策定、中国・満州・米国在住の朝鮮人をカナダの諜報学校で訓練し、対日戦線に送り込む計画であった。しかしこの秘密工作は、既に重慶で朝鮮人を支配下に置いていた蒋介石の情報機関「戴笠機関」と衝突し、ジョセフ・スティルウェルの反対もあって実現しなかった。

プレーク・ピブーンソンクラームが主導し枢軸国の一員となることになったタイ王国については、駐米大使セーニー・プラーモートが、本国の意思に反し合衆国政府への宣戦布告の通達を拒否、合衆国政府と計り、留学生らを組織し抗日運動「自由タイ運動」を組織した。留学生の内21名がOSSに入隊し、タイ国内における諜報活動等の準備をすすめ、地下活動の訓練を受けた後、タイ国内に潜入し、終戦時には5万人以上のレジスタンスを組織するまでにいたった。なお、現在、タイ・シルクの有名ブランドである『ジム・トンプソン』の創立者ジム・トンプソンは、OSSのバンコク支局長としてタイに入国したのが、その後のビジネスを興す契機となった。

第二次世界大戦が終結すると、海外に派兵していたアメリカ軍の復員とともに組織自体も徐々に縮小した。SSU(戦略諜報部隊)、CIG(中央情報グループ)等の数次の変遷を経て1947年にCIAに改組した。

アメリカに亡命したドイツの知識人フランクフルト学派もOSS顧問になっていたといわれ、戦後の日本の統治の基本方針を築いたといわれる[2]

2008年8月14日、米国立公文書館が公開した資料によって、日本で活躍した野球選手のモー・バーグや、俳優のスターリング・ヘイドン、映画監督のジョン・フォードらがアメリカ軍所属の戦略諜報局(OSS)の工作員であったことがわかった[1]

参考文献[編集]

  • 田中英道『戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」―二段階革命理論と憲法』展転社、2011年7月。
  • 加藤哲郎『象徴天皇制の起源―アメリカの心理戦「日本計画」』平凡社〈平凡社新書 281〉、2005年7月。

脚注[編集]

  1. ^ a b 読売新聞 2008年8月15日「J・フォード監督の名も、米CIA前身の工作員名公開」記事
  2. ^ 田中(2011)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

CIA公式サイトのOSSの歴史(英文)
国立国会図書館が所蔵するOSS機密文書マイクロフィルムの情報。