ジョージ・J・テネット
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ジョージ・ジョン・テネット
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第18代 アメリカ中央情報局長官
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| 任期 1997年7月11日 – 2004年7月11日 |
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| 大統領 | ビル・クリントン ジョージ・W・ブッシュ |
| 前任者 | ジョン・M・ドイッチ |
| 後任者 | ポーター・J・ゴス |
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| 出生 | 1953年1月5日(60歳) ニューヨーク州ニューヨーク |
| 政党 | 民主党[1] |
| 信仰 | ギリシャ正教 |
ジョージ・ジョン・テネット(George John Tenet, 1953年1月5日 - )は、アメリカ中央情報局第18代長官。
目次 |
パーソナル [編集]
テネットは労働者階級の移民の息子として生まれ、ニューヨーク州のクイーンズ郡で育った。彼は家業のデリカテッセンを手伝い、ジョージタウン大学外交学部卒。またコロンビア大学国際公共研究科修士課程修了。
クリントン政権二期目の1997年7月、CIA長官に任命された。
彼の妻はA・ステファニー・グラカス=テネットであり、夫妻には一人息子ジョン・マイケルがいる。
CIA長官 [編集]
クリントン政権一期目ではジム・ウールジー、ジョン・ドイッチがCIA長官に任命されたが、両者とも2年未満という短期間でCIA長官を辞任した。また両者とも国防省の文官経験があり、軍事には精通していたが、諜報の知識は限られていたため、CIA局員には門外漢と見なされていた。
そのような状況でクリントン政権二期目を迎え、テネットがCIA長官に任命された。
テネットは連邦議会スタッフ出身で、外交官・軍務・情報機関員の経験は皆無であり、前任者たちと比較しても完全な門外漢であった。
ただし、連邦上院情報委員会事務局長、国家安全保障会議情報上級部長、CIA副長官を経験し、アメリカの情報機関における調整役としての経験はあるため、CIA長官時代もその行政手腕を発揮した。
彼は「個人的理由」で2004年6月3日に辞表を提出し、2004年7月11日までCIA長官を務めた。彼の辞任に伴い副長官のジョン・マクラフリンが長官代行となった。
テネットのCIA長官としての7年の任期は、アメリカ史上二番目の長期である。
イラク戦争において [編集]
- パウエル国務長官によるイラク戦争開戦前の国際連合安全保障理事会における演説の際に、それを裏付けるとする情報を逐一報告していたことが印象的である。しかし、大量破壊兵器の存在が確認されず、サッダーム・フセイン政権とアルカーイダの関係が不明瞭だったこともあり、彼は辞任することになってしまった。辞任が大統領選の直前であったこと、そしてその理由が情報操作であったことは異例である。しかしながらジョージ・W・ブッシュ大統領は「ジョージ・テネットはアメリカのために素晴らしい仕事を行った。彼と共に働けたことは大きな名誉であり、私は彼の辞任が遺憾である。」と述べ、「彼は『個人的理由』の為に辞職した。」と語った。後に自著「嵐の真ん中で」の中で、「ブッシュ政権内でイラク開戦前に同国の差し迫った脅威について真剣な協議は行われなかった」などと暴露。イラク開戦に関与した自らの立場を弁護する主張を展開し、保守リベラル双方から非難を浴びている。(for personal reasons, ロイター、2004年6月5日)
- 大量破壊兵器の存在が確実であるとをコリン・パウエルに報告。開戦への道筋を立てた。
- 2003年3月20日テネットは、サダム・フセインがバグダット南方の「ドーラ農場」に隠れているとホワイトハウスに報告した。大統領は国防総省に対しこれを破壊することを命令。ミサイトと爆弾によってこれを破壊した。
チェイニー副大統領は「サダム・フセインをやっつけたと思う。フセインは瓦礫の中から掘り出されるのを目撃された。呼吸していなかった」と言った。 しかし、それは誤報でサダムはどこにも見つからなかった。
- 2003年4月7日サダムとその息子たちが、バグダットのマンスール地区にある「サア・レストラン」の隣の家で会っていると報告。
空軍によって1t爆弾4発が投下されるも無実の市民18人が死亡。
- 大量破壊兵器を隠匿した疑いがある場所946箇所のリストを公表。後に大量破壊兵器は存在しなかったとパウエルが謝罪することになった。
- サダムの息子、ウダイが指揮する不正規軍の脅威を見過ごし多数の兵を死傷させることになった。米陸軍の侵攻正史「オンポイント」の著者は「情報機関は、この勢力がいかに残忍かつ強靭で、狂信的かをまったく予想していなかった」としている。
- デービット・ケイ率いる「イラク調査グループ」を大量破壊兵器捜索の為イラクに派遣した。しかし、なにも見つからなかった。ケイは2004年1月28日上院軍事委員会に出席し「われわれはまったくと言っていいほど間違っていた」と証言した。[2]。
ブッシュからの最高機密指令 [編集]
2007年1月10日、CIAが法廷に提出した書類で「テロリストを拘束し」「アメリカの国外に拘束施設を設ける」権限を大統領がCIAに与えた事が確認された。 これにより、秘密刑務所においての拷問を文民の諜報機関であるCIAが行う仕組みを作ることになった。[3]。
注記・参考資料 [編集]
- ^ Interview: Steve Coll, PBS Frontline, 2006
- ^ 『CIA秘録』ティム・ワイナー文藝春秋
- ^ アメリカ市民的自由連合による対国防総省訴訟においての、マリリン・A・ドーンの声明
外部リンク [編集]
- CIA's info webpage for Director George Tenet
- Disinfopedia entry for George Tenet
- CNN: Tenet told Bush WMD case a 'slam dunk'
- Frontline: The Dark Side
- SourceWatch entry for George Tenet
- George Tenet profile
- Official excerpt of George Tenet's 60 Minutes interview at YouTube
| 官職 | ||
|---|---|---|
| 先代: ジョン・M・ドイッチ |
アメリカ中央情報局長官 1997年7月11日 - 2004年7月11日 |
次代: ポーター・J・ゴス |
| 先代: ビル・スチュードマン |
中央情報局副長官 1995年7月 - 1997年7月 |
次代: ジョン・A・ゴードン |