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| Length = 35[[分]]43[[秒]] |
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*音楽情報サイト『CDジャーナル』では、同バンドの活動に対して「ムチャクチャなパフォーマンスで人気を集め、筋肉少女帯に次ぐナゴムのスターか!? と将来を嘱望されたZin-Say!(人生)は、いつのまにかヒップホップ小僧になって、名前も電気グルーヴになっている」と記し、「ガキんちょみたいな危険な芸風は変わらず」と肯定的とも否定的とも取れる評価を下している<ref name="cdjournal">{{Cite web |
*音楽情報サイト『CDジャーナル』では、同バンドの活動に対して「ムチャクチャなパフォーマンスで人気を集め、筋肉少女帯に次ぐナゴムのスターか!? と将来を嘱望されたZin-Say!(人生)は、いつのまにかヒップホップ小僧になって、名前も電気グルーヴになっている」と記し、「ガキんちょみたいな危険な芸風は変わらず」と肯定的とも否定的とも取れるような評価を下している<ref name="cdjournal">{{Cite web |
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2020年6月23日 (火) 21:59時点における版
『662 BPM BY DG』 | ||||
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電気グルーヴ の スタジオ・アルバム | ||||
リリース | ||||
録音 |
1990年 Studio EGM | |||
ジャンル |
エレクトロニック ヒップホップ ポップス テクノ ブレイクコア エクスペリメンタル | |||
時間 | ||||
レーベル | SSE | |||
プロデュース | 石野卓球 | |||
電気グルーヴ アルバム 年表 | ||||
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EANコード | ||||
EAN一覧
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『662 BPM BY DG』(ろくろくに・ビーピーエム・バイ・ディージー)は、日本のテクノユニットである電気グルーヴのインディーズ・レーベルよりリリースされた1枚目のアルバム。
後に至るまで演奏されている「電気ビリビリ」「WE ARE」「N.O.」の原曲を収録。7曲目から11曲目は1分ずつの無音トラックとなっている。
当時インディーズで活動していた電気グルーヴにソニー・レコードからメジャー・デビューのオファーがあった際に、同グループの中心人物であった石野卓球の「どうしてもインディーズでアルバムを出しておきたい」という思いから本アルバムは制作された。
ちなみに、リリース元のレーベルであるSSEの前身はトランス・レコードであり、前身の人生時代にナゴムレコードとキャプテン・レコードからリリースしていた同グループは、当時「インディーズ三大レーベル」と言われていた全てのレーベルからリリースしたことになる。
背景
1988年、ナゴムレコード所属のテクノポップバンド・人生(ZIN-SÄY!)で活動していた石野卓球は、同レーベル所属の筋肉少女帯がメジャーデビューしたこと、あるいはTBS系深夜番組『平成名物TV』(1989年 - 1991年)での1コーナー「三宅裕司のいかすバンド天国」から多数のバンドが輩出されていることに焦りを感じていたが、結果として同番組には出演しなかった[1]。
またその当時、YelloやM/A/R/R/S、ボム・ザ・ベースなどを聴き衝撃を受けた石野は、人生としての活動に疑念を持ち始めていた[1]。自身の音楽に対する嗜好と人生の活動が乖離している状態であったため、一度は人生とは別のバンドを結成することも検討したが、人生のライブにはパンクスの観客が来るなど誤解されていた面があったこと、プライベートでは石野が彼女と別れたこと、プロになることを優先しすぎたあまりバンドメンバー同士が倦怠期に陥っていたこと、メンバー・おばば(EX分度器)が脱退の意向を示したことなどを理由に人生の解散を決定した[1]。
人生の解散後に一時は音楽を辞める事も想定した石野であったが、メジャーデビューを目指すのではなく、自身が納得できる音楽を製作すること、マイペースで活動することを念頭に電気グルーヴを結成する[1]。その当時に石野はYello、ポップ・ウィル・イート・イットセルフ、ジーザス・ジョーンズなどを愛聴していたが、パブリック・エナミーを聴いた影響で電気グルーヴではラップを全面的に採り入れることを検討することとなった[1]。
一方で人生解散後、音楽の道から外れビデオ制作会社に就職していたピエール瀧は、当初は電気グルーヴには参加しない意向であったが、石野からの勧誘によりグループへの参加を承諾する[2]。その他に人生から若王子耳夫、それ以外で高橋嵐をメンバーに加え正式にグループの結成となった。
録音
電気グルーヴとしての楽曲製作に取り掛かった石野は、かなり早いペースで「WE ARE」「電気ビリビリ」「無能の人」「ブス女」などの曲を完成させた[1]。中でも「電気ビリビリ」は1時間ほどで製作されたという[1]。自宅アパートで打ち込みと作詞を同時に行い、曲の完成と共に瀧に連絡しスタジオに呼び出して歌唱パートを指導していた[1]。
また、ラップを導入するために最初に制作されたのが「WE ARE」である[2]。レコーディングでは打ち込みが主体となっていたことに関し、「後期の人生で忘れてた感覚がよみがえった」と期待感が高かったことを瀧は語っている[2]。
音楽性
歌詞とテーマ
当初製作された曲の中でスラッシュメタルをテクノで構成した「JB・ザ・スラッシャー」という曲があったが最終的に没になった[1]。しかし、この着想から同グループの当時のコンセプトは「スラッシュ・テクノ」となり、90年代のパンク、デジタルハードコアを志向していた[1]。また、当初は人生の延長線上にある音楽性であったが、ナパーム・デスなどのグループからの影響やハウス、ヒップホップを導入し、「打ち込みでも力強い音でありたい」と志向したことが人生との最大の違いであると石野は語っている[1]。
収録曲の内、「N.O.」の原曲「無能の人(LESS THAN ZERO)」は、人生時代の自身のことを歌詞にしたという[1]。これは自身にとって初めて心情を歌った曲であり、石野自身にも特別な曲であるとして「好きな曲ですね」と語っている[1]。また、歌詞に関してはコミカルなものはやめ、物語のような歌詞や「短くてズバリと言えるような歌詞」を書いていきたいとも語っている[1]。
タイトルに関して、「662BPM」とは収録されている楽曲のそれぞれのBPMを単純に総て足した数値から来ていると一般的には言われている。ただし、ライナーノーツに記載の各曲のBPMを足し合わせると合計622BPMとなり、BPMの記載がない6曲目の「LEE」が40BPMでなければならない。また、BPMが記載されている図表では、12曲目の120BPMを後から足してTOTAL662+120との記載になっている。このことについて石野卓球は「全部の曲を足したBPMをタイトルにしたんだけど、計算を間違っていた」と語っている[3]。
サンプリング
無許可で多数のテレビ番組や有名人の音声をサンプリングして使用(サンプリングの元ネタはジャケットに記載)、さらに放送禁止用語、差別的な表現を含む歌詞を多用している(後に契約することとなるソニーの歌詞検閲では、この頃の歌詞はほとんどNGとなり、改詞してリリースしている。しかし、ライヴにおいては原曲の歌詞、もしくは原曲とも異なる歌詞で歌っていた)。
- 「邪魔な奴らは跳ね飛ばせ 特にババアやジジイは高得点」→「邪魔な奴らはブッ飛ばせ 特に砂かけババアは高得点」(電気ビリビリ)
- 「強制フェラチオ 泉重千代 ギネスブックで長寿世界一」→「ネオンにおやじ 野獣におやじ 三つ子の魂百までおやじ」(ウィアー/WE ARE 2コーラス目以降は全て書き直されている)
- 「キチガイ」を曲全編に渡って連呼(映画『その男、凶暴につき』の1シーンからのサンプリング)する「D・E・P」は楽曲そのものがお蔵入りになっている。
構成
- サンプリングリスト
以下の映画、有名人、テレビ番組などからサンプリングされている。
- ロボコップ
- フランク・チキンズ
- Todd Terry+Royal House
- YMO
- ナパーム・デス
- PIL
- あしたのジョー
- スリップノット
- パブリック・エナミー
- ポップ・ウィル・イート・イットセルフ
- DAF
- サイキックTV
- バナナラマ
- ピンクレディー
- 人生(ZIN-SÄY!)
- プリンス
- クラフトワーク
- ミニストリー
- ワイヤー
- Tragic Error
- デペッシュ・モード
- ジェームス・ブラウン
- Front 242
- D.R.I.
- ブルース・リー
- アル・ヤンコビック
- マイケル・ジャクソン
- 筋肉少女帯
- 横山やすし
- ニュー・オーダー
- その男、凶暴につき
- スイサイダル・テンデンシーズ
- ジョーズ
- 寺尾聰
- 喜納昌吉
- デ・ラ・ソウル
- Korg MS-20(手弾きしたフレーズをサンプリングしている。)
- マクドナルドのサウンドロゴ
- アタック
- Barmy Army
- Success
- 郷ひろみ
- G.B.H.
- 間寛平
- 808ステイト
- すかんち
- おはよう!ナイスデイ
- Boyd Rice
- アインシュテュルツェンデ・ノイバウテン
リリース
1990年6月28日にSSEからリリースされた。このオリジナル版はCDに付属している帯が黄色となっている。
その後、1993年に復刻版がリリースされた。こちらは帯が緑色になっている。
アートワーク
ジャケットの絵は西田裕里が描いている。このアルバムでのみ使用されているロゴマークがあるが、別の団体のものと類似していた事が発覚し、以後使用されなくなった[4]。
また、インナーの写真で瀧が着用している読売ジャイアンツのエンブレムは、子供用自転車のカゴの前面に付いていたものを外して使用している[4]。これは、パブリック・エナミーのフレイヴァー・フラヴのパロディの意図であったという[4]。また、高橋が着用している帽子は横浜銀蝿の嵐ヨシユキのものと同一である[4]。
批評
専門評論家によるレビュー | |
---|---|
レビュー・スコア | |
出典 | 評価 |
CDジャーナル | 否定的[5] |
TOWER RECORDS ONLINE | 肯定的[6] |
- 音楽情報サイト『CDジャーナル』では、同バンドの活動に対して「ムチャクチャなパフォーマンスで人気を集め、筋肉少女帯に次ぐナゴムのスターか!? と将来を嘱望されたZin-Say!(人生)は、いつのまにかヒップホップ小僧になって、名前も電気グルーヴになっている」と記し、「ガキんちょみたいな危険な芸風は変わらず」と肯定的とも否定的とも取れるような評価を下している[5]。
- 音楽情報サイト『TOWER RECORDS ONLINE』では、人生での活動と比較した上で「ハウスやヒップホップのレコードを買い倒し&聴き倒していた卓球の最先端志向と、人生から続く超ドメスティックなギャグセンスが合体。ヴォーカル・スタイルもナンセンスの極北のようなリリックのラップ調に変化し、サンプリングを多用したテクノ・サウンド」と表現し、「歌詞やサンプリングの縛りがないぶん、この時期の彼らはもっとも毒々しい個性を出していたとも言える」と同グループの特性に関して肯定的な評価を下している[6]。
収録曲
# | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 | 時間 |
---|---|---|---|---|---|
1. | 「電気ビリビリ」(DENKI BIRI BIRI) | 石野卓球 | 石野卓球 | 石野卓球 | |
2. | 「あしたのジョー」(JOE) | 石野卓球 | 石野卓球 | 石野卓球 | |
3. | 「ブス女≪B・A・S・S≫」(B・A・S・S) | 石野卓球 | 石野卓球 | 石野卓球 | |
4. | 「ウィアー」(WE'RE) | 石野卓球、ピエール瀧 | 電気グルーヴ | 電気グルーヴ | |
5. | 「無能の人」(LESS THAN ZERO) | 石野卓球 | 石野卓球 | 石野卓球 | |
6. | 「LEE」 | ||||
7. | 「(無音トラック)」 | ||||
8. | 「(無音トラック)」 | ||||
9. | 「(無音トラック)」 | ||||
10. | 「(無音トラック)」 | ||||
11. | 「(無音トラック)」 | ||||
12. | 「D・E・P」 | 電気グルーヴ | 電気グルーヴ | ||
合計時間: |
曲解説
- 電気ビリビリ - DENKI BIRI BIRI
- あしたのジョー - JOE
- ブス女≪B・A・S・S≫
- ウィアー - WE'RE
- 無能の人 - LESS THAN ZERO
- 後にリメイクされ「N.O.」としてシングルリリースされヒットしている。また2016年に発売された『DENKI GROOVE THE MOVIE? -THE MUSIC SELECTION-』に収録された「N.O. 2016」はこのアルバムのバージョンに近いイントロになっている。
- LEE
- (無音トラック)
- (無音トラック)
- (無音トラック)
- (無音トラック)
- (無音トラック)
- D・E・P
スタッフ・クレジット
参加ミュージシャン
スタッフ
- 石野卓球 - エキップメント、プログラム、プロデューサー
- カワモトコウジ - レコーディング・エンジニア、ミックス・エンジニア
- イチノヘヒロアキ - アシスタント・エンジニア
- 電気グルーヴ - ミックス・エンジニア
- 西田裕里 - カバー・ドローイング
- 稲垣潔 - DGロゴデザイン
- 小松陽祐 - 写真撮影
- 北村昌士 - アート・ディレクション、エグゼクティブ・プロデューサー
リリース履歴
No. | 日付 | レーベル | 規格 | 規格品番 | 最高順位 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1990年6月28日 | SSE | CD | SSE 4001 | - | 帯が黄色 |
2 | 1993年 | SSE | CD | SSE 4001 | - | 復刻版、帯が緑色 |
脚注
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 「牙の章 石野卓球ロング・インタビュー」『電気グルーヴ 俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』JICC出版、1992年6月15日、27 - 60頁。ISBN 978-4796603461。
- ^ a b c 「炎の章 ピエール瀧ロング・インタビュー」『電気グルーヴ 俺のカラダの筋肉はどれをとっても機械だぜ』JICC出版、1992年6月15日、69 - 102頁。ISBN 978-4796603461。
- ^ 『レオナルド犬プリオ』オーディオコメンタリーより
- ^ a b c d 「Denki Groove, 662BPM BY DG」『アイデア特別編集 電気グルーヴ、石野卓球とその周辺。』誠文堂新光社、2013年3月22日、202頁。ISBN 9784416113165。
- ^ a b “電気グルーヴ / 662BPM BY DG” (日本語). CDジャーナル. 音楽出版. 2019年4月30日閲覧。
- ^ a b 石田靖博 (2008年4月3日). “電気グルーヴ(2)” (日本語). TOWER RECORDS ONLINE. タワーレコード. 2019年4月30日閲覧。