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2018年3月11日 (日) 08:23時点における版

藤原 真
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 兵庫県西脇市南本町
生年月日 (1945-05-15) 1945年5月15日(78歳)
身長
体重
179 cm
82 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1968年 ドラフト1位
初出場 1969年4月12日
最終出場 1976年8月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

藤原 真(ふじわら まこと、1945年5月15日 - )は、兵庫県出身の元プロ野球選手。ポジションは投手

来歴・人物

兵庫県立西脇高等学校時代は三塁手慶應義塾大学へ進学し投手へ転向。東京六大学リーグでは渡辺泰輔佐藤元彦が卒業した2年生時から活躍。1966年春季リーグでは慶大初の最下位という屈辱を味わうが、エースとしてチームを立て直し、1967年春季リーグの優勝に貢献。同季のベストナインに選出される。同年の全日本大学野球選手権大会では、決勝で中大宮本幸信投手と投げ合うが、1-3で惜敗し準優勝にとどまる。リーグ通算成績は64試合登板し22勝19敗、防御率1.91、222奪三振。大学同期に一塁手の宇賀山徹(日本鋼管)らがいた。なお法大田淵幸一は藤原と相性が良く、当時のリーグ本塁打記録22本のうち、最多の5本を彼から打っている。

1967年南海ホークスにドラフト1位で指名されたが拒否し、全鐘紡に入社。1968年産業別対抗野球で優勝、最優秀選手に選ばれる。チームメートに水谷宏投手、高橋二三男外野手、倍賞明一塁手らがいた。同年にサンケイアトムズからドラフト1位指名を受け入団。

1969年4月12日、開幕の読売ジャイアンツ戦で6回、1点ビハインドの場面で河村保彦のリリーフに立ち、味方打線が逆転したため、最後まで投げきった藤原がルーキーながら勝利投手となった。スライダーやカーブ、シュート、シンカーと多彩な変化球を持ち、4月は無傷の3勝を挙げたが、徐々に打たれ始め、結局9勝(8敗)で終わった。翌年からは怪我に泣いて1勝、2勝に終わり、1971年オフに田中調とのトレードで東映フライヤーズに移籍した。

新天地ではいきなり開幕投手(開幕試合が雨で中止になったため繰上げではあったが)を務めたがこの年も7勝(13敗)に終わり、以後は目立った活躍もなく1976年限り引退した。引退後は、岳父の創業した株式会社ヤシロに入り、社長をつとめる。

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1969 アトムズ
ヤクルト
32 15 2 0 0 9 8 -- -- .529 461 107.0 114 24 29 0 3 72 0 0 62 55 4.63 1.34
1970 27 12 1 0 0 1 10 -- -- .091 445 106.1 102 10 32 4 3 32 1 0 42 39 3.31 1.26
1971 17 4 0 0 0 1 2 -- -- .333 157 36.0 32 5 22 0 1 16 0 0 21 18 4.50 1.50
1972 東映
日拓
日本ハム
42 14 3 0 1 7 13 -- -- .350 617 147.1 149 18 40 2 2 79 2 1 82 72 4.41 1.28
1973 17 0 0 0 0 1 2 -- -- .333 122 27.0 35 1 9 0 1 11 0 0 19 19 6.33 1.63
1974 31 4 0 0 0 2 4 3 -- .333 232 53.1 51 6 26 3 0 25 3 0 26 23 3.91 1.44
1975 19 12 1 1 0 2 7 0 -- .222 322 72.0 84 5 25 2 2 25 0 1 37 29 3.63 1.51
1976 11 6 0 0 0 0 2 0 -- .000 122 28.0 35 3 6 0 0 11 0 0 16 15 4.82 1.46
通算:8年 196 67 7 1 1 23 48 3 -- .324 2478 577.0 602 72 189 11 12 271 6 2 305 270 4.21 1.37
  • アトムズは、1970年にヤクルト(ヤクルトアトムズ)に球団名を変更
  • 東映(東映フライヤーズ)は、1973年に日拓(日拓ホームフライヤーズ)に、1974年に日本ハム(日本ハムファイターズ)に球団名を変更

記録

背番号

  • 14 (1969年 - 1971年)
  • 11 (1972年 - 1973年)
  • 12 (1974年 - 1976年)

関連項目