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'''室谷 由紀'''(むろや ゆき、[[1993年]][[3月6日]] - )は、[[日本将棋連盟]]所属の[[女流棋士 (将棋)|女流棋士]]。2009年度以降の制度によって女流棋士となった初のケースである。[[森信雄]]七段門下。[[将棋の女流棋士一覧|女流棋士番号]]は42(2011年3月31日まで女流棋士番号は66)
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== 棋歴 ==
== 棋歴 ==
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2010年度の成績は、対・小野アマ戦から数えて7勝2敗で勝率0.778<ref>日本将棋連盟のサイトでは女流3級時代の成績も通算されており、9勝4敗、0.692。</ref>。負けた相手は[[里見香奈]]女流三冠と[[石橋幸緒]]女流四段(タイトル歴3期)だけである。女流1級での年度指し分け以上・7勝以上の規定により、2011年4月1日付けで女流初段に昇段。これで、'''9か月間で3つ昇級昇段'''したことになる。ちなみに、7勝のうちの3勝は山田(朱)から挙げた勝利である。また、第38期[[女流名人位戦]]予選を通過し、2011年度はB級リーグで戦うこととなった。
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第19期倉敷藤花戦で、本戦準決勝で[[上田初美]]に勝利し初めて挑戦者決定戦に進出。[[清水市代]]に勝利すれば里見香奈との「十代対決」が実現したが、敗れタイトル初挑戦はならなかった。
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== 人物 ==
== 人物 ==

2012年5月3日 (木) 01:41時点における版

 室谷由紀 女流初段
名前 室谷由紀
生年月日 (1993-03-06) 1993年3月6日(31歳)
プロ入り年月日 2010年7月17日(17歳)
棋士番号 42
出身地 大阪府大阪狭山市
師匠 森信雄七段
段位 女流初段
棋士DB 室谷由紀
2012年5月3日現在
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室谷 由紀(むろや ゆき、1993年3月6日 - )は、日本将棋連盟所属の女流棋士。2009年度以降の制度によって女流棋士となった初のケースである。森信雄七段門下。女流棋士番号は42。連盟の関西本部に所属。

大阪府大阪狭山市出身。同志社香里高等学校を経て、同志社大学に在学中(2012年4月~)[1]

棋歴

母親の友人の誘いで将棋教室に行ったのが将棋を始めたきっかけ[2]

2005年(第37回)、2006年(第38回)の女流アマ名人戦では、第38回(2006年)で準優勝、第39回(2007年)で優勝。第26回(2005年)全国中学生選抜将棋選手権大会(女子の部)でも準優勝。

2008年9月に女流育成会に入会し、12勝6敗で昇級点を獲得するものの、この期をもって女流育成会制度が終了したため、2009年4月から関西研修会D1に参加。6月28日にC1に昇級して「女流3級」[3]となる権利を得、これを行使。2009年10月1日付けで、新制度のもとでの初の女流3級となった。以後、女流棋士となる条件 を満たせば女流棋士昇格ということとなった。

しかしながら、女流棋戦の日程は一年の中で偏りがあるため、3級の権利を得てから初戦を迎えるまで半年ほど待たされた。やっと迎えた初戦(2010年1月8日 = 女流名人位戦予選)で鹿野圭生戦に勝ち、幸先の良いスタートを切る。次の対局(2月23日・対村田智穂戦)でも勝利し、女流名人位戦B級リーグ入りと一気の女流棋士昇格まであと1勝としたが、予選決勝(3月17日)で山田朱未に敗れた。また、2010年4月27日に行われた女流王将戦予選は、1日に2つ勝ち上がれば本戦入り決定(同時に女流棋士昇格)のチャンスであったが、1回戦で森安多恵子の反則によって勝利したものの、2回戦(予選決勝)でまたしても山田(朱)に敗れた。その後、倉敷藤花戦では1勝1敗で、通算4勝3敗とする。

そして、2010年7月17日に行われた第4期マイナビ女子オープン予選の1回戦で鹿野に勝って年間5勝目を挙げ、この時点で女流棋士2級に昇格(プロ入り)。さらに、同日中に行われた予選決勝(2回戦)でもアマチュア選手の小野ゆかりに勝ってプロとしての初勝利を挙げるとともに、女流1級昇級の規定 の一つである「マイナビ女子オープン本戦入り」に該当したことにより、一気に女流1級に昇級した。

2010年度の成績は、対・小野アマ戦から数えて7勝2敗で勝率0.778[4]。負けた相手は里見香奈女流三冠と石橋幸緒女流四段(タイトル歴3期)だけである。女流1級での年度指し分け以上・7勝以上の規定により、2011年4月1日付けで女流初段に昇段。これで、9か月間で3つ昇級昇段したことになる。ちなみに、7勝のうちの3勝は山田(朱)から挙げた勝利である。また、第38期女流名人位戦予選を通過し、2011年度はB級リーグで戦うこととなった。

2011年、第19期倉敷藤花戦で、本戦準決勝で上田初美に勝利し初めて挑戦者決定戦に進出。清水市代に勝利すれば里見香奈との「十代対決」が実現したが、室谷が敗れ、タイトル初挑戦はならなかった。同年、第38期女流名人位戦B級リーグでは5勝4敗でB級リーグ残留。

人物

  • 振り飛車党。
  • 趣味はジャズダンス[2]
  • 好物はグラタン
  • 姉の室谷早紀(さき)も将棋が強く、アマチュアではあるが「きしろ杯争奪関西女流メイショウ戦」(出場者の約半数がプロの女流棋士)の第1回(2006年)と第3回(2008年)に出場しており、第3回では植村真理女流三段に勝利している(第4回では由紀が植村に勝利)。

昇級等履歴

プロ入り以降の昇級・昇段規定は、将棋の段級 を参照。

  • 2008年9月 女流育成会入会
  • 2009年4月 関西研修会入会
  • 2009年10月1日 女流3級(関西研修会C1昇級)
  • 2010年7月17日 女流2級(女流3級にて年間で参加棋戦数と同数の勝ち星 = 5勝) = プロ入り
  • 2010年7月17日 女流1級(マイナビ女子オープン本戦入り) - 女流2級昇格と同日
  • 2011年4月1日 女流初段(年度指し分け以上7勝以上)

脚注

  1. ^ 「将棋時評-棋道哀楽(青野照市)」 『将棋世界』 2012年2月号に、2011年11月24日の第38期女流名人位戦リーグ最終局の時点で、室谷が同志社大学1年生である旨の記述がある。
  2. ^ a b 「室谷由紀研修会員が女流棋士仮会員の資格を取得」(日本将棋連盟)
  3. ^ 2009年4月制度変更の当初は「女流棋士仮会員」という名称であったが、同年7月に「女流3級」に名称変更された。「『女流棋士仮会員』の名称変更について」(日本将棋連盟)
  4. ^ 日本将棋連盟のサイトでは女流3級時代の成績も通算されており、9勝4敗、0.692。

関連項目

外部リンク