「ホルヘ・ロレンソ」の版間の差分
ChuispastonBot (会話 | 投稿記録) m r2.7.1) (ロボットによる 追加: simple:Jorge lorenzo |
|||
378行目: | 378行目: | ||
[[ro:Jorge Lorenzo]] |
[[ro:Jorge Lorenzo]] |
||
[[ru:Лоренсо, Хорхе]] |
[[ru:Лоренсо, Хорхе]] |
||
[[simple:Jorge lorenzo]] |
|||
[[sl:Jorge Lorenzo]] |
[[sl:Jorge Lorenzo]] |
||
[[su:Jorge Lorenzo]] |
[[su:Jorge Lorenzo]] |
2012年2月23日 (木) 02:30時点における版
ホルヘ・ロレンソ | |
---|---|
2010年 インディアナポリスGP | |
国籍 | スペイン |
生年月日 | 1987年5月4日(37歳) |
出身地 | バレアレス諸島 パルマ・デ・マリョルカ |
ウェブサイト | jorgelorenzo.com |
ロードレース世界選手権での記録 - MotoGPクラスに参戦 - | |
現在のチーム | ヤマハ・ファクトリー・レーシング |
ゼッケン | 1 |
チャンピオン |
250cc - 2006年, 2007年 MotoGP - 2010年 |
レース数 | 161 |
優勝回数 | 38 |
表彰台回数 | 82 |
PP回数 | 44 |
FL回数 | 18 |
通算獲得ポイント | 2141 |
2011年の成績 | 2位 (260ポイント) |
ホルヘ・ロレンソ(Jorge Lorenzo Guerrero, 1987年5月4日 - )は、スペイン・バレアレス諸島のパルマ・デ・マリョルカ出身のオートバイレーサー。2006年、2007年のロードレース世界選手権250ccクラスチャンピオン、2010年のMotoGPクラスチャンピオン。
経歴
125cc・250ccクラス時代
2002年、デルビチームからロードレース世界選手権125ccクラスにデビューした。シーズン開幕当初はロレンソはまだ14歳であったため出場できず、15歳の誕生日を迎えた第3戦スペインGPの土曜日のセッションから参戦を開始[1]。史上最年少の15歳と1日で決勝レースデビューを果たした[2]。
2003年ブラジルGPで初優勝。2004年には同世代のアンドレア・ドヴィツィオーゾ、エクトル・バルベラといった若手ライダーのライバルとランキング争いを見せ、年間ランキング4位を獲得した。
2005年、125cc時代のライバルだったバルベラとともに250ccの有力チーム、フォルトゥナ・ホンダに移籍しステップアップ。優勝こそ無かったもののランキング5位とまずまずの成績を残した。
母国のスポンサーはそのままに、250ccで圧倒的強さを誇るアプリリアワークスチームからの参戦となった2006年、ロレンソは開幕戦から連勝を重ね8勝。他の追随を許さないシーズン運びで19歳にして初の世界チャンピオンに輝いた。
2007年もアプリリアに残留し年間9勝、クラス2連覇を遂げた。シーズン途中で翌シーズンからのヤマハワークス入り(MotoGPクラスにステップアップ)が発表された。
MotoGPクラス参戦 ( 2008年 - )
2年連続250ccチャンピオンとしてヤマハワークス入りしたロレンソは、2008年のMotoGPデビュー戦・カタールGPでポールポジションを獲得、決勝でも2位を獲得する。その後も第3戦ポルトガルGPまで3戦連続でポールを獲得すると、決勝でMotoGPクラス初勝利をあげる。その後は中国GP初日フリー走行で転倒を喫し両足くるぶしを骨折したが決勝に強行出場、4位を獲得するという離れ業を見せた。以降も骨折を抱えた身体でシーズンに参戦しながら転倒を繰り返したが、年間ランキング4位でルーキー・オブ・ザ・イヤーに輝いた。
2009年は序盤に日本GPとフランスGPで2勝を挙げ、バレンティーノ・ロッシやケーシー・ストーナーと共にチャンピオンシップ争いに名乗りを上げた。しかし第10・11戦で転倒により連続リタイアとなってしまい、インディアナポリスGPとポルトガルGPの優勝で追いすがったものの第15戦での転倒リタイアが決定的になり、第16戦でロッシにチャンピオンを渡してしまった。しかし完走時の成績は4位1回のほかは全て表彰台という好成績を残しシーズン2位となった。
2010年は開幕からの10戦で優勝7回・2位3回と圧倒的な成績を残し、2009年チャンピオン・バレンティーノ・ロッシが骨折によって4戦欠場したこともあり優位にシーズンを進め、第15戦マレーシアGPにおいて終盤3戦を残してMotoGPクラスチャンピオンを獲得した。
ゼッケン1を付けタイトル防衛に挑んだ2011年シーズンは、レプソル・ホンダに移籍したケーシー・ストーナーの後塵を拝することが多く、第16戦オーストラリアGPのウォームアップ走行では左手薬指の先端部分を切断する重傷を負い[3](後の修復手術は無事に成功[4])、終盤3レースは欠場となってしまった。最終的な成績は年間3勝、ストーナーから90ポイント差のランキング2位となった。
エピソード
優勝時のパフォーマンス
2007年のスペインGPで勝利を果たしたロレンソは、スペインを"征服"(優勝)した証しとして、ウィニングラップ中にコースサイドのグラベルに「ロレンソ・ランド」の旗を突き立てた。以降このパフォーマンスは、各国を"征服"する度に見られる定番となった[5]。
ペドロサとの確執
同国人ライダーのダニ・ペドロサとの間には、2005年のドイツGPでの接触事故以来確執が生まれることとなった。ロレンソがMotoGPクラスにステップアップした2008年シーズンも、表彰台でお互いを無視していた。これを憂いだスペイン国王フアン・カルロス1世は両者の和解を願い、自身が表彰式でプレゼンターを務めたその年のスペインGPで、ロレンソとペドロサの間に立って2人に(半ば無理矢理ながら)握手をさせた[6]。
富沢祥也との関係
Moto2クラス初戦ウィナーの富沢祥也とは、かつて自身も付けていたゼッケン48を使用していたこともあって生前仲が良かった。2010年のサンマリノGPでの富沢の事故死後、ロレンソは急きょ富沢のレプリカデザインのヘルメットを用意し次戦アラゴンGPに臨んだ。富沢が果たせなかった夢である、最高峰クラスの表彰台で彼のヘルメットを掲げようとしたロレンソだったが、ニッキー・ヘイデンとのバトルに敗れて4位に終わった[7]。このヘルメットはその後、日本GPで富沢の家族にプレゼントされた[8]。
ハンマー & バター
2010年シーズンから、ロレンソのマシンのブレーキレバー・クラッチレバーには "martillo"、" mantequilla " (それぞれスペイン語で「ハンマー」「バター」の意)の文字が刻まれるようになった。これにはロレンソが少年の時、ハンマーを手にバイクを修理する父と、サンドイッチにバターを塗る母を見て着想を得た、「時にはハンマーのようにリズミカルで力強く、また時にはバターの塗るときのようにスムースに繊細に」というライディングスタイルのモットーが込められている[9]。
その他
2011年の日本GPで来日した際、福島第一原子力発電所事故の影響による放射線汚染を警戒して、宿泊中はシャワーを浴びず持ち込んだミネラルウォーターと石鹸で体を洗ったと語っている[10]。
ロードレース世界選手権 戦績
- 凡例
- ボールド体のレースはポールポジション、イタリック体のレースはファステストラップを記録。
シーズン | クラス | バイク | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 順位 | ポイント |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2002年 | 125cc | デルビ | JPN | RSA | SPA 22 |
FRA 19 |
ITA 20 |
CAT 14 |
NED 16 |
GBR 13 |
GER 17 |
CZE 20 |
POR Ret |
BRA 7 |
PAC 9 |
MAL 20 |
AUS Ret |
VAL 22 |
21位 | 21 | ||
2003年 | 125cc | デルビ | JPN Ret |
RSA 24 |
SPA 15 |
FRA Ret |
ITA Ret |
CAT 6 |
NED Ret |
GBR Ret |
GER 21 |
CZE 12 |
POR 6 |
BRA 1 |
PAC Ret |
MAL 3 |
AUS 8 |
VAL 11 |
12位 | 79 | ||
2004年 | 125cc | デルビ | RSA 16 |
SPA Ret |
FRA 3 |
ITA 10 |
CAT 5 |
NED 1 |
BRA Ret |
GER 6 |
GBR 3 |
CZE 1 |
POR 3 |
JPN 7 |
QAT 1 |
MAL Ret |
AUS 2 |
VAL Ret |
4位 | 179 | ||
2005年 | 250cc | ホンダ | SPA 6 |
POR 10 |
CHN 9 |
FRA 5 |
ITA 2 |
CAT Ret |
NED 3 |
GBR 8 |
GER Ret |
CZE 2 |
JPN Ret |
MAL EX |
QAT 2 |
AUS 3 |
TUR 4 |
VAL 2 |
5位 | 167 | ||
2006年 | 250cc | アプリリア | SPA 1 |
QAT 1 |
TUR Ret |
CHN 4 |
FRA Ret |
ITA 1 |
CAT 2 |
NED 1 |
GBR 1 |
GER 3 |
CZE 1 |
MAL 1 |
AUS 1 |
JPN 3 |
POR 5 |
VAL 4 |
1位 | 289 | ||
2007年 | 250cc | アプリリア | QAT 1 |
SPA 1 |
TUR 2 |
CHN 1 |
FRA 1 |
ITA 8 |
CAT 1 |
GBR Ret |
NED 1 |
GER 4 |
CZE 1 |
SMR 1 |
POR 3 |
JPN 11 |
AUS 1 |
MAL 3 |
VAL 7 |
1位 | 312 | |
2008年 | MotoGP | ヤマハ | QAT 2 |
SPA 3 |
POR 1 |
CHN 4 |
FRA 2 |
ITA Ret |
CAT | GBR 6 |
NED 6 |
GER Ret |
USA Ret |
CZE 10 |
SMR 2 |
IND 3 |
JPN 4 |
AUS 4 |
MAL Ret |
VAL 8 |
4位 | 190 |
2009年 | MotoGP | ヤマハ | QAT 3 |
JPN 1 |
SPA Ret |
FRA 1 |
ITA 2 |
CAT 2 |
NED 2 |
USA 3 |
GER 2 |
GBR Ret |
CZE Ret |
IND 1 |
SMR 2 |
POR 1 |
AUS Ret |
MAL 4 |
VAL 3 |
2位 | 261 | |
2010年 | MotoGP | ヤマハ | QAT 2 |
SPA 1 |
FRA 1 |
ITA 2 |
GBR 1 |
NED 1 |
CAT 1 |
GER 2 |
USA 1 |
CZE 1 |
IND 3 |
SMR 2 |
ARA 4 |
JPN 4 |
MAL 3 |
AUS 2 |
POR 1 |
VAL 1 |
1位 | 383 |
2011年 | MotoGP | ヤマハ | QAT 2 |
SPA 1 |
POR 2 |
FRA 4 |
CAT 2 |
GBR Ret |
NED 6 |
ITA 1 |
GER 2 |
USA 2 |
CZE 4 |
IND 4 |
RSM 1 |
ARA 3 |
JPN 2 |
AUS DNS |
MAL | VAL | 2位 | 260 |
脚注
- ^ 当時のレギュレーションでは、125ccクラスの最低制限年齢は15歳だった。2010年から16歳に引き上げられている。
- ^ http://www.motorcycle-usa.com/536/Motorcycles/Jorge-Lorenzo.aspx
- ^ http://www.foxsports.com.au/motor-sports/moto-gp/jorge-lorenzo-declared-unfit-to-race-after-morning-warm-up-crash-at-the-phillip-island-motogp/story-fn2ms4i4-1226167741068
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2011/Successful+surgery+for+Lorenzo+0
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2007/Lorenzo+marks+his+territory+at+Jerez
- ^ http://paddocktalk.com/news/html/modules.php?op=modload&name=News&file=article&sid=80228
- ^ http://www.yamaha-motor.co.jp/profile/sports/race/riders/lorenzo/2010/003/
- ^ http://www.motogp.com/ja/news/2010/Tomizawa+ceremony+Motegi+0
- ^ http://www.gpone.com/index.php/en/component/content/article/1203-lorenzo-burro-e-martello.html
- ^ “レッドブル、汚染を恐れ日本の食品は飲食禁止に”. オートスポーツweb. (2011年10月4日) 2011年10月6日閲覧。
外部リンク
- JorgeLorenzo.com - 公式ウェブサイト
- @lorenzo99 ホルヘ・ロレンソ公式ツイッター
- motogp.com ホルヘ・ロレンソ経歴