コンテンツにスキップ

「ノーフォーク (バージニア州)」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
F-mikanBot (会話 | 投稿記録)
m ロボットによる: 良質な記事へのリンク en:Norfolk, Virginia
(同じ利用者による、間の3版が非表示)
1行目: 1行目:
{{世界の市
[[ファイル:Norfolk, VA.jpg|thumb|right|ダウンタウン]]
|正式名称 = ノーフォーク市
[[ファイル:Norfolk Scope.jpg|thumb|right|ノーフォークスコープ]]
|公用語名称 = City of Norfolk
'''ノーフォーク'''('''Norfolk''')は[[アメリカ合衆国]][[バージニア州]]に位置する港湾工業都市である。ここは[[独立市]]であり[[郡 (アメリカ合衆国)|郡]]に属さない。ノーフォーク市はバージニア州の大きな都市の一つである:[[2000年]]現在の[[国勢調査]]で、この都市は総人口234,403人である。近接する[[バージニアビーチ]]市(44万人)、[[チェサピーク (バージニア州)|チェサピーク]]市(21万人)、[[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス]]市(10万弱)、対岸の[[ニューポートニューズ (バージニア州)|ニューポートニューズ]]市や[[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン]]市らと共に[[人口]]約156万人の都市圏(VA-NC MSA)を形成し、その中心地に当たる。
|愛称 =
|標語 = Crescas ([[ラテン語]]: 汝は成長すべし)
|画像 = NorfolkfromHarborTower.JPG
|画像サイズ指定 = 250px
|画像の見出し = ノーフォーク港とダウンタウン
|市旗 =
|市章 =
|位置図 = Map showing Norfolk city, Virginia.png
|位置図サイズ指定 = 250px
|位置図の見出し = バージニア州におけるノーフォークの位置<br />(拡大図付き)
|下位区分名 = [[アメリカ合衆国]]
|下位区分種類1 = 州
|下位区分名1 = [[バージニア州]]
|下位区分種類2 =
|下位区分名2 =
|最高行政執行者称号 =
|最高行政執行者名 =
|成立区分 = 創設
|成立日 = 1680年
|規模 = 市
|総面積(平方キロ) = 249.4
|総面積(平方マイル) = 96.3
|陸上面積(平方キロ) = 139.2
|陸上面積(平方マイル) = 53.7
|水面面積(平方キロ) = 110.3
|水面面積(平方マイル) = 42.6
|水面面積比率 =
|市街地面積(平方キロ) =
|市街地面積(平方マイル) =
|都市圏面積(平方キロ) =
|都市圏面積(平方マイル) =
|人口の時点 = 2010年
|人口に関する備考 =
|総人口 = 242,803
|人口密度(平方キロ当たり)= 1,744.3
|人口密度(平方マイル当たり)= 4,521.5
|都市圏人口 = 1,671,683
|都市圏人口密度(平方キロ)=
|都市圏人口密度(平方マイル)=
|市街地人口 =
|等時帯 = [[東部標準時]]
|協定世界時との時差 = -5
|夏時間の等時帯 = [[東部夏時間]]
|夏時間の協定世界時との時差= -4
|緯度度= 36 |緯度分= 50 |緯度秒= 43 |N(北緯)及びS(南緯)= N
|経度度= 76 |経度分= 17 |経度秒= 9 |E(東経)及びW(西経)= W
|標高(メートル) = 2.13
|標高(フィート) = 7
|公式ウェブサイト = http://www.norfolk.gov/
|備考 =
}}
<!-- 以上Infobox。これより下記事本文。-->


'''ノーフォーク'''('''Norfolk''')は、[[アメリカ合衆国]][[バージニア州]]南東部に位置する都市。バージニア州法の規定により、いずれの郡にも属さない[[独立市]]となっている。人口は242,803人([[2010年]][[国勢調査]])<ref name="FactFinder">[http://factfinder2.census.gov/main.html American FactFinder]. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.</ref>で、東に隣接する[[バージニアビーチ]]に次ぐ州第2の都市である。バージニアビーチや[[ニューポートニューズ]]と共に形成している都市圏は9市7郡にまたがり、1,671,683人(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />の人口を抱えている。ノーフォークはこの都市圏における経済、交通、および文化の中心となっている。[[ジェームズ川]]が[[チェサピーク湾]]に注ぐ河口に形成されている湾、[[ハンプトン・ローズ]]の対岸のニューポートニューズや[[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン]]とは、橋と海底トンネルで結ばれている。
== 地理 ==
[[アメリカ合衆国統計局]]によると、この都市は総面積249.4 [[平方メートル|km&sup2;]] (96.3 [[平方マイル|mi&sup2;]]) である。このうち139.2 km&sup2; (53.7 mi&sup2;) が陸地で110.3 km&sup2; (42.6 mi&sup2;) が水地域である。総面積の44.22% が水地域となっている。


ノーフォークはチェサピーク湾の湾口という立地条件に加え、ハンプトン・ローズという[[泊地|天然の良港]]に恵まれていることから、[[港湾都市]]、また軍事都市として発展してきた歴史を持っている。ノーフォークは世界最大の海軍基地で、[[アメリカ統合戦力軍|アメリカ合衆国統合戦力軍]]、[[アメリカ艦隊総軍|アメリカ合衆国艦隊総軍]]、[[アメリカ海兵隊総軍|アメリカ合衆国海兵隊総軍]]、[[統合戦力軍特殊作戦軍団|アメリカ合衆国統合戦力軍特殊作戦軍団]]、および[[北大西洋条約機構]](NATO)の[[変革連合軍]]が司令部を置く[[ノーフォーク海軍基地]]を抱えている。ノーフォークやニューポートニューズ、[[エリザベス川 (バージニア州)|エリザベス川]]対岸の[[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス]]では、軍需産業、特に軍艦を建造する造船業が発展している。また、ノーフォークの港湾は軍のみならず民間においても重要度が高く、特にコンテナ貨物の取扱量においてはアメリカ合衆国大西洋岸有数である。加えて、ノーフォークは[[クルーズ客船|クルーズ]]の拠点としても、乗船客・クルーズ船会社の両方から高い評価を得ている。
== 人口動勢 ==


==歴史==
[[2000年]]現在の[[国勢調査]]で、この都市は人口234,403人、86,210世帯、及び51,898家族が暮らしている。[[人口密度]]は1,684.4/km&sup2; (4,362.8/mi&sup2;) である。678.5/km&sup2; (1,757.3/mi&sup2;) の平均的な密度に94,416軒の住宅が建っている。この都市の人種的な構成は白人48.36%、アフリカン・アメリカン44.11%、先住民0.46%、アジア2.81%、太平洋諸島系0.11%、その他の人種1.67%、及び混血2.48%である。人口の3.80%はヒスパニックまたはラテン系である。
===初期から独立戦争まで===
[[1619年]]、[[バージニア植民地]]総督ジョージ・ヤードレーは、植民地の中でも開発の進んだ場所に、植民地議会下院の基となる「シティ」(''Cittie'')という名の法人を4つ創設した。後にノーフォーク市となったこの地はエリザベスシティ法人の領域に含まれた。[[1634年]]、[[チャールズ1世 (イングランド王)|チャールズ1世]]がバージニア植民地の行政区画を再編し、8つの[[シャイア]]を導入すると、エリザベスシティはエリザベスシティシャイアになった。


[[1622年]]に[[イングランド]]・[[ノーフォーク]]カウンティの[[キングスリン]]から[[年季奉公]]人としてバージニアに入植したアダム・サラグッドは、契約期間が切れて自由の身になると、まだ歴史の浅いこの植民地のリーダー的な市民となった。[[1636年]]には、サラグッドは105人にこの植民地に入植するように説得し、リンヘイブン川沿いの広範囲にわたる土地を与えられた。同年、エリザベスシティシャイアのうち、[[ハンプトン・ローズ]]の南側、サウス・ハンプトン・ローズと呼ばれる地域が郡に分割されることになると、サラグッドは生まれ故郷のノーフォークカウンティにちなんで、この郡をニューノーフォーク郡と名付けた。翌[[1637年]]、ニューノーフォーク郡はサラグッドの勧めで、アッパーノーフォーク郡とロウアーノーフォーク郡に分割された<ref name="NorfolkHistory _Ch4">Tucker, George Holbert. "Norfolk Highlights 1584 - 1881". [http://www.norfolkhistorical.org/highlights/04.html Chapter 4: The Origins of Norfolk's Name]. Norfolk Historical Society. 1972年.</ref>。
この都市内の住民は24.0%が18歳未満の未成年、18歳以上24歳以下が18.2%、25歳以上44歳以下が29.9%、45歳以上64歳以下が16.9%、及び65歳以上が10.9%にわたっている。中央値年齢は30歳である。女性100人ごとに対して男性は104.6人である。18歳以上の女性100人ごとに対して男性は104.8人である。


[[File:Cannonball lodged in church wall.jpg|left|thumb|250px|聖パウロ監督教会の壁に現在も残っている、ダンモアが発射した砲弾の痕]]
この都市の世帯ごとの平均的な収入は31,815米ドルであり、家族ごとの平均的な収入は36,891米ドルである。男性は25,848米ドルに対して女性は21,907米ドルの平均的な収入がある。この都市の一人当たりの収入 ([[w:per capita income|per capita income]]) は17,372米ドルである。人口の19.4%及び家族の15.5%は[[貧困線]]以下である。全人口のうち18歳未満の27.9%及び65歳以上の13.2%は貧困線以下の生活を送っている。


[[17世紀]]後半に入ると、「ハーフムーン」の砦が建設され、また10,000[[ポンド (質量)|ポンド]](約4,500kg)の[[タバコ]]と引き換えに50[[エーカー]](約202,000m²)の土地を得て、ノーフォークは成長した<ref name="NorfolkHistory_Ch6">Tucker, [http://www.norfolkhistorical.org/highlights/06.html Chapter 6: The "Half Moone" Fort].</ref>。[[1680年]]、植民地議会は、今日のノーフォークの基となるロウアー・ノーフォーク・カウンティ町を創設した<ref name="NorfolkHistory_Ch7">Tucker, [http://www.norfolkhistorical.org/highlights/07.html Chapter 7: The Birth of "Norfolk Towne"].<br />なお、ノーフォーク市章には町の創設は1682年と記されているが、これは誤りである。</ref>。[[1691年]]、ロウアー・ノーフォーク郡はノーフォーク郡(現在のノーフォーク、チェサピーク、およびポーツマスの一部)およびプリンセス・アン郡(現在のバージニアビーチ)に分割された。[[1736年]]には、[[ジョージ2世 (イギリス王)|ジョージ2世]]の勅令により、ノーフォークは正式な町(ボロウ)として法人化された<ref name="NorfolkHistory_Ch9">Tucker, [http://www.norfolkhistorical.org/highlights/09.html Chapter 9: Norfolk Becomes a Borough].</ref>。
== 港湾の役割 ==
18世紀前半までは[[西インド諸島]]や[[イギリス]]向けの貿易港として栄え、[[1740年]]代には州で最大の[[都市]]となった。[[アメリカ独立戦争]]の際にはイギリス軍によって市街地全域を焼き払われるが、[[戦争]]後は[[タバコ]]の輸出港として地位を高め、繁栄した。


[[1775年]]頃には、ノーフォークはバージニア植民地で最も発展した都市であった。当時のノーフォークは、イギリスやその先に物品を輸出するための重要な港であった。商人たちの取引は大英帝国とつながり合っていたため、[[アメリカ独立戦争|独立戦争]]の開戦間もない頃のノーフォークでは[[ロイヤリスト]]が強い勢力を持っていた。当時のバージニア植民地総督であったダンモア伯爵は、植民地の首都[[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ]]からノーフォークに逃げ延び、体制の立て直しを図った。ダンモアはノーフォークで小さな勝利を収めたものの、やがてウィリアム・ウッドフォード大佐率いる[[パトリオット (アメリカ革命)|パトリオット]]に追い詰められ、植民地から追い出された。ダンモアの追放によって、バージニアにおける168年におよぶイギリスの支配は終わった<ref>[http://www.history.org/Almanack/resources/dateline/polcron.cfm Cultural & Political Chronology (1750-1783)]. ''History''. The Colonial Williamsburg Foundation.</ref>。
また[[第一次世界大戦]]以後は[[軍港]]施設を拡張し、高速道路や橋梁が建設されるなどして、都市の発展につながった。その後も現在にいたって世界最大の海軍基地が置かれており、軍港都市として知られる。[[第二次世界大戦]]後、占領時代の[[日本]]に関する資料を展示する[[ダグラス・マッカーサー記念館]]があり、[[ダグラス・マッカーサー]]夫妻もここに葬られている。隣接してマッカーサー関係史料を保存する図書館がある。


[[1776年]]の元旦、軍艦3隻からなるダンモアの艦隊は、8時間以上にわたってノーフォークの街を爆撃した。爆撃に加え、イギリス軍が火を放ち、その火をパトリオットが広げたことで、ノーフォークの街の約2/3、800棟以上の建物が破壊された。同年2月には、戦略的理由からパトリオットが残った建物を破壊した<ref>Guy, Louis L. Jr. [http://www.norfolkhistorical.org/insights/2001_spring/nightmare.html Norfolk's Worst Nightmare]. ''Courier''. 2001年春. Qtd by Norfolk Historical Society.</ref>。後には聖パウロ監督教会の壁のみが残った。
現在は[[アパラチア山脈]]から産出する[[石炭]]の積み出し港としての機能として重要である。港まで鉄道による石炭輸送を担っている、[[ノーフォーク・サザン鉄道|ノーフォーク・サザン]]の本社がノーフォークにある。


== 姉妹都市 ==
===南北戦争===
[[File:Battle of Hampton Roads 3g01752u.jpg|right|thumb|250px|ハンプトン・ローズ海戦]]
7つの[[姉妹都市]]を持つ<ref>[http://www.sister-cities.org/ Sister Cities International, Inc. (SCI)]</ref>。
{{Col-begin}}
{{Col-2}}
* {{flagicon|JPN}} [[福岡県]][[北九州市]]([[日本]]-1963年)
* {{flagicon|GER}} [[ニーダーザクセン州]][[ヴィルヘルムスハーフェン]]([[ドイツ|ドイツ連邦共和国]]-1976年)
* {{flagicon|UK}} [[ノーフォーク|ノーフォーク州]]/[[:en:Norwich|Norwich]]([[イギリス]]-1986年)
* {{flagicon|FRA}} [[トゥーロン]]([[フランス|フランス共和国]]-1989年)
{{Col-2}}
* {{flagicon|RUS}} [[カリーニングラード]]([[ロシア|ロシア連邦]]-1992年)
* {{flagicon|CAN}} [[ハリファックス]]([[カナダ]]-2006年)
* {{flagicon|PHI}} [[カガヤン・デ・オロ]]([[フィリピン]]-2008年)
{{Col-end}}


独立戦争で焦土と化した後、ノーフォークは復興したが、[[19世紀]]初頭にさらなる不運に見舞われた。[[1804年]]、ノーフォークのウォーターフロントで起きた大火は300棟の建物を焼失させ、ノーフォークは大きな経済的損失を受けた。[[1820年代]]、[[アメリカ合衆国南部|南部]]中の農村が不況に見舞われ、多くの農家が他地域へと移り住んでいった。その多くは[[ピードモント台地]]以西、もしくは[[ケンタッキー州]]や[[テネシー州]]へと移った。この地域においては、タバコの[[連作]]による地力低下も農家の流出を招いた。
== 注釈 ==
{{Reflist}}


この頃、バージニア州は奴隷制から脱しようと、法によって、あるいはアフリカに帰還させるなど、様々な試みを行っていた。バージニア・ノースカロライナ両州の黒人はノーフォークからアフリカへと帰る船に乗った。ノーフォークで自由黒人として生まれ育った[[ジョセフ・ジェンキンス・ロバーツ]]は、[[リベリア]]に移住し、同国の初代大統領となった。
== 外部リンク ==
{{Commons|Category:Norfolk, Virginia}}
* [http://www.norfolk.gov/ City of Norfolk(英語版)]
* [http://www.norfolkcvb.com/ Norfolk Convention & Visitors Bureau(英語版)]
* [http://maps.google.com/maps?ll=36.885747,-76.2599&spn=0.11,0.18 Google マップ(日本語版)]


[[1861年]]、ノーフォークの有権者は代理人に、連邦から脱退する条例を批准させた。やがてバージニア州は連邦から脱退した。翌[[1862年]]春、市の北西、シーウェルズ・ポイントの沿岸で[[ハンプトン・ローズ海戦]]が起こった。この戦いは世界史上初の装甲艦同士による戦いとなったもので、[[アメリカ海軍|合衆国海軍]]の[[モニター (装甲艦)|モニター]]と[[アメリカ連合国海軍|連合国海軍]]の[[バージニア (装甲艦)|バージニア]]の2隻の装甲艦が交戦した。この戦いは引き分けに終わったが、従来の木造戦艦に比する装甲艦の優位性が証明され、以後、すべての軍艦が金属で造られるようになった<ref>[http://americancivilwar.com/monitor.html Battle of the Monitor and the Merrimac]. AmericanCivilWar.com.</ref>。しかし同年5月、ベンジャミン・ヒュージャー将軍率いる南軍が[[ノーフォーク海軍造船所|ゴスポート造船所]]に火を放ち、ノーフォークから撤退すると、市長ウィリアム・ラムはジョン・E・ウール将軍率いる[[北軍]]に降伏し、市を明け渡した。[[南北戦争]]が終結するまでは、市は[[戒厳]]下に置かれた<ref name="NorfolkHistory_Ch46">Tucker, [http://www.norfolkhistorical.org/highlights/46.html Chapter 46: Lincoln Plans the Recapture of Norfolk].</ref>。

===海軍基地、高速道路、人種統合===
[[File:Jamestown Exposition Postcard 1907.jpg|left|thumb|250px|ジェームズタウン博覧会]]

[[1907年]]、シーウェルズ・ポイントで、[[ジェームズタウン]]入植300周年を記念してジェームズタウン博覧会が開かれた。この博覧会においては、海軍による大規模な軍事パレードが行われ、シーウェルズ・ポイントの立地条件のよさを示した。その10年後、[[第一次世界大戦]]時中の[[1917年]]、ジェームズタウン博覧会の会場跡地に[[ノーフォーク海軍基地]]が設置された<ref>Schmidt, Barbara. [http://www.twainquotes.com/TwainRogersVA.html April 1907: Opening of the Jamestown Exposition]. ''Mark Twain and Henry Huttleston Rogers in Virginia''. Twainquotes.com.</ref>。

[[第二次世界大戦]]後、[[州間高速道路]]の登場によって、ノーフォークとその周辺にも高速道路網が整備された。[[1952年]]にエリザベス川の河底を通り、ノーフォークとポーツマスを結ぶダウンタウン・トンネルが完成した<ref name="HR_Interstates_Freeways">Kozel, Scott M. [http://www.roadstothefuture.com/HR_Interstates_Freeways.html Hampton Roads Area Interstates and Freeways]. ''Roads to the Future''.</ref>のを皮切りに、その後15年にわたって、ノーフォークとバージニアビーチ、ハンプトン・ローズ対岸のバージニア半島とを結ぶ道路が次々と開通した。[[1957年]]には、ハンプトン・ローズを橋と海底トンネルで渡り、ノーフォークとハンプトンを結ぶハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネルが<ref name="HRBT">Kozel, [http://www.roadstothefuture.com/I64_VA_HRBT.html Hampton Roads Bridge Tunnel]. ''Roads to the Future''.</ref>、[[1962年]]にはダウンタウン・トンネルよりも北でエリザベス川の河底を渡り、ノーフォークのゲント地区とポーツマスを結ぶミッドタウン・トンネルが<ref name="Midtown Tunnel">Kozel, [http://www.roadstothefuture.com/Mid_Tunn_Port_Norf_MLK.html Parallel Midtown Tunnel / Pinners Point Interchange / Martin Luther King Freeway Extension]. ''Roads to the Future''.</ref>、そして[[1967年]]にはバージニアビーチ・ノーフォーク高速道路が<ref name="Interstate 264">Kozel, [http://www.roadstothefuture.com/I264_VA_Desc.html Interstate 264 in Virginia]. ''Roads to the Future''.</ref>それぞれ開通した。その後もハンプトン・ローズ地域における道路網の整備は続き、[[1989年]]にはダウンタウン・トンネルが4車線化され、[[1991年]]にはエリザベス川東支流を渡る[[跳ね橋|跳開橋]]、バークレー・ブリッジが8車線化された<ref name="HR_Interstates_Freeways" />。[[1992年]]には、ハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネルよりも西側でハンプトン・ローズを渡り、ポーツマスとニューポートニューズを結ぶモニター・メリマック・メモリアル・ブリッジ・トンネルが開通し、ノーフォーク・ポーツマス両市の外郭を囲むハンプトン・ローズ環状線が完成した<ref name="MMMBT">Kozel, [http://www.roadstothefuture.com/I664_VA_MMMBT.html Monitor-Merrimac Memorial Bridge-Tunnel (I-664)]. ''Roads to the Future''.</ref>。

[[1954年]]、[[合衆国最高裁判所|連邦最高裁判所]]が[[ブラウン対教育委員会裁判]]において、学校における人種分離は違憲であるとの判決を下し、人種統合を命令すると、バージニア州ではこれに対抗して「[[マッシブ・レジスタンス]]」と呼ばれる州法を公布した。これによりバージニア州議会は、人種統合した公立学校に予算を配分することを禁じた。一方、ノーフォークの私立学校はブラウン判決を支持し、人種統合へと動いた。[[1958年]]、バージニアの連邦地方裁判所は人種を統合しての開校を命令したが、これに対し、バージニア州知事ジェームズ・リンジー・アーモンド・ジュニアは学校を閉鎖することを命じた。これにより、ノーフォーク市内の6校が閉鎖され、約10,000人の児童・生徒があぶれた。バージニア州最高裁判所は、マッシブ・レジスタンスは州憲法に反するものであると判じ、人種を統合しているか否かにかかわらず、全ての学校に予算を配分するよう命じた。その10日後、アーモンドは抵抗をやめ、州議会にマッシブ・レジスタンス関連の法案を撤回するように求めた<ref name="MassiveResistance">[http://www.vahistorical.org/civilrights/massiveresistance.htm Massive Resistance]. ''The Civil Rights Movement in Virginia''. Virginia Historical Society.</ref>。翌[[1959年]]9月、それまで人種分離が行われていたノーフォーク市内の公立学校に、17人のアフリカ系の児童が入学した。ノーフォークの地方紙、バージニアン・パイロットの編集者レノア・チェンバーズは、マッシブ・レジスタンスに反対する社説を掲載し、社説部門で[[ピューリッツァー賞]]を受賞した。

[[20世紀]]前半、ノーフォークは合併によって市域を広げ、成長していった。[[1906年]]、ノーフォークはエリザベス川東支流の南岸のバークレー町を合併した。[[1923年]]には、シーウェルズ・ポイントやオーシャンビュー地区を合併し、ノーフォーク海軍基地やチェサピーク湾岸の浜辺を市域に含むようになった。[[1955年]]には、タナーズ・クリークの合併により、ノーフォークの人口は297,253人になり、バージニア州最大となった<ref name="NorfolkCityHistory_20c">[http://www.norfolk.gov/About/20th_century.asp Norfolk, 20th Century]. City of Norfolk.</ref>。しかし、人種統合と郊外の住宅地開発の進行により、白人の中間層は市外へと流出し([[ホワイト・フライト]])、[[1970年]]に307,951人を数えたのをピークに、ノーフォークの人口は減少傾向に入った<ref name="Gibson">Gibson, Campbell. [http://www.census.gov/population/www/documentation/twps0027/twps0027.html Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990]. U.S. Census Bureau. 2005年.</ref>。また、[[1960年代]]後半から[[1970年代]]初頭にかけて、郊外の高速道路沿いに大規模なショッピングセンターや[[ショッピングモール|モール]]が開店し、それまで賑わっていたダウンタウンのグランビー・ストリート沿いの商業地区は寂れていった。

===再生===
[[File:NorfolkWaterside2010.JPG|right|thumb|250px|ウォーターサイド]]

[[1980年代]]に入ると、市のリーダーたちはノーフォーク都心部の再生に取り組み始めた。彼らは荒廃していたウォーターフロントに着目し、古くなった数多くの船積み施設や倉庫を取り壊し、その跡地にウォーターサイド・ドライブという大通りを敷設した。この大通り沿いには、今日のノーフォークの[[スカイライン (風景)|スカイライン]]を形成する高層建築物が次々と建てられた。

市とラウズ・カンパニーは[[1983年]]、ウォーターフロントに人を引きつけ、さらなるダウンタウンの再開発を呼び込むべく、エリザベス河畔にウォーターサイドというモールを建設した。[[1993年]]には、地元[[マイナーリーグ]]チーム、[[ノーフォーク・タイズ]]の本拠地となる[[ハーバー・パーク]]が完成した。[[1994年]]には[[ノーティカス]]という[[海事博物館]]も開館した。

再開発が進むにつれて、ダウンタウンは活気を取り戻し、新しいオフィス、小売店、娯楽施設、ホテルが建設され、職住近接型の住宅も増えてきている<ref>[http://www.norfolk.gov/About/ About Norfolk: Life, Celebrated Daily]. City of Norfolk.</ref>。[[2000年代]]には人口も増加傾向に転じ、2010年の国勢調査では人口242,803人と、2000年国勢調査時に比べて約3.6%増加した<ref name="FactFinder" />。

==地理==
[[File:1024px-Map of Virginia and North Carolina highlighting Virginia Beach-Norfolk-Newport News, VA-NC MSA.png|left|thumb|250px|ハンプトン・ローズ都市圏の範囲]]

ノーフォークは{{ウィキ座標度分秒|36|50|43|N|76|17|9|W|}}に位置している。市は[[バージニア州]]の南東部に位置し、首都[[ワシントンD.C.]]からは南南東へ約250km、州都[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]からは南東へ約135kmに位置する。

[[アメリカ合衆国国勢調査局]]によると、ノーフォーク市は総面積249.4km²(96.3mi²)である。このうち139.2km²(53.7mi²)が陸地で110.3km²(42.6mi²)が水域である。総面積の44.22%が水域となっている。

市域は[[ジェームズ川]]が[[チェサピーク湾]]に注ぐ河口に形成されている、天然の良港となっている[[ハンプトン・ローズ]]という湾の南岸に広がっている。ノーフォークの東には[[バージニアビーチ]]、南には[[チェサピーク (バージニア州)|チェサピーク]]、西には[[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス]]、南西には[[サフォーク (バージニア州)|サフォーク]]、ハンプトン・ローズの北岸には[[ニューポートニューズ]]および[[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン]]の各市が連なっている。湾の名を冠したハンプトン・ローズ都市圏(正式名称: バージニアビーチ・ノーフォーク・ニューポートニューズ都市圏)は、これらハンプトン・ローズの周囲に連なる7市に、ハンプトンの北東の[[ポコソン (バージニア州)|ポコソン]]、およびニューポートニューズの北西の[[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ]]を加えた9市、および7郡にまたがっている。バージニアビーチの人口が最も多いため、都市圏の正式名称の最初にはバージニアビーチの名が冠せられているが、実際には都市圏の中心となっている都市はノーフォークである。

===気候===
ノーフォークの気候は、1年を通じて概ね温暖で、夏は蒸し暑くなる、海洋性の気候である。最も暑い月は7月で、月平均気温は26℃、最高気温の平均は31℃で、日中の最高気温が32℃([[華氏]]90度)を超えることも珍しくない。冬は温暖で、最も寒い1月でも月平均気温は5℃、最低気温の平均は0℃である。降水量は7月から8月にかけて多く、月間130mmを超えるが、その他の月は月間70-90mmほどで平均している<ref name=weatherbase />。また、夏から秋にかけては[[ハリケーン]]がノーフォーク近辺の海上を通過していくことも多いが、上陸することはごくたまにしかない。[[ケッペンの気候区分]]では、ノーフォークはアメリカ合衆国[[大西洋]]岸や[[アメリカ合衆国南部|南部]]に広く分布している[[温暖湿潤気候]](''Cfa'')に属する。

{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
|+ '''ノーフォークの気候'''<ref name=weatherbase>[http://www.weatherbase.com/weather/weather.php3?s=080327&refer= Historical Weather for Norfolk, Virginia, United States of America]. Weatherbase.com.</ref>
|-
!
! [[1月]] !! [[2月]] !! [[3月]] !! [[4月]] !! [[5月]] !! [[6月]] !! [[7月]] !! [[8月]] !! [[9月]] !! [[10月]] !! [[11月]] !! [[12月]] !! 年
|-
! 平均気温([[摂氏|℃]])
| 5.0 || 5.6 || 9.4 || 15.6 || 19.4 || 23.9 || 26.1 || 25.6 || 22.2 || 16.7 || 11.7 || 6.7 || 15.6
|-
! 降水量([[ミリメートル|mm]])
| 91.4 || 83.8 || 96.5 || 76.2 || 94.0 || 88.9 || 132.1 || 134.6 || 99.1 || 83.8 || 76.2 || 78.7 || 1,135.3
|}

===都市概観と建築物===
[[File:Dominion Tower, Norfolk.JPG|right|thumb|180px|ドミニオン・タワー]]

ダウンタウンは市の南西部に広がっている。ノーフォークは複雑な地形に立地しているため、アメリカ合衆国内の他の多くの都市とは異なり、周辺の住宅地ではもとより、ダウンタウンでも街路は入り組んでいる。民間の港湾施設はダウンタウンの北西、東、および南側に集中しており、ハンプトン・ローズと共に[[沿岸内水路]]の一部となっているエリザベス川の河岸に設けられている。また、エリザベス川の対岸、ポーツマスにも多数の港湾施設がある。[[ノーフォーク海軍基地]]は市の北西部、ハンプロン・ローズに突き出すシーウェルズ・ポイントに立地している。市の北東部、チェサピーク湾側には、エリザベス河岸とは異なるなだらかな[[砂浜]]の海岸線が続き、住宅地が広がっている。

長い歴史を持つノーフォークには様々な建築様式の建築物が建ち並んできた。初期のノーフォークでは、中世のイギリスの家屋に似た、大きな[[煙突]]と[[茅葺]]屋根を持つ木造の家屋が多く建てられた。1682年に初めて区画が整備されると、17世紀後半の[[アメリカ合衆国南部|南部]]でよく見られた[[ジョージア建築|ジョージア様式]]の建築物が建ち並んだ。[[アメリカ独立戦争|独立戦争]]で街が焼き尽くされた後、復興したノーフォークには[[フェデラル建築|フェデラル様式]]の建物が建ち並んだ。この頃に建てられたフェデラル様式の[[テラスハウス|ロウハウス]]は、現在のノーフォークにはほとんど残っていない。

[[19世紀]]に入ると、ノーフォークの街にはフェデラル様式をベースに、ポルチコの柱の[[オーダー]]や、扉・窓への古典主義建築のモチーフなど、[[新古典主義建築]]の要素を加えた建築物が建ち並んだ。フェデラル様式のロウハウスの玄関口には古代ギリシア式のポーチが付けられ、旧市庁舎、旧ノーフォークアカデミー、税関などの公共の建物にも古代ギリシア建築や古代ローマ建築の要素が加えられら。しかし[[1830年代]]に入ると、新古典主義建築は影をひそめ、代わりに[[ゴシック・リヴァイヴァル建築|ゴシック・リバイバル様式]]の建築物が増えていった。

19世紀後半から[[20世紀]]に入ると、ノーフォークの街にも高層の建築物が建ち始めるようになった。現存する初期の高層建築物としては、[[1912年]]に建てられた、ダウンタウンに建つ12階建て、高さ48.7mのロイスター・ビルディングが挙げられる<ref>[http://www.emporis.com/application/?nav=building&lng=3&id=roysterbuilding-norfolk-va-usa Royster Building]. emporis.com.</ref>。また、20世紀前半のノーフォークには[[アール・デコ]]調の建物も建ち並んだ。現存するアール・デコ調の建築物としては、ダウンタウンの郵便局庁舎が挙げられる。しかし、ノーフォークに高層建築物が本格的に建てられるようになったのは[[1960年代]]後半以降である。現在のノーフォークで一番高い建築物は、[[1987年]]に建てられた26階建て、高さ103.6mのドミニオン・タワーである<ref>[http://www.emporis.com/application/?nav=building&lng=3&id=dominiontower-norfolk-va-usa Dominion Tower]. emporis.com.</ref>。

==政治==
ノーフォークを含め、バージニア州の都市はすべて州法の規定で[[独立市]]となっている。そのため、ノーフォークは市であると同時に[[郡 (アメリカ合衆国)|郡]]相当の自治体でもあり、郡と同等の行政サービスが提供され、[[郡庁所在地]]と同様に州の地方裁判所も置かれている。また、ノーフォークには州の地方裁判所のほか、連邦のバージニア州東部地方裁判所の1つが置かれている<ref>[http://www.vaed.uscourts.gov/locations/nor.htm Norfolk Courthouse]. United States District Court Eastern District of Virginia.<br />バージニア州東部地方裁判所はノーフォークのほか、[[アレクサンドリア (バージニア州)|アレクサンドリア]]、[[ニューポートニューズ]]、および[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]にも置かれている。</ref>。

ノーフォークは[[シティー・マネージャー制]]を採っている。市の行政実務の最高責任者であるシティー・マネージャーは市議会によって選出される。シティー・マネージャーは、法や条例の施行の視認、各行政機関・部署の監督、予算案の作成、財政状況の把握に権限を有し、責任を負う。また、シティー・マネージャーには市議会への参加が義務付けられている一方で、投票権は有していない<ref>[http://library.municode.com/index.aspx?clientId=10121&stateId=46&stateName=Virginia Code of Ordinances]. Sec.49-50. City of Norfolk, Virginia.</ref>。一方、市長は「市の顔」として、専ら儀礼的な役割を果たす<ref>Code of Ordinances. Sec.17.1. City of Norfolk, Virginia.</ref>。市議会は7人の議員からなっており、市を5つに分けた「選挙区」から1名ずつ、またこの5選挙区とは別個に、市を2つに分けた「スーパー選挙区」から1名ずつが選出される。市長と市議会議員への重複立候補、2つ以上の選挙区への立候補、および、選挙区とスーパー選挙区への重複立候補は、いずれも一切認められていない<ref>Code of Ordinances. Sec.3.2, 6.1. City of Norfolk, Virginia.</ref>。

[[アメリカ合衆国議会|連邦議会]][[アメリカ合衆国下院|下院]]議員選挙においては、ノーフォークはバージニア第2選挙区と第3選挙区にまたがっており、市の概ね北半分がバージニアビーチと共に第2選挙区に、ダウンタウンを含む概ね南半分がポーツマスやニューポートニューズと共に第3選挙区に属している。第2選挙区においては[[共和党 (アメリカ)|共和党]]の勢力がやや強いが、第3選挙区においては[[民主党 (アメリカ)|民主党]]の勢力が非常に強い。

==経済==
[[File:NavalStationNorfolk.jpg|left|thumb|180px|ノーフォーク海軍基地に入港する[[航空母艦|空母]][[ジョン・F・ケネディ (空母)|ジョン・F・ケネディ]]]]

===軍港===
ノーフォークは軍事の中心地であり、特に[[アメリカ海軍|アメリカ合衆国海軍]]にとっては重要な地である。市の北西部、ハンプトン・ローズに突き出すシーウェルズ・ポイントに立地する[[ノーフォーク海軍基地]]は、総面積4,631[[エーカー]](約18.74km²)の敷地に14の埠頭と15の[[ハンガー (航空)|ハンガー]]を有し、78隻の艦船と133機の戦闘機が母港とする、世界最大の海軍基地である<ref>[http://www.globalsecurity.org/military/facility/norfolk.htm Naval Station Norfolk]. Alexandria, Virginia: GlobalSecurity.org.</ref>。この基地には[[アメリカ統合戦力軍|統合戦力軍]]、[[アメリカ艦隊総軍|艦隊総軍]]、[[アメリカ海兵隊総軍|海兵隊総軍]]、[[統合戦力軍特殊作戦軍団]]、および[[北大西洋条約機構|NATO]]の[[変革連合軍]]が司令部を置き、海軍の[[第2艦隊 (アメリカ軍)|第2艦隊]]が母港としている。また、ハンプトン・ローズの対岸、[[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン]]に立地する[[ラングレー空軍基地]]には[[航空戦闘軍団]]が司令部を置いている。ハンプトン・ローズ都市圏全体では、駐屯している海軍軍人・[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]員は108,000人を数え、海軍だけでも41,000人の民間人を雇用し、23,000人の退役軍人が住んでいる<ref>[http://www.globalsecurity.org/military/facility/hampton-roads.htm Hampton Roads]. GlobalSecurity.org.</ref>。

海軍の街であるノーフォークとハンプトン・ローズ都市圏は[[軍需産業]]、特に[[造船]]業のメッカである。エリザベス川の対岸、[[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス]]には、海軍最大規模、かつ最長の歴史を持つ[[ノーフォーク海軍造船所]]が立地している。ハンプトン・ローズの対岸、[[ニューポートニューズ]]には、[[ニミッツ級航空母艦]]を建造できる全米で唯一の造船所である[[ノースロップ・グラマン・ニューポート・ニューズ|ニューポートニューズ造船所]]が立地する。また、軍需産業の世界最大手である[[BAEシステムズ]]の北米法人は、艦船修理部門の本部をノーフォークに置いている<ref>[http://www.baesystems.com/ProductsServices/bae_prod_eis_ship_repair.html BAE Systems Ship Repair]. BAE Systems.</ref>。

この地域における[[アメリカ国防総省|国防総省]]の支出は、[[2010年]]には[[2000年]]時点のほぼ2倍、年間200億[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]に達した。ハンプトン・ローズ都市圏における[[2000年代]]の10年間の地域経済成長額のうち、その3/4以上は国防総省の支出の増加分が占めた。この国防総省による支出の増加のため、[[リーマン・ショック]]後の不況下においても、ハンプトン・ローズ都市圏の失業率は全米平均より2[[パーセンテージポイント|ポイント]]低い数値であった<ref name="SoR2010_p5">[http://bpa.odu.edu/forecasting/sor/sor2010.shtml State of the Region 2010]. p.5. College of Business and Public Administration, Old Dominion University. 2010年10月. ([http://bpa.odu.edu/forecasting/sor/2010/2010_SOR_Economy.pdf PDFファイル])</ref>。

===商港===
[[File:Norfolk International Terminal.jpg|right|thumb|250px|ノーフォーク国際ターミナル]]

ノーフォークおよびハンプトン・ローズ都市圏において、その地域経済に与える影響という点で重要度が軍に次いで高いのが船舶貨物である。バージニア港湾局(VPA)はノーフォークに本部を置き、ハンプトン・ローズ都市圏内にノーフォーク国際ターミナル、ポーツマス海運ターミナル、ニューポートニューズ海運ターミナルの3ヶ所のターミナルを有し、[[ばら積み貨物]]と[[コンテナ]]貨物の両方を扱っている。その3ヶ所のターミナルの中でも最大のものが、ノーフォーク海軍基地のすぐ南に立地するノーフォーク国際ターミナルである。このコンテナターミナルは世界最大級の揚程245[[フィート]](約74.7m)の[[ガントリークレーン]]を14基備え、コンテナ27列の幅を持つ[[コンテナ船]]に対応することができる。チェサピーク湾口からこのターミナルへと至る水路の水深は50フィート(約15.2m)に維持されている<ref>[http://www.portofvirginia.com/facilities/norfolk-international-terminals.aspx Norfolk International Terminals (NIT)]. Virginia Port Authority. 2010年.</ref>。VPAの管轄する3ヶ所の港湾施設をすべて合算すると、[[2010年]]の年間貨物取扱量はコンテナ貨物190万[[TEU]](輸入100万TEU、輸出90万TEU)、ばら積み貨物23万[[トン|t]]で<ref>[http://www.portofvirginia.com/media/8875/port_of_virginia_statistics.xls VPA General Statistics]. Virginia Port Authority. (Microsoft Excelファイル)</ref>、大西洋岸では[[ニューヨーク・ニュージャージー港]]、サバンナ港に次ぐ量であった。

これら3ヶ所のターミナルに加えて、[[2007年]]8月にはポーツマスにAPMターミナルが完成した。このターミナルは6基のガントリークレーンを備え、100万TEUのコンテナ貨物を取り扱うことのできる、私企業が所有するコンテナターミナルとしては北米最大規模のものである<ref>[http://www.apmterminals.com/americas/virginia/terminalinfo.aspx Terminal Information]. APM Terminals Management B.V.</ref>。[[2010年]]7月、VPAは20年リース契約でこのターミナルの管理権を得た<ref>[http://www.portofvirginia.com/facilities/apmt-virginia.aspx APMT Virginia]. Virginia Port Authority.</ref>。

ノーフォーク国際ターミナルの南、オールド・ドミニオン大学のキャンパスの南西に立地するランバーツ・ポイント埠頭は北半球最大の[[石炭]]積出港である。バージニア州内や[[ウェストバージニア州]]、[[ケンタッキー州]]で産出された[[歴青炭]]は鉄道でこの埠頭に集められ、船に積み出される。この埠頭から国内外に向けて積み出される石炭の量は年間4,800万tに達する<ref>[http://www.globalsecurity.org/military/facility/lamberts-point.htm Lamberts Point]. Globalsecurity.org.</ref>。

商港、とりわけコンテナ港としての地位から、ノーフォークには多数の海運会社が営業、流通、[[ロジスティクス]]の拠点を置いている。また、ノーフォークには、世界最大の海運会社[[A.P. モラー・マースク]]のアメリカ合衆国法人であるマースク・ライン<ref>[http://www.maersklinelimited.com/AboutUs/Overview.php?st=sid3 Corporate Overview]. Maersk Line Ltd.</ref>をはじめ、[[フランス]]の[[CMA CGM]]<ref>[http://www.cma-cgm.com/WorldwideNetwork/Local/USA/ USA-Canada]. CMA CGM.</ref>や[[イスラエル]]の[[ZIM]]<ref>[http://www.zim.com/Find_Agent.aspx?PageType=1&hidSubmit=true&id=338&l=4&isFromMap=false&searchType=12&aCode=A3 Global Network: America Area Office]. ZIM Integrated Shipping Services Ltd.</ref>といった、世界的な海運会社が北米本部を置いている。これらの海運会社の多くはダウンタウンのワールド・トレード・センター・ノーフォークや、ノーフォーク国際空港に近いレイク・ライト・エグゼクティブ・センターなどに事業所を置いている。

[[File:Half Moone Cruise & Celebration Center, Norfolk, VA.jpg|left|thumb|250px|ハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センター]]

===観光業===
ハンプトン・ローズ都市圏における観光業は、長い間[[バージニアビーチ]]や[[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ]]が中心地となって発展してきたが、ノーフォークにおいても、ダウンタウンの再生やクルーズ船桟橋の整備によって、観光業が発展しつつある。[[2007年]]4月には、市とVPAが3,600万ドルを投じて建設を進めたクルーズ船ターミナル、ハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センターがクルーズ船桟橋の隣に完成した<ref>Richards, Gregory. [http://hamptonroads.com/node/247981Sleek new cruise terminal set to welcome travelers]. ''The Virginian-Pilot''. 2007年4月7日.</ref>。このターミナルは世界第2のクルーズ船会社である[[ロイヤル・カリビアン・インターナショナル]]が母港としている。ダウンタウンにあって至便なこのターミナルは旅行者とクルーズ船会社の両方から高い評価を得ている。[[2009年]]には、ノーフォークは全米で最高、世界でも[[ヴェネツィア|ベニス]]に僅差の2位の乗船客評価を得ている<ref>[http://www.cruisenorfolk.org/php-bin/news/showArticle.php?id=25 Norfolk's Cruise Passenger Service Voted Best in the United States]. Cruise Norfolk. 2009年6月23日.</ref>。

===その他の産業===
軍需産業や海運業、観光業以外にも、ノーフォークおよびハンプトン・ローズ都市圏には様々な産業が興っている。ハンプトン・ローズ都市圏内には、[[フォーチュン500]]に入る企業が4社本社を置いている<ref>[http://money.cnn.com/magazines/fortune/fortune500/2010/states/VA.html States: Virginia]. ''Fortune 500 2010''. 2010年4月15日.</ref>。

{| class="wikitable" style="font-size:90%;width:100%;text-align:center;line-height:120%"
|-
! colspan=4 | ハンプトン・ローズ都市圏に本社を置くフォーチュン500企業
|-
! 順位 !! 企業名 !! 業種 !! 本社所在地
|-
| 163 || スミスフィールド・フーズ || [[食品業|食品]] || [[スミスフィールド (バージニア州)|スミスフィールド]]
|-
| 287 || [[ノーフォーク・サザン鉄道]] || [[運輸業|運輸]] || '''ノーフォーク'''
|-
| 397 || ダラー・ツリー || [[小売業|小売]] || [[チェサピーク (バージニア州)|チェサピーク]]
|-
| 404 || アメリグループ || [[保険]] || [[バージニアビーチ]]
|}

ノーフォークに本社を置く主な企業としては、上述のノーフォーク・サザン鉄道のほか、出版業のドミニオン・エンタープライゼズ<ref>[http://www.dominionenterprises.com/main/do/Contact_Us Contact Us]. Dominion Enterprises.</ref>、行動・精神医療のFHCヘルスシステムズ<ref>[http://www.fhchealthsystems.com/contacts.htm Contacts]. FHC Health Systems</ref>、債権回収のポートフォリオ・リカバリー・アソシエイツ<ref>[http://www.portfoliorecovery.com/contact_us.php Contact Us]. Portfolio Recovery Associates</ref>、軍・警察・警備員・アウトドアを中心とした各種衣料品のブラックホーク・プロダクツ・グループ<ref>[http://www.blackhawk.com/downloads/staticpages/flash/contactus.html Contact Us]. BlackHawk Products Group.</ref>が挙げられる。また、[[フォード・モーター|フォード]]は、[[1925年]]から[[2007年]]までノーフォークに工場を置き、[[フォード・モデルT|モデルT]]セダンやステーションワゴン、F-150ピックアップトラックを生産していた<ref>McWilliams, Jeremiah. "Despite Ford's troubles, Norfolk plant is likely to keep on truckin'". ''The Virginian-Pilot''. 2005年11月11日.</ref>。

==交通==
[[File:Hampton Roads Bridge Tunnel.jpg|right|thumb|250px|I-64のハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネル]]

ノーフォークを含むハンプトン・ローズ都市圏の玄関口となる空港は、ダウンタウンの北東約5.5km<ref>[http://www.gcr1.com/5010web/airport.cfm?Site=ORF Airport Master Record for ORF]. Federal Aviation Administration, U.S. Department of Transportation. 2011年3月10日. ([http://www.gcr1.com/5010web/REPORTS/ORF.pdf PDFファイル])</ref>、バージニアビーチとの市境のすぐ内側に位置する[[ノーフォーク国際空港]]([[IATA空港コード|IATA]]: '''ORF''')である。この空港には4大航空会社([[デルタ航空]]・[[アメリカン航空]]・[[ユナイテッド航空]]・[[コンチネンタル航空]])のほか、[[USエアウェイズ]]と[[サウスウエスト航空]]も就航しており、21都市25空港への直行便が就航している<ref>[http://www.norfolkairport.com/flight-information/route-map Route Map]. Norfolk International Airport.</ref>。また、ハンプトン・ローズの対岸、ニューポートニューズ市北西部に立地するニューポートニューズ・ウィリアムズバーグ国際空港(IATA: '''PHF''')にはデルタ航空による[[アトランタ]]への便やUSエアウェイズによる[[シャーロット (ノースカロライナ州)|シャーロット]]への便が就航しており、ハンプトン・ローズ都市圏における第2空港としてノーフォーク国際空港を補完する役割を果たしている。

ハンプトン・ローズ都市圏、州都[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]、[[アパラチア山脈]]東麓の山岳地帯を結び、バージニア州を東西に横断する[[州間高速道路]][[州間高速道路64号線|I-64]]は、ハンプトン・ローズ都市圏では4本の支線(I-264・I-464・I-564・I-664)とともに、ノーフォークを中心とする環状線や放射線として高速道路網を形成している。I-64本線は[[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン]]からハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネルでハンプトン・ローズを渡り、ハンプトン・ローズ環状線の東側と南側を成している。I-664はハンプトンでI-64本線と分岐して[[ニューポートニューズ]]のダウンタウンを通り、モニター・メリマック・メモリアル・ブリッジ・トンネルでハンプトン・ローズを渡ってハンプトン・ローズ環状線の西側を成す。I-264はハンプトン・ローズ環状線内の中央を横切り、ノーフォークのダウンタウンを通り、東へ[[バージニアビーチ]]へと通ずる。I-464はノーフォークのダウンタウンから南へ、[[チェサピーク (バージニア州)|チェサピーク]]へと通ずる。I-64とのジャンクションを過ぎると高速道路規格のままバージニア州道168号線となり、チェサピーク市域を縦断してノースカロライナ州との州境近くまで延びている。I-564は全線がノーフォーク市域内にあり、I-64本線から分岐してノーフォーク海軍基地へと至る。また、チェサピーク湾には、ノーフォーク・バージニアビーチと[[デルマーバ半島]]とを結ぶ、全長17.6マイル(約28.3km)<ref>[http://www.cbbt.com/facts.html Bridge-Tunnel Facts]. Chesapeake Bay Bridge-Tunnel.</ref>の[[チェサピーク・ベイ・ブリッジ・トンネル]]が架かっている。

[[File:Tidelrt 01142011.JPG|left|thumb|250px|タイド(ライトレール)]]

[[グレイハウンド (バス)|グレイハウンド]]のバスターミナルはダウンタウンの北、スコープ・アリーナ(後述)の近くにあり<ref>[http://www.greyhound.com/en/locations/terminal.aspx?city=330847 Norfolk, VA]. Greyhound.</ref>、リッチモンド方面や[[ローリー (ノースカロライナ州)|ローリー]]方面の中長距離バスが発着する。また、[[アムトラック]]の駅はニューポートニューズにあり、リッチモンド・[[ワシントンD.C.]]・[[ボルチモア]]・[[フィラデルフィア]]・[[ニューヨーク]]・[[ボストン]]方面への[[北東回廊]]の普通列車が発着する。ニューポートニューズの駅からは、ノーフォークを経由してバージニアビーチへアムトラックバスが運行されている<ref>[http://www.amtrak.com/servlet/BlobServer?blobcol=urldata&blobtable=MungoBlobs&blobkey=id&blobwhere=1249222841907&blobheader=application%2Fpdf&blobheadername1=Content-disposition&blobheadervalue1=attachment;filename=Amtrak_W06_web.pdf Boston - Lynchburg / Virginia Beach]. Amtrak. 2011年3月14日. (PDFファイル)</ref>。

ハンプトン・ローズ都市圏内の公共交通はハンプトン・ローズ交通(HRT)の運行する[[路線バス]]が主である。HRTの路線バス網は、ノーフォークを中心に、ハンプトン・ローズ都市圏の7市をカバーしているほか、[[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ]]へも通じている<ref>[http://www.gohrt.com/services/bus Bus]. Hampton Roads Transit.</ref>。また、HRTは、ノーフォークのダウンタウンとポーツマスのオールド・タウンを結ぶ、エリザベス川を渡る[[フェリー]]も運航している<ref>[http://www.gohrt.com/services/paddlewheel-ferry Paddlewheel Ferry]. Hampton Roads Transit.</ref>。これに加え、[[2011年]]中には、タイド(The Tide)というHRTの[[ライトレール]]が営業を開始する予定になっている。このライトレールはダウンタウンの北西に立地する東バージニア医療センターからダウンタウンを横断し、バージニアビーチとの市境近くのニュータウン・ロードまで、全長7.4マイル(11.9km)を走る<ref>[http://www.ridethetide.com/about-the-tide/quick-facts/ Quick Facts], [http://www.ridethetide.com/map-schedule/tide-map-schedule/ Tide Map & Schedule]. ''The Tide''. Hampton Roads Transit.</ref>。

==医療==
[[File:SNGH1.jpg|right|thumb|250px|センタラ・ノーフォーク総合病院]]

ダウンタウンの北西、ゲント地区には東バージニア医学校、センタラ・ノーフォーク総合病院、センタラ心臓病院、およびキングス・ドーターズ小児病院からなる東バージニア医療センターが立地している<ref>[http://www.evms.edu/images/stories/aboutEvms/maps/campus-map.pdf Eastern Virginia Medical Center Map]. Eastern Virginia Medical School. (PDFファイル)</ref>。東バージニア医学校は、[[1960年代]]まで医師養成機関の無かったこの地に、地元からの要請を受けて[[1973年]]に開校した[[アメリカの医学教育#メディカルスクール|メディカルスクール]]である<ref>[http://www.evms.edu/about-evms-history/history.html EVMS History]. Eastern Virginia Medical School.</ref>。東バージニア医療センターに立地する3つの病院はすべて、この地域における中心的な医療施設であると同時に、東バージニア医学校の教育・研究・実習施設を兼ねている。

センタラ・ノーフォーク総合病院は、[[1888年]]にダウンタウンに設置された25床の小さな病院から始まり<ref>[https://media.sentara.com/sentaradotcom/timeline/ Sentara Timeline]. Sentara Healthcare.</ref>、現在では525床を有する総合病院となった。同院はハンプトン・ローズ地域に複数の病院を持ち、主要な医療システムとなっているセンタラ・ヘルスケアの中心となっている病院で、ハンプトン・ローズ地域で唯一、重傷の患者に対し24時間体制で救急医療を施すことのできる、レベルIのトラウマ・センターに指定されている<ref>[http://www.sentara.com/HospitalsFacilities/Hospitals/NorfolkGeneral/Pages/norfolkgeneral.aspx Sentera Norfolk General Hospital]. Sentera Healthcare.</ref><ref>[http://www.kkh.go.th/trauma/chapter9.html Trauma Center Level]. American College of Sergeon. 1998年. Qtd by Khon Kaen Regional Hospital.<br />トラウマ・センターとは、外傷を負った患者に対して救急医療を施す施設のことであり、レベルIからIVまでの4段階に格付けがなされている。最高レベルであるレベルIのトラウマ・センターは、地域の外傷救急医療の中心となり、外傷の防止、治癒後のリハビリテーション、外傷救急医療の人材育成、外傷救急医療研究、外傷救急医療システムの構築・計画の拠点ともなる。</ref>。[[1981年]]には、全米の病院で初めて、[[体外受精]]による新生児が同院で誕生した<ref>[http://www.msnbc.msn.com/id/3088015/ First IVF Child in U.S. Meets Doctor]. Boston: Associated Press. 2003年10月31日.</ref>。センタラ心臓病院は、その名が示す通り[[循環器学|心臓内科]]および[[心臓外科学|心臓外科]]に特化した病院で、診断から開心術、心臓移植に至るまで、高度かつ総合的な治療を行う。同院は[[USニューズ&ワールド・レポート]]の病院ランキングの心臓部門では、全米でも常に上位に位置づけられている<ref>[http://www.sentara.com/HospitalsFacilities/Hospitals/HeartHospital/Pages/hearthospital.aspx Sentara Heart Hospital]. Sentara Healthcare.</ref>。キングス・ドーターズ小児病院は[[1961年]]に設置された、[[小児科学|小児科]]に特化した病院で、バージニア州では唯一、全米でもわずか43院しかない小児科専門病院の1つである<ref>[http://www.chkd.org/About/History.aspx Our History]. Children's Hospital of The King's Daughters.</ref>。

==教育==
[[File:ODU 1.jpg|left|thumb|250px|オールド・ドミニオン大学]]

ノーフォークには3校の4年制大学が立地している。[[オールド・ドミニオン大学]]はダウンタウンの北西約5kmに188エーカー(約760,000m²)のキャンパスを構えている。同学は[[1930年]]に[[ウィリアム・アンド・メアリー大学]]のノーフォーク分校として開校し、[[1962年]]に分離・独立した<ref>[http://www.odu.edu/fusion/about/ About ODU]. Old Dominion University.</ref>。現在では、同学は学部に68、大学院修士課程に55、博士課程に41の専攻プログラムを持ち、学部生約18,000人、大学院生約6,000人を抱える州立総合大学となっている<ref>[http://www.odu.edu/fusion/academics/ Academics]. Old Dominion University.</ref>。また、同学は[[アメリカ陸軍|陸軍]][[予備役将校訓練課程]](ROTC)を有しており<ref>[http://armyrotc.com/edu/olddominion/index.htm Army ROTC]. Old Dominion University</ref>、[[ノーフォーク州立大学]]・[[ハンプトン大学]]とともにハンプトン・ローズ[[アメリカ海軍|海軍]]予備役将校訓練課程(NROTC)にも参加している<ref>[http://www.odu.edu/ao/hrnrotc/index.html Home]. Hampton Roads Naval Reserve Officer Training Corps.</ref>。ダウンタウンの東にキャンパスを構えるノーフォーク州立大学は、[[1935年]]に創立された州立の中規模総合大学で、教養教育に重きを置いている<ref>[http://www.nsu.edu/about/ About NSU]. Norfolk State University.</ref>。同学は、もともとはアフリカ系アメリカ人に高等教育の機会を与えるために設立された大学で、人種共学化がなされた現在においても、約7,000人の学生の8割以上はアフリカ系アメリカ人である<ref>[http://www.nsu.edu/ir/factbook/pdf/FactBook2010.pdf Norfolk State University Fact Book 2010-2011]. p.50. Norfolk State University. 2010年秋学期.</ref>。バージニア・ウェズリアン大学は、[[1961年]]に創立された[[メソジスト]]系の[[リベラル・アーツ・カレッジ]]で、約1,400人の学生を抱え、ノーフォークとバージニアビーチにまたがる300エーカー(約1,200,000m²)のキャンパスを構えている<ref>[http://ww2.vwc.edu/about-us About VWC]. Virginia Wesleyan College.</ref>。

ノーフォークにおける[[K-12]]課程は、ノーフォーク公立学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校35校、中学校9校、高校5校(うち1校は夜間部併設)を有している<ref>[http://www.nps.k12.va.us/index.php/schools School Portal]. Norfolk Public Schools.</ref>。また、ノーフォーク市内には私立の学校もいくつか立地している。その中でも最も長い伝統を持つのは、[[1728年]]に創立されたノーフォーク・アカデミーである。同校は市の東部、バージニア・ウェズリアン大学の隣に64エーカー(約260,000m²)の敷地を有し、1年生から12年生までの約1,200人の児童・生徒を抱え、小中高一貫教育を行っている<ref>[http://www.norfolkacademy.org/ Home]. Norfolk Academy.</ref>。また、[[1840年]]に[[グリーク・リバイバル建築|グリーク・リバイバル様式]]で建てられた同校の校舎は[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に指定されている。

ノーフォーク公立図書館は、ダウンタウンに立地するノーフォーク・メイン図書館のほか、市内10ヶ所に図書館を置いている。同図書館システムは[[1904年]]にバージニア州初の公立図書館システムとして設置されて以来、あらゆる世代の[識字]]教育に加え、市政府の文書保管という役割も有しており、収集・保管されている資料は[[19世紀]]のものにまで遡る<ref>[http://www.npl.lib.va.us/faqs.html Frequently Asked Questions about the Library]. Norfolk Public Library.</ref>。

==文化==
===文化施設と芸術===
[[File:Wisconsin museum.JPG|right|thumb|250px|ノーティカスと戦艦ウィスコンシン]]

[[1994年]]に開館した国立海洋センター[[ノーティカス]]はダウンタウンのエリザベス河畔に立地している。同館は海軍、軍艦や気象に関する、手で触れて学ぶことのできる展示物を主に展示している。また、同館の劇場ではジェームズタウン博覧会での海軍の軍事パレードや、戦艦設計に関する映像を上映している。館内には見学者が近代海軍を疑似体験できるシミュレーションゲームコーナーや、[[チェサピーク湾]]に生息する[[カブトガニ]]、[[ヒトデ]]、[[ヤドカリ]]、[[ウニ]]などの海生生物を飼育する水族館もある<ref>[http://www.nauticus.org/exhibits/permanent-exhibits Permanent Exhibits]. Nauticus.</ref>。ノーティカスに隣接する[[ドック]]には、[[第二次世界大戦]]([[太平洋戦争]])や[[朝鮮戦争]]、[[湾岸戦争]]で活躍した戦艦[[ウィスコンシン (戦艦)|ウィスコンシン]]が係留され、[[博物館船|記念艦]]として保存されている<ref>[http://www.nauticus.org/exhibits/battleship-wisconsin Battleship Wisconsin]. Nauticus.</ref>。ノーティカスの2階はハンプトン・ローズ海軍博物館となっており、海軍の歴史に関する事物を展示している<ref>[http://www.hrnm.navy.mil/ Home], Hampton Roads Naval Museum.</ref>。また、ノーティカスの隣にはハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センターおよびクルーズ船桟橋が立地している。

[[File:MacArthur Memorial.jpg|left|thumb|180px|マッカーサー記念館]]

ノーティカスから東へ約400m、ダウンタウンのマッカーサー・スクエアには、19世紀の市庁舎をそのまま記念館とした[[ダグラス・マッカーサー]]記念館が立地している。館内にはマッカーサー夫妻の墓や、博物館、図書館が設けられている<ref>[http://www.macarthurmemorial.org/ Home]. MacArthur Memorial.</ref>。博物館には軍関連品だけでなく、マッカーサーのトレードマークであった[[コーンパイプ]]などの私物も多数展示されている。また、[[伊万里焼|伊万里]]、[[九谷焼|九谷]]、[[薩摩焼|薩摩]]の[[磁器]]や[[七宝焼き#クロワゾネ (cloisonné)|有線七宝]]など、マッカーサーが持ち帰った日本の工芸品も展示されている<ref>[http://www.macarthurmemorial.org/museum.asp Museum]. MacArthur Memorial.</ref>。建物は「旧ノーフォーク市庁舎」として[[アメリカ合衆国国家歴史登録財|国家歴史登録財]]に指定されている<ref>[http://www.dhr.virginia.gov/registers/RegisterMasterList.pdf Virginia Landmarks Register, National Register of Historic Places]. p.12. Virginia Department of Historic Resources, Commonwealth of Virginia. 2011年4月8日. (PDFファイル)</ref>。記念館の正面にはマッカーサーの銅像が立っている。

[[File:Chryslermuseum.jpg|right|thumb|250px|クライスラー美術館]]

ゲント地区に立地する[[クライスラー美術館]]はノーフォークやハンプトン・ローズ都市圏のみならず[[アメリカ合衆国南部|南部]]でも有数の美術館である。同館のコレクションは古代から現代まで5,000年にわたり、アメリカ絵画・彫刻、ヨーロッパ絵画・彫刻、現代美術、装飾芸術、ガラス工芸、写真と分野的にも多岐にわたるもので、その数も約30,000点にのぼる。また、アフリカ、アジア、[[先コロンブス期]]の中南米、[[イスラム美術|イスラム]]の作品も展示されている<ref>[http://www.chrysler.org/collections.asp Collection Highlights]. Chrysler Museum of Art.</ref>。同館は、もともとは[[1933年]]にノーフォーク美術館・科学博物館として開館したが、[[1971年]]に自動車王[[ウォルター・クライスラー]]の息子、ウォルター・P・クライスラー・ジュニアから大量の美術作品の寄贈を受けて現在の規模になり、現称に改められた。

ハーミテージ財団美術館は市の北西部、ノーフォーク海軍基地やノーフォーク国際ターミナルの近くに立地している。同館は[[20世紀]]初頭に建てられた、「隠れ家」を意味する「ハーミテージ」(''Hermitage'')と名付けられたスローン家の豪邸を美術館に転用したものである<ref>[http://www.hermitagefoundation.org/history/history.html History of the Hermitage]. Hermitage Foundation Museum.</ref>。同館のコレクションはスローン夫妻が残したもので、古代中国の銅像、[[チョーラ朝]]時代のインドの銅像、スペインの[[イコン]]や家具、ヨーロッパの陶器や絵画、ドイツの[[ステンドグラス]]、アメリカ合衆国の絵画や彫刻など2,800点にのぼる<ref>[http://www.hermitagefoundation.org/collection/museumcollection.html The Sloane Collection]. Hermitage Foundation Museum.</ref>。また、同館の12エーカー(約48,600m²)の敷地には円形の庭園、森林、湿地が配され、様々な花木が植えられており、野鳥も飛来する<ref>[http://www.hermitagefoundation.org/gardens/gardensgrounds.html The Gardens]. Hermitage Foundation Museum.</ref>。

[[File:Harrison operahouse.jpg|left|thumb|250px|ハリソン・オペラハウス]]

バージニア・オペラはゲント地区に立地するハリソン・オペラハウスを本拠としている。同歌劇団は[[1974年]]にノーフォークで結成され、その後[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]]と[[フェアファックス (バージニア州)|フェアファックス]]([[ワシントンD.C.]]郊外)にも支部を設立したが、現在も年間32公演のうち半分をノーフォークで行っている<ref>[http://www.vaopera.org/html/companyinfo/index.cfm About Virginia Opera]. Virginia Opera Association.</ref>。[[1968年]]に設立されたノーフォークの劇団、バージニア・ステージ・カンパニーはダウンタウンのウェルズ・シアターで公演を行い、施設をガバナーズ芸術学校と共有している.<ref>[http://www.vastage.com/about?id=0001 History of Virginia Stage Company]. Virginia Stage Company</ref>。[[1920年]]に設立されたバージニア・シンフォニー管弦楽団は、[[クラシック音楽|クラシック]]のほかポップスや家族連れ向けのコンサートも行っている。同楽団はダウンタウンの北、[[ノーフォーク・スコープ]]の敷地内にあるクライスラー・ホールのほか、[[バージニアビーチ]]、[[ニューポートニューズ]]、および[[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ]]でも公演を行っている<ref>[http://www.virginiasymphony.org/about-us.php About Us]. Virginia Symphony Orchestra.</ref>。

===スポーツ===
[[File:Harbor park.jpg|right|thumb|250px|ハーバー・パーク]]

ノーフォークには4大メジャープロスポーツのチームこそ置かれていないが、その下部リーグのチームはいくつか置かれている。[[メジャーリーグベースボール|MLB]]の[[ボルチモア・オリオールズ]]傘下の[[マイナーリーグ]]チーム、[[ノーフォーク・タイズ]]はAAA級の[[インターナショナルリーグ]]南地区に所属している。タイズはエリザベス川東支流河畔の[[ハーバー・パーク]]を本拠地としている。タイズはこれまでに5度のリーグ優勝を果たしており、[[1983年]]にはAAA級優勝を果たしている。[[NHL]]の[[タンパベイ・ライトニング]]傘下の[[ノーフォーク・アドミラルズ]]は、[[アメリカン・ホッケー・リーグ]]の東カンファレンス東地区に所属している。アドミラルズはダウンタウンの北に立地する多目的[[アリーナ]]、ノーフォーク・スコープ・アリーナでホームの試合を行っている。

かつて、[[1970年]]から[[1976年]]にかけては、ノーフォークには[[アメリカン・バスケットボール・アソシエーション (1967-1976年)|アメリカン・バスケットボール・アソシエーション]](ABA)の[[バージニア・スクワイアーズ]]が本拠を置いていた。スクワイアーズはノーフォークの2ヶ所(ノーフォーク・スコープ・アリーナおよびオールド・ドミニオン大学フィールドハウス)のほか、[[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン]]、[[リッチモンド (バージニア州)|リッチモンド]](2ヶ所)、および[[ロアノーク (バージニア州)|ロアノーク]]でもホームの試合を行っていた。しかし、[[1976年]]5月にリーグが消滅すると、チームも解散した<ref>Hundhausen, Arthur. [http://www.remembertheaba.com/Virginia-Squires.html Virginia Squires]. ''Remember the ABA''.</ref>。

オールド・ドミニオン大学およびノーフォーク州立大学は[[全米大学体育協会|NCAA]]のディビジョンI、バージニア・ウェズリアン大学はNCAAのディビジョンIIIにそれぞれ所属している。中でも、オールド・ドミニオン大学の女子バスケットボールチーム、レディー・モナークスは強豪の1つに数えられており、カンファレンスでは常勝で、全米優勝もこれまでに3度果たしている。

===公園とレクリエーション===
[[File:Town Point Wine Festival.jpg|left|thumb|250px|タウン・ポイント・パークでの秋のバージニア・ワイン・フェスティバル]]

ダウンタウンの南西端、ノーティカスおよびハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センターのすぐ南に、エリザベス川に沿って広がるタウン・ポイント・パークでは数多くのイベントが催される。中でも、毎年6月に行われるハーバーフェストはハンプトン・ローズ都市圏最大のイベントである。会期中の3日間、園内にはチェサピーク湾や近海の[[カニ|蟹]]、[[エビ|海老]]、[[カキ|牡蠣]]、[[ホタテガイ|帆立貝]]などの海産物を使った料理、[[メリーランド州|メリーランド]]の[[クラブケーキ]]、[[ノースカロライナ州|ノースカロライナ]]のバーベキューといった地元料理や、Tシャツなどの各種グッズを販売する屋台が建ち並び、特設ステージではコンサートが行われる。ハーバーフェストのイベントの1つであるパレード・オブ・セイルでは、大型艦船、軍艦、ヨットなど大小様々な船舶がエリザベス川を行き交う。また、2日目の土曜日の夜にはエリザベス川に浮かぶ[[艀|はしけ]]から[[花火]]が打ち上げられる<ref>[http://www.festevents.org/event/135/35th-annual-norfolk-harborfest-presented-by-atandt 35th Annual Norfolk Harborfest]. Norfolk Festevents.</ref>。

ハーバーフェストのほかにも、タウン・ポイント・パークではバイユー・ブーガルー・アンド・ケイジャン・フード・フェスティバル(6月下旬)、[[アメリカ独立記念日|独立記念日]]、ノーフォーク・ジャズ・フェスティバル(7月下旬)、ノーフォーク・ラティーノ・ミュージック・フェスティバル(8月下旬)、オペラ・イン・ザ・パーク・コンサート(9月、バージニア・オペラ主催)、春と秋のバージニア・ワイン・フェスティバル(春: 5月、秋: 10月)といったイベントが行われる<ref name="Festevents_Calendar">[http://www.festevents.org/calendar/ Calendar]. Norfolk Festevents.</ref>。

[[File:NorfolkBotanicalGardenPerennial.jpg|right|thumb|250px|ノーフォーク植物園]]

ノーフォーク植物園は市の北東部、[[ノーフォーク国際空港]]の北西隣に155エーカー(約627,000m²)の敷地を有し、テーマに沿った30の庭園が配されている。特に[[ツツジ]]、[[ツバキ]]、[[バラ]]、および[[シャクナゲ]]のコレクションにおいては、同園はアメリカ合衆国[[大西洋]]岸でも有数である。また、同園には95種の野鳥が飛来し、30種の[[チョウ|蝶]]が集まる<ref>[http://www.norfolkbotanicalgarden.org/about-norfolk-botanical-garden About Norfolk Botanical Gardens]. Norfolk Botanical Gardens</ref>。

オールド・ドミニオン大学の南東、ラファイエット河畔のラファイエット・パークにはバージニア動物園が立地している。同園は53エーカー(約214,000m²)の敷地を有し、[[アフリカゾウ]]、[[ボンゴ]]、[[マンドリル]]、[[レッサーパンダ]]、[[シロサイ]]、[[キエリクロボタンインコ]]、[[ハクトウワシ]]など、400種の動物を飼育している<ref>[http://www.virginiazoo.org/about-the-zoo/animal-collection.asp Animal Collection]. Virginia Zoo.</ref>。また、同園ではバラ、[[ハーブ]]、熱帯植物、そしてアフリカの野菜など、多岐にわたる植物の栽培も行っている<ref>[http://www.virginiazoo.org/about-the-zoo/our-gardens.asp Welcome to Our Gardens]. Virginia Zoo.</ref>。

市の北東部、チェサピーク湾岸のオーシャンビュー地区には、市が管理している3ヶ所の[[砂浜|ビーチ]]が広がっている<ref>[http://www.norfolk.gov/rpos/parks.asp Norfolk Parks]. City of Norfolk.</ref>。そのうちの1ヶ所、オーシャンビュー・ビーチ・パークでは、5月下旬から9月上旬にかけて、毎週日曜日に[[ビッグバンド]]の演奏が行われる<ref name="Festevents_Calendar" />。

==人口動態==
{{Wikisource|バージニア州ノーフォーク市の人口統計データ}}

===都市圏人口===
ノーフォークの都市圏を形成する各独立市・郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)<ref name="FactFinder" />。
{{-}}
;バージニアビーチ・ノーフォーク・ニューポートニューズ都市圏
{| class="wikitable" style="width: 80%; text-align:center; margin: 0 auto 0 auto;"
! 独立市・郡 !! 州 !! 人口
|-
| '''ノーフォーク市''' || [[バージニア州]] || align="right" | 242,803人
|-
| [[バージニアビーチ|バージニアビーチ市]] || バージニア州 || align="right" | 437,994人
|-
| [[チェサピーク (バージニア州)|チェサピーク市]] || バージニア州 || align="right" | 222,209人
|-
| [[ニューポートニューズ|ニューポートニューズ市]] || バージニア州 || align="right" | 180,719人
|-
| [[ハンプトン (バージニア州)|ハンプトン市]] || バージニア州 || align="right" | 137,436人
|-
| [[ポーツマス (バージニア州)|ポーツマス市]] || バージニア州 || align="right" | 95,535人
|-
| [[サフォーク (バージニア州)|サフォーク市]] || バージニア州 || align="right" | 84,585人
|-
| [[ウィリアムズバーグ (バージニア州)|ウィリアムズバーグ市]] || バージニア州 || align="right" | 14,068人
|-
| [[ポコソン (バージニア州)|ポコソン市]] || バージニア州 || align="right" | 12,150人
|-
| [[ジェームズシティ郡 (バージニア州)|ジェームズシティ郡]] || バージニア州 || align="right" | 67,009人
|-
| [[ヨーク郡 (バージニア州)|ヨーク郡]] || バージニア州 || align="right" | 65,464人
|-
| [[グロースター郡 (バージニア州)|グロースター郡]] || バージニア州 || align="right" | 36,858人
|-
| [[アイル・オブ・ワイト郡 (バージニア州)|アイル・オブ・ワイト郡]] || バージニア州 || align="right" | 35,270人
|-
| [[カリタック郡 (ノースカロライナ州)|カリタック郡]] || [[ノースカロライナ州]] || align="right" | 23,547人
|-
| [[マシューズ郡 (バージニア州)|マシューズ郡]] || バージニア州 || align="right" | 8,978人
|-
| [[サリー郡 (バージニア州)|サリー郡]] || バージニア州 || align="right" | 7,058人
|- style="background-color:#e0e0e0"
| colspan="2" | '''合計''' || align="right" | 1,671,683人
|}

===市域人口推移===
以下にノーフォーク市における[[1790年]]から[[2010年]]までの人口推移を表で、また[[1850年]]から[[2010年]]までの人口推移をグラフで示す<ref name="Gibson" />。

{| class="wikitable" style="float:right; margin-left:3px; text-size:80%; text-align:right"
! 統計年 !! 人口
|-
| [[1790年]] || 2,959人
|-
| [[1800年]] || 6,926人
|-
| [[1810年]] || 9,193人
|-
| [[1820年]] || 8,478人
|-
| [[1830年]] || 9,814人
|-
| [[1840年]] || 10,929人
|-
| [[1850年]] || 14,326人
|-
| [[1860年]] || 14,620人
|-
| [[1870年]] || 19,229人
|-
| [[1880年]] || 21,966人
|-
| [[1890年]] || 34,871人
|-
| [[1900年]] || 46,624人
|-
| [[1910年]] || 67,452人
|-
| [[1920年]] || 115,777人
|-
| [[1930年]] || 129,710人
|-
| [[1940年]] || 144,335人
|-
| [[1950年]] || 213,513人
|-
| [[1960年]] || 305,872人
|-
| [[1970年]] || 307,951人
|-
| [[1980年]] || 266,979人
|-
| [[1990年]] || 261,229人
|-
| [[2000年]] || 234,403人
|-
| [[2010年]] || 242,803人
|-
|}

<timeline>
Colors=
id:lightgrey value:gray(0.9)
id:darkgrey value:gray(0.8)
id:sfondo value:rgb(1,1,1)
id:barra value:rgb(0.6,0.7,0.8)

ImageSize = width:500 height:500
PlotArea = left:50 bottom:50 top:30 right:30
DateFormat = x.y
Period = from:0 till:330000
TimeAxis = orientation:vertical
AlignBars = justify
ScaleMajor = gridcolor:darkgrey increment:100000 start:0
ScaleMinor = gridcolor:lightgrey increment:10000 start:0
BackgroundColors = canvas:sfondo

BarData=
bar:1850 text:1850
bar:1860 text:1860
bar:1870 text:1870
bar:1880 text:1880
bar:1890 text:1890
bar:1900 text:1900
bar:1910 text:1910
bar:1920 text:1920
bar:1930 text:1930
bar:1940 text:1940
bar:1950 text:1950
bar:1960 text:1960
bar:1970 text:1970
bar:1980 text:1980
bar:1990 text:1990
bar:2000 text:2000
bar:2010 text:2010

PlotData=
color:barra width:15 align:center

bar:1850 from: 0 till:14326
bar:1860 from: 0 till:14620
bar:1870 from: 0 till:19229
bar:1880 from: 0 till:21966
bar:1890 from: 0 till:34871
bar:1900 from: 0 till:46624
bar:1910 from: 0 till:67452
bar:1920 from: 0 till:115777
bar:1930 from: 0 till:129710
bar:1940 from: 0 till:144335
bar:1950 from: 0 till:213513
bar:1960 from: 0 till:305872
bar:1970 from: 0 till:307951
bar:1980 from: 0 till:266979
bar:1990 from: 0 till:261229
bar:2000 from: 0 till:234403
bar:2010 from: 0 till:242803

PlotData=

bar:1850 at:14326 fontsize:XS text: 14326 shift:(0,5)
bar:1860 at:14620 fontsize:XS text: 14620 shift:(0,5)
bar:1870 at:19229 fontsize:XS text: 19229 shift:(0,5)
bar:1880 at:21966 fontsize:XS text: 21966 shift:(0,5)
bar:1890 at:34871 fontsize:XS text: 34871 shift:(0,5)
bar:1900 at:46624 fontsize:XS text: 46624 shift:(0,5)
bar:1910 at:67452 fontsize:XS text: 67452 shift:(0,5)
bar:1920 at:115777 fontsize:XS text: 115777 shift:(0,5)
bar:1930 at:129710 fontsize:XS text: 129710 shift:(0,5)
bar:1940 at:144335 fontsize:XS text: 144335 shift:(0,5)
bar:1950 at:213513 fontsize:XS text: 213513 shift:(0,5)
bar:1960 at:305872 fontsize:XS text: 305872 shift:(0,5)
bar:1970 at:307951 fontsize:XS text: 307951 shift:(0,5)
bar:1980 at:266979 fontsize:XS text: 266979 shift:(0,5)
bar:1990 at:261229 fontsize:XS text: 261229 shift:(0,5)
bar:2000 at:234403 fontsize:XS text: 234403 shift:(0,5)
bar:2010 at:242803 fontsize:XS text: 242803 shift:(0,5)

</timeline>

==姉妹都市==
ノーフォークは以下9都市と[[姉妹都市]]提携を結んでいる<ref>[http://www.sister-cities.org/directory/index.cfm Sister City Directory]. Sister Cities International, Inc.</ref>。その多くが、ノーフォーク同様に軍港を中心とした港湾都市、軍事都市として発展した歴史を持っている。

* {{Flagicon|Germany}} [[ヴィルヘルムスハーフェン]]([[ドイツ]])
* {{Flagicon|Philippines}} [[カガヤン・デ・オロ]]([[フィリピン]])
* {{Flagicon|Pakistan}} [[カラチ]]([[パキスタン]])
* {{Flagicon|Russia}} [[カリーニングラード]]([[ロシア]])
* {{Flagicon|Japan}} [[北九州市]]([[日本]]・[[福岡県]]) - 5市合併以前の[[1959年]]から、[[門司区|門司市]]がノーフォークと姉妹都市提携を結んでいた<ref>[http://www.city.kitakyushu.lg.jp/soumu/file_0233.html 姉妹・友好都市の紹介]. 北九州市. 2009年.</ref>。
* {{Flagicon|India}} [[コーチ (インド)|コーチ]]([[インド]])
* {{Flagicon|France}} [[トゥーロン]]([[フランス]])
* {{Flagicon|UK}} [[ノーフォーク]]カウンティ([[イギリス]]・[[イングランド]])
* {{Flagicon|Canada}} [[ハリファックス]]([[カナダ]]・[[ノバスコシア州]])

==関連項目==
* [[動物の倫理的扱いを求める人々の会]](PETA) - ノーフォークに本部を置いている<ref>[http://www.peta.org/factsheet/files/FactsheetDisplay.asp?ID=107 PETA's History: Compassion in Action]. People for the Ethical Treatment of Animals.</ref>。

==註==
{{reflist}}

==外部リンク==
{{Commonscat|Norfolk, Virginia}}
* [http://www.norfolk.gov/ City of Norfolk] - 市の公式サイト
* [http://www.norfolkcvb.com/ Norfolk Convention and Visitor's Bureau]
* [http://www.downtownnorfolk.org/ Downtown Norfolk Council]
* [http://www.norfolksheriffsoffice.com/ Norfolk Sheriff's Office]
* [http://www.hreda.com Hampton Roads Economic Development Alliance]
* [http://www.norfolkhistorical.org/ Norfolk Historical Society]
* [http://www.city-data.com/city/Norfolk-Virginia.html Norfolk, Virginia] - City-Data.com
* [http://maps.yahoo.com/maps_result.php?q1=Norfolk%2C+VA Norfolk, VA] - Yahoo!Mapの地図

[[Category:バージニア州の都市|のふおく]]


{{バージニア州}}
{{バージニア州}}
{{DEFAULTSORT:のおふおおく}}
{{Us-stub}}
[[Category:バージニア州の都市]]
{{Link GA|en}}


{{Link GA|en}}
[[ar:نورفولك، فيرجينيا]]
[[ar:نورفولك، فيرجينيا]]
[[be:Горад Норфалк]]
[[be:Горад Норфалк]]

2011年5月10日 (火) 21:45時点における版

ノーフォーク市
City of Norfolk
ノーフォーク港とダウンタウン
ノーフォーク港とダウンタウン
標語 : "Crescas (ラテン語: 汝は成長すべし)"
位置
バージニア州におけるノーフォークの位置 (拡大図付き)の位置図
バージニア州におけるノーフォークの位置
(拡大図付き)
座標 : 北緯36度50分43秒 西経76度17分9秒 / 北緯36.84528度 西経76.28583度 / 36.84528; -76.28583
歴史
創設 1680年
行政
アメリカ合衆国
 州 バージニア州
 市 ノーフォーク市
地理
面積  
  市域 249.4 km2 (96.3 mi2)
    陸上   139.2 km2 (53.7 mi2)
    水面   110.3 km2 (42.6 mi2)
標高 2.13 m (7 ft)
人口
人口 (2010年現在)
  市域 242,803人
    人口密度   1,744.3人/km2(4,521.5人/mi2
  都市圏 1,671,683人
その他
等時帯 東部標準時 (UTC-5)
夏時間 東部夏時間 (UTC-4)
公式ウェブサイト : http://www.norfolk.gov/

ノーフォークNorfolk)は、アメリカ合衆国バージニア州南東部に位置する都市。バージニア州法の規定により、いずれの郡にも属さない独立市となっている。人口は242,803人(2010年国勢調査[1]で、東に隣接するバージニアビーチに次ぐ州第2の都市である。バージニアビーチやニューポートニューズと共に形成している都市圏は9市7郡にまたがり、1,671,683人(2010年国勢調査)[1]の人口を抱えている。ノーフォークはこの都市圏における経済、交通、および文化の中心となっている。ジェームズ川チェサピーク湾に注ぐ河口に形成されている湾、ハンプトン・ローズの対岸のニューポートニューズやハンプトンとは、橋と海底トンネルで結ばれている。

ノーフォークはチェサピーク湾の湾口という立地条件に加え、ハンプトン・ローズという天然の良港に恵まれていることから、港湾都市、また軍事都市として発展してきた歴史を持っている。ノーフォークは世界最大の海軍基地で、アメリカ合衆国統合戦力軍アメリカ合衆国艦隊総軍アメリカ合衆国海兵隊総軍アメリカ合衆国統合戦力軍特殊作戦軍団、および北大西洋条約機構(NATO)の変革連合軍が司令部を置くノーフォーク海軍基地を抱えている。ノーフォークやニューポートニューズ、エリザベス川対岸のポーツマスでは、軍需産業、特に軍艦を建造する造船業が発展している。また、ノーフォークの港湾は軍のみならず民間においても重要度が高く、特にコンテナ貨物の取扱量においてはアメリカ合衆国大西洋岸有数である。加えて、ノーフォークはクルーズの拠点としても、乗船客・クルーズ船会社の両方から高い評価を得ている。

歴史

初期から独立戦争まで

1619年バージニア植民地総督ジョージ・ヤードレーは、植民地の中でも開発の進んだ場所に、植民地議会下院の基となる「シティ」(Cittie)という名の法人を4つ創設した。後にノーフォーク市となったこの地はエリザベスシティ法人の領域に含まれた。1634年チャールズ1世がバージニア植民地の行政区画を再編し、8つのシャイアを導入すると、エリザベスシティはエリザベスシティシャイアになった。

1622年イングランドノーフォークカウンティのキングスリンから年季奉公人としてバージニアに入植したアダム・サラグッドは、契約期間が切れて自由の身になると、まだ歴史の浅いこの植民地のリーダー的な市民となった。1636年には、サラグッドは105人にこの植民地に入植するように説得し、リンヘイブン川沿いの広範囲にわたる土地を与えられた。同年、エリザベスシティシャイアのうち、ハンプトン・ローズの南側、サウス・ハンプトン・ローズと呼ばれる地域が郡に分割されることになると、サラグッドは生まれ故郷のノーフォークカウンティにちなんで、この郡をニューノーフォーク郡と名付けた。翌1637年、ニューノーフォーク郡はサラグッドの勧めで、アッパーノーフォーク郡とロウアーノーフォーク郡に分割された[2]

聖パウロ監督教会の壁に現在も残っている、ダンモアが発射した砲弾の痕

17世紀後半に入ると、「ハーフムーン」の砦が建設され、また10,000ポンド(約4,500kg)のタバコと引き換えに50エーカー(約202,000m²)の土地を得て、ノーフォークは成長した[3]1680年、植民地議会は、今日のノーフォークの基となるロウアー・ノーフォーク・カウンティ町を創設した[4]1691年、ロウアー・ノーフォーク郡はノーフォーク郡(現在のノーフォーク、チェサピーク、およびポーツマスの一部)およびプリンセス・アン郡(現在のバージニアビーチ)に分割された。1736年には、ジョージ2世の勅令により、ノーフォークは正式な町(ボロウ)として法人化された[5]

1775年頃には、ノーフォークはバージニア植民地で最も発展した都市であった。当時のノーフォークは、イギリスやその先に物品を輸出するための重要な港であった。商人たちの取引は大英帝国とつながり合っていたため、独立戦争の開戦間もない頃のノーフォークではロイヤリストが強い勢力を持っていた。当時のバージニア植民地総督であったダンモア伯爵は、植民地の首都ウィリアムズバーグからノーフォークに逃げ延び、体制の立て直しを図った。ダンモアはノーフォークで小さな勝利を収めたものの、やがてウィリアム・ウッドフォード大佐率いるパトリオットに追い詰められ、植民地から追い出された。ダンモアの追放によって、バージニアにおける168年におよぶイギリスの支配は終わった[6]

1776年の元旦、軍艦3隻からなるダンモアの艦隊は、8時間以上にわたってノーフォークの街を爆撃した。爆撃に加え、イギリス軍が火を放ち、その火をパトリオットが広げたことで、ノーフォークの街の約2/3、800棟以上の建物が破壊された。同年2月には、戦略的理由からパトリオットが残った建物を破壊した[7]。後には聖パウロ監督教会の壁のみが残った。

南北戦争

ハンプトン・ローズ海戦

独立戦争で焦土と化した後、ノーフォークは復興したが、19世紀初頭にさらなる不運に見舞われた。1804年、ノーフォークのウォーターフロントで起きた大火は300棟の建物を焼失させ、ノーフォークは大きな経済的損失を受けた。1820年代南部中の農村が不況に見舞われ、多くの農家が他地域へと移り住んでいった。その多くはピードモント台地以西、もしくはケンタッキー州テネシー州へと移った。この地域においては、タバコの連作による地力低下も農家の流出を招いた。

この頃、バージニア州は奴隷制から脱しようと、法によって、あるいはアフリカに帰還させるなど、様々な試みを行っていた。バージニア・ノースカロライナ両州の黒人はノーフォークからアフリカへと帰る船に乗った。ノーフォークで自由黒人として生まれ育ったジョセフ・ジェンキンス・ロバーツは、リベリアに移住し、同国の初代大統領となった。

1861年、ノーフォークの有権者は代理人に、連邦から脱退する条例を批准させた。やがてバージニア州は連邦から脱退した。翌1862年春、市の北西、シーウェルズ・ポイントの沿岸でハンプトン・ローズ海戦が起こった。この戦いは世界史上初の装甲艦同士による戦いとなったもので、合衆国海軍モニター連合国海軍バージニアの2隻の装甲艦が交戦した。この戦いは引き分けに終わったが、従来の木造戦艦に比する装甲艦の優位性が証明され、以後、すべての軍艦が金属で造られるようになった[8]。しかし同年5月、ベンジャミン・ヒュージャー将軍率いる南軍がゴスポート造船所に火を放ち、ノーフォークから撤退すると、市長ウィリアム・ラムはジョン・E・ウール将軍率いる北軍に降伏し、市を明け渡した。南北戦争が終結するまでは、市は戒厳下に置かれた[9]

海軍基地、高速道路、人種統合

ジェームズタウン博覧会

1907年、シーウェルズ・ポイントで、ジェームズタウン入植300周年を記念してジェームズタウン博覧会が開かれた。この博覧会においては、海軍による大規模な軍事パレードが行われ、シーウェルズ・ポイントの立地条件のよさを示した。その10年後、第一次世界大戦時中の1917年、ジェームズタウン博覧会の会場跡地にノーフォーク海軍基地が設置された[10]

第二次世界大戦後、州間高速道路の登場によって、ノーフォークとその周辺にも高速道路網が整備された。1952年にエリザベス川の河底を通り、ノーフォークとポーツマスを結ぶダウンタウン・トンネルが完成した[11]のを皮切りに、その後15年にわたって、ノーフォークとバージニアビーチ、ハンプトン・ローズ対岸のバージニア半島とを結ぶ道路が次々と開通した。1957年には、ハンプトン・ローズを橋と海底トンネルで渡り、ノーフォークとハンプトンを結ぶハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネルが[12]1962年にはダウンタウン・トンネルよりも北でエリザベス川の河底を渡り、ノーフォークのゲント地区とポーツマスを結ぶミッドタウン・トンネルが[13]、そして1967年にはバージニアビーチ・ノーフォーク高速道路が[14]それぞれ開通した。その後もハンプトン・ローズ地域における道路網の整備は続き、1989年にはダウンタウン・トンネルが4車線化され、1991年にはエリザベス川東支流を渡る跳開橋、バークレー・ブリッジが8車線化された[11]1992年には、ハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネルよりも西側でハンプトン・ローズを渡り、ポーツマスとニューポートニューズを結ぶモニター・メリマック・メモリアル・ブリッジ・トンネルが開通し、ノーフォーク・ポーツマス両市の外郭を囲むハンプトン・ローズ環状線が完成した[15]

1954年連邦最高裁判所ブラウン対教育委員会裁判において、学校における人種分離は違憲であるとの判決を下し、人種統合を命令すると、バージニア州ではこれに対抗して「マッシブ・レジスタンス」と呼ばれる州法を公布した。これによりバージニア州議会は、人種統合した公立学校に予算を配分することを禁じた。一方、ノーフォークの私立学校はブラウン判決を支持し、人種統合へと動いた。1958年、バージニアの連邦地方裁判所は人種を統合しての開校を命令したが、これに対し、バージニア州知事ジェームズ・リンジー・アーモンド・ジュニアは学校を閉鎖することを命じた。これにより、ノーフォーク市内の6校が閉鎖され、約10,000人の児童・生徒があぶれた。バージニア州最高裁判所は、マッシブ・レジスタンスは州憲法に反するものであると判じ、人種を統合しているか否かにかかわらず、全ての学校に予算を配分するよう命じた。その10日後、アーモンドは抵抗をやめ、州議会にマッシブ・レジスタンス関連の法案を撤回するように求めた[16]。翌1959年9月、それまで人種分離が行われていたノーフォーク市内の公立学校に、17人のアフリカ系の児童が入学した。ノーフォークの地方紙、バージニアン・パイロットの編集者レノア・チェンバーズは、マッシブ・レジスタンスに反対する社説を掲載し、社説部門でピューリッツァー賞を受賞した。

20世紀前半、ノーフォークは合併によって市域を広げ、成長していった。1906年、ノーフォークはエリザベス川東支流の南岸のバークレー町を合併した。1923年には、シーウェルズ・ポイントやオーシャンビュー地区を合併し、ノーフォーク海軍基地やチェサピーク湾岸の浜辺を市域に含むようになった。1955年には、タナーズ・クリークの合併により、ノーフォークの人口は297,253人になり、バージニア州最大となった[17]。しかし、人種統合と郊外の住宅地開発の進行により、白人の中間層は市外へと流出し(ホワイト・フライト)、1970年に307,951人を数えたのをピークに、ノーフォークの人口は減少傾向に入った[18]。また、1960年代後半から1970年代初頭にかけて、郊外の高速道路沿いに大規模なショッピングセンターやモールが開店し、それまで賑わっていたダウンタウンのグランビー・ストリート沿いの商業地区は寂れていった。

再生

ファイル:NorfolkWaterside2010.JPG
ウォーターサイド

1980年代に入ると、市のリーダーたちはノーフォーク都心部の再生に取り組み始めた。彼らは荒廃していたウォーターフロントに着目し、古くなった数多くの船積み施設や倉庫を取り壊し、その跡地にウォーターサイド・ドライブという大通りを敷設した。この大通り沿いには、今日のノーフォークのスカイラインを形成する高層建築物が次々と建てられた。

市とラウズ・カンパニーは1983年、ウォーターフロントに人を引きつけ、さらなるダウンタウンの再開発を呼び込むべく、エリザベス河畔にウォーターサイドというモールを建設した。1993年には、地元マイナーリーグチーム、ノーフォーク・タイズの本拠地となるハーバー・パークが完成した。1994年にはノーティカスという海事博物館も開館した。

再開発が進むにつれて、ダウンタウンは活気を取り戻し、新しいオフィス、小売店、娯楽施設、ホテルが建設され、職住近接型の住宅も増えてきている[19]2000年代には人口も増加傾向に転じ、2010年の国勢調査では人口242,803人と、2000年国勢調査時に比べて約3.6%増加した[1]

地理

ハンプトン・ローズ都市圏の範囲

ノーフォークは北緯36度50分43秒 西経76度17分9秒 / 北緯36.84528度 西経76.28583度 / 36.84528; -76.28583に位置している。市はバージニア州の南東部に位置し、首都ワシントンD.C.からは南南東へ約250km、州都リッチモンドからは南東へ約135kmに位置する。

アメリカ合衆国国勢調査局によると、ノーフォーク市は総面積249.4km²(96.3mi²)である。このうち139.2km²(53.7mi²)が陸地で110.3km²(42.6mi²)が水域である。総面積の44.22%が水域となっている。

市域はジェームズ川チェサピーク湾に注ぐ河口に形成されている、天然の良港となっているハンプトン・ローズという湾の南岸に広がっている。ノーフォークの東にはバージニアビーチ、南にはチェサピーク、西にはポーツマス、南西にはサフォーク、ハンプトン・ローズの北岸にはニューポートニューズおよびハンプトンの各市が連なっている。湾の名を冠したハンプトン・ローズ都市圏(正式名称: バージニアビーチ・ノーフォーク・ニューポートニューズ都市圏)は、これらハンプトン・ローズの周囲に連なる7市に、ハンプトンの北東のポコソン、およびニューポートニューズの北西のウィリアムズバーグを加えた9市、および7郡にまたがっている。バージニアビーチの人口が最も多いため、都市圏の正式名称の最初にはバージニアビーチの名が冠せられているが、実際には都市圏の中心となっている都市はノーフォークである。

気候

ノーフォークの気候は、1年を通じて概ね温暖で、夏は蒸し暑くなる、海洋性の気候である。最も暑い月は7月で、月平均気温は26℃、最高気温の平均は31℃で、日中の最高気温が32℃(華氏90度)を超えることも珍しくない。冬は温暖で、最も寒い1月でも月平均気温は5℃、最低気温の平均は0℃である。降水量は7月から8月にかけて多く、月間130mmを超えるが、その他の月は月間70-90mmほどで平均している[20]。また、夏から秋にかけてはハリケーンがノーフォーク近辺の海上を通過していくことも多いが、上陸することはごくたまにしかない。ケッペンの気候区分では、ノーフォークはアメリカ合衆国大西洋岸や南部に広く分布している温暖湿潤気候Cfa)に属する。

ノーフォークの気候[20]
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均気温( 5.0 5.6 9.4 15.6 19.4 23.9 26.1 25.6 22.2 16.7 11.7 6.7 15.6
降水量(mm 91.4 83.8 96.5 76.2 94.0 88.9 132.1 134.6 99.1 83.8 76.2 78.7 1,135.3

都市概観と建築物

ドミニオン・タワー

ダウンタウンは市の南西部に広がっている。ノーフォークは複雑な地形に立地しているため、アメリカ合衆国内の他の多くの都市とは異なり、周辺の住宅地ではもとより、ダウンタウンでも街路は入り組んでいる。民間の港湾施設はダウンタウンの北西、東、および南側に集中しており、ハンプトン・ローズと共に沿岸内水路の一部となっているエリザベス川の河岸に設けられている。また、エリザベス川の対岸、ポーツマスにも多数の港湾施設がある。ノーフォーク海軍基地は市の北西部、ハンプロン・ローズに突き出すシーウェルズ・ポイントに立地している。市の北東部、チェサピーク湾側には、エリザベス河岸とは異なるなだらかな砂浜の海岸線が続き、住宅地が広がっている。

長い歴史を持つノーフォークには様々な建築様式の建築物が建ち並んできた。初期のノーフォークでは、中世のイギリスの家屋に似た、大きな煙突茅葺屋根を持つ木造の家屋が多く建てられた。1682年に初めて区画が整備されると、17世紀後半の南部でよく見られたジョージア様式の建築物が建ち並んだ。独立戦争で街が焼き尽くされた後、復興したノーフォークにはフェデラル様式の建物が建ち並んだ。この頃に建てられたフェデラル様式のロウハウスは、現在のノーフォークにはほとんど残っていない。

19世紀に入ると、ノーフォークの街にはフェデラル様式をベースに、ポルチコの柱のオーダーや、扉・窓への古典主義建築のモチーフなど、新古典主義建築の要素を加えた建築物が建ち並んだ。フェデラル様式のロウハウスの玄関口には古代ギリシア式のポーチが付けられ、旧市庁舎、旧ノーフォークアカデミー、税関などの公共の建物にも古代ギリシア建築や古代ローマ建築の要素が加えられら。しかし1830年代に入ると、新古典主義建築は影をひそめ、代わりにゴシック・リバイバル様式の建築物が増えていった。

19世紀後半から20世紀に入ると、ノーフォークの街にも高層の建築物が建ち始めるようになった。現存する初期の高層建築物としては、1912年に建てられた、ダウンタウンに建つ12階建て、高さ48.7mのロイスター・ビルディングが挙げられる[21]。また、20世紀前半のノーフォークにはアール・デコ調の建物も建ち並んだ。現存するアール・デコ調の建築物としては、ダウンタウンの郵便局庁舎が挙げられる。しかし、ノーフォークに高層建築物が本格的に建てられるようになったのは1960年代後半以降である。現在のノーフォークで一番高い建築物は、1987年に建てられた26階建て、高さ103.6mのドミニオン・タワーである[22]

政治

ノーフォークを含め、バージニア州の都市はすべて州法の規定で独立市となっている。そのため、ノーフォークは市であると同時に相当の自治体でもあり、郡と同等の行政サービスが提供され、郡庁所在地と同様に州の地方裁判所も置かれている。また、ノーフォークには州の地方裁判所のほか、連邦のバージニア州東部地方裁判所の1つが置かれている[23]

ノーフォークはシティー・マネージャー制を採っている。市の行政実務の最高責任者であるシティー・マネージャーは市議会によって選出される。シティー・マネージャーは、法や条例の施行の視認、各行政機関・部署の監督、予算案の作成、財政状況の把握に権限を有し、責任を負う。また、シティー・マネージャーには市議会への参加が義務付けられている一方で、投票権は有していない[24]。一方、市長は「市の顔」として、専ら儀礼的な役割を果たす[25]。市議会は7人の議員からなっており、市を5つに分けた「選挙区」から1名ずつ、またこの5選挙区とは別個に、市を2つに分けた「スーパー選挙区」から1名ずつが選出される。市長と市議会議員への重複立候補、2つ以上の選挙区への立候補、および、選挙区とスーパー選挙区への重複立候補は、いずれも一切認められていない[26]

連邦議会下院議員選挙においては、ノーフォークはバージニア第2選挙区と第3選挙区にまたがっており、市の概ね北半分がバージニアビーチと共に第2選挙区に、ダウンタウンを含む概ね南半分がポーツマスやニューポートニューズと共に第3選挙区に属している。第2選挙区においては共和党の勢力がやや強いが、第3選挙区においては民主党の勢力が非常に強い。

経済

ノーフォーク海軍基地に入港する空母ジョン・F・ケネディ

軍港

ノーフォークは軍事の中心地であり、特にアメリカ合衆国海軍にとっては重要な地である。市の北西部、ハンプトン・ローズに突き出すシーウェルズ・ポイントに立地するノーフォーク海軍基地は、総面積4,631エーカー(約18.74km²)の敷地に14の埠頭と15のハンガーを有し、78隻の艦船と133機の戦闘機が母港とする、世界最大の海軍基地である[27]。この基地には統合戦力軍艦隊総軍海兵隊総軍統合戦力軍特殊作戦軍団、およびNATO変革連合軍が司令部を置き、海軍の第2艦隊が母港としている。また、ハンプトン・ローズの対岸、ハンプトンに立地するラングレー空軍基地には航空戦闘軍団が司令部を置いている。ハンプトン・ローズ都市圏全体では、駐屯している海軍軍人・海兵隊員は108,000人を数え、海軍だけでも41,000人の民間人を雇用し、23,000人の退役軍人が住んでいる[28]

海軍の街であるノーフォークとハンプトン・ローズ都市圏は軍需産業、特に造船業のメッカである。エリザベス川の対岸、ポーツマスには、海軍最大規模、かつ最長の歴史を持つノーフォーク海軍造船所が立地している。ハンプトン・ローズの対岸、ニューポートニューズには、ニミッツ級航空母艦を建造できる全米で唯一の造船所であるニューポートニューズ造船所が立地する。また、軍需産業の世界最大手であるBAEシステムズの北米法人は、艦船修理部門の本部をノーフォークに置いている[29]

この地域における国防総省の支出は、2010年には2000年時点のほぼ2倍、年間200億ドルに達した。ハンプトン・ローズ都市圏における2000年代の10年間の地域経済成長額のうち、その3/4以上は国防総省の支出の増加分が占めた。この国防総省による支出の増加のため、リーマン・ショック後の不況下においても、ハンプトン・ローズ都市圏の失業率は全米平均より2ポイント低い数値であった[30]

商港

ノーフォーク国際ターミナル

ノーフォークおよびハンプトン・ローズ都市圏において、その地域経済に与える影響という点で重要度が軍に次いで高いのが船舶貨物である。バージニア港湾局(VPA)はノーフォークに本部を置き、ハンプトン・ローズ都市圏内にノーフォーク国際ターミナル、ポーツマス海運ターミナル、ニューポートニューズ海運ターミナルの3ヶ所のターミナルを有し、ばら積み貨物コンテナ貨物の両方を扱っている。その3ヶ所のターミナルの中でも最大のものが、ノーフォーク海軍基地のすぐ南に立地するノーフォーク国際ターミナルである。このコンテナターミナルは世界最大級の揚程245フィート(約74.7m)のガントリークレーンを14基備え、コンテナ27列の幅を持つコンテナ船に対応することができる。チェサピーク湾口からこのターミナルへと至る水路の水深は50フィート(約15.2m)に維持されている[31]。VPAの管轄する3ヶ所の港湾施設をすべて合算すると、2010年の年間貨物取扱量はコンテナ貨物190万TEU(輸入100万TEU、輸出90万TEU)、ばら積み貨物23万t[32]、大西洋岸ではニューヨーク・ニュージャージー港、サバンナ港に次ぐ量であった。

これら3ヶ所のターミナルに加えて、2007年8月にはポーツマスにAPMターミナルが完成した。このターミナルは6基のガントリークレーンを備え、100万TEUのコンテナ貨物を取り扱うことのできる、私企業が所有するコンテナターミナルとしては北米最大規模のものである[33]2010年7月、VPAは20年リース契約でこのターミナルの管理権を得た[34]

ノーフォーク国際ターミナルの南、オールド・ドミニオン大学のキャンパスの南西に立地するランバーツ・ポイント埠頭は北半球最大の石炭積出港である。バージニア州内やウェストバージニア州ケンタッキー州で産出された歴青炭は鉄道でこの埠頭に集められ、船に積み出される。この埠頭から国内外に向けて積み出される石炭の量は年間4,800万tに達する[35]

商港、とりわけコンテナ港としての地位から、ノーフォークには多数の海運会社が営業、流通、ロジスティクスの拠点を置いている。また、ノーフォークには、世界最大の海運会社A.P. モラー・マースクのアメリカ合衆国法人であるマースク・ライン[36]をはじめ、フランスCMA CGM[37]イスラエルZIM[38]といった、世界的な海運会社が北米本部を置いている。これらの海運会社の多くはダウンタウンのワールド・トレード・センター・ノーフォークや、ノーフォーク国際空港に近いレイク・ライト・エグゼクティブ・センターなどに事業所を置いている。

ハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センター

観光業

ハンプトン・ローズ都市圏における観光業は、長い間バージニアビーチウィリアムズバーグが中心地となって発展してきたが、ノーフォークにおいても、ダウンタウンの再生やクルーズ船桟橋の整備によって、観光業が発展しつつある。2007年4月には、市とVPAが3,600万ドルを投じて建設を進めたクルーズ船ターミナル、ハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センターがクルーズ船桟橋の隣に完成した[39]。このターミナルは世界第2のクルーズ船会社であるロイヤル・カリビアン・インターナショナルが母港としている。ダウンタウンにあって至便なこのターミナルは旅行者とクルーズ船会社の両方から高い評価を得ている。2009年には、ノーフォークは全米で最高、世界でもベニスに僅差の2位の乗船客評価を得ている[40]

その他の産業

軍需産業や海運業、観光業以外にも、ノーフォークおよびハンプトン・ローズ都市圏には様々な産業が興っている。ハンプトン・ローズ都市圏内には、フォーチュン500に入る企業が4社本社を置いている[41]

ハンプトン・ローズ都市圏に本社を置くフォーチュン500企業
順位 企業名 業種 本社所在地
163 スミスフィールド・フーズ 食品 スミスフィールド
287 ノーフォーク・サザン鉄道 運輸 ノーフォーク
397 ダラー・ツリー 小売 チェサピーク
404 アメリグループ 保険 バージニアビーチ

ノーフォークに本社を置く主な企業としては、上述のノーフォーク・サザン鉄道のほか、出版業のドミニオン・エンタープライゼズ[42]、行動・精神医療のFHCヘルスシステムズ[43]、債権回収のポートフォリオ・リカバリー・アソシエイツ[44]、軍・警察・警備員・アウトドアを中心とした各種衣料品のブラックホーク・プロダクツ・グループ[45]が挙げられる。また、フォードは、1925年から2007年までノーフォークに工場を置き、モデルTセダンやステーションワゴン、F-150ピックアップトラックを生産していた[46]

交通

I-64のハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネル

ノーフォークを含むハンプトン・ローズ都市圏の玄関口となる空港は、ダウンタウンの北東約5.5km[47]、バージニアビーチとの市境のすぐ内側に位置するノーフォーク国際空港IATA: ORF)である。この空港には4大航空会社(デルタ航空アメリカン航空ユナイテッド航空コンチネンタル航空)のほか、USエアウェイズサウスウエスト航空も就航しており、21都市25空港への直行便が就航している[48]。また、ハンプトン・ローズの対岸、ニューポートニューズ市北西部に立地するニューポートニューズ・ウィリアムズバーグ国際空港(IATA: PHF)にはデルタ航空によるアトランタへの便やUSエアウェイズによるシャーロットへの便が就航しており、ハンプトン・ローズ都市圏における第2空港としてノーフォーク国際空港を補完する役割を果たしている。

ハンプトン・ローズ都市圏、州都リッチモンドアパラチア山脈東麓の山岳地帯を結び、バージニア州を東西に横断する州間高速道路I-64は、ハンプトン・ローズ都市圏では4本の支線(I-264・I-464・I-564・I-664)とともに、ノーフォークを中心とする環状線や放射線として高速道路網を形成している。I-64本線はハンプトンからハンプトン・ローズ・ブリッジ・トンネルでハンプトン・ローズを渡り、ハンプトン・ローズ環状線の東側と南側を成している。I-664はハンプトンでI-64本線と分岐してニューポートニューズのダウンタウンを通り、モニター・メリマック・メモリアル・ブリッジ・トンネルでハンプトン・ローズを渡ってハンプトン・ローズ環状線の西側を成す。I-264はハンプトン・ローズ環状線内の中央を横切り、ノーフォークのダウンタウンを通り、東へバージニアビーチへと通ずる。I-464はノーフォークのダウンタウンから南へ、チェサピークへと通ずる。I-64とのジャンクションを過ぎると高速道路規格のままバージニア州道168号線となり、チェサピーク市域を縦断してノースカロライナ州との州境近くまで延びている。I-564は全線がノーフォーク市域内にあり、I-64本線から分岐してノーフォーク海軍基地へと至る。また、チェサピーク湾には、ノーフォーク・バージニアビーチとデルマーバ半島とを結ぶ、全長17.6マイル(約28.3km)[49]チェサピーク・ベイ・ブリッジ・トンネルが架かっている。

タイド(ライトレール)

グレイハウンドのバスターミナルはダウンタウンの北、スコープ・アリーナ(後述)の近くにあり[50]、リッチモンド方面やローリー方面の中長距離バスが発着する。また、アムトラックの駅はニューポートニューズにあり、リッチモンド・ワシントンD.C.ボルチモアフィラデルフィアニューヨークボストン方面への北東回廊の普通列車が発着する。ニューポートニューズの駅からは、ノーフォークを経由してバージニアビーチへアムトラックバスが運行されている[51]

ハンプトン・ローズ都市圏内の公共交通はハンプトン・ローズ交通(HRT)の運行する路線バスが主である。HRTの路線バス網は、ノーフォークを中心に、ハンプトン・ローズ都市圏の7市をカバーしているほか、ウィリアムズバーグへも通じている[52]。また、HRTは、ノーフォークのダウンタウンとポーツマスのオールド・タウンを結ぶ、エリザベス川を渡るフェリーも運航している[53]。これに加え、2011年中には、タイド(The Tide)というHRTのライトレールが営業を開始する予定になっている。このライトレールはダウンタウンの北西に立地する東バージニア医療センターからダウンタウンを横断し、バージニアビーチとの市境近くのニュータウン・ロードまで、全長7.4マイル(11.9km)を走る[54]

医療

センタラ・ノーフォーク総合病院

ダウンタウンの北西、ゲント地区には東バージニア医学校、センタラ・ノーフォーク総合病院、センタラ心臓病院、およびキングス・ドーターズ小児病院からなる東バージニア医療センターが立地している[55]。東バージニア医学校は、1960年代まで医師養成機関の無かったこの地に、地元からの要請を受けて1973年に開校したメディカルスクールである[56]。東バージニア医療センターに立地する3つの病院はすべて、この地域における中心的な医療施設であると同時に、東バージニア医学校の教育・研究・実習施設を兼ねている。

センタラ・ノーフォーク総合病院は、1888年にダウンタウンに設置された25床の小さな病院から始まり[57]、現在では525床を有する総合病院となった。同院はハンプトン・ローズ地域に複数の病院を持ち、主要な医療システムとなっているセンタラ・ヘルスケアの中心となっている病院で、ハンプトン・ローズ地域で唯一、重傷の患者に対し24時間体制で救急医療を施すことのできる、レベルIのトラウマ・センターに指定されている[58][59]1981年には、全米の病院で初めて、体外受精による新生児が同院で誕生した[60]。センタラ心臓病院は、その名が示す通り心臓内科および心臓外科に特化した病院で、診断から開心術、心臓移植に至るまで、高度かつ総合的な治療を行う。同院はUSニューズ&ワールド・レポートの病院ランキングの心臓部門では、全米でも常に上位に位置づけられている[61]。キングス・ドーターズ小児病院は1961年に設置された、小児科に特化した病院で、バージニア州では唯一、全米でもわずか43院しかない小児科専門病院の1つである[62]

教育

オールド・ドミニオン大学

ノーフォークには3校の4年制大学が立地している。オールド・ドミニオン大学はダウンタウンの北西約5kmに188エーカー(約760,000m²)のキャンパスを構えている。同学は1930年ウィリアム・アンド・メアリー大学のノーフォーク分校として開校し、1962年に分離・独立した[63]。現在では、同学は学部に68、大学院修士課程に55、博士課程に41の専攻プログラムを持ち、学部生約18,000人、大学院生約6,000人を抱える州立総合大学となっている[64]。また、同学は陸軍予備役将校訓練課程(ROTC)を有しており[65]ノーフォーク州立大学ハンプトン大学とともにハンプトン・ローズ海軍予備役将校訓練課程(NROTC)にも参加している[66]。ダウンタウンの東にキャンパスを構えるノーフォーク州立大学は、1935年に創立された州立の中規模総合大学で、教養教育に重きを置いている[67]。同学は、もともとはアフリカ系アメリカ人に高等教育の機会を与えるために設立された大学で、人種共学化がなされた現在においても、約7,000人の学生の8割以上はアフリカ系アメリカ人である[68]。バージニア・ウェズリアン大学は、1961年に創立されたメソジスト系のリベラル・アーツ・カレッジで、約1,400人の学生を抱え、ノーフォークとバージニアビーチにまたがる300エーカー(約1,200,000m²)のキャンパスを構えている[69]

ノーフォークにおけるK-12課程は、ノーフォーク公立学区の管轄下にある公立学校によって支えられている。同学区は小学校35校、中学校9校、高校5校(うち1校は夜間部併設)を有している[70]。また、ノーフォーク市内には私立の学校もいくつか立地している。その中でも最も長い伝統を持つのは、1728年に創立されたノーフォーク・アカデミーである。同校は市の東部、バージニア・ウェズリアン大学の隣に64エーカー(約260,000m²)の敷地を有し、1年生から12年生までの約1,200人の児童・生徒を抱え、小中高一貫教育を行っている[71]。また、1840年グリーク・リバイバル様式で建てられた同校の校舎は国家歴史登録財に指定されている。

ノーフォーク公立図書館は、ダウンタウンに立地するノーフォーク・メイン図書館のほか、市内10ヶ所に図書館を置いている。同図書館システムは1904年にバージニア州初の公立図書館システムとして設置されて以来、あらゆる世代の[識字]]教育に加え、市政府の文書保管という役割も有しており、収集・保管されている資料は19世紀のものにまで遡る[72]

文化

文化施設と芸術

ノーティカスと戦艦ウィスコンシン

1994年に開館した国立海洋センターノーティカスはダウンタウンのエリザベス河畔に立地している。同館は海軍、軍艦や気象に関する、手で触れて学ぶことのできる展示物を主に展示している。また、同館の劇場ではジェームズタウン博覧会での海軍の軍事パレードや、戦艦設計に関する映像を上映している。館内には見学者が近代海軍を疑似体験できるシミュレーションゲームコーナーや、チェサピーク湾に生息するカブトガニヒトデヤドカリウニなどの海生生物を飼育する水族館もある[73]。ノーティカスに隣接するドックには、第二次世界大戦太平洋戦争)や朝鮮戦争湾岸戦争で活躍した戦艦ウィスコンシンが係留され、記念艦として保存されている[74]。ノーティカスの2階はハンプトン・ローズ海軍博物館となっており、海軍の歴史に関する事物を展示している[75]。また、ノーティカスの隣にはハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センターおよびクルーズ船桟橋が立地している。

マッカーサー記念館

ノーティカスから東へ約400m、ダウンタウンのマッカーサー・スクエアには、19世紀の市庁舎をそのまま記念館としたダグラス・マッカーサー記念館が立地している。館内にはマッカーサー夫妻の墓や、博物館、図書館が設けられている[76]。博物館には軍関連品だけでなく、マッカーサーのトレードマークであったコーンパイプなどの私物も多数展示されている。また、伊万里九谷薩摩磁器有線七宝など、マッカーサーが持ち帰った日本の工芸品も展示されている[77]。建物は「旧ノーフォーク市庁舎」として国家歴史登録財に指定されている[78]。記念館の正面にはマッカーサーの銅像が立っている。

クライスラー美術館

ゲント地区に立地するクライスラー美術館はノーフォークやハンプトン・ローズ都市圏のみならず南部でも有数の美術館である。同館のコレクションは古代から現代まで5,000年にわたり、アメリカ絵画・彫刻、ヨーロッパ絵画・彫刻、現代美術、装飾芸術、ガラス工芸、写真と分野的にも多岐にわたるもので、その数も約30,000点にのぼる。また、アフリカ、アジア、先コロンブス期の中南米、イスラムの作品も展示されている[79]。同館は、もともとは1933年にノーフォーク美術館・科学博物館として開館したが、1971年に自動車王ウォルター・クライスラーの息子、ウォルター・P・クライスラー・ジュニアから大量の美術作品の寄贈を受けて現在の規模になり、現称に改められた。

ハーミテージ財団美術館は市の北西部、ノーフォーク海軍基地やノーフォーク国際ターミナルの近くに立地している。同館は20世紀初頭に建てられた、「隠れ家」を意味する「ハーミテージ」(Hermitage)と名付けられたスローン家の豪邸を美術館に転用したものである[80]。同館のコレクションはスローン夫妻が残したもので、古代中国の銅像、チョーラ朝時代のインドの銅像、スペインのイコンや家具、ヨーロッパの陶器や絵画、ドイツのステンドグラス、アメリカ合衆国の絵画や彫刻など2,800点にのぼる[81]。また、同館の12エーカー(約48,600m²)の敷地には円形の庭園、森林、湿地が配され、様々な花木が植えられており、野鳥も飛来する[82]

ハリソン・オペラハウス

バージニア・オペラはゲント地区に立地するハリソン・オペラハウスを本拠としている。同歌劇団は1974年にノーフォークで結成され、その後リッチモンドフェアファックスワシントンD.C.郊外)にも支部を設立したが、現在も年間32公演のうち半分をノーフォークで行っている[83]1968年に設立されたノーフォークの劇団、バージニア・ステージ・カンパニーはダウンタウンのウェルズ・シアターで公演を行い、施設をガバナーズ芸術学校と共有している.[84]1920年に設立されたバージニア・シンフォニー管弦楽団は、クラシックのほかポップスや家族連れ向けのコンサートも行っている。同楽団はダウンタウンの北、ノーフォーク・スコープの敷地内にあるクライスラー・ホールのほか、バージニアビーチニューポートニューズ、およびウィリアムズバーグでも公演を行っている[85]

スポーツ

ハーバー・パーク

ノーフォークには4大メジャープロスポーツのチームこそ置かれていないが、その下部リーグのチームはいくつか置かれている。MLBボルチモア・オリオールズ傘下のマイナーリーグチーム、ノーフォーク・タイズはAAA級のインターナショナルリーグ南地区に所属している。タイズはエリザベス川東支流河畔のハーバー・パークを本拠地としている。タイズはこれまでに5度のリーグ優勝を果たしており、1983年にはAAA級優勝を果たしている。NHLタンパベイ・ライトニング傘下のノーフォーク・アドミラルズは、アメリカン・ホッケー・リーグの東カンファレンス東地区に所属している。アドミラルズはダウンタウンの北に立地する多目的アリーナ、ノーフォーク・スコープ・アリーナでホームの試合を行っている。

かつて、1970年から1976年にかけては、ノーフォークにはアメリカン・バスケットボール・アソシエーション(ABA)のバージニア・スクワイアーズが本拠を置いていた。スクワイアーズはノーフォークの2ヶ所(ノーフォーク・スコープ・アリーナおよびオールド・ドミニオン大学フィールドハウス)のほか、ハンプトンリッチモンド(2ヶ所)、およびロアノークでもホームの試合を行っていた。しかし、1976年5月にリーグが消滅すると、チームも解散した[86]

オールド・ドミニオン大学およびノーフォーク州立大学はNCAAのディビジョンI、バージニア・ウェズリアン大学はNCAAのディビジョンIIIにそれぞれ所属している。中でも、オールド・ドミニオン大学の女子バスケットボールチーム、レディー・モナークスは強豪の1つに数えられており、カンファレンスでは常勝で、全米優勝もこれまでに3度果たしている。

公園とレクリエーション

タウン・ポイント・パークでの秋のバージニア・ワイン・フェスティバル

ダウンタウンの南西端、ノーティカスおよびハーフムーン・クルーズ・アンド・セレブレーション・センターのすぐ南に、エリザベス川に沿って広がるタウン・ポイント・パークでは数多くのイベントが催される。中でも、毎年6月に行われるハーバーフェストはハンプトン・ローズ都市圏最大のイベントである。会期中の3日間、園内にはチェサピーク湾や近海の海老牡蠣帆立貝などの海産物を使った料理、メリーランドクラブケーキノースカロライナのバーベキューといった地元料理や、Tシャツなどの各種グッズを販売する屋台が建ち並び、特設ステージではコンサートが行われる。ハーバーフェストのイベントの1つであるパレード・オブ・セイルでは、大型艦船、軍艦、ヨットなど大小様々な船舶がエリザベス川を行き交う。また、2日目の土曜日の夜にはエリザベス川に浮かぶはしけから花火が打ち上げられる[87]

ハーバーフェストのほかにも、タウン・ポイント・パークではバイユー・ブーガルー・アンド・ケイジャン・フード・フェスティバル(6月下旬)、独立記念日、ノーフォーク・ジャズ・フェスティバル(7月下旬)、ノーフォーク・ラティーノ・ミュージック・フェスティバル(8月下旬)、オペラ・イン・ザ・パーク・コンサート(9月、バージニア・オペラ主催)、春と秋のバージニア・ワイン・フェスティバル(春: 5月、秋: 10月)といったイベントが行われる[88]

ノーフォーク植物園

ノーフォーク植物園は市の北東部、ノーフォーク国際空港の北西隣に155エーカー(約627,000m²)の敷地を有し、テーマに沿った30の庭園が配されている。特にツツジツバキバラ、およびシャクナゲのコレクションにおいては、同園はアメリカ合衆国大西洋岸でも有数である。また、同園には95種の野鳥が飛来し、30種のが集まる[89]

オールド・ドミニオン大学の南東、ラファイエット河畔のラファイエット・パークにはバージニア動物園が立地している。同園は53エーカー(約214,000m²)の敷地を有し、アフリカゾウボンゴマンドリルレッサーパンダシロサイキエリクロボタンインコハクトウワシなど、400種の動物を飼育している[90]。また、同園ではバラ、ハーブ、熱帯植物、そしてアフリカの野菜など、多岐にわたる植物の栽培も行っている[91]

市の北東部、チェサピーク湾岸のオーシャンビュー地区には、市が管理している3ヶ所のビーチが広がっている[92]。そのうちの1ヶ所、オーシャンビュー・ビーチ・パークでは、5月下旬から9月上旬にかけて、毎週日曜日にビッグバンドの演奏が行われる[88]

人口動態

都市圏人口

ノーフォークの都市圏を形成する各独立市・郡の人口は以下の通りである(2010年国勢調査)[1]

バージニアビーチ・ノーフォーク・ニューポートニューズ都市圏
独立市・郡 人口
ノーフォーク市 バージニア州 242,803人
バージニアビーチ市 バージニア州 437,994人
チェサピーク市 バージニア州 222,209人
ニューポートニューズ市 バージニア州 180,719人
ハンプトン市 バージニア州 137,436人
ポーツマス市 バージニア州 95,535人
サフォーク市 バージニア州 84,585人
ウィリアムズバーグ市 バージニア州 14,068人
ポコソン市 バージニア州 12,150人
ジェームズシティ郡 バージニア州 67,009人
ヨーク郡 バージニア州 65,464人
グロースター郡 バージニア州 36,858人
アイル・オブ・ワイト郡 バージニア州 35,270人
カリタック郡 ノースカロライナ州 23,547人
マシューズ郡 バージニア州 8,978人
サリー郡 バージニア州 7,058人
合計 1,671,683人

市域人口推移

以下にノーフォーク市における1790年から2010年までの人口推移を表で、また1850年から2010年までの人口推移をグラフで示す[18]

統計年 人口
1790年 2,959人
1800年 6,926人
1810年 9,193人
1820年 8,478人
1830年 9,814人
1840年 10,929人
1850年 14,326人
1860年 14,620人
1870年 19,229人
1880年 21,966人
1890年 34,871人
1900年 46,624人
1910年 67,452人
1920年 115,777人
1930年 129,710人
1940年 144,335人
1950年 213,513人
1960年 305,872人
1970年 307,951人
1980年 266,979人
1990年 261,229人
2000年 234,403人
2010年 242,803人

姉妹都市

ノーフォークは以下9都市と姉妹都市提携を結んでいる[93]。その多くが、ノーフォーク同様に軍港を中心とした港湾都市、軍事都市として発展した歴史を持っている。

関連項目

  1. ^ a b c d American FactFinder. U.S. Census Bureau. 2011年2月4日.
  2. ^ Tucker, George Holbert. "Norfolk Highlights 1584 - 1881". Chapter 4: The Origins of Norfolk's Name. Norfolk Historical Society. 1972年.
  3. ^ Tucker, Chapter 6: The "Half Moone" Fort.
  4. ^ Tucker, Chapter 7: The Birth of "Norfolk Towne".
    なお、ノーフォーク市章には町の創設は1682年と記されているが、これは誤りである。
  5. ^ Tucker, Chapter 9: Norfolk Becomes a Borough.
  6. ^ Cultural & Political Chronology (1750-1783). History. The Colonial Williamsburg Foundation.
  7. ^ Guy, Louis L. Jr. Norfolk's Worst Nightmare. Courier. 2001年春. Qtd by Norfolk Historical Society.
  8. ^ Battle of the Monitor and the Merrimac. AmericanCivilWar.com.
  9. ^ Tucker, Chapter 46: Lincoln Plans the Recapture of Norfolk.
  10. ^ Schmidt, Barbara. April 1907: Opening of the Jamestown Exposition. Mark Twain and Henry Huttleston Rogers in Virginia. Twainquotes.com.
  11. ^ a b Kozel, Scott M. Hampton Roads Area Interstates and Freeways. Roads to the Future.
  12. ^ Kozel, Hampton Roads Bridge Tunnel. Roads to the Future.
  13. ^ Kozel, Parallel Midtown Tunnel / Pinners Point Interchange / Martin Luther King Freeway Extension. Roads to the Future.
  14. ^ Kozel, Interstate 264 in Virginia. Roads to the Future.
  15. ^ Kozel, Monitor-Merrimac Memorial Bridge-Tunnel (I-664). Roads to the Future.
  16. ^ Massive Resistance. The Civil Rights Movement in Virginia. Virginia Historical Society.
  17. ^ Norfolk, 20th Century. City of Norfolk.
  18. ^ a b Gibson, Campbell. Population of the 100 Largest Cities and Other Urban Places in the United States: 1790 to 1990. U.S. Census Bureau. 2005年.
  19. ^ About Norfolk: Life, Celebrated Daily. City of Norfolk.
  20. ^ a b Historical Weather for Norfolk, Virginia, United States of America. Weatherbase.com.
  21. ^ Royster Building. emporis.com.
  22. ^ Dominion Tower. emporis.com.
  23. ^ Norfolk Courthouse. United States District Court Eastern District of Virginia.
    バージニア州東部地方裁判所はノーフォークのほか、アレクサンドリアニューポートニューズ、およびリッチモンドにも置かれている。
  24. ^ Code of Ordinances. Sec.49-50. City of Norfolk, Virginia.
  25. ^ Code of Ordinances. Sec.17.1. City of Norfolk, Virginia.
  26. ^ Code of Ordinances. Sec.3.2, 6.1. City of Norfolk, Virginia.
  27. ^ Naval Station Norfolk. Alexandria, Virginia: GlobalSecurity.org.
  28. ^ Hampton Roads. GlobalSecurity.org.
  29. ^ BAE Systems Ship Repair. BAE Systems.
  30. ^ State of the Region 2010. p.5. College of Business and Public Administration, Old Dominion University. 2010年10月. (PDFファイル
  31. ^ Norfolk International Terminals (NIT). Virginia Port Authority. 2010年.
  32. ^ VPA General Statistics. Virginia Port Authority. (Microsoft Excelファイル)
  33. ^ Terminal Information. APM Terminals Management B.V.
  34. ^ APMT Virginia. Virginia Port Authority.
  35. ^ Lamberts Point. Globalsecurity.org.
  36. ^ Corporate Overview. Maersk Line Ltd.
  37. ^ USA-Canada. CMA CGM.
  38. ^ Global Network: America Area Office. ZIM Integrated Shipping Services Ltd.
  39. ^ Richards, Gregory. new cruise terminal set to welcome travelers. The Virginian-Pilot. 2007年4月7日.
  40. ^ Norfolk's Cruise Passenger Service Voted Best in the United States. Cruise Norfolk. 2009年6月23日.
  41. ^ States: Virginia. Fortune 500 2010. 2010年4月15日.
  42. ^ Contact Us. Dominion Enterprises.
  43. ^ Contacts. FHC Health Systems
  44. ^ Contact Us. Portfolio Recovery Associates
  45. ^ Contact Us. BlackHawk Products Group.
  46. ^ McWilliams, Jeremiah. "Despite Ford's troubles, Norfolk plant is likely to keep on truckin'". The Virginian-Pilot. 2005年11月11日.
  47. ^ Airport Master Record for ORF. Federal Aviation Administration, U.S. Department of Transportation. 2011年3月10日. (PDFファイル
  48. ^ Route Map. Norfolk International Airport.
  49. ^ Bridge-Tunnel Facts. Chesapeake Bay Bridge-Tunnel.
  50. ^ Norfolk, VA. Greyhound.
  51. ^ Boston - Lynchburg / Virginia Beach. Amtrak. 2011年3月14日. (PDFファイル)
  52. ^ Bus. Hampton Roads Transit.
  53. ^ Paddlewheel Ferry. Hampton Roads Transit.
  54. ^ Quick Facts, Tide Map & Schedule. The Tide. Hampton Roads Transit.
  55. ^ Eastern Virginia Medical Center Map. Eastern Virginia Medical School. (PDFファイル)
  56. ^ EVMS History. Eastern Virginia Medical School.
  57. ^ Sentara Timeline. Sentara Healthcare.
  58. ^ Sentera Norfolk General Hospital. Sentera Healthcare.
  59. ^ Trauma Center Level. American College of Sergeon. 1998年. Qtd by Khon Kaen Regional Hospital.
    トラウマ・センターとは、外傷を負った患者に対して救急医療を施す施設のことであり、レベルIからIVまでの4段階に格付けがなされている。最高レベルであるレベルIのトラウマ・センターは、地域の外傷救急医療の中心となり、外傷の防止、治癒後のリハビリテーション、外傷救急医療の人材育成、外傷救急医療研究、外傷救急医療システムの構築・計画の拠点ともなる。
  60. ^ First IVF Child in U.S. Meets Doctor. Boston: Associated Press. 2003年10月31日.
  61. ^ Sentara Heart Hospital. Sentara Healthcare.
  62. ^ Our History. Children's Hospital of The King's Daughters.
  63. ^ About ODU. Old Dominion University.
  64. ^ Academics. Old Dominion University.
  65. ^ Army ROTC. Old Dominion University
  66. ^ Home. Hampton Roads Naval Reserve Officer Training Corps.
  67. ^ About NSU. Norfolk State University.
  68. ^ Norfolk State University Fact Book 2010-2011. p.50. Norfolk State University. 2010年秋学期.
  69. ^ About VWC. Virginia Wesleyan College.
  70. ^ School Portal. Norfolk Public Schools.
  71. ^ Home. Norfolk Academy.
  72. ^ Frequently Asked Questions about the Library. Norfolk Public Library.
  73. ^ Permanent Exhibits. Nauticus.
  74. ^ Battleship Wisconsin. Nauticus.
  75. ^ Home, Hampton Roads Naval Museum.
  76. ^ Home. MacArthur Memorial.
  77. ^ Museum. MacArthur Memorial.
  78. ^ Virginia Landmarks Register, National Register of Historic Places. p.12. Virginia Department of Historic Resources, Commonwealth of Virginia. 2011年4月8日. (PDFファイル)
  79. ^ Collection Highlights. Chrysler Museum of Art.
  80. ^ History of the Hermitage. Hermitage Foundation Museum.
  81. ^ The Sloane Collection. Hermitage Foundation Museum.
  82. ^ The Gardens. Hermitage Foundation Museum.
  83. ^ About Virginia Opera. Virginia Opera Association.
  84. ^ History of Virginia Stage Company. Virginia Stage Company
  85. ^ About Us. Virginia Symphony Orchestra.
  86. ^ Hundhausen, Arthur. Virginia Squires. Remember the ABA.
  87. ^ 35th Annual Norfolk Harborfest. Norfolk Festevents.
  88. ^ a b Calendar. Norfolk Festevents.
  89. ^ About Norfolk Botanical Gardens. Norfolk Botanical Gardens
  90. ^ Animal Collection. Virginia Zoo.
  91. ^ Welcome to Our Gardens. Virginia Zoo.
  92. ^ Norfolk Parks. City of Norfolk.
  93. ^ Sister City Directory. Sister Cities International, Inc.
  94. ^ 姉妹・友好都市の紹介. 北九州市. 2009年.
  95. ^ PETA's History: Compassion in Action. People for the Ethical Treatment of Animals.

外部リンク

Template:Link GA