薩摩焼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
この項目に含まれる文字は、オペレーティングシステムブラウザなどの環境により表示が異なります。

薩摩焼(さつまやき)は、鹿児島県内で焼かれる陶磁器。竪野系、龍門司系、苗代川系がある。主な窯場は姶良市の龍門司窯、日置市(旧東市来町)の苗代川窯、鹿児島市の長太郎窯など。「白もん」と呼ばれる豪華絢爛な色絵錦手陶器と「黒もん」と呼ばれる大衆向けの雑器に分かれる。初期の薩摩焼においては豊臣秀吉文禄・慶長の役の際に同行してきた朝鮮人島津義弘の保護の下に発展させた。2002年(平成14年)1月に国の伝統的工芸品に指定された。

白薩摩の置物

種類[編集]

白薩摩(白もん)
日置市の旧東市来町の美山にある苗代川窯で焼かれていた陶器。藩主向けの御用窯で、金、赤、緑、紫、黄など華美な絵付を行った豪華絢爛な色絵錦手が主である。元々は苗代川焼と呼ばれ、薩摩焼とは名称を異にしていた。
黒薩摩(黒もん)
白薩摩に対して、大衆用の日用雑器として焼かれていた陶器で、鉄分含有量が多い土を用いるため、黒くなる。特に、黒ぢょかと呼ばれる素朴な土瓶は、焼酎を飲むときに用いられる。

京薩摩・横浜薩摩[編集]

幕末日本が開国すると、日本の陶磁器のうち美術的に優れたものは欧米へ輸出されるようになった。薩摩藩1867年にフランスの首都パリで開かれた万博に薩摩焼を出展し、現地で好評を得た[1]。こうした背景から幕末から明治初期に掛けての京都で、欧米への輸出用に、より伝統的な日本のデザインを意識し、絵付けされた「京薩摩」が作られた。横浜東京で絵付けされ、横浜港から輸出されたものは「横浜薩摩」と呼ばれた[2]

薩摩焼は欧米で「SATSUMA」(サツマ=薩摩)と呼ばれた。フランスではジャポニズムの流れの中で、日本画のようなデザインで鳥や植物を描くなど、薩摩焼の影響を受けた陶器が製作された[3]

その他[編集]

毎年2月20日頃に「窯元まつり」、11月20日頃に「薩摩焼フェスタ」が行われる。運営は、1997年に鹿児島県内65窯元の参加を得て結成され、『鹿児島県陶業協同組合』を経て名称変更された『鹿児島県薩摩焼協同組合』。組合の初代理事長は西郷隆文で、2018年5月からは薩摩焼の窯元である苗代川焼の荒木秀樹が2代目理事長に就任[4]。組合では他にも、窯元と地元鹿児島の飲食店がペアを組み、飲食店の雰囲気や料理を参考に、組合員である窯元が試作品を制作して納品した薩摩焼の器で料理を提供してもらうという焼物の地産地消イベント[5]、仏壇のふすま戸や、お茶を置く部分に薩摩焼で作った焼き物を入れ込んだ、薩摩焼とコラボレーションした商品の川辺仏壇[6]など、様々な普及活動を行っている。

薩摩焼は、2002年1月に伝統的工芸品としての国の指定を受け、2002年7月には伝統的工芸品としての振興計画について経済産業大臣の認定を受けており、2007年1月、『薩摩焼』は鹿児島県陶業協同組合によって商標登録される。2007年11月には、万博初出展140周年を記念し、フランス国立陶磁器美術館セーヴル美術館)において「薩摩焼パリ伝統美展」が開催された。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 日本の輸出陶磁器たばこと塩の博物館「特別展・華麗なる日本の輸出工芸」解説(2018年3月23日閲覧)
  2. ^ 萩原進樋口一葉『うもれ木』考」、『経済志林』第76号、法政大学学術機関リポジトリ、2009年3月
  3. ^ 福井大学准教授 今井祐子「フランス陶磁器のジャポニズム十選 蓮池青鷺文広口瓶」『日本経済新聞』2018年3月23日付朝刊、文化面。
  4. ^ 「鹿児島県薩摩焼協同組合新理事長に荒木秀樹氏」『南日本新聞』2018年5月20日、22面。
  5. ^ 伝統と現代の融合~薩摩焼ブランドの確立を目指して”. 鹿児島県中小企業団体中央会 (2010年5月). 2018年5月20日閲覧。
  6. ^ 講演「薩摩の郷中教育と薩摩焼」 (PDF)”. ロータリー文庫. pp. 44-45 (2008年8月1日). 2018年5月20日閲覧。

関連項目[編集]

参考文献[編集]

外部リンク[編集]