2時間ドラマ

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2時間ドラマ(にじかんドラマ)とは、日本におけるテレビドラマ放送の一形態である。2時間サスペンスとも呼ばれる[1]

定義[編集]

大野茂が挙げる2時間ドラマの定義は

  • 人が原因の事故・事件が扱われている
  • 謎を解く、または真相を追うドラマである(犯人サイドから描く場合は、犯行の動機や経緯を描いている)
  • 不安・気がかりな心理描写がある
  • 近現代が主な舞台である

以上4つを基本に据え、民放の地上波及びBSで放送された80分以上のサスペンスやミステリを題材としたもので、実際にあった出来事を元にしている作品はフィクションだと明記されている場合に含み、2時間ドラマ作品が連続ドラマになった後に単発でスペシャル番組を放送したときは含むが連ドラの時間拡大スペシャルは含まず、連ドラが後に単発で2時間放送した場合はスピンオフ以外は含まない、話を分割して放送するオムニバスや放送済み作品の再編集版は含まないとしている[2]

歴史[編集]

テレビ朝日高橋浩は日本ではテレビ放送するためのアメリカ映画が足りなくなると他国の作品を放送するが、アメリカでは2時間枠で流すオリジナルのテレビ映画を放送することを知り、当時日本では映画は劇場公開から4、5年経たないとテレビでは流せなかったがテレビ映画は制作すればすぐ放送できる新鮮さがあり、高橋はそれを「テレフィーチャー」と命名して放送のため調べ始めた[3]。1971年5月に『日曜洋画劇場』でテレフィーチャー日本初放送となるアメリカの『サンフランシスコ大空港』を本国の本放送から8か月後にオンエアして視聴率は15.9パーセントの合格点であった[4]。高橋はアメリカのエンターテインメント雑誌『バラエティ』を読むとカーチェイスもののテレビ映画についての記事に目が止まり、作品のプリントを送ってもらうことをその作品の制作会社に依頼、届いたのはスティーヴン・スピルバーグの『激突!』でその迫力に大変驚いた[5]。同時期にテレフィーチャー2作目の『夜空の大空港』が視聴率20.7パーセントを記録して他局もそれを認識し始め、高橋はテレフィーチャーについてのレポートを書いて社内に広め、上司にテレフィーチャー専用枠創設を提案するなどアピールした[5]。『激突!』は劇場公開から早い段階となる2年後、1975年1月にテレ朝で放送され視聴率22.1パーセントを記録、各局テレフィーチャーへの注目度が高まり、同年4月に高橋は外画部からテレビ映画の計画を立てる編成開発部へ異動となった[6]。高橋たちはテレフィーチャー制作のため上司への説得をしようとし、高橋に役員待遇の田中亮吉が外国映画の放映権料が高くなっていることや人気作との抱き合わせのB級ものは当たり外れが大きく、そのための予算でテレフィーチャーを作れないかと助言、テレ朝編成本部長兼常務の中須幹夫にプレゼンテーションを行い、一度目は不調に終わったが二度目のプレゼンのときは高視聴率のプロ野球読売ジャイアンツ戦が雨天中止続きで代替番組の視聴率が一桁になっている時期で、雨と関係ないテレフィーチャーは安定した視聴率を出せること強調し、中須の説得に成功、放送枠はB級もののを消化していた90分枠『土曜映画劇場』をリニューアルすることになった[7]。その頃は映画産業に陰りが出ていた時代で、機材やスタッフの余剰があり、制作費も安かったが仕事がないよりはいいと採算関係なしで制作に手を挙げる会社がいくつもあり、映画用35ミリフィルムをテレビ用16ミリフィルムにすれば映画用の機材が使えると受け入れられたこと、他国での成功例からして題材はミステリやサスペンスが良いと編成開発部の井塚英夫は考えていたが1976年から1977年にかけて角川書店による文庫と映画で横溝正史森村誠一など推理小説ブームも背景にあった[8]。同部の井塚や宇都宮恭三は特色として金銭、名誉出世、性の現代人の三大欲望を取り入れ、せめぎ合いを描写し、ストーリーも女性からみてできるだけ悲劇的に、主婦からは、哀れだがそれに対して自分は幸福だと感じさせ、その悲劇の中で殺人が起こり、犯人当てだけではなく女性の心を充足や感情移入の狙い、サスペンスは暗いビジュアルになりがちだが画面を明るくし、主婦に旅行気分を味わってもらうために観光地が登場したときには地名の字幕を入れた[9]。井塚は『土曜ワイド劇場』(以下、土ワイ)開始直前の1977年6月の社内報に制作方針として主なターゲットは20から35歳の女性、特に映画館に出かけない子供のいる女性、娯楽性や話題性が一番で脚本に注力、現代的で風俗や流行を取り入れる、健康的や美しいものなら裸やお色気は可、ハートのある作品が強みで視聴者の涙と感動は無視できないことを掲げていた[10]。1977年7月2日に放送された土ワイ第1作『時間よ、とまれ』は4月放送予定から3か月遅れてのオンエアとなり、裏番組は『Gメン'75』『ウィークエンダー』がある中で視聴率16.8パーセントと善戦、だが制作側では脚本を巡って意見が食い違う苦労させられながらも視聴率は次第に下降、営業担当からはメロドラマの方が視聴率がとれるのではないかと言われたり、制作スタッフで衝突がありながも誰かの作品が受けが悪かったら他のスタッフが補うような連帯感が生まれた[11]。放送開始年の作品にはギャラクシー賞選奨の『昭和怪盗傳』のようなドラマもあったが視聴率は第1回放送を超えることができず、ブレイクを前にしてそのきっかけがつかめていなかったが、それを打破したのは性と怪奇で1978年の放送1発目『江戸川乱歩の美女シリーズ』第2作「浴室の美女」が視聴率20.7パーセントを記録、放送枠の方向性を決定付け、視聴率が高かったドラマのシリーズ化を始め、最初からそれを狙わず自然発生的に任せた[12]。放送開始から2年経過で全体の3割がシリーズものとなり、視聴率は最初の3か月平均が10.3パーセントだったが1979年1月から3月が平均14パーセントに向上、テレ朝のプライムタイムは平均11パーセントだったため看板枠となっており、1980年1月の調査で個人視聴率は20から34歳男性が13パーセント、スポンサーが最も欲しがる20から34歳女性が18.7パーセントで2位の4.6パーセントに大差を付け、世帯視聴率は18.7パーセントで『Gメン'75』に勝ち、1位であった[13]。1979年春にABC朝日放送が制作に加わり2時間枠へ拡大、それまでのABCは土曜夜10半の枠は1965年のネットチェンジで長寿番組『夫婦善哉』を無理に移動させた結果、半年で打ち切られ、後番組も短期間に変わっており、枠を廃止して土曜ワイド劇場の放送時間を拡大、視聴率も大幅上昇した[14]

『土曜ワイド劇場』の成功を受けて他局でも同様の枠創設を考え始め、最初に動いたのは日本テレビで、1980年4月に『木曜ゴールデンドラマ』を開始、夜9時と10時でネット局が違っていたのを調整して統合、初期の頃はミステリだけではなくSF時代劇ホームドラマなど土ワイよりもバラエティ豊かだった[15]。当初、視聴率が良いのは「根性」「お涙頂戴」といえるものが多く、社会派や問題作のような作品は低視聴率ばかりだった[16]。日テレは1978年8月時点でテレフィーチャー制作の話が出ていたが、枠創設には3年をかけて『火曜サスペンス劇場』(以下、火サス)開始にあたり土ワイとの差別化を図るため、番組企画者の小坂敬は「ミステリー&サスペンスの面白さ」「人間ドラマの感動」に思い至り、犯人は誰かやどうやって犯行をしたかと、なぜその人は犯罪に走ったのか主軸に据え、瀬戸際に立たされた人を描くサスペンスこそが本当の人間ドラマだと考え、事件を追うものだけでなく被害者加害者が複雑な現代組織で生きる者の喜怒哀楽を丁寧に描くことで共感や感動が得られるとして「哀しくなければサスペンスじゃない」が制作スタッフの合言葉になった[17]。ターゲットとする視聴者は家事を終えて時間ができた主婦層で、受け入れてもらうために女性を意識したテーマや演出をし、ベッドシーンの際どさは抑え、女が男に復讐する展開など主婦が感情移入できる等身大の作品を方針とした[18]。他番組との差別化のために一番重きを置いたのは音楽であり、視聴者を惹き込むために冒頭でその話のハイライトシーンを入れ、木森敏之によるテーマ曲を流した[19]。また、番組用の主題歌を起用し、エンディングに流すことで単発枠でキャストやスタッフも違いながらレギュラー番組だと認識させ、視聴習慣を根付かせる今までにない手法をとった[20]。女性に共感されるために女性歌手で、若く、歌が上手いとして岩崎宏美が候補に挙がり、小坂は岩崎の全曲を集め3か月かけて起用を決定、小坂は枠の命運は彼女にかかってるとの思いで『聖母たちのララバイ』が制作された[21]。火サスが1981年9月29日に開始、スタッフは視聴率が20パーセントを超えるのは3か月はかかるとみていたが、同年11月17日放送の『ママに殺意を』でその大台を突破、その後も20パーセントをよく記録し、25パーセントに到達したこともあり、女性が感情移入しやすいドラマは特に視聴率が高かった[22]。次第にエンディング曲についての問い合わせが増え、カセットテープで抽選200名にプレゼントする企画を行ったところ30万通もの応募があり、当初予定していなかったレコード化が行われ、『聖母たちのララバイ』は日本歌謡大賞を受賞、120万枚セールスを叩き出し、1982年の『第33回NHK紅白歌合戦』で岩崎は同曲を歌唱、火サスの平均視聴率が22パーセントを記録して枠創設から1年で火サスと土ワイの2強の時代となった[23]

同時期、TBSでは1時間ドラマがメインストリームであって2時間ドラマは邪道との考えだったが土ワイ、火サスが高視聴率をしばし記録していたのを黙って見ているわけにはいかなくなり、1982年4月に『ザ・サスペンス』を開始、土ワイと放送時間を丸被りさせた[24]。高橋浩の見立てではTBSは民放の雄として同じジャンルでも自分の方が上だとの意識があり、『ニュースステーション』の裏に『ニュース22』をぶつけたのと同じで、不思議なことではないとしている[25]。企画担当の外部プロダクションの奪い合いも起こり、大映テレビ社長の大堀昭治から『ザ・サスペンス』の制作に参加するため土ワイから完全に手を引くと言われ、話し合いの結果、春日千春野添和子はTBSへ行き、柳田博美ら若いスタッフは土ワイの制作に引き続き関われることになった[26]。『ザ・サスペンス』第1回となる1982年4月10日には松本清張原作の『内海の輪』を当初放送しようとしていたが、土ワイは同じ清張原作の『風の息』を3時間拡大にして放送、その結果TBSは『内海の輪』を一週間先延ばしにして沢田研二主演の『陽のあたる場所』に差し替えた[27]。土ワイの放送時間帯は民放各局視聴率競争が激しく、1981年の同枠の平均視聴率は20.9パーセント、1982年に17.7パーセント、1983年には16.9パーセントと落ちていき、『ザ・サスペンス』開始から1年9か月の視聴率争いはTBSがテレ朝に対してやや負けていたが差は小さく、ほぼ互角であった[28]。勝敗がついたのは1984年になってからで同年6月までに土ワイは視聴率で半分以上勝ち、『ザ・サスペンス』は15パーセントを切るようになり、同年9月に枠は打ち切られた[29]。火サスの1983年3月1日放送からは日本初となる視覚障害者向けの音声多重放送を始めた[30]

柳田博美が原作を見つけてきた1983年7月3日放送の『熱い空気』は殺人や派手なシーンがないながらも当時土ワイ歴代2位となる視聴率27.7パーセントを記録、その頃の2時間ドラマで女性主人公のシリーズものはごく少数だったが、『家政婦は見た!』のタイトルで続編が決まった[31]。その続編「エリート家庭の浮気の秘密 みだれて…」(1984年10月13日放送)は関東地区の視聴率30.9パーセントを叩き出し、土ワイ史上最高、2時間ドラマ最高視聴率だった[32]。それに前後してテレ朝は『月曜ワイド劇場』を1982年10月に創設、TBSは『ザ・サスペンス』打ち切り半年後の1985年4月に『水曜ドラマスペシャル』、フジテレビは1984年10月『金曜女のドラマスペシャル』と1985年10月に『木曜ドラマストリート』をスタートさせ、一週間に7つの2時間ドラマ枠が乱立したが、そのブームが2時間ドラマの底上げにもなった[33]。土ワイは放送枠の拡大に加えて『ザ・サスペンス』開始により番組欄でのサブタイトルに続く通称「サブサブ」が長くなり、1982年6月2日放送の『松本清張の事故 国道20号線殺人トリック 怖い!あの女が今日も私を見張ってる…』が視聴率は23.8パーセントを記録したことで長いサブサブは当然となり「ちょっとえげつない」との見方もあったが火サスでも同様のことをしようか迷った結果、必要悪だとして割り切った[34]。2時間ドラマ乱立の1985年に競争を制したのは土ワイで視聴率が20パーセントを切ったのは僅かなのに対して火サスは1984年後半から視聴率が段々下落し、1985年後半には14.5パーセントまで下がり、原因として人間ドラマの感動に比重を置くと主人公であるため犯人は誰か最初からわかっているため、ミステリやサスペンスの面白さが行き届かず、作風は重く暗いものでもう一度見たくならない可能性があったがそれに思い至っていなかったからで、それから火サスは全て単発作品で制作が大変だったのを年間半分はシリーズ作を放送、シリーズ化によりキャスト、スタッフが一体となれる制作のしやすさや視聴者も前作からの期待を持てるメリットがあった[35]。1980年代中頃から地方ロケが多くなり、1989年7月から1990年6月までに土ワイ51作中41作、『男と女のミステリー』46作中21作、火サス49作中23作で地方ロケが行われていた[36]。数が多く品質が下がったことで放送枠は4つとなるが1988年には6つに増加、1987年から88年に火サスと引き続き視聴率争いを繰り広げた土ワイは平均18から19パーセントの熾烈さながらほぼ一番手にいた[37]。またテレ朝は『火曜スーパーワイド』、TBSは『土曜ドラマスペシャル』を創設したが枠名の変更を経て1991年にともに打ち切り、失敗に終わった[38]。1989年から1990年にかけては一週間8つの枠がある大混戦で、枠がなくなればまた別の枠が作られる様相で、かつて2時間ドラマは視聴率は最低15パーセントとれるといわれていたが1991年になると平均14パーセント弱の時期もあり、2時間ドラマ戦乱の世も終わろうとしていた[39]。1980年代中頃から1990年代初頭までの乱立時代に粗製乱造により質が下がり、マンネリだと視聴者から呆れられた[40]。かつてはフィルム撮影が主だったが1990年頃からビデオ撮影に変わり、制作側はトリックのネタ切れや視聴者層の年齢上昇が課題となっていた[41]。1990年代前半からシリーズものが多くなり、十津川警部狩矢警部浅見光彦など複数局で並行して制作される作品も出てきた[42]。その頃、放送枠が半減したことで収録済みのストック消化に時間がかかるようになり、撮影から放送までに期間が短かった火サス以外は大抵1年後のオンエアだったのが2、3年経つのは当たり前になり、土ワイでは5年後に放送された作品もあった[43]。流行を取り入れたジャンルであったはずながら時代感覚にギャップがあると言われるようになってしまった[44]。土ワイでは問題解決のために若い層を取り入れようと社会情勢に合わせることや旬のタレントを出演させ新鮮さを上げ、よくあるパターンを変えて層を広げることを掲げ、ミステリものをやったことがなくトレンディドラマを書いていた水橋文美江による『7人のOLが行く!沖縄お見合いツアーに殺しの花が咲く』(1994年8月6日放送)を制作、翌年に2作目が放送され、そのときには犯人を視聴者に当ててもらうクイズを行い、3万通の応募があった[45]。シリーズものの増加により各作品で傾向が被らないように差別化がとられるようになり、1994年頃からは主演が交代する作品も出てきた[46]。層拡大のためにフィクション性が強いと思われていた2時間ドラマにリアリティを持たせる動きが1990年代半ば頃よりあり、『法医学教室の事件ファイル』は事件解決に科学的要素を特に入れ、『警視庁鑑識班』は捜査する立場にない役職であることを反映させ、裏方として描き、登場人物と似た白骨標本を大学病院の研究室から借りてくることや、血痕の鑑定で本物の人の血を使い、毒物の鑑定でも鑑識経験者から指導を受けて花から抽出した[47]。1990年代には連続ドラマ『古畑任三郎』『踊る大捜査線』が放送されたことでサスペンスや刑事ものへの興味を持たせ続けた[48]

2000年、土ワイで放送された『相棒 警視庁ふたりだけの特命係』は試写を見た者からは視聴率がとれるのか危ぶまれたがそんなことはなく、3作放送の実績により連続ドラマ化した[49]。2000年代になるとテレビ東京が『女と愛とミステリー』を創設して2時間ドラマに参入した[50]。2005年9月、火サスはほとんど毎日殺人事件が発生していては飽きられる、との理由で枠が打ち切られ、最終回は『事件記者・三上雄太 火サス25年の歴史に幕 ラストにふさわしい本格人間ドラマサスペンス 刑事の娘の禁断の恋が招く殺意の十字路!犯人逃走援助懲戒免職』で、火サス史上最長のサブサブであった[51]。ただ、日テレが若者向けに転換、火サスは50代以上の男女がメインターゲットで商品を購入しないことからスポンサーがつかないことが実情であった[52]。2007年に土ワイの看板作『混浴露天風呂連続殺人』、2008年に『家政婦は見た!』が完結、前者はその理由が日本に秘湯はもうなくなったからで性描写は無関係としていたが、夜の放送ならまだしも再放送で午前10時から流すことは難しくなっていた[53]

現状[編集]

2019年3月をもって、レギュラー(通常)編成での2時間サスペンスドラマ専用枠であったTBSの『月曜名作劇場』が終了したことで地上波民放のゴールデン、プライムタイムから2時間ドラマ専用枠が名実共に完全消滅した[54]

2時間ドラマが減ったのは、かつては気軽に旅行へ出掛けられない当時の中高年の主婦層をターゲットに地方の観光地を舞台にした旅情ものがヒット[55]、それが制作意図として明確で[56]、流行を取り入れた時代の先端を行くジャンルでもあったが、バブル景気の頃になるとトレンディドラマがそれにとって代わられるようになり枠が縮小[57]、娯楽や趣味が多様化されたことで謎解きや旅情が幕の内弁当のように詰め込まれた2時間ドラマに視聴者は物足りなく感じるようになり[56]、連続ドラマで1話完結で謎解きする作品の増加による連ドラの単発ドラマ化の影響や[56][58]、同ジャンルの希少価値が減って視聴者も目が肥え、他作品との類似や犯人が早めにわかるなどの指摘にテレビ局が悩まされたことや、1時間ドラマの制作を優先し、2時間ドラマ発の作品は連ドラのパイロット版的の立ち位置に格下げ[59]、内容のマンネリ化で若い層が離れ[58][60]、視聴者層が50代後半以上の中高年が中心なため、広告主は消費行動がより多いその下の世代の視聴者が中心の連続ドラマに出稿する方が価値があるとみる向きや[56][58][61]、レンタルビデオショップの増加[61]、1時間ドラマをテレビで本放送した後にネット配信で視聴することも中高年層で少ないとはいえず、2時間ドラマは長く感じられるようになり、スマートフォンのような小さな画面で番組を見ると体力が必要で1時間ドラマの方がまだ持続するが[58]、視聴者がリアルタイムより録画や配信、SNSをやりながら見ることが増え、結果的に1時間ドラマも集中して見てもらえず、テレビ局の収入はオンデマンドや見逃し配信によるものが重要になったが、2時間ドラマは連ドラと比較して話題に上りにくくサービス利用に繋がらない[62]、自主規制でかつてのような過激なシーンを描けなくなった[57][63]、ソフト化されることもあまりなく元はとれず[64]、地方での収録も多いため制作期間と拘束時間が長い上に出演者のギャランティーも高く、費用が半分以下で収録が1日で終わるバラエティ番組に枠を奪われるコスト面の問題[55][56][58][65]、視聴率低迷により落ち目の役者が出演するドラマとみられるようになり、人気俳優が出演を敬遠するようになったなど、数多くの理由が挙げられている[55]

ライターの竹本道子は「連続ドラマでは女性の描き方は大きく様変わりしたが、2時間ドラマは相変わらず感情的なステレオタイプだった」と指摘、中央大学教授の宇佐見毅は「本格的な作品を見たい人は映画館へ行ったり海外ドラマを見ていて、月曜名作劇場の後継がバラエティ番組なのも短時間で安く作れて安定した視聴者を期待できるジャンルに流れざるを得ないのがテレビを取り巻く現状である」とした[56]。元毎日放送プロデューサーで同志社女子大学教授の影山貴彦は「温泉での入浴シーンなどの定番がバラエティ番組のような面白さやおかしさとして捉えられるようになった」と言い、ライターの吉田潮は「2時間ドラマは『昭和の残滓』でありベタさや間抜けを楽しめる人もいるが、そうでない人が多くなった」と見ている[58]。また吉田は放送枠変更を「各局が軒並み2時間ドラマ枠をつぶし、謎の『なんでもアリ枠』にして、ドラマ限定から逃げた。他の特番や映画も入れこみ、時々ドラマを放り込む程度の作戦に出た。『ドラマで視聴率惨敗』よりも『視聴者は定着しないがリスク分散』を選んだわけだ」と否定的である[66]。2017年に土ワイが時間移動して『日曜ワイド』になる3年前からは放送時間が15分ほど長くなっていたが、その時間延長のためストーリーのどんでん返しが夜10時、11時の2つとなり、寿命を縮めたのではないかとの見方もある[67]

これらに対してアメリカのように背景をCGにすれば制作費用を抑えられたり[57]、(制作者側が)新たなミステリー作家の発掘に消極的になったこと、ミステリーの帝王、ミステリーの女王と呼ばれた船越英一郎片平なぎさなどの後継が育成されなかったこと、各局全体で枠を守ろうとする姿勢が見られず[68][69]、影山貴彦は番組のジャンルが減ることで人材育成の面で作り手の能力が偏っていく危惧があり、渡瀬恒彦市原悦子のような人間味あふれる演技をする役者の後継が育てられなかったことも一因で、次の世代への種まきをして欲しいなど制作サイドのスタンスに対する指摘も見られる[58]

一方で断崖絶壁での犯人明かしや京都・温泉での殺人といった定番も作り上げ、衣輪晋一は漫画『土曜ワイド殺人事件』や連続ドラマ『特命係長 只野仁』のようにパロディ化されるほど浸透、コアなファン向けドラマだったのがネタとしての楽しみ方も加わり広い層が親しめるように変化、2時間ドラマでしか見ないような役者が幅広く活躍するようになり、実力派であると再認識され視聴者の評価も変わった側面もあるとしている[70]

2022年、テレビ朝日は年内一杯で不定期で放送されていた2時間サスペンスドラマ自体の放送を打ち切る事を発表した。

傾向[編集]

序盤に笑えるシーンがあり、中盤になると犯人として疑わしかった人物が死に、動機は2時間の一話完結であるため金銭トラブル、痴情のもつれ、遺産争いなどいくつかのパターンが主となり、そういった作品の視聴率が取れたためである[71]

ドラマ本編では終盤、犯人とトリックを明かすために断崖絶壁を前にして登場人物が集まるシーンがよくあるが、発祥は1961年公開の映画『ゼロの焦点』とされている[72]。2時間ドラマではそれを意識したわけではなく『土曜ワイド劇場』のプロデューサーが、殺人事件があってもいい終わり方にするために大団円で集合するようにしたことや、名所旧跡で終わる意味[72]、取調室で絵はもたず山は合わない、海だと波が動くことで表情に変化があり、犯人もよほど追い詰められていないと話さないことから断崖絶壁が適していたという[73]。また、これが定着するのは1990年代になってからで同時代にパロディ的に語られるようになり、それを2時間ドラマでセルフパロディ的に取り入れていった[72]

2005年にバラエティ番組『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』のトリビアの種のコーナーで「新聞のテレビ欄に書かれている2時間ドラマの出演者の中で一番犯人である確率が高いクレジット順」を調査したところ、結果一番多かったのは上から3番目の役者だった[74]。調査方法は2004年に放送された民放2時間ドラマ201作品を対象とし、犯人役が書かれていないときはカウントせず、複雑な話で複数犯の場合は最後に判明する最重要な犯人をカウントした[74]。3番目の割合は31パーセントで内訳は月曜ミステリー劇場48回、火曜サスペンス劇場41回、女と愛とミステリー40回、金曜エンタテイメント30回、土曜ワイド劇場42回[74]。第2位は4番目で29パーセント、第3位は5番目で20パーセントとなっている[74]。調査結果発表方法は榎木孝明中村俊介山村紅葉、船越英一郎の2時間ドラマへ出演している役者たちがそれ仕立てでランキングを発表していくミニドラマだった[74]。なお、3番目であるのは主人公に相棒役がいる場合で、犯人役は出演シーンも多く経験を積んだ役者が演じることが多いのが理由である[73]

放送途中から見始めても内容がわかる手法としてドラマ中盤で刑事などが事件の被害者、容疑者の相関図を書き出すシーンは「十時またぎのホワイトボード」と呼ばれる[75]

2時間ドラマ枠[編集]

現在[編集]

2020年4月13日開始(純粋な2時間ドラマ枠でない総合単発エンタメ枠)。
  • 土曜サスペンス(BS-TBS
2021年10月16日開始(毎週土曜19:00 - 20:54)[76]。原則、地上波TBS系列で放送された2時間ドラマの再放送枠であるが、2022年1月から3ヶ月連続で各月最終週に新作を放送した[77]

過去[編集]

脚注[編集]

  1. ^ おとなの2時間サスペンス”. 日本映画専門チャンネル. 2019年7月11日閲覧。
  2. ^ 大野茂 (2021). 2時間ドラマ 40年の軌跡 増補版. 講談社. pp. 5、249 
  3. ^ 大野 2018, pp. 13–14.
  4. ^ 大野 2018, pp. 14–15.
  5. ^ a b 大野 2018, p. 15
  6. ^ 大野 2018, p. 16.
  7. ^ 大野 2018, pp. 16–17.
  8. ^ 大野 2018, p. 19.
  9. ^ 大野 2018, pp. 19–20.
  10. ^ 大野 2018, p. 21.
  11. ^ 大野 2018, pp. 21–23.
  12. ^ 大野 2018, pp. 25–26.
  13. ^ 大野 2018, p. 27.
  14. ^ 大野 2018, pp. 32–34.
  15. ^ 大野 2018, p. 84.
  16. ^ 大野 2018, p. 86.
  17. ^ 大野 2018, pp. 91、94-95.
  18. ^ 大野 2018, pp. 95–96.
  19. ^ 大野 2018, pp. 97–98.
  20. ^ 大野 2018, p. 98.
  21. ^ 大野 2018, pp. 99–100.
  22. ^ 大野 2018, pp. 101–102.
  23. ^ 大野 2018, pp. 102–103.
  24. ^ 大野 2018, pp. 104–105.
  25. ^ 大野 2018, p. 105.
  26. ^ 大野 2018, p. 106.
  27. ^ 大野 2018, p. 109.
  28. ^ 大野 2018, pp. 108–109.
  29. ^ 大野 2018, p. 110.
  30. ^ 大野 2018, p. 234.
  31. ^ 大野 2018, p. 112-113、116-117.
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参考文献[編集]

  • 大野茂 『2時間ドラマ 40年の軌跡』徳間書店、2018年。