佐藤泰志
佐藤 泰志(さとう やすし、1949年4月26日 - 1990年10月10日)は、日本の小説家。北海道函館市高砂町出身。國學院大學文学部哲学科卒業。
経歴[編集]
1949年、北海道函館市高砂町に生まれる。北海道函館西高等学校在学中の1966年、『青春の記憶』で第4回有島青少年文芸賞優秀賞受賞。翌年、高校で起こった防衛大学校入学説明会阻止闘争を題材とした『市街戦のジャズメン』で第5回同賞優秀賞受賞。しかし同作はその内容から、通常は入賞作品が掲載される『北海道新聞』に掲載されず、選考委員のひとり沢田誠一が主宰する同人誌『北方文芸』に掲載された。1970年、二浪を経て國學院大學文学部哲学科に合格して上京[1]。雑誌『黙示』に参加。1971年、同人誌『立待』創刊。1974年、國學院大學卒業。同人誌『贋エスキモー』を創刊した。
1976年、『深い夜から』で北方文芸賞佳作。この頃から自律神経失調症に悩まされ始める。1977年、『移動動物園』で新潮新人賞候補。1981年3月、函館に戻る。函館高等職業訓練校建築科入学。1982年、『きみの鳥はうたえる』で第86回芥川龍之介賞候補。職業訓練校を退学、再上京して作家生活に入る。1983年から文芸誌の新人賞の下読みと書評の仕事で生計を立てるようになる。『空の青み』で第88回芥川龍之介賞候補、『水晶の腕』で第89回芥川龍之介賞候補、「黄金の服」で第5回野間文芸新人賞候補。1984年、『日刊アルバイトニュース』にエッセイ『迷いは禁物』の連載を開始。「黄金の服」で第90回芥川龍之介賞候補。1985年、『オーバー・フェンス』で第93回芥川龍之介賞候補。1989年、『そこのみにて光輝く』で第2回三島由紀夫賞候補。
1990年、遺作となった『虹』の原稿を編集者に渡した後、東京都国分寺市の自宅近くの植木畑で首を吊って自殺[2]。享年満41歳。
再評価[編集]
没後は全作品が絶版となっていたが、2007年、『佐藤泰志作品集』がクレインより発刊される。その収録作『海炭市叙景』を、函館にあるミニシアター「シネマアイリス」支配人の菅原和博が読んで映画化を実現[3]。菅原らはその後『そこのみにて光輝く』『オーバー・フェンス』『きみの鳥はうたえる』『草の響き』も映画化。ドキュメンタリー映画『書くことの重さ』も制作された。
評伝の刊行も進んだ(後述)。中澤雄大は、佐藤の同人誌仲間や親交があった詩人福間健二らに取材したほか、佐藤の妻から手紙など資料1000点以上を預かって『狂伝』を著した[1]。
作品リスト[編集]
- 『きみの鳥はうたえる』(1982年3月、河出書房新社、ISBN 9784309000794 のち文庫)
- 初出:『文藝』1981年9月号
- 『そこのみにて光輝く』(1989年3月、河出書房新社、ISBN 9784309005522 のち文庫)
- 黄金の服(1989年9月、河出書房新社、ISBN 9784309005829 のち小学館文庫)
- 『移動動物園』(1991年2月、新潮社、ISBN 9784103795018 のち小学館文庫)
- 移動動物園
- 空の青み(『新潮』1982年10月号)
- 水晶の腕(『新潮』1983年6月号)
- 『大きなハードルと小さなハードル』(1991年3月、河出書房新社、ISBN 9784309006765 のち文庫)
- 美しい夏
- 野栗鼠
- 大きなハードルと小さなハードル
- 納屋のように広い心
- 裸者の夏
- 鬼ガ島
- 夜、鳥たちが啼く
- 『海炭市叙景』(1991年12月、集英社、ISBN 9784087728255 のち小学館文庫)
- まだ若い廃墟
- 青い空の下の海
- この海岸に
- 裂けた爪
- 一滴のあこがれ
- 夜の中の夜
- 週末
- 裸足
- ここにある半島
- まっとうな男
- 大事なこと
- ネコを抱いた婆さん
- 夢みる力
- 昴った夜
- 黒い森
- 衛生的生活
- この日曜日
- しずかな若者
関連文献[編集]
- 福間健二『佐藤泰志 そこに彼はいた』河出書房新社、2014年
- 成田清文『佐藤泰志をさがして 「幻の作家」はいかにして復活したか?』言視舎、2021年
- 中澤雄大『狂伝 佐藤泰志 無垢と修羅』中央公論新社、2022年
関連項目[編集]
出典[編集]
- ^ a b 【Interview 中澤雄大さん】庶民描いた人生伝える『狂伝 佐藤泰志―無垢と修羅』刊行『毎日新聞』夕刊2022年6月8日(文化面)2022年6月11日閲覧
- ^ 大塚英良『文学者掃苔録図書館』(原書房、2015年)105頁
- ^ 函館市民発信「海炭市叙景」映画化への歩み(2022年6月11日閲覧)
- ^ “常設展示の作家たち”. 函館市文学館. 2016年11月12日閲覧。