コンテンツにスキップ

内田定槌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
内田 定槌
生年月日 1865年2月12日
出生地 豊前国小倉
没年月日 (1942-06-02) 1942年6月2日(77歳没)
出身校 東京帝国大学法科大学
称号 正三位
勲二等旭日重光章
勲一等瑞宝章
イタリア王国 王冠第一等勲章英語版
スウェーデン国 北極星第一等勲章英語版
配偶者 ヨフ
子女 勳夫(長男) 小夜(長女) 勝代(次女) 茂登(四女)
親族 せい(母) 齢治(弟)
幸(長男の妻)
伊丹松雄(長女の夫)
高木一三(次女の夫)
井上重喜(四女の夫)

在任期間 1906年12月27日
(全権公使 1907年10月9日~) - 1912年1月22日

スウェーデンの旗 在スウェーデン日本公使
在任期間 1912年1月23日 - 1920年6月18日

ノルウェーの旗 在ノルウェー日本公使
在任期間 1912年1月23日 - 1920年6月18日

デンマークの旗 在デンマーク日本公使
在任期間 1917年7月18日 - 1920年6月18日

トルコの旗 在オスマン帝国日本公使
在任期間 1920年12月4日
(全権大使 1923年1月31日) - 1923年5月8日

その他の職歴
在上海日本副領事
1890年9月2日 - 1893年7月10日
在京城領事日本領事
1893年11月10日 - 1896年9月10日
アメリカ合衆国の旗 在ニューヨーク日本総領事
1896年9月11日 - 1906年12月26日
日土協会会長
1926年 - 1929年
テンプレートを表示

内田 定槌(うちだ さだつち、元治2年1月17日[1]1865年2月12日)– 昭和17年(1942年6月2日[2])は、日本外交官。駐ブラジル公使、駐スウェーデン公使、駐トルコ大使

経歴

[編集]

豊前国小倉(現在の福岡県北九州市)出身[1]1889年(明治22年)、東京帝国大学法科大学を卒業し、外務省試補となった[3]。翌年、上海副領事となり、漢城領事、ニューヨーク領事、同総領事を歴任した[3]1906年(明治39年)にブラジル弁理公使となり、翌年に特命全権公使となった[3]。その後、スウェーデン公使に就任し、デンマーク公使、ノルウェー公使も兼ねた[3]1920年大正9年)、トルコに派遣され、のち大使に昇格した[3]

退官後は日土協会会長、日土貿易協会顧問を務めた[1]。墓所は多磨霊園

栄典

[編集]
位階
勲章等

関連作品

[編集]
NHK大河ドラマ

脚注

[編集]
  1. ^ a b c 帝国秘密探偵社 1930.
  2. ^ 『「現代物故者事典」総索引 : 昭和元年~平成23年 1 (政治・経済・社会篇)』日外アソシエーツ、2012年。
  3. ^ a b c d e 人事興信所 1925.
  4. ^ 『官報』第6652号「叙任及辞令」1905年8月31日。
  5. ^ 『官報』第2557号「叙任及辞令」1921年2月12日。
  6. ^ 『官報』第1218号「叙任及辞令」1916年8月21日。
  7. ^ 中野文庫 旧・勲一等瑞宝章受章者一覧
  8. ^ 『官報』第4438号・付録「辞令二」1941年10月23日。

参考文献

[編集]
  • 人事興信所 編『人事興信録』(7版)人事興信所、1925年。 
  • 帝国秘密探偵社 編『大衆人事録』(3版)帝国秘密探偵社、1930年。 

関連項目

[編集]
先代
(新設)
日土協会(現日本・トルコ協会)会長
初代:1929年 - 1938年
次代
徳川家正