稲村佐近四郎

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稲村 佐近四郎(いなむら さこんしろう、1917年1月20日 - 1990年7月29日)は、日本の政治家。元自由民主党衆議院議員(8期)。

来歴・人物

石川県羽咋市大町出身。安田商工専門学校卒業。建設会社社長を経て、1963年第30回衆議院議員総選挙旧石川2区から出馬し初当選。連続当選8回(当選同期に小渕恵三橋本龍太郎小宮山重四郎田中六助伊東正義渡辺美智雄佐藤孝行藤尾正行中川一郎鯨岡兵輔西岡武夫奥野誠亮三原朝雄など)。自民党内では中間派の大野伴睦村上勇水田三喜男派に所属したが消滅後は中曽根康弘派に合流。1977年福田改造内閣総理府総務長官沖縄開発庁長官として初入閣。1983年第2次中曽根内閣国土庁長官北海道開発庁長官として再度入閣を果たす。

自民党きっての繊維族議員の大物としても知られていたが、1986年日本撚糸工業組合連合会から500万円を受け取ったとして収賄罪在宅起訴され(撚糸工連事件)、政界引退に追い込まれた。1989年東京地裁で懲役2年6ヶ月(執行猶予3年)、追徴金500万円の有罪判決を言い渡され控訴せず確定。

1990年7月29日脳梗塞のため死去。享年73。

子の稲村建男は石川県議会議員で1990年の第39回衆議院議員総選挙で石川2区より出馬したが落選した。

関連項目